040 久芳姫香が生まれた日(その4)

 人は、誰もが主人公である。但し、自分の人生に限る話ではあるが。

 逆に言えば、たとえ一山幾らの素人モブだったとしても、それを生んだ両親もいれば、育まれてきた背景だってある。

『誰がどう繋がるか分からない』

 かつて、睦月が月偉に言った言葉だ。そしてある意味では、この世の真実の一つでもあったわけだ。

 つまり、何が起きたかと言えば……




『また、変な人間買ったのかよ……』

『ちゃんと背景ウラ確認しとったはず、よ……』

『どこがだよっ!?』

 視線を逸らす有里へと思わず怒鳴り散らす睦月だが、こればかりは仕方がない。

 何せ、診療所を襲撃される心当たりで真っ先に思い浮かぶのが……被験者関係なのだから。

『弥生の奴、また適当なに爆弾売りやがったなっ!?』

『……もしかして、弥生さんも来てるとか?』

『それはない。あいつ今は俺の依頼に掛かりっきりのはずだ。どうせ生活費が底を突いたとか、そんな理由だろう』

 二人して寝そべった状態。何だかんだ有里と話している内に冷静になれたのか、睦月は5.7mm口径の自動拳銃オートマティックを懐から抜き、銃身スライドを引いた。

『何にせよ、さっさとこの場を片付けて……弥生のアホを一発引っ叩く』

『私の分も追加でお願い。また診療所引越さないと……』

『頼むから、俺に関わりのない場所にしてくれよ……それ報酬代わりでいいから』

 有里が抜いたスローイングナイフを合図にして、睦月達は寝転がっていた状態から勢いよく、上半身を起こして得物を構える。

『また通いが大変になるわよ?』

『運び屋舐めんな……大物っ!』

『指揮官っ!』

 自動拳銃オートマティックの銃声が鳴り響き、戦闘が始まった。

 先に弥生謹製の爆弾や大型の武器を構えている人間が撃ち抜かれていく中、有里は指揮官に対してナイフを投擲しようとして……結局は睦月と共に、再び仰向けに倒れた。

『おまっ、何で、』

診察室・・・!』

 それだけで、投擲しなかった有里の意図がすぐに理解できた。

『ここ任せるっ!』

『一丁貸してっ!』

 睦月は持っていた自動拳銃オートマティックを有里に渡してから立ち上がり、姫香の居るはずの診察室内へと飛び込んだ。

『どこだっ!?』

 二丁目の自動拳銃オートマティックを、腰のホルスターから抜きながら。




「そっ、その後は……?」

「……期待に応えられなくて悪いけど、医務室の方から乗り込んできていた主犯格は、私が・・取り押さえたわよ」

 まさしく、物語殺しの所業だった。

 普通の物語であれば、人質に取られた姫香を睦月が助けるという展開なのだろうが、現実は襲撃者よりも彼女の方が強かった。

 睦月が銃口を向けたのは、床に取り押さえられた主犯格と、その背中に馬乗りになっていた姫香。しかも彼女の手には、有里のメスが握られていた。

「で、一先ず全員拘束。後は知らないけど……多分、全員被験者やってんじゃない」

 つまり、全員有里の手に掛かって……この世にいないということだろう。

「でも……それこそが、私にとっての分岐点だったの」

「どういう、ことですか?」

「気が付かない?」

 そう問い返されて、由希奈はようやく気が付いた。

自分で・・・取り押さえていた、ことですか……」

 姫香はそう話していた。ただ、似た状況・・・・は以前にもあり、その際には別の振る舞いをしていたと、由希奈はそう聞いている。


「……睦月さんの時は、抵抗しなかった・・・・・のに?」


 それが……姫香の答えだった。

 睦月の手で施設の外へと連れ出された時は、抵抗の類は一切しなかった。別に銃口を向けられたとか、適当に口説かれたわけでもない。ただ拾われて、連れ出されただけだ。

 しかし、次に似た状況になった時、姫香の手は何故か動いていた。

 窓から乗り込んできた男に足払いを掛け、背中を踏み付けて俯せに倒し、同じく倒れた器械台から零れ落ちたメスを手に取って刃を突き付ける。

 話を聞く限り、施設から連れ出された頃の姫香では想像もできなかったことだ。

「言いたいことは分かるわよ。私も、あの時は……自分自身に驚いていたわ」

 身体が動くことや相手より強かったこと自体は、驚くべきことじゃない。あの程度ならばむしろ、施設にいた教官の方が手強かった。


 問題はただ一つ……姫香に『生きたい』という気持ちが、芽生えていたということだった。




 その状況を見て、睦月は軽く息を吐きながら、姫香の元へと近寄ってきた。

『こっ、このや……ぶっ!?』

『お前……生きる気、ちゃんとあんじゃねえか』

 襲撃者達の主犯格の顔を踏み付けて黙らせてから、睦月は姫香と目を合わせてくる。

『何を理由にしているのかは知らないし興味もないが……もう・・大丈夫・・・だな?』

 しかし視線を離し、背を向けた睦月に対して……姫香は服の裾を摘まんだ。

『…………っ!?』

 何故そうしたのかは、すぐには分からなかった。睦月に気付かれない内に手を放し、それを胸の前に戻す。その間も、心臓は鳴り響き……

『早く戻って来てっ! もう弾切れっ!』

『ちょっと待ってろ! すぐ行く!』

 ……弾切れで死にかけている有里の元へと向かう睦月を、視線だけで追い掛けていた。




『ギリギリ弾が足りたな……』

『今度からはもっと、弾を用意しておいてくれない?』

『ふざけんな、自分の使えよ。隠し持ってんの知ってんだからな』

 全員を拘束し終えた後、睦月は有里に貸していた方の銃を受け取りながら、そう返していた。

『ただでさえ日本で、それも5.7mm口径なんて珍しい銃弾、簡単に手に入らないんだぞ。用立てるのに幾ら掛かると思ってやがる……』

『そんな銃、使ってるからでしょう。この機会に切り替えたら? まだ手に入りやすい.380ACP弾9mmショートとかに』

『嫌だよ面倒臭い……』

 昔馴染みに対して、ASD特有の『妙な拘り』をのたまっている睦月の傍へと寄った姫香は、静かに車の方を指差した。

 ただ……睦月はすぐに、『車に乗れ』とは言わなかったが。

『そのまま……タクシー呼んで、一人で・・・帰るのもありだぞ?』

『ここから少し離れた所に、公衆電話があるわよ』

 ここで別れた方がいい。自分で生きる意志があるならば、もう睦月の手は必要ないだろう。元々、姫香を『表社会』で普通に生活させた方がいいのではと、周囲と相談していたのだから、このまま縁を切った方が彼女の為になる。

 そう考えての発言だったのだろう。

 しかし、姫香は首を振って拒絶し……そのまま、睦月の手を握った。

『……先に言っておくぞ。俺はお前が人質になっても撃っていた』

 睦月は手を握られたまま、姫香にそう言い放ってきた。

『俺にとって一番大切なのは『運び屋として生きる』ことで、自分の命は二の次。ましてや……他の人間まで助けている余裕はない』

『そして殺しもしない……前から思っていたけど、馬鹿じゃないの?』

『ほっとけ! そもそも人殺しの罪背負って生きていける程、俺の神経は図太くないんだよ……』

 受付側に回って、壊れたレジから診察料を取り出している有里から飛んできた野次に、睦月はチッ、と舌打ちで返す。

 実際、急所を外しながら発砲した為か……この場で睦月が・・・殺した人数は、ゼロだった。

『だから、生きる気があるなら……自分が『人間』だと思うのなら、もう俺に関わらない方がいい』

 だからその手を放せ、とばかりに睨んでくる睦月だが……姫香が手を放すことはなかった。

 たとえ、社会の『表』と『裏』を行き来する『蝙蝠』だとしても、その為に敵が多くて味方が少なかったとしても。

 ……『運び屋』という、常人の道から外れた生き方を選んだ男だとしても。


 姫香が、睦月から離れる理由にはならなかった。




「たしかに、きっかけは刷込みによる追従行動インプリンティングだったかもしれないわね。でも……」

 陽に赤みが差し込もうとする中、姫香は堂々と告げてくる。

「私は自分の意思で、睦月を選んだ。それだけは間違いないし……たとえ睦月本人であっても、絶対に否定させない」

 ……その気持ちは、由希奈にも理解できた。

 生まれも立場も、きっかけも違う。でも由希奈と姫香には、おそらく共通する点がある。


『その生き様に憧れた』


 きっと、今日由希奈に話していない中にあったのだ。

 由希奈のように姫香もまた、睦月の『生き様に憧れた』瞬間が。

「それで、話を戻すけど……問題トラブルが起きた際にはすぐに身を引くか、最後まで傍にいるかを決めといてくれる? 最悪、睦月が・・・あなたを殺すかもしれないから」

「それは……睦月さんの為、ですか?」

 一瞬、姫香の顔が歪んだのは気のせいではないだろう。

「たしかにいざとなれば、睦月さんは私を殺すかもしれません。そして、そうなれば……睦月さんはその・・罪悪感に・・・・悩まされる・・・・・。だから、そう言うんですね?」

 人は、誰もが主人公である。但し、自分の人生に限る話ではあるが。

 どう足掻いても、人は平等に扱われることはない。『自分』と『他人』を平等に扱おうとする時点で、すでに不可能だからだ。

 ゆえに、人によって贔屓にする度合いは変わり……誰を殺したかによって、罪悪感に差が生まれてしまう。

 敵意を剥き出しにしてくる赤の他人と親しい間柄の人間では、たとえ躊躇なく殺せたとしても、その後悔に差が出てしまうのは仕方のないことだ。

 そして、姫香が恐れているのは……その『後悔の差』だった。

 ただでさえ、『人殺しの罪背負って生きていける程、俺の神経は図太くない』と言っていた睦月が、たとえそれしかないからと身近な者を殺してしまえば……まず間違いなく、後悔を抱いたまま生きていくことになる。

 睦月を苦しめない為に、姫香は今日、由希奈に忠告したのだ。

 睦月と由希奈、二人の気持ちを邪魔せず、かつ後悔で苦しまないようにする可能性を、少しでも上げる為に。

「……優しいんですね、姫香さんって」

「ただ、睦月に尽くしているだけよ。それに……」

 姫香は指で拳銃の形を作ると、その人差し指を自身の額に押し当てた。

「あいつ、本当に撃とうとするわよ。実際、最初の内なんて……普通に銃口向けられたし」

「そ、そうなんですか……?」

「そ。変なところで疑り深いから、一緒に・・・寝る・・と……条件反射か何かで銃口向けてくるのよ。おかげで睦月から銃奪って起きるなんてことが、しばらくは日常茶飯事だったし」

「…………」

 自分が未経験処女だからだろうか、彩未や姫香が『睦月と寝ている』と聞く度に、妙にモヤモヤとした気持ちになるのは。

 少し、胸が苦しくなっている由希奈に、姫香は気にせず残りのクッキーを口に運んでいた。

「ま、どうするかは好きにして。但し、言っとくけど……いざという時は私も・・殺すからね」

「……姫香、さんは」

 先程までの色恋沙汰、ではなく情事沙汰の思考を頭から追い出し、由希奈は問い掛けた。

「姫香さんは、人を……殺せるんですか?」

「殺せるし、もう何人も殺してる」

 まるで、『魚を捌いたことがある』かのように、姫香はあっさりと答えた。

「私にとって、優先順位の最上位は睦月よ。前にそれで揉めたことはあるけど……それだけは絶対に譲らない」

 盲信、とは違う。

 姫香の迷いのない眼差しを見て、由希奈は本当の意味で、『睦月を愛している』と悟った。


「もし殺されるとしても、私の結末は『睦月の手で殺される』か、『睦月を庇って死ぬ』かの二択だけ。それ以外で命を捨てる理由は、何一つとして存在しない」


 ただ、そう決めているだけだと、由希奈にも理解できる発言、いや宣言だった。

「だからついてくるのは勝手だけど……私に期待しないでよ。むしろ、睦月に『甘えたら』……誰よりも先に私が・・殺して・・・やる・・。『友達』でも何でも好きにすればいいけど、それを踏まえた上でやっててよね」

 殺気というものが物理的に存在すれば、間違いなく由希奈に突き刺さっていただろう。

 普通の人間ならば、その宣言と本気の姿勢に恐怖を覚えるのが、正解なのかもしれない。

 ただ、幸か不幸か……由希奈はASDだった。

「……分かりました。ちゃんと考えておきます」

 だから姫香の殺意に対しても、由希奈は特に気にせず、ただ睦月と付き合う上での注意点程度にしか認識して、いやできていなかった。

「……普通はビビるところじゃないの?」

「ただ近くにいただけとはいえ、もう本物の銃声も聞いていますから……本物の銃も、目の前にありますしね」

 撃とうと思えば、いつだって撃てたはずだ。でも姫香は由希奈を撃たずに、きちんと『警告』してくれた。

 だから由希奈も、姫香を『信用』することにしたのだ。

「もし殺されるとしたら、どういう状況なのかも理解しました。ちゃんとそれを踏まえた上で、睦月さんと付き合っていきます。『友達』からどうなるのかは、自分でもまだ分かりませんが……」

 一呼吸置き、今度は由希奈が、姫香に宣言した。


「絶対に、睦月さんには『甘えない』ようにします。今は、それでいいですか?」


「……ま、後悔しないようにね」

 空になった食器を片付けながら、姫香はそう返すだけに留めてきた。

 今は、由希奈のその回答で満足した、ということだろうか。

「ところで、ふと思ったんですけど……」

「何?」

 同じく食器を纏めるのを手伝いながら、由希奈は姫香にある疑問を投げ掛けた。

「どうして睦月さん、『扱い易い』女性が好きじゃないんですか?」

「正確には、『扱い易い』道具と女ね」

 食器を抱えて台所に向かう道すがら、姫香は簡潔に説明した。

「私が睦月と出会う前の話らしいんだけど……素人に銃奪われた挙句、昔馴染みの腹を撃たれちゃったことがあったんだって。さっきも言ったけど、それ以来『道具も女も、扱い辛い位が丁度いい』って考えになったって聞いたわよ」

「睦月さんが、そう言ってたんですか?」

「ううん……寝ている睦月の横で、撃たれた・・・・本人・・からそう聞いた」




 ある診療所にて。

「くしゅっ!?」

「あら、お腹冷やしちゃった?」

「いやぁ……多分、誰かがボクの噂をしてるんだと思う」

 銃痕の目立つ下腹部の診察をしていた有里に対して、弥生は鼻を擦りながら、そう呟いた。

「誰が噂しているんだろう……」

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