017 入学式及び始業式(その2)

 由希奈の後も、くじの順に自己紹介が行われていく。

 二番目のくじを引いたのは痩せ型で紅美と同じく眼鏡を掛けている、先程睦月と共に口を挟んだ中年男性だった。現状では外見からの判断ではあるものの、どうやらこのクラス(担任含む)では最年長らしい。

 その男性は静かに立ち上がり、一度周囲を見渡した上で口を開いてきた。

篠崎しのざきゆたかと申します。中学を卒業してすぐに工場勤めをしていたので趣味と呼べるものはありませんが、今回退職して高校に進学したのを機に、別のことにも挑戦してみたいと思います。よろしくお願いいたします」

 ――パチパチ……

 実に簡潔な紹介だと、睦月は静かに感心していた。

 必要なことのみ話した上に、趣味自体は本当に仕事一筋だったのか『これから探す』と言う。たとえ質問の時間ができたとしても、深く踏み込める話題がないので、余計なことは聞かれずに済む。

 たとえば……いまさら職場を辞して高校に進学した理由とか、を。

(まあ……本人が話したくないならいいか)

 そして入れ替わりに、三番目のくじを引いた男性が立ち上がった。

 今度はスキンヘッドにした肌黒の男性で、筋肉質なことも相まって若々しく見える。もしかしたら中年手前かもしれないが、傍目には二十代と言われると簡単に信じてしまう程の容姿だった。

宮丸みやまる洋一よういちだ。ここからだと駅の向こう側にある商店街で働いている。中学卒業からずっとバイト三昧だったが、資金が貯まったから自分の店を持ちたくなって進学したんだ。趣味と呼べるかは分からないが、商店街の行事イベントにはよく顔を出している。行事イベント内容によっては、見かけた時に声掛けてくれたらサービスするぜ。よろしくな」

 ――パチパチ……

 筋肉質な見た目通り、体育会系な自己紹介を終えて彼、洋一は再び椅子に腰掛けた。

(ということは……婆さんとも顔見知りだったり?)

 位置的に見て同じ商店街にあるからと、そう考える睦月だったが……すぐにないな、と自分の考えをあっさりと否定した。

(……ま、そりゃないか。行事イベント関係は最悪金だけ出して、後は面倒臭めんどがって放置してそうだし)




 その頃、商店街の中にある輸入雑貨店にて。

「ぶしゅっ!?」

「あれ? 店長風邪ですか?」

「誰かが婆ちゃんの噂でもしているんじゃないの~」

 カウンターの裏で煙管キセルを吹かしていた和音が急にくしゃみしたのを見て、店員の智春が心配そうに声を掛ける中、偶々(食料を集りに)来ていた弥生は誰かが噂したんじゃないかと指摘してくる。

「そもそも婆ちゃんの噂をしている時点で、十中八九悪口ぃっ!?」

 飛んできた防犯用のカラーボールを回避どころか割れないようにキャッチする弥生。技術屋なだけあり、割と器用な仕草だった。

「あっぶな~……」

「店長カラーボールそれ、どうしたんです?」

 普段は見ない防犯グッズに、智春は(弥生を気にすることなく)和音へと問い掛けた。

「最近、深夜に商店街の中で騒ぐ悪童ワルガキ共が居てね。お陰でこっちは寝不足だよ。まったく……」

 たしかに言われてから、智春は今日、和音が欠伸をする回数が多いことに気付いた。だからこそくしゃみが目立ち、今の話になったのだが。

「次来たら不審者の態でぶつけてやろうかと思ってね。さっき倉庫から引っ張り出してきたんだよ」

「婆ちゃん……」

「店長……」

 この近くに住んでいない二人は、和音に対して心配そうな眼差しを向けている。

「今度泊まった時に、ボクが吹っ飛ばしとこうか? それとも適当な設置型爆弾トラップ用意しとく?」

「いっそ迷惑行為で訴えて、賠償金せしめましょうよ。もしくは相手の個人情報握って、示談金口止め料請求するとか」

 しかし……精神病質者弥生拝金主義者智春の解決手段がまともとは限らなかった。

「雑魚相手に目立ってどうするんだい? そっちの方が諸々の処理で確実に損するってのに……」

 本当はこいつらがくしゃみの元凶じゃないかと考えつつ、和音は煙管キセルの中にある灰を灰皿へと振り入れたのであった。

「……そういうのは明確な実害が出てからでいいんだよ。その方が利益大きい上に、向こうも法的に逆らえなくなるってのに」

 さらにたちの悪い老獪極まる発言に、誰も突っ込まないまま。




 なんてことが商店街にある輸入雑貨店内で起きていると睦月は露知らずに四人目の、最後のクラスメイトの自己紹介に耳を傾けた。

脊戸せと拓雄たくおです……」

 少し暗い口調で、先程の洋一と同様筋肉はあるものの腹が出ている、言うなれば関取のような、小太りの男性だった。顔は美形な方ではないが、体格的にはむしろ自然な感じがするので、違和感があまりない。

「中学卒業後実家で家業を手伝ったり、そこから得た給金を元手にデイトレードで稼いだりしていましたが……それ以外は完全に引き籠りな生活をしていたので妹に『キモッ!』と言われてしまい、半ばやけくそ気味に進学を決意しました」

『……………………』

 全員、絶句してしまった。

「アニメとかは好きな方ですが、オタクと呼ばれる程詳しい方ではないので、あまりマニアックな話題は振らないでいただけると助かります。どうぞよろしく」

 ――パチ、パチパチ……

 歯切れの悪い拍手が生まれてしまった。

(デイトレードの話とかは聞いてみたいのに……)

 若干重い自己紹介を聞いた後では、関係ない話題でもあまり深く踏み込むこと自体が難しくなってくる。真偽を問わず、もしかしたらその状況を狙ってそう、進学理由を話したのかもしれないが……雰囲気が暗くなる副次効果おまけについても配慮して欲しいと考える睦月だった。

「というわけで、最後の方お願いします」

「はい……」

(こういう時だけ声掛けるんじゃねえよ!)

 等と紅美に対して内心舌打ちしたところで、どうしようもない。

 睦月は仕方がないとばかりに立ち上がると、自己紹介を始めた。

「荻野睦月です。趣味は映画鑑賞で、個人経営の運送業を営んでいます」

 個人経営の運送業は睦月の表向きの身分なので、もし調べられたとしても特に困りはしない。実際、運び屋の依頼だけでなく、トラックドライバーや個人タクシーの仕事も未だに請け負っているので、実績を問い質されても何ら問題はなかった。

「その関係で各種運転免許は現在進行形で取得していますし、手話や英語等の語学、後は資産運用についても勉強中です」

 このまま挨拶して終わろうかという時、肝心なことを言い忘れていたと思い出した睦月は、


「後、私の進学理由は……『地元が廃村になりました』からです」


 手短に事情を話し始めた。

「元々家業でもありましたので、地元で運送業を続ける上では問題なかったのですが……引越し先での世間体もありますので、この機会に高卒資格を取ろうと思い至ったからです。以降の進路はまだ未定ですが、今のところ運送業は続けていく予定です。よろしくお願いいたします」

 ――パ、チ……パチ、パチ…………

(え……、あれ……?)

 先程の拓雄よりも歯切れの悪い拍手を受けた睦月は、若干不思議そうに身体を持ち上げ、首を傾げた。

(別に……変なことは言ってないよな?)

 きつい仕事だというイメージはあるものの、免許的な問題で運送関係の年収がいいことは、ちょっと調べればすぐに分かることだ。それに由希奈の件でこのクラスに差別的な人間がいないことは分かっている。しかも業種的に言えば、他の者達とはそこまで大差はないはずだ。

 ということは趣味や特技の方かと考えたものの、特におかしなことは言っていないことは、いかに田舎暮らしをしていた睦月とて理解できる。人間関係の継続どころか他者を覚えるのが苦手とはいえ、職業柄顔は広くなるので、社会常識は問題なく擦り合わされている。でなければ高校進学すら考えなかっただろう。

 だから不思議そうに悩む睦月だったが……そこで、肝心なことに気付いた。

(…………あ)

「あ、あの、」

「……荻野君」

 しかしその声は、突如立ち上がって近寄ってきた裕に肩を掴まれ、遮られてしまう。

「大丈夫、大丈夫だから……」

「いや、だから、」

「……すまない。荻野君」

 今度は何故か、拓雄も立ち上がって来て、睦月に声を掛けてくる。

「元々妹に言われなくても、折を見て進学するつもりだったんだ。しかし家業はともかく、日常生活が完全に若年無業者ニートのオタクだと思われやすいからと、わざと暗い自己紹介をつい……」

(あ、やっぱり……いや!)

「そうじゃなくて、」

「大丈夫だ荻野! いや睦月っ!」

 そしてさらには洋一までが睦月へと歩み寄り、体育会系的な勢いノリで距離を切り詰めてきている。

「俺もそんな逆境を乗り越えてきた。お前だって越えられるさっ!」

 いやとっくに越えてるよ、と睦月は先程言った余計なこと・・・・・を撤回しようとしたのだが、今度は女性陣すら慰めようと、二人並んで近付いてきていた。

「辛かったですね、荻野君……」

「大丈夫ですよ、荻野さん……私達は味方ですから」

 パチンコ中毒カスの紅美は(人間的に)ともかく、美形な上に(自覚の有無はともかく)睦月の人生の中で最大の胸部を誇ってきている由希奈はどこか感極まった表情を浮かべている。

(まずい……)

 そこで睦月は、ASDの特徴を一つ思い出していた。

 周囲とのコミュニケーションが難しいASDの人間は相手に対する情報が入り辛い分、自身の想像で不足を補おうとする傾向がある。どんな妄想をしているのかは知らないが、睦月の不幸な生い立ちで占められているのはまず間違いないだろう。

 しかしこうなるともう、強引に止めるしかないのかもしれない。妄想しているのは由希奈一人だけだが、人間というものは周囲の空気に流されやすい生き物だ。でなければ流行やマスコミに踊らされたりするなんて事態は起こり得ないし、それで商売をしようなんて考えも生まれない。

 何せ人間の大半が、周囲に合わせていれば楽に生きられると思い込んでいる、主体性のない生き物なのだから。

「……とにかく、皆さん落ち着いて下さいっ!」

 突発的に集団で囲まれる状況が苦手な睦月だったが、そうも言っていられない。

 何とか強引に注目を集めてから、睦月は自身の失言と職業について、改めて説明することにした。

「たしかに進学理由は地元が廃村になって引越したからですが……昔から話も出ていた上に、住人は年を追うごとに地元から離れて行ってたんですよ。しかも運送業だったから遠出も多くて愛着が湧き辛かったから、特に帰属意識もないんです!」

 だから大丈夫なんですよ、と全員を宥めるように、睦月は口を動かしていく。

「それに元々、仕事や個人での人間関係を維持する上では、引越し先でもあるこの街の方が地元よりも都合がいいんです。おまけに父から聞いた限りだと、廃村になった地元で産まれてすらいませんからね」

(と言っても、いまいち信用できないんだよな……あの勘当親父の話は)

 しかしこれ以上は話がややこしくなる上に、相手に伝えきるには、現状の睦月では説明能力の練度が不足している。

 ゆえに、もう強引にでも話を切り上げるしか、睦月には対処法が思い浮かばなかった。

「とにかく、俺は大丈夫ですからっ! 何なら実家出た分女も連れ込み放題で――あたっ!?」

 どうにか流れは切れたものの、これがきっかけとなり、この雑多な人間が集まる成人クラスに連帯感が生まれたのはたしかだった。

(これ裏社会の住人としては、完全に裏目立ちだよな。もっと生徒数の多い学校入学すれば良かったかな……)

 下手したらクラスの中心になるのではないか、等と睦月は学校生活に過分な不安を覚えるのであった。

(ところでさっきの痛みは何なんだ? 鋭い突きが足の甲に刺さったかのような……)




 ちなみに少し未来の話にはなりますが、この程度には結束が深まる予定です。

「そういえば皆さん……私の胸とかじろじろ見ませんよね?」

「たしかに初めてみるでかさだけど、元々女には事欠かない生活してるんで」

「若い頃は給料が入る度に風俗通いしていた上に、もう年なんで」

性的少数者セクシュアルマイノリティ理由に家出した、生粋の男性同性愛者ゲイなんで」

「この顔で二次元に逃避したから、三次元の女性にあまり興味が湧かないんで」

 誰がどう答えたのかは個人情報保護プライバシーの都合により、(あまり意味がないとは思いますが、)この場では伏せさせていただきます。かしこ。

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