016 入学式及び始業式(その1)

『今回逮捕された政治家の――』

「まだ、長引いているっぽいな……あの事件」

 前回『ブギーマン』から受けた依頼により逮捕された政治家親子のニュースを聞きながら、睦月はソファーに腰掛けて朝食のトーストを摘まんでいた。

 特に予定がなければ、いつもはニュースを見ている時間だった。けれども姫香共々、今日は朝から忙しいので、こうしてテレビを眺めながら、同時に朝食を貪る羽目になっている。

「それにしても、もう四月か……」

 会計年度という、国や公共団体が歳入・歳出の区切りとして定めた期間がある。それが四月から始まるという理由で、期間ごとの予算組みを同様に行う組織が多い。

 学校もまた、国等から補助金を貰う場合もある所が多いので、四月入学が一般的となってしまっている。近年では外国に合わせて期間をずらす考えも出てきているが、少なくとも現状ではまだ、『四月から学校が始まる』という認識の方が強かった。

 それは睦月達の通う通信制高校も例外ではなく、四月から始業及び入学……俗にいう『一学期』が始まろうとしていた。

「しかし必要なこととはいえ……面倒だな」

 仕事とは違い、わざわざ学費を払ってまで通う手間を掛けなければならないのだ。しかも自分から学びたいことではないとなると、勉強自体が精神的苦痛になりかねない。学校生活を嫌がる者が居るのも、校内でのコミュニケーションにうまく溶け込めないだけが原因ではないことが分かる。

 ――ピト

「……ん?」

 ニュースを見ながらぼやく睦月の鼻先に、姫香の人差し指が触れた。

 そして睦月の顔から離れた姫香の両手の指は軽く折り曲げられ、胸の上下を掻き毟るように動かしてくる。

「【不安】?」

「と、いうわけでもないんだけどな……」

 首を傾げてくる姫香を内心可愛く思いつつ、睦月はそう歯切れ悪く返した。

 仕事上、初対面の人間と会う機会の方が多いので、人付き合いを形成するのは苦ではない。ただ、睦月にとって苦痛だと思うのは形成よりも……継続の方だった。

「一人はともかく、他のクラスメイトや教師は今日が初対面だからさ……うまいこと付き合っていけるか、ってのが不安と言えば不安かな」

 事前に情報を調べるという手もなくはないが、余計なことを知っていたせいで話が拗れる方が怖い。だから仕事等の事情が絡まない限り、睦月が和音や『ブギーマン』に依頼して、初めて関わりを持つ人物を調べることはまずなかった。

 だからこそ……不確定要素の恐怖が拭えないのだが。

「まあ……駄目だったら最悪、学校そのものを替えればいいだけだし、いちいち気にするだけ損だよな」

 そう、学校なんてものは手段でしかない。

 地元の外社会で生きていく為に高卒の資格が欲しいだけ・・の睦月にとって、学校そのものに拘りはない。

 何故ならこれは……命を懸ける必要のない行為、失敗したら次へ行けばいいだけの話だからだ。

「さて、と……」

 最後にカップのコーヒーを飲み干した睦月は、自らの膝元・・に頭を載せている姫香を見下ろし、その肩を軽く叩いた。

「……そろそろ降りろ」

「…………」

 すでに朝食を済ませ、制服代わりのデニム姿に着替えていた姫香は若干不満そうに、そのお腹の上に載せていたスマホを持つと同時に起き上がった。

 睦月と同様に、姫香が通っている通信制高校にも制服はない。しかし通学時は普段着にしているVネックワンピースではなく、必ずデニム等のパンツスタイルを着るようにしているみたいだった。

 その理由を睦月は知らないが、スカートだと男が寄ってくるとかだろうとあまり深く、姫香に尋ねるようなことはしなかった。

(むしろ逆効果な気がするというのは……黙っておこう)

 美人は何を着ても美人であるので、服装自体に意味はない。むしろ相手の趣味嗜好によってはかえって男が寄って来そうだと考えている睦月だったが……下手にツッコんでもキリがないと口を噤むことにした。

(美人やるのも大変だよな……)

 ある意味自分が『微妙』と周囲から評価されているのは運がいいのか……等と考えている睦月だったが、その真相について思案を巡らせる時間はもうない。

「ほら行くぞ。姫香も今日からだろう?」

 立ち上がった二人はテレビを消し、食器を片付けてからそれぞれの高校へと向かう。

 いや……高校へと登校するのであった。




 あるビルの五階を一フロア借り切って運営されている、久遠学院高等学校第十二分校内では、ある放送が流れていた。本日より入学式と始業式が始まるからと、生徒を歓迎する為に校歌が流されているのだが……

『久遠~、久遠~、久遠学院~、決してピーUMピーNでは――』

「……何で歌詞に『ピー』音入る校歌が許されてるんだ?」

 この時点ですでに、幸先が不安になっている睦月だった。それは同じ教室にいる生徒全員が思っていたことらしく、皆一斉に微妙な表情を浮かべている。

 唯一漏れ出た睦月からのツッコミに対し、この教室まで引率してきた眼鏡の女性が腰に手を当て、肩を落としながら盛大に息を吐いた。

「経営陣が全員校歌に興味を持っていない上に、そのピーUMピーNに生徒数が負けていて悔しいから、って前に聞いたことがあるわね……」

「……いや、経営規模ですでに負けているじゃないですか」

「その手の苦情及びツッコミは経営陣にお願いします。私ただの一教師だし」

 等と若干無責任とも取れる発言をしながら、彼女は自身の胸に手を当て、自己紹介を始めてきた。

「では皆さん初めまして。この成人クラスの担任を務めます、八山はちやま紅美くみと申します。担当科目は数学ですが、オンライン授業それ以外の時間は事務員としてこの校舎にいますので、何かありましたらお気軽にご相談下さい」

 自己紹介を行った後、紅美は引き締めていた表情を緩め、軽く肩を竦めてから後方にあるホワイトボードにもたれかかった。

「なんて偉そうに自己紹介したけれど、このクラスの半分以上が私より年上なのよね……」

(まあ、成人・・クラスだからな……そういうこともあるか)

 一般社会で生活していれば、余程の事情がない限りは中学卒業後に高校へと進学するのが常だ。それでも、事情があって進学できない者もいる。だからこそ、通信制高校に対する需要があり、成人クラスという受け皿が社会に生まれたのだ。

「……まあ、ぼやいていてもしょうがない」

 成人クラスの生徒は睦月を含めて五人、その中にはすでに顔を合わせている由希奈もいる。後の三人は全員男性で、中年に近い人もいれば比較的若い人もいた。

「全員、教室に入った際に引いて貰ったくじの順に自己紹介をお願いします。名前と趣味、後は進学した理由を簡単に話して、いただければ……」

 ……この瞬間、一人を除いた生徒全員が理解した。自分達の担任は、クラスを受け持つこと自体が今回初めてだと。

 でなければ男性陣からの冷たい目線にたじろがないだろうし……


「…………ぅ、」


 唯一の女子生徒である由希奈が、困惑で涙目になることもなかったはずだからだ。

「とりあえず……八山先生でしたか?」

 睦月以外の男性で一番の年上らしき人が、年功的に代表した方がいいと考えたのか、率先して問い掛けていた。

「このクラスは成人している方しか居ませんし、場合によっては人間的な指導も必要ないと考えても仕方ないと思いますけど……全員が全員、大人・・とは限りませんからね?」

「はい……すみません」

 しかしこの時点で、クラス全員の精神年齢が大まかにだが分かる。

 精神的に若い・・人間程、他者のことを考えられずに余計な口を挟むことが多い。俗にいうDQNドキュン(非常識な行動を取ることが多い人間)と呼ばれる人物に見られる、不愉快な発言が出てこないだけでも、真っ当な社会経験を積んだ人達だということが分かる。

 ただ、問題は……この中で一番若い由希奈だろう。

 常識外れの行動を取ることはなくとも、社会経験に乏しい彼女には精神的余裕がなさそうに見えた。特に(生徒では事前に聞いている睦月しか知らないと思われる)ASDと杖を持っている由希奈にとって、進学する理由についてはあまり触れられたくないのだろう。

(それに、担任も知らない可能性があるしな……)

 一先ずは精神的な未熟さからこの現状に繋がったのだと周囲に思われている内に、話を進めた方が良いかもしれない。

「というか……その先生が先におっしゃって下さいよ」

「え……」

 不思議そうにする担任の紅美に対して、睦月は敢えて問い掛けた。

「だから……趣味と、教師になった理由ですよ」

「あ、はい……」

 相手のことを理解するには、同じ状況に追い込まれる方が一番手っ取り早い。何より、彼女自身が言ったことだ。紅美には精神的に生贄になって貰うことにしようと、睦月は質問したのだった。

「えっと……」

 そして、担任教師の口から放たれた言葉に……


「趣味はパチンコで……そのせいで就活、通信制高校ここしか受かりませんでした」


 ……思わず絶句した。由希奈の瞳からも、いつの間にか雫が消えてしまっている。

(やばい……この担任パチンコ中毒カスだ)

 生徒全員の心が、一つになった瞬間だった。

「倍率の低い理数系の教員免許を持っていても、教育実習の間もパチンコ通いが止められなかったことが何故か広まってて……情操教育に悪いからって、いつも不採用。クラス任せられる位には、授業実績は高いのに…………」

「えっと……失礼、しました…………」

「なんか……ほんとすみませんでした…………」

 率先してくれた中年男性と一緒に、睦月は頭を下げた。

 しかし紅美は教室の隅に腰掛け、膝を抱えてしまっている。

「いいわよ、もう……どうせ私は『人間以上教師未満』ですよ…………」

(誰かにそう言われたのか……)

 少なくとも、経験が不足しているだけでDQNと呼ばれる程の人物でないのは見ているだけで分かる。指導力に関しては若干の不安が残るものの、後は男性陣で何とかするべきだろうが……睦月にはこれ以上の助け舟は出せそうにない。

五番目最後なんだよな……)

 名前の順とかであれば最初の方になることが多いのだが、今回それは当てはまらない。

 仕方がないので他の人に任せようと考えて一番目の人を見ると……残念なことに、その由希奈だったらしい。彼女は杖に体重を預けながら、ゆっくりと立ち上がっているところだった。

「は、初めまして……馬込由希奈と言います」

 どういう状況になるかは分からないので、とりあえず野次にならない程度の質問を考えながら、話の続きを待つ睦月。おそらく他の男性陣も同じ気持ちなのか、全員が彼女のに注目している。

「趣味、かどうかは分かりませんが……交通事故に遭うまでは陸上の選手をしていました。今はリハビリ目的でジムのプールに通っています。通信制この高校に通うことになったのも、スポーツ推薦で入学していたので退学になり、高校を卒業する為に必要な単位を、改めて取る為です」

 そして由希奈は、立ち続けるのも辛そうな中、全員に向けて頭を下げた。

「ある程度動けるようになりましたので、入学しましたが……もしかしたらご迷惑をお掛けすることもあるかもしれません。それでもどうか、よろしくお願いいたします」

 もしかしたら……彼女の中ではどこか罪悪感を抱いているのかもしれない。

 ASDの持ち主には、コミュニケーション能力の不器用さからくる不安が付き纏うことが多い、という特徴がある。由希奈もまた、不足単位を補う為に『自分だけ早く卒業する』等と考えて、変に心配症な気持ちが芽生えている可能性もあった。

 とはいえ、ASDの有無に関わらず、コミュニケーションを円滑にする方法はいくつかある。

 ――パチパチ……

「え……?」

 顔を上げた由希奈が音のする方へと振り向く。

 すると……手を叩いている睦月の姿が、由希奈の視界へと入り込んできた。

 ――パチ、パチパチパチ……

 それに続くようにして他の男性陣、そしていつの間にか立ち上がっていた担任の紅美もまた、睦月と共に拍手に参加してきた。


 相手の不安を解消する上で簡単な方法である、『相手の行いを肯定する』行動を、歓迎の拍手という形で表したのだ。


(上手くいきそうで良かった……)

 校歌から担任に至るまで不安要素だらけだったが、相手を肯定できる人間であれば、そこまで性格に難のある人物はいないだろう。それが全員だというのは睦月の不安を取り除くに足る、値千金の情報でもあった。

 内心安堵した睦月は適当なところで拍手を切り上げ、次の人の自己紹介に耳を傾けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る