008 案件No.001_美術品運送(その4)

 名児耶は加速状態で揺れが激しい車内であろうとも、いやその状況だからこそ、手元の回転式拳銃リボルバーへと銃弾を一発ずつ、確実に込めていった。

 二丁あるうちの一つにはすでに銃弾を込め終え、再び二重底内の台座へと戻してある。

 睦月が運転する車内の助手席に座る名児耶の手にはすでに二回、引き金を引いた回転式拳銃リボルバーが握られていた。発砲した分の再装填リロードも終えているが、こちらは少し趣向を変えてある。

 名児耶が回転式拳銃リボルバー回転式弾倉シリンダーを回転させてから構えたのを横目に確認した睦月は、カーナビの画面とミラー越しに『ペスト』とその周辺の様子を静かに窺う。

 最適な状況で……彼女に指定した標的ターゲットを撃ち抜いて貰う為に。

「それで……本当に・・・大丈夫なの?」

「狙いを外さなきゃな。ただ……」

 睦月自身、内心では正直ギリギリだと考えていた。

 ただでさえ相手は、同じ裏社会の住人なのだ。しかも顔見知りな分、相手の戦闘能力が高いのは疑いようもない。

「これで外したら……本気でもう、後がないぞ。戦闘だろうと逃亡だろうと、俺達の生存確率は格段に下がる」

「分かってるわよ……殺したくないならこれで決めろ、ってことでしょう?」

「……そういうことだ」

 戦うことと殺すことは、必ずしも同一ではない。

 たしかに、格闘技の試合等で相手に全力をぶつけてしまい、誤って相手を殺してしまうこともあるだろう。けれども自身の意思で過失に注意し、故意に生殺与奪を選択できるようにすることは可能だ。

 後は戦い方と、それを実行する意思のみ。『相手を殺すかもしれない』と悩みながら戦うよりも、『相手を殺さずに無力化する』と意識するだけでも、結果は変わってくる。もし自分が相手を殺したくないと思うのであれば、むしろ迷う方が危険だった。

 だからこそ、即断できる名児耶に対して、睦月は彼女の評価を上方に修正していた。

(少しの失敗でも命を落としかねない状況で、迷わず全員が助かる方法を選べる人間、か……)

 どんなに過酷な道であろうとも、迷わずに突き進める人間は強い。

 だから睦月は、名児耶の腕を信じることにした。

「まあ失敗しても、その後すぐ全力で逃げればいいだけだ。気楽に行け」

「簡単に言ってくれるわね……」

 しかし、名児耶もまた分かっていた。

 そもそも簡単に逃げ切れるなら、最初からそうしているはずだ。それができないからこそ、睦月が名児耶にこんな提案したことも理解している。

「……やってやろうじゃないの」

 右手に回転式拳銃リボルバーの銃把を握った名児耶は、左手の指を三本立てた。

「『さん、に、いち』と『いち、にの、さん』なら、どっちが好き?」

「指に合わせるからどっちでも」

 その言葉通り、同じ間隔で名児耶が指を曲げていく。そして全ての指が曲がった瞬間、

「……いくぞっ!」

 その手がすぐ車内上部にある握り手アシストグリップを強く握ったのを確認すると同時に、睦月の腕が動いた。

 ハンドルを大きく切って車体を反転させると、突然の方向転換でエンストにならないよう注意しつつ、手慣れた動作で曲がり切った後に、アクセルを大きく踏み込んだ。

「おら避けろっ!」

 車内で、しかも高速移動状態では『ペスト』には聞こえないだろうが、睦月は意図せず叫んだ。すぐ傍にいる名児耶ですら集中し過ぎて聞こえていない可能性があるものの、それでも相手は小型二輪を操作して軽々と回避してのけた。

 睦月達の乗る車が来た道を逆走しているのを確認した『ペスト』は、加速しているにも関わらず、速度を落とさないまま車体から放した足を中心に回っアクセルターンをして追い掛けてくる。

「予定通りだな……」

 向かうのは先程、二人が敗走させた連中が車道から離された場所だ。

 下手に揉め事の痕跡を残すと、後々面倒な事態になりかねない。だから、現場の後始末を行う稼業もまた存在する。今回もそこに依頼する予定になるので、これからやることをするには都合がいい。

『…………』

 車内は沈黙に押し潰されているが、集中している二人には気にしている余裕がなかった。

 急なターンにより速度が落ちた後であっても、相手もまた『魔改造』の施された小型二輪だ。睦月の操る車にもう、追い付いてきている。

(やっぱり追い付いてきたか……)

 先程のターンで振り切れるならそれに越したことはないが、相手が気紛れを起こさない限り不可能なことは、最初から分かり切っていた。

 だから睦月は、周囲の状況を観察してから、それに合わせてハンドルを大きく切った。

「さあ……どう来る?」

 相手が爆弾魔である以上、『ペスト』の攻撃手段は中遠距離のものが中心になってくる。しかも小型二輪で高速移動状態の中、接近して攻撃するということはまずありえない。下手に接触してしまえば、転倒による自滅の可能性が急騰するのは自明の理だ。

 だから睦月はまず、『ペスト』がどう動くのかを観察した。それに合わせてハンドルを切り、相手に気付かれないように動きを誘導していく。

(詰め将棋みたいなもんだが……上手くいくかな?)

 デイトレード等で先読みの能力はある程度鍛えている睦月だが、相手は元々、常識よりも欲望に忠実に生きているような奴なのだ。いきなり予想外の行動に出られる可能性もあるものの、本職である運転技術に関してだけは、『ペスト』を下回っているとは思っていない。

(……ま、死んだら死んだでその程度の人生だった、ってことか)

 望んで裏社会に生きているのだ。この程度の苦境は日常茶飯事、いちいち気にしている方がどうかしている。

 睦月は軽く息を吐くと、今度は自分の手を持ち上げて、先程の名児耶と同様に指を三本立てた。

(さん…………)

 指が一本折られる。同時に『ペスト』との距離が詰められていく。むしろ相手が動いたからこそ、睦月はそれに合わせて、カウントを始めたのだ。

(に…………)

 二本目の指が曲がる。それを確認した名児耶は、両手に込めている力をさらに強めた。

(…………いちっ!)

 立てた指を全て曲げ終えた睦月はすぐに手をハンドルに戻し、再び車体を反転させた。しかも今度はギリギリまで『ペスト』を近付け、サイドブレーキも用いて強引に減速した状態で、だ。


 ――キキィィ…………!?


 速度差で極端に距離を詰められてしまう小型二輪がハンドルを切るよりも早く、車体が牙を剥く方が早かった。

 そのままでは激突するからと、咄嗟に前輪を上げウィリーをした『ペスト』は睦月達の乗る車の上を走り抜け、空中へと逃れようとする。

『……今っ!』

 そしてそれこそが、睦月達の望んだ展開だった。

 空中を舞った『ペスト』が身動きできなくなっている隙に、車体を横に傾ける睦月。そして事前に下げていたドアウィンドウから、名児耶は両手で握った回転式拳銃リボルバーを突き出した。

「これでっ!」

 連続して引き金を引く名児耶。放たれた銃弾は『ペスト』の小型二輪に二発当たり、三発は虚空へと消えていく。

 しかし本命は……最後の一発だった。


 ――ダァン……!


 これまでと違う銃声が木霊する。

 名児耶が最後に放ったのは通常弾ではなく、強力なマグナム弾の方だった。

 小型二輪に当てた二発と、外した三発で周囲の環境と銃の癖を把握した名児耶は、回転式弾倉シリンダーの位置を調整して最後に発砲できるようにしたマグナム弾でペストマスクを、『ペスト』の眉間を撃ち抜いたのだ。

 さすがに銃弾までは躱すことができなかったらしく、『ペスト』は身体を仰け反らせたまま、重力に背中を掴まれて夜闇に消えていく。

 睦月は着弾を確認してすぐ、強引な方向転換を繰り返したせいでエンストを起こしたエンジンを再び叩き起こし、急いでその場から離れようとアクセルを踏み込んだ。

「上手くいったけど……本当に大丈夫なの?」

「ああ、狙いが良かったお陰でな……」

 状況に応じて、敵対することもあれば味方にも・・・・なり得る・・・・。それが裏社会における暗黙の了解ルールの一つだった。

 だからこそ、睦月は知っていた。

『ペスト』が普段身に付けているペストマスクは相手が自作した特注品で、その素材には最高ランクの防弾プレートが含まれていることも。そして……銃弾は防げても、マグナム弾の強烈な衝撃までは防ぎきれないことも。

 詳しくは近付いて調べてみないと分からないものの、相手が脳震盪を起こしていると仮定して素早く逃げ切らなければ、再び殺し合いか一方的な虐殺が襲い掛かってくる。

 睦月は車のギアを最大にまで引き上げ、急いで『ペスト』から逃げ出したのだった。




「はあ……何とか生き残ったか」

 そして目的地に到着した睦月が車体にもたれながら地面に腰掛けている中、名児耶は荷室ラゲッジルームから美術品用の梱包ケースを降ろしていた。

 美術館にはすでに、警備会社の他の人間が待機している。丁度建物内から出てきた彼等に合わせて立ち上がった睦月は、名児耶がケースの蓋を開けるのを一緒になって眺めた。

「……問題はなさそうですね?」

「たしかに。では報酬はいつも通りに」

 美術品の無事を確認した後、経理担当らしき人物がスマホを操作し始めた。睦月の報酬を支払う手続きを行っているのだろう。

 後は今回の依頼の仲介人である和音を通して、報酬を受け取ればいい。

「では私はこれで……お疲れ様です」

 周囲から労いの言葉を受けつつ背を向ける睦月。警備会社の社員達も、再び閉じた梱包ケースを囲みながら、美術館へと運び込んでいく。

 しかし……名児耶だけは、運転席に乗り込んだ睦月に近付き、ドア越しに話し掛けてきた。

「行かなくていいのか?」

「最後に挨拶位、いいでしょう」

 手を伸ばしてくる名児耶に、睦月もまた腕を上げて握手・・した。

「……鈍感なの?」

「女には事足りているんでね」

 すぐに手は放され、パン、と睦月は名児耶に掌を叩かれた。

「年上でもいけると思ったのに……」

「吊り橋効果で付き合っても長続きしない、っての。あんたもあっさりほだされんなよな」

「まあ……それもそうか」

 すでに、かなりの時間が経過している。

「人間性はともかく、顔はそこまででもなかったわね……」

微妙・・なんだろう……余計なお世話だ」

 夜が明け、昇り始めている陽光に照らされた名児耶が漏らした感想に、睦月は『もう別の女から聞いている』と返した。

(だったらどこがいいんだよ、あいつ等……)

 内心自虐する睦月だが、これ以上は時間を掛けられないとエンジンを叩き起こした。

「じゃあ……そろそろ行くよ。また機会があればよろしく」

「ええ、またね……」

 最後に、名児耶の口から『楽しかった』と言葉が漏れ出ていたような気がした。

 成否に関わらず、依頼人と揉めることも少なくない業界だが、こういうやりとりもなくはない。偶にとはいえ、良好な関係を築ける最後というのは、どんな仕事であっても嬉しいものだった。

 名児耶が見送る中、睦月は車を走らせていく。

 美術館の敷地から出た睦月は、ハンドルを元来た道・・・・へと向けて切った。




 美術品の真贋を問わず、今回の件に関わる理由を持つ人間は、他にも居た。

「依頼そのものを失敗させて、会社の評判でも落とそうとしたのかね……」

 元来た道をある程度進むと、そこは爆撃でもあったかのようにあちこちがボロボロになっていた。睦月が『ペスト』と戦闘になった場所だが、明らかに被害範囲が広がっている。

 ……それもこれも、今睦月の足元で両足を・・・失くした・・・・状態で転がっている男のせいだろうということは、容易に想像がついた。

「まさか、こんな所でまた会うとは思わなかったよ」

「ぁ、ぁあ……っ!」

 近くに落ちていたエアガンを足で蹴飛ばしながら、タッチパネル操作にも対応できる手袋を身に付ける。目的は足元で転がっている、男のスマホだった。

 睦月はそれを取り上げると男の指紋認証でロックを解除し、自らのスマホに登録されている番号を確認しながら入力して、電話を掛けた。

「……あ、伊藤さんですか? 荻野、睦月です。今回の襲撃の主犯らしき男のスマホから掛けてます」

『…………済まない。まさか解雇された報復にこんなことをするとは思わなかった』

 相手はかつて、睦月とも仕事をしたことがある、あの警備会社の元社員だった。

 いや……厳密には違う。

 睦月に対して『外部に本物・・を任せるわけがないだろう!』とあっさり暴露して、その場で解雇になった人間だった。結局あの時は、この男を置いて伊藤が同席することになったのだが……どうやら、未だに怨嗟の念を抱いていたらしい。

「とりあえず通話状態にしたまま置いて行きますので、後はお任せします」

 睦月はスマホの通話をスピーカーに替えてから、足を失くして身動きが取れなくなっている男のすぐ傍にそっと置いた。

「居場所を伝えて助けて貰うなり、黙ってこのままくたばるなり……まあご自由に」

 手袋を外しながら、睦月は男に背を向けて歩き出した。ここへ来た用事を済ませる為に。

「た、たぁ……」

「…………?」

 男の口から、呻き声が聞こえてくる。

 睦月は足を止めるが背を向けたまま、男の言葉を待った。

「た、たすけ……」

「悪いが……」

 どういう意味で助けを求め、また何を望んでいるのかは分からない。

 しかしその真意は理解できないものの、睦月の答えはもう決まっていた。

「……お前が捕まろうとくたばろうと、俺には知ったこっちゃねえよ」

 睦月は再び、歩を進める。


「背負う価値もないものなんて、運ぶ趣味はないんでね」


 後の処遇は伊藤達に任せようと、睦月は目的の場所へと向かおうとするものの、

「…………あたっ!?」

 せっかく付けた格好を崩される形で、睦月はその場で立ち止まってしまった。後頭部に何かがぶつかったらしく、痛む頭を摩りながら足元を見てみると、そこには9mm程の直径を持つ鉛の塊が落ちていた。

「……やっぱり生きていたか」

『人の眉間を撃ち抜いておいて、よく言う……』

 そもそも男の足が吹っ飛んでいる時点で、死んでいないどころかすでに脳震盪から回復しているとは予想が付いていた。投げつけられた銃弾を拾った睦月が顔を上げると、そこには不吉な印象を与えてくるペストマスクを被る、小柄な人物が立っていた。

小型二輪バイクの弁償をしたくなければ、送っていけ』

「そもそも喧嘩売ってきたのはお前だろうが……」

 変声機を通した機械的な声に、睦月は呆れて言葉を漏らす。

 しかしいちいち気にしても仕方がないと、睦月は『ペスト』と共に車に戻って、そのまま乗り込んだ。

小型二輪バイクはほっといていいのか?」

『まとめてふっ飛ばした』

「ますます弁償する理由がないな。というか……」

 運転席で車のエンジンを掛けながら、睦月は助手席に座る彼女・・に言う。


「いいかげんそのマスク外せよ…………弥生・・


 そう言われた『ペスト』、鳥塚とりづか弥生は愛用のペストマスクを外し、黒いボサ髪のショートボブを一掻きしてから、懐から取り出した眼鏡を掛けた。

「あ~、まだ痛む……普通幼馴染の額にマグナム弾撃ち込む?」

「あ……そのマグナム弾撃った銃、帰りに渡すから整備しといてくれ」

「ひっどいなぁ~もう……ボクに撃ち込んだこと、謝ってくれてもいいんじゃないの?」

 しかしいつものことと、睦月は拾ったマグナム弾の弾頭を助手席の足元に置いた空薬莢ガラ入れに投げ入れた。

 元々、睦月の目的はこの弾頭の回収だった。

 警備会社が現場の後始末を依頼するだろうとは思うが、余計な証拠は残さないに越したことはない。だから土に還る弥生特製の通常弾はともかく、別途手に入れていたマグナム弾の弾頭だけは回収する必要があった。

 一応弥生にも用事はあったが、それはついでみたいなものなので、居れば声を掛ける程度にしか考えていない。

「途中寄り道して帰るぞ……さすがに眠い」

「仮眠でホテル行くなら、久し振りによろしくやっちゃう?」

「……それは気分次第で」

 弥生は近くにあった包みを勝手に開け、中に入っている『ヒメッカーズチョコバー』をボリボリと齧り始めている。食べている間は大人しくしていることを祈りつつ、睦月はギアを一速ローに入れて、アクセルを踏み込んだ。

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