009 案件No.001_美術品運送(その5)
『――被害者家族は政府が及び腰になっているとし、さらなる外交を重ねるようにと……』
――ピッ!
『お父様ぁ! おかあさまぁ……!』
『げっへっへ……ここは異世界だ。誰も助けてくれないぜぇ~』
「……勝手にチャンネル変えんな、こら」
「ニュースなんてつまんないもの、よく見れるね……」
帰り際に立ち寄ったラブホテルの一室でのこと。
弥生と
普段から愛用している
「お前はもう少し、社会に興味を持て。生活に影響の出るニュースを見逃したらどうするんだよ」
「裏社会の住人が何言ってんの?」
スポーツブラと同色のボーイズレングスに手を当てながら、弥生は呆れたように睦月を見下ろしていた。見た目は小柄で細い体躯なのに、その下腹部には不釣り合いな、小さな銃弾の跡が目立っている。
睦月はそんな様子の弥生に、逆に呆れ返していた。
「どいつもこいつも……似たようなこと言ってんじゃねえよ」
社会生活をするのに、表も裏もない。
余計な罪を背負えば、その分受ける罰も増えていくのがこの社会だ。ゆえに、自身が咎人だと自覚している人間程、無駄な犯罪行為は避ける傾向にある。
必要以上に犯罪を繰り返すのは自覚のない馬鹿か、犯罪行為そのものを楽しんでいる
だからこそ、少しでもまともな思考を持つ者であれば、社会から搾取されないようニュースにも多少は耳を傾けている。
それが睦月達の生きている、この世界なのだ。
「大体これ、前にも見ただろうが。DVDで」
「どうりで見たことあると思った……そういえばあれ、どうしたっけ?」
「つまらないから、って売っただろうが。中古品の通販サイトに」
個人情報の管理がザルな中古品販売の通販サイトが存在するので、睦月達は不要となったDVDをそこに売り込んでいた。痕跡を残さないようにするのであれば、そのまま捨ててしまえばいいのだろうが、廃棄物から痕跡を探すのは捜査の基本でもある。横流しにした方が、かえって証拠隠滅に繋がる場合もあるのだ。
無論、間に合わない時はその場で爆破滅却するのを前提条件としての話だが。
「ニュースに戻すぞ。ったく……」
腰掛けていたベッドの縁から立ち上がった睦月は、弥生からリモコンを取り上げるとすぐチャンネルをニュースに変えた。すでに見たこともあってか、彼女は特に気にせず、肩を竦めてから浴室に消えていく。
『――次のニュースです。空輸された美術品が無事到着し、本日正午に行われた記者会見にて、後日予定通りに展示を行う旨が発表されました。今回の展示に関して……』
「ふぁれ? ふぉふぃかふぃふぇ――っぺ!?」
「歯ぁ磨きながらしゃべるな……」
アメニティ用品として置いてあった歯ブラシを咥えながら出てきた弥生の頭を引っ叩いてから、睦月は再びベッドに腰を降ろした。
睦月に叩かれた弥生は一度浴室に戻り、うがいをして口の中を空にしてから、再び話し掛けてきた。
「これって、さっき睦月が運び込んでたやつのことだよね?」
「そうだよ……そういえばお前の依頼って、強奪? それとも破壊?」
「破壊。そもそも
「それもそうか……」
本当に社会的な打撃が目的だったのだろうと、睦月は改めて思い……相手の馬鹿さ加減に、思わず呆れてしまった。
「にしてもあの男……俺が守り切らなかったら、諸々どうするつもりだったんだ?」
「どういうこと?」
不思議そうに首を傾げる弥生を見返しながら、睦月はこう答えた。
「俺が運んでいたの……
その言葉に弥生は少しだけ目を見開き、テレビから聞こえてくる情報に耳を傾けて、美術品の現価を調べ出した。そして、その価格にうげ、と顔を歪めていく。
「てことは賠償額……とんでもないことになってた、ってこと?」
「捕まってたら共犯であるお前にも、支払い義務があっただろうな……前から言っているけど、本当もう少し仕事選べって」
そろそろチェックアウトの時間だと、睦月はテレビの電源を切ってから、リモコンをベッドの上に投げ捨てた。
「……あれ? でも依頼人が『どうせ偽物だ』って言ってたけど、誤情報でも流していたの?」
「いや……」
睦月はそこで、少し言葉を濁した。
「……実物見た時に本物だと思っただけだ。囮の偽物にしては、安いメッキに見えなかったからな」
それ本物だって確信持って言えることじゃないじゃん、と弥生は内心で思っても、決して言葉にしない。
睦月の発言がただの勘じゃないと、そして本当のことを隠して適当に言っているだけだと分かっているからだ。
(そういや、名児耶さんも気付いてたっぽいな……)
なんとなくだが、名児耶もまた偽物だと聞かされ、かつそれが、本当は本物だと気付いていたようにも思えた。でなければわざわざ睦月に真贋について問い質したりする必要も、わざわざ美術品が運ばれたのを
そもそも睦月が本物だと分かったのは、何度か美術品の運送依頼を請け負う内に自然と審美眼が鍛えられていたからであり、また以前、『偽物だ』と言った男を押し退けて伊藤が同乗した件もあったからだ。
おそらくはこういう絡繰りだろうと、睦月は考えている。
運送予定の美術品を運ぶ新人に対して、物の真贋を問わず『偽物』だと伝えておく。そして相手が期待できそうな人間の場合は、可能な限り本物を回すようにする。それだけで実力と責任感のある人物かどうかが把握できるので、事前に駄目そうだと分かれば外せばいいし、信用できそうならばそのまま相手に成功実績を積ませることができる。
そして……万が一失敗すれば、外部から雇った睦月に全ての責任を押し付けてしまえばいい。でなければ、企業秘密を漏らした時点で男を即解雇にする理由もないし、何より名児耶
「……ま、いまさらか」
考えるのを止めてそう独り言ちた睦月は、未だに首を傾げている弥生を無視して、脱ぎ散らかしたままの衣服に袖を通し始めた。
「そろそろ帰るぞ。細工するにはいい具合に、陽も暮れてきたし……」
「まあ、いいけど……」
どこか釈然としないまま、弥生もまた黒い大き目のパーカーと膝丈のハーフパンツを身に付けていった。
「あ……そういえば
「ん~……口封じも兼ねて、報酬踏み倒そうとしてきたから」
「だからちゃんと、相手を選べっての…………」
それは弥生に対してか、それとも今回の主犯であるあの男に対してか。
誰に対していっているのかは睦月にも分からなかったが、もしかしたら、両方に向けて言ったのかもしれない。
……多分、メイビー、プロバブリー。
適当な所で
睦月は
「……あれ?」
そこは、睦月達の新居であるマンションから見て、駅を挟んだ反対側にある商店街近くにあるコインパーキングであり、弥生が寝床にしている工房からは離れた場所であった。それ以前に、彼女の住処はここから北にある工場地帯の方なので、言ってしまえば、送る先を完全に間違えている。
「ねえ睦月、ここって……」
「弥生……」
しかし、ある意味では間違っていなかった。
「実は婆さんから伝言を頼まれていてな……『一回帰ってこい』ってさ」
「なっ……!?」
突然助手席側のドアが開き、すぐさま襟首を掴まれて車から引き摺り下ろされたので、弥生は反論する暇もなかった。
そしてコンクリートの上を転がった弥生は、引き摺り下ろしてきた相手を見て叫んだ。
「……げっ、婆ちゃん!?」
「いちいち面倒掛けんじゃないよ、この馬鹿孫が……」
そこに立っていたのは弥生の祖母である和服姿の女性、和音だった。
「な、何でここに……?」
「そこの小娘から教えてくれてね」
そして和音が指差す先にはVネックワンピースを着た少女、姫香がいた。肩掛けに手提げ鞄を持ち、何故か空いている手でVサインをしている。
「姫香ちゃん酷いっ! ボクを売ったのっ!?」
姫香は首を縦に振った。
「あっさり認めたっ! ……いやちょっと待って」
そこでふと、弥生は気付いた。
睦月はいつ、和音から伝言を預かっていたのか?
少なくとも睦月から連絡を受けた姫香が、和音に報告をした後で伝言を預かり、そのまま伝えてきたとは思えない。そもそも完了報告の後はずっと車を運転していたので、スマホを弄っている暇はなかったはずだ。
つまり……
「睦月、もしかしなくても……事前に伝言を預かっていたくせに、わざと黙ってた?」
睦月は首を縦に振った。
「うわ最悪だ。この二人……」
「あんたよりはましだろうさ」
睦月から荷物(整備依頼の銃と『
そんな二人を見送ってから、睦月は姫香の方を向いた。
「さて……帰るか、って」
てっきりそのまま助手席に座ると思っていたのだが、睦月の予想に反して、姫香は手提げ鞄から消臭スプレーを取り出して、座席に掛けまくっていた。
「……何やってんだ? お前」
睦月の問い掛けに、姫香は(大量に吹き掛けた)消臭スプレーを手提げ鞄に仕舞ってから、
「【消毒】」
「お前、弥生のこと嫌い過ぎだろう……まあいいや」
座席が乾かなければ座れないからと待つ姫香に、睦月はハンドルにもたれかかりながら、別の話題を振った。
「で、
仕事がかち合ったせいで散々迷惑を被ったのだ。この際引越し祝いとして慰謝料代わりに吹っかけてやろうと姫香に報告がてら指示を出しておいた睦月だったが、見せられた
「おい、それって……」
姫香が手提げ鞄から取り出したビニール袋を見せてきたのだが、明らかに中身は現金どころか換金可能な貴重品の類でもなかった。
「……スッポンか?」
完全に食材である。しかもまだ生きていた。
「まさか、それが弥生を売った代金とか……もういい親指立てるな」
何考えてんだこいつ、という感情の籠った視線を睦月が向けているにも関わらず、姫香はビニール袋越しにスッポンを指で突いていた。
……座席が乾くまでの時間潰しに。
「ああ、疲れた……」
「そりゃこっちの台詞だよ」
店仕舞いした輸入雑貨店内にて、先程まで和音から説教を受けていた弥生は、汚れも厭わずに床の上を寝転がっている。智春はすでに帰宅しており、店内には祖母と孫の二人きりだった。
その様子にもう一度説教をかますべきかとも考えながら、愛用の
「あ、婆ちゃん。火ぃ貸して」
「あんた……
「違う違う、火と灰皿だけでいいから」
何をする気だか、と胡乱気な眼差しを向ける和音に構わず、弥生は懐から取り出した包み紙をビリビリに引き裂き、細かい紙片に変えて灰皿に盛っていく。それが終わると受け取ったマッチで、その紙の山に火を点けだした。
「あんたに見られて困るもんがあったなんてね……」
「ううん、
弥生は包み紙が燃え尽きるまで、じっとその火を見つめていた。
「
その包み紙に『最後の晩餐』と書かれていたことを知っているのは、燃やした張本人だけだった。
――Case No.001 has completed.
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