006 案件No.001_美術品運送(その2)
目的地である空港近くに車を乗りつけた睦月は、一度エンジンを止めて降りると、仕事用のスマホを取り出して電話を掛け始めた。
相手はこの案件の依頼人、今回の美術品輸送の護衛を依頼された、ある警備会社の
「……今空港の近くにいます。この後は?」
事前に連絡がない限り、直接依頼人の傍に行くことはまずない。時間を要する場合ならまだしも、
運び屋だからと言って、ただ荷物を受け取って運べばいいわけじゃない。
荷物を受け取るだけでも、状況に応じて受け取る場所やタイミングが大きく変わってくる。穏便に受け取って車に仕舞えれば御の字、最悪の場合は銃撃戦の中で運搬先を知らされることもあった。
そしてそれは、
無事に荷物を
『詳しい場所を教えてくれ。そこまで移動する』
「分かりました。このまま待ちます」
相手に今居る場所を教えてから、スマホの通話を切った睦月は車の中に戻り、再びエンジンを掛けた。
睦月の車には盗難、というより悪用防止の為に、特別製の
「今回もまた、
そう独り言ちながらハンドルに顎を預けること数分、睦月の耳に、別の車のエンジン音が聞こえてくる。顔を上げてみると、二人組の乗るワゴン車が近付いてきていた。
運転しているのは
しかし助手席に腰掛けているもう一人は、睦月にとっては初対面だった。中年とまではいかないものの、単独で仕事を任されるにはかなり若めの女性である。しかし雰囲気がどこか、
(伊藤さんは管理職だし……新人で美術品輸送関係の資格持ち、ってところか?)
美術品の中には、貴重な品物が多い。その為、美術品の梱包や輸送に関する資格もまた存在する。今回みたいな美術品輸送の警護を依頼されるのだ、会社に
睦月は車のエンジンを掛けた状態のまま一度降り、
向こうも無駄な時間を取るような考えは持ち合わせていないらしく、二人は睦月の車の傍にワゴン車を停めると、すぐに下車してきた。
伊藤は睦月の傍に寄り、女性は件の美術品を取りにワゴン車の後部へと歩いていく。
「お久し振りです。伊藤さん」
「久し振りだね、睦月君。お父さんは?」
「それが今、行方不明で……」
(公安に目を付けられて逃げたとか、面倒なことは言わないでおこう……時間もないことだし)
適当に挨拶しつつも、睦月と伊藤は互いの符丁を確認し終えると、すぐに仕事の打ち合わせを始めた。
「まあ、親父はともかく……
「運ぶのは彼女、
「それはいいんですけれど……名児耶さん、でしたっけ? 彼女の
最初に護衛と聞いていたので、戦闘能力があることは睦月も把握している。
しかし能力があることと、実力があることは違う。たとえ戦えても、肝心な時に力を発揮できなければ意味がない。
「元自衛隊員だ。海外派遣の際戦闘になり、部隊で唯一生き残った。それ自体はいいんだが……」
「……周囲からの視線に耐えられず、ってやつですか」
元々閉鎖的なお国柄なのだ。詳しい事情はともかく、いや理解されないまま、出る杭が打たれてしまうなんて話はよくある。
それでも戦闘する可能性のある警備会社に再就職したのだ。少なくとも
……多分、メイビー、プロバブリー。
「先に言っておくと、実力自体は折り紙付きだ。丁度資格も取れたことだし、単独での実績を積ませようと考えてな。今回の護送がいい経験になればと思っている」
「それは分かりましたが……
無論、睦月が聞いたのは天気とかそういう話じゃない。
今回の美術品運送で、厄介な連中に目を付けられていないか。そして、自分達が襲われる可能性が高いかを聞いているのだ。
「目立った犯罪組織の動きはないみたいだが……」
伊藤が籍を置いている警備会社とて、ただ突っ立って周囲を警戒していればいいというわけではない。社会の表裏問わず
そうしなければ仕事を達成することは、護衛対象を守り切るなんてことは絶対にできない。
「……個人依頼の動きはあったらしい。しかも、今回の
「偶然……で片付けるのは、難しそうですね」
まさか引越し早々に、こんな面倒な案件に関わる羽目になるとは思っていなかった。
今のところ秀吉の件で、公安から何かをされたというわけではないが、余計な火の粉は消しておくに越したことはない。
「分かりました、警戒しておきます」
「ああ、頼む。基本的には逃げの一手でな」
それは睦月も承知している。一応荒事対策に体術の心得や護身の手段は用意していても、所詮は一介の運び屋だ。面倒事からはさっさと逃げるに限る。
「お待たせしました」
「ああ、来たか……」
そして彼女、伊藤から名児耶と呼ばれた女性が、美術品用の梱包ケースを持って出てきた。元自衛隊員なだけあり、大き目のケースであっても身体を揺らすことなく運んできている。重い荷物を抱えていても体幹が安定する程、身体を鍛え抜いている証拠だ。
「名児耶です。今から美術品を車に乗せても、問題ないでしょうか?」
簡単に自己紹介を済ませ、すぐに積み込もうとする名児耶に、睦月は掌を向けて止めた。
「その前に一つ、確認しておきたいんですけど……」
「何ですか?」
訝しげな視線には、どこか敵意が滲んでいる気がする。
しかしいつものことと、睦月は確認しなければならないことを名児耶に問い掛けた。
「荒事になりそうなんですが……緩衝材は万全ですか?」
一瞬、名児耶の瞼が動いたのを睦月は見逃さなかった。ただそれだけで、何も言わなかったが。
名児耶の言いたいこと、というより睦月が聞こうと予想した内容については、理解しているつもりだった。
だから睦月は気にせず、いつの間にか彼女の隣に移動していた伊藤が代わりに答えた内容に、耳を傾けた。
「そちらは問題ない。試験も兼ねて、他の社員の前で梱包させた。荒事だということも踏まえて、緩衝材も万全にさせてある」
「そうですか……なら大丈夫ですね。載せて下さい」
そして睦月は名児耶を先導し、車の
用事が済めば、後は目的地へと運ぶだけだ。
美術品の納められた梱包ケースを仕舞い終えた睦月と名児耶は、伊藤が見送る中、車を発進させた。目立たないよう、人気のない国道を通りながら。
「……運転中に会話をすることは、可能ですか?」
その半ばでのことだった。名児耶から声を掛けられたのは。
「大丈夫ですよ。軽い雑談程度なら」
運転しつつ警戒する必要もあるが、食事と一緒で、何事も程々が一番だ。
気を張り過ぎるのも良くない。とはいえ、相手が話をしたがらない限りは、睦月自身積極的に話し掛けたりはしなかった。
……仕事中に会話で揉める可能性を、少しでも下げる為に。
「何故、聞かなかったのですか?」
「何を……?」
なんとなく検討は付いているものの、勝手な決め付けは失敗に繋がりやすい。
だから睦月は、名児耶からの質問を静かに待ち構えた。
「
(やっぱり、か……)
実際、美術品を運送する時はよく聞かれていた。運んでいる物が本物か贋物か、気にならないのかと。
似たようなことは以前にも、形を変えて何度もあった。
中には確認したいことがあると聞いた途端、質問を遮って真贋のことを教えてきた、自分が有能だと勘違いしている新卒上がりもいた。ちなみにその人間は、その後あっさり解雇されていたが。
……せめて『お前には関係ない』とかであれば軽い不和で済んだものの、その人物はよりにもよって、
そしてそれこそが、睦月が美術品の真贋を確認しない理由でもあった。
「こちらが依頼されたのは、
「……
「それも
睦月達の乗る車は、一本道に入っていく。しばらくはハンドルを大きく動かす必要はないだろう。
睦月は周囲への警戒を怠らないようにしたまま、名児耶に自身の考えを告げた。
「依頼内容とは別の、もしくは依頼そのものが
「……真贋を問わずに、ですか?」
「荷物は指定されましたが……『本物を運べ』とは、一言も言われていませんので」
結局のところ、睦月が美術品の真贋を確認しないのは、この一言に尽きる。『美術品とその護衛を運べ』とは言われても、『
だから睦月は、美術品の真贋をわざわざ確認しなかったのだ。
「それに……仮に後ろの物が本物だとして、それをこちらが知って
「それは……そうですね」
そこでようやく、名児耶は自分の質問が失言だったと理解したのだろう。
報酬を用意したからといって、それを
過去の実績や積み上げた信頼なんてものは、簡単に瓦解する。故意でも過失でも、人の考えが簡単に変わってしまうのは良くあることだ。
故に、この場合の正解は……ただ確実に荷物を運ぶことのみに専念すべきだという、一点に尽きる。
「余計なことを聞きました……忘れて下さい」
「構いませんよ。ある意味
人を運ぶ時は
ことの大小を問わず、
だから軽い不和であろうと、事前に潰しておくに越したことはない。睦月が名児耶との会話に応じたのは緊張感の緩和という考えもあるが、どちらかと言えばこちらの方が、大きな理由だった。
「後、言葉は崩してくれて構いませんよ……こっちももう、崩すから」
「ありがたい提案ですけど……本当にいいのか?」
「いざという時、いちいち言葉遣いまで気にしている余裕なんてないっての」
これが素なのだろう、名児耶は背もたれを少し倒して、体重を掛けたまま頭上で後ろ手を組んだ。
「家庭環境が最悪だったから、元々口は悪い方でね。防衛大学校に入ったのだって、学費を払うどころか
「それで今は、か……」
口は禍のもと、と睦月は口を噤んだ。
正直辞めた際の詳細を聞いてみたい気はしたものの、余計な好奇心を出せば、何が起こるか分からない。それに……
「まあ、それよりも……」
……
「……仕事の時間だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます