005 案件No.001_美術品運送(その1)
それが夢だと、睦月はすぐに気付いた。
『しかしあんたも、秀吉の小僧に似てきたね……』
『そもそも血が繋がってるんだから、似もするだろう?』
父親の力を借りずに、運び屋として仕事をすること数回。成功率100%とはいかないものの、それなりに信頼を得られるようにはなってきていた。
今日もまた、和音に仕事の完了報告に来た睦月だが、口にした結果は成功。
だから和音から秀吉に似てると言われても、睦月は見た目や、良くて運転の腕前のことだと思っていた。
『
しかし和音は首を振り、愛用の
『……女を何人も侍らせるところが似てきた、って意味で言ったんだよ』
『女?』
しかし当時の睦月は、和音の言葉に首を傾げるだけだった。
『親父の奴、新しい女でも作ったのか?』
『いや、
時折飛んでくる、嫉妬の滲んだ眼差しを楽し気に受け止めながら、和音はどこか懐かしむように話し始めた。
『あんたの母親と会うまでは、あれで結構遊び人だったんだよ。金を稼いでは、よく地元の店に落としてたんだけどね』
『へぇ……』
行きずりの風俗嬢を孕ませた話は聞いているものの、父親がそこまで責任感の強い人間だとは思っていなかった。
仕事に対しては真摯に受け止めているが、それ以外はちゃらんぽらんな
『それが
『
自分も子供どころか孫もいるからか、和音は秀吉の気持ちが分かるらしい。
『だから、避妊はしっかりしときな』
『……余計なお世話だ』
初体験からずっと、睦月は避妊具越しにしか
……だがそれ以上に、秀吉からずっと教えられていたからだ。
『『無責任に命を作ることは、未来の敵を作ることと同義だ。だから避妊しろ』、ってか?』
中絶や産まれたての子供を殺して水子に呪われるとか、そういうオカルト染みた話じゃない。
子供がどうなろうと、無暗に孕ませられた女に恨まれるかもしれない。子供が生きて成長し、将来破滅させようと目論んでくるかもしれない。その話を聞いた周囲が正義感を振り翳し、人生を殺そうとしてくるかもしれない。
他にも考え出せばきりがない程、人が自らの敵を作り出すのは簡単だった。それこそ些細なきっかけで、とんでもない爆弾を炸裂させてしまうこともある。
しかしそれがこの世界であり、この社会でもあった。
ただでさえ裏社会の住人は、仕事の都合で敵を作ることが多い。だからこそ、気付かない内に生まれる危険は、できるだけ避けるべきだった。
『ああ……私があの小僧に散々教えたことだね。それは』
しかし睦月の父秀吉に対して、その行為は……どうも無駄に終わったらしい。
でなければ、今……睦月は
『まさか……親子二代で同じことを教える羽目になるとは、思いもよらなかったけどね』
『だから、余計なお世話だっての』
報酬の金額を確認し、ショルダーバッグに詰め込みながらも、睦月はぼやく。
『ちなみに……』
『ん? 何だい?』
灰皿に向けて
『そういう『教え』は……他にもあるのか?』
『もちろんあるよ……』
新しい刻み煙草を取り出しながら、和音は答える。
『少なくとも……人の数だけ、ね』
たとえ情報屋でも、世の中には知らないことの方が多い。おそらく、全人類の知識を総動員したとしても、世界の全てを知るのは不可能だ。それゆえに、一個人で知れることにも限りがある。
和音はそう付け加えながら、かつて父親にも教えていたことを、その息子にも教え出した。気が付けば、商品の輸入雑貨を眺めていた姫香も近寄り、睦月と共に和音の話に耳を傾けている。
けれども……和音はそれを、咎めも止めもしなかった。
これは仕事ではなく、先達が後進に、気紛れで教えているだけなのだから。
「朝、か……」
懐かしい夢を見たな、と睦月は頭を掻きながら、身体を起こした。
洋室に設置したキングサイズのベッドには、三人の人間が川の字に寝転がっている。睦月を間に挟み、姫香と彩未がそれぞれの腕に胸を直接押し付けていた。
「ふぁ、
二人分の腕を解いた睦月は、起こさないよう静かにベッドから降り、洋室から出てすぐにあるソファに腰掛けた。全裸で、背もたれを跨ぐ形で。
「結構早く、目が覚めたな……」
和音の居る輸入雑貨店に行くには、まだ時間に余裕がある。
とはいえ、姫香達を起こすような時間帯でもなければ、朝食を急かしたくなる程空腹というわけでもない。だから音量を抑えつつニュースでも見ていようと、睦月は向かいにあるテレビの電源を入れた。
『――被害者家族は未だ、眠れぬ夜を過ごしているとのことです……次のニュースです。本日、開催予定の美術品が空輸され…………』
「これか……」
昨夜和音から受けた電話の依頼のことでは、と睦月は思わず呟き、そのままニュースに注視した。
内容としてはありきたりな、外国の美術館から貸し出された美術品を展示するというものだが……その展示品が問題だった。
「また、
美術品の窃盗は、それ自体が利益になることはまずない。特に、この世に二つとない一点ものならば、なおさらだ。
何故なら……盗んだ美術品を現金化するのは、非常に難しいからだ。
個人的に所蔵したいからと盗難、もしくは社会の裏で盗難依頼を出す話はよくある。闇市場に流れている美術品の、その大半は盗難品で占められている位だ。
しかし、盗難した美術品は一つの例外なく……その後の保管が面倒だった。
個人で美術品を所蔵する場合、美術商から正式に購入し、資産として保存するか、表立って飾り立てることが多い。けれども、それが闇市場で手に入れた盗難品だった場合、自身も犯罪者として扱われる場合もある。そんな
だから美術品強盗自体、表沙汰になることもほとんどなく、たとえあったとしても、盗難から横流しに至るまでに足が付き、逮捕されるのがザラだった。
けれども、美術的な価値ではなく……美術品
たとえば今回のような……金でできた貴金属の像の場合は、溶かしてしまえば美術品として足が付くこともなく、他の
美術的価値か金属的価値か、狙いはともかくとして、睦月が運送を依頼されるには十分な理由だった。
「荒事にならなきゃいいが……」
ソファの背もたれに体重を預けたままテレビのニュースを眺めていると、不意に背中の方から何かが動く気配がした。
顔だけ振り返ってみると、ちょうど姫香が洋室から出てきたところだった。彼女はいつも通り声を発さず、手と頭の動きだけで言葉を伝えてくる。
「【おはよう】」
「おはよう。彩未は?」
睦月の問い掛けに、姫香は首を傾げた。
睦月の言ったことが分からないわけではない。姫香は同時に右手を握り、こめかみの近くに当てていた。
「【おやすみ】」
「まだ寝てんのかよ……」
睦月は呆れて軽く息を吐くと、テレビの電源を切って立ち上がった。
「とりあえず先に、朝飯にするか?」
しかし姫香は、首を振って睦月の提案を却下する。
その後、
「【着替え】」
「……ああ、そうだな」
姫香は『
まだ昼前だが、車の整備や装備の点検等、睦月にはやるべきことがある。姫香から受け取った『
「じゃあ行ってくる」
「【行ってらっしゃい】」
掌を左右に振る、手話でなくともよく見られる光景を背に、睦月は玄関から出て行った。
扉が閉まるのを確認してから、姫香は戸締りをする。鍵を掛け、ドアチェーンを取り付けた状態で。
「…………」
施錠を一つずつ指差し確認してからようやく、姫香は玄関に背を向けた。
少し遅めの朝食を終え、睦月は出掛けて行った。姫香は玄関のすぐ横にある流し台に移動し、ただ静かに使った食器を片付けていく。
「…………」
姫香にとってこれは、睦月が仕事で出掛けている間の
仕事の内容によっては姫香も同行するのだが、基本的には家に引き籠って、ただ睦月の帰りを待つことの方が多い。
足手纏いにならないよう、というわけではない。実際、合法・非合法を問わずに睦月が用意した自衛手段は、姫香に使えるものも含まれていた。
ある意味……
「ふぁああ……」
使用した食器類を洗い終え、濡れた手を拭っている時だった。先程までの睦月達同様、彩未もまた、服を着ないまま堂々と、洋室から出てきたのは。
「姫香ちゃん。おはよう……」
未だに眠気が身体に伸し掛かっているのか、声の一つ一つが絞り出したかのようにか細く聞こえてくる。そんな彩未に、姫香は振り返って
「とりあえずは……こんなものか」
地元を出た時にも用いた、国産のスポーツカーの調子を確認し終えた睦月は、そのままボンネットを閉じた。
国産よりも外国製の車の方が性能のいいものもある。しかし日本で仕事を請け負う以上、可能な限り目立たない方がいい。
だからこそ、睦月は外国車を避け、国産の中から性能のいいものを選んで
「はぁ、疲れた……」
もう昼飯時だった。
睦月は
「『夕食用』、『夜食用』、『非常食』に……また『最後の晩餐』が入ってやがる。最後まで同じ物食わせるなよな」
包みの中にある『
いつも姫香が用意してくれているのだが……ただ、睦月はこれまで、『最後の晩餐』と記載された物にだけは手を付けてこなかった。
「いつもいつも混ぜやがって……縁起が悪いんだよ」
そう独り言ちつつ、睦月は『昼食用』と表示された物の包装を剥がし、曝け出された『
仕事がある時の睦月はいつも、腹に少し溜まっている位の状態を保つようにしている。空腹で身体が動かず、満腹で思考が鈍らないように、だ。
「……このコーヒーは外れかな」
睦月の傍にはもう一つ、行き掛けに立ち寄ったコンビニで購入した、ペットボトルのコーヒーがある。最初は飲み物も姫香に用意して貰っていたのだが、仕事中に何回か水筒をなくすうちに、二人して諦めることにしたのだ。
中身はもちろんのこと、水筒そのものの代金や購入する手間暇も、馬鹿にならなくなってきたので。
「新商品だから試してみたけど……これは長くないな」
値段は安かったが、睦月が味わった限りで言えば、中身もおそらく程度が低い。姫香が飲めば、十中八九吐き出してしまうような代物だった。
仕事の話を聞きに和音のいる輸入雑貨店に行く予定だが、その後
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