004 新居生活初日(その3)

 輸入雑貨店から出て少し歩き、再び駅の方へと戻ってきた睦月は、適当な壁に背を預けてから、スマホを覗き込んだ。すでに姫香から連絡が来ており、そこには買い出しリストが表示されている。

「洗剤なら分かるが……徳用の避妊具ゴムって、そこらの店へんに売ってるのか?」

 消耗品の買い出しは予想していたものの、まさか避妊具コンドームを買いに行く羽目になるとは思っていなかった。目立つがコンビニよりは(値段的に)ましだろうと、睦月は近くのドラッグストアに向かう。

 メモの中に食料品は含まれていない。酸性の強力な洗剤もリストに含まれていたので、一緒に買って混ざるのを避けたのだろう。

「しかし洗剤と避妊具ゴムって、一緒に買って大丈夫だっけ……?」

 変に溶けたりしないよな? 等と考えつつ、睦月はチェーン店のドラッグストアへと入って行く。

「ええと……」

 リストを見つつ、睦月は買い物かごの中に手早く目的の品を揃えていく。姫香が指定したものに食料がない以上、この後も買い出しに行かなければ、夕食は期待できない。

「こんなもんか。後は……」

 最後に避妊具コンドームの徳用サイズを探しに、棚に並べられた商品を眺めてみるものの、コンビニにも置いてあるような物しかなかった。種類は多いし値段も少しはましな方だが、内容量は大して変わりない。

「徳用サイズなんて、どこで売ってるんだよ……」

 都市とはいえさすがに地方なので、目立ったアダルトショップは存在しない。繁華街も寂れているので、遊びたい人間は電車一本で他県の方に行ってしまう。これなら通販サイトで購入した方がましかもしれない。

「……しょうがない。とりあえず、何箱か買っていくか」

 いつも使っている銘柄ものをいくつかかごに入れて、睦月はようやくレジへと向かった。

 清算を済ませて店を出ると、突如腰に鋭い衝撃を受けた。

「うおっ!?」

 買い込んだ商品の入ったレジ袋が揺れるものの、睦月自身耐えられる程度だったので、立ち竦んだまま見下ろしてみる。そこにいたのは女子高生の制服を着た、顔馴染みの女子大生・・だった。

「睦月く~ん!」

「……いきなりなんだよ、彩未あやみ

 彼女の名前は下平しもひら彩未。プリン状の金髪頭を持った、遠方の大学に通う大学生だ。一人暮らしをしているものの、個人的な都合でこの街に部屋を借りている。

 ちなみに制服を着ているのは、風俗嬢やAV女優等の手合いだからではなく、完全に彼女の趣味だ。それもまた、大学から離れた場所に賃貸を借りている理由の一つだったりもする。

「また振られた~っ!」

「……あっそ」

 ついでに言えば、彩未には男を見る目も運もない。

 昔結婚詐欺アカサギに遭って以来、出会う男全てで外れを引いているからだ。特に酷い時は自身の童顔をも利用し、冤罪を突き付けて報復をすることもある。相手もそれだけ酷い男であることも多いので、その分手慣れてきているのが色々な意味で恐ろしいのが、この彩未という女だった。

 しかし睦月はいつものことと、そんな彩未の手を解いていく。

「もう帰っていいか? 引っ越し後の買い出しでさっさと荷物を運び込みたいんだよ」

「……引越し?」

 そこで彩未はようやく、睦月が大量に買い込んだ荷物を手に持っていることに気付いた。

「ああ……たしか昨日だっけ? この地方都市に引っ越してきたの」

「いや、結局今日になったんだ。ちょっと面倒事に巻き込まれてな……」

 今のところ問題はなさそうだが、わざわざ引き込むこともないだろうと、睦月はさっさと帰ろうとした。しかし彩未は、未だに離れようとしてこない。

「いいじゃん相手してよお願いだから~っ!」

「は、な、せ~……っ!」

 何故なら……彩未は寂しがり屋の、構ってちゃんだったからだ。

 睦月とは身体だけの関係で、彩未からすれば他の男と同じく外れのはずだが、相手がいないと今回のように懐いてくるのだ。ちなみに主な原因は、趣味や諸々の事情のせいで、交友関係が狭すぎるからである。

「付き合ってよお願いだから~っ!」

「し、ら、ね、ぇ、よ……っ!」

 抱き着こうとしてくる彩未の顔を押さえ付けながら距離を置こうとするものの、荷物を持っている分、睦月に彼女を引き剥がすのは難しかった。

「奢るからっ! 何なら引越し祝いってことで諸々奢るからさ~っ!」

「はぁ……」

 別に奢って貰えるからじゃない。これ以上目立つのは色々まずいと思った睦月は、彩未の顔から手を放すと、さっき出てきたばかりのドラッグストアの壁の方へと寄った。

「さっきも言ったが、今ちょっと立て込んでるんだよ。俺の方は今日、遊びに来るのは別に構わないんだが……面倒事に巻き込まれても知らないからな」

「……面倒事?」

 彩未は一度首を傾げると、手持ちのスクールバッグ(に近い鞄)からスマホを取り出して覗き込んだ。スライド操作スワイプを繰り返してから、彼女は睦月の方を向いて口を開いてくる。

「睦月君も姫香ちゃんも、別に……SNS上に何も上がってないみたいだけど?」

「だから面倒事・・・なんだよ……」

 情報系の学科に進学している為、SNS等のネットワーク関係に強い彩未ですら、睦月達の現状をそう表していた。けれども父秀吉の件がどう転がるかが分からない以上、下手に関わるのはよした方がいいかもしれない。

 ……が、それで彼女が納得するとは、到底思えなかった。

「というか……本当に何も上がってないのか?」

「ざっと見た限りは、だけどね」

「本当に面倒だな……」

 情報がないということは、何が起きても不思議ではないということだ。

 憶測でものを語るのは危険だが、そればかりに目を奪われていては、かえって他の問題トラブルに巻き込まれかねない。下手な偽情報ガセネタでも、ある方がましな位だ。

(……ま、どっちにしても様子見か)

 睦月は一息吐いてから、改めて彩未に向き直った。

「じゃあ自己責任で……姫香がOK出したら、な」

「分かった。じゃあ聞いて・・・くれる・・・?」

「……は?」

 睦月は一瞬、彩未が何を言っているのかが分からなかった。

 何故そこで自分で連絡せず、睦月に頼るのか……彩未の考えが分からなかったからだ。

「お前等、喧嘩してんの?」

「いや~……」

 何処かバツが悪そうに、彩未は頬を掻きながらそっぽを向いた。

「この前しつこく連絡し過ぎたからか……どうも通知オフされているみたいで、こっちから連絡取れない」

「……アホか」

 どうやら、姫香スマホ中毒彩未構ってちゃんでは、相性が最悪らしい。そもそも程度は違えど、睦月同じ男を取り合っている時点で仲がいいとは言い切れないが。

「じゃあ聞いてみるが……駄目なら諦めろよ」

 睦月は自らのスマホを取り出すと、メッセージアプリで姫香に、彩未のことを聞いてみた。

『彩未を家に連れて行ってもいいか? 引越し祝いに何でも奢るから構ってくれ、だってさ』

 睦月の留守中もずっとスマホを弄っていたのか、姫香からの返事はすぐに来た。

「……あ、姫香ちゃんからだ」

 但し、彩未に対して送られてきていたが。

「って……何これ?」

「どうした?」

 彩未のスマホを覗き込んだ睦月の目には、大量の物品が一覧となって表示されている。おそらくは、次に睦月が買い込みに行くことになったであろう、買い物のリストだった。

「多分……当面の食料奢れ、ってことだろうな」

「絶対一日分じゃないよね? この量は……」

 そもそもそば粉やてんぷら用の魚介類だけでなく、大量の肉や保存の利く野菜を注文してくる時点で、これ幸いと買い込ませようとしているのは明白だった。

「しかも店まで指定されているな……ここからバスで数駅離れた生鮮スーパーだけど」

「他のお店は……駄目だよね?」

「駄目だろうな……」

 姫香の体質上、下手な保存料や化学調味料が含まれた食材は口にできないので、必然的に購入可能な店舗が限られてくる。しかも産地や取り扱いのメーカーすら厳選しなければならない徹底ぶりだ。

 ある意味、アレルギーよりも厄介な体質ともとれるが……それでもこの量は、明らかに嫌がらせの類だと分かる。

「睦月君……後で、車で迎えに来てくれない?」

「お前……そういうところだぞ」

 それでも彩未は、目的の生鮮スーパーへと向かうバスに乗ろうと、バス停へと歩を進めていく。姫香が注文した食料を買い込む為に。

「あいつ……あの貢ぎ体質が、男運が悪くなるそもそもの原因だって、理解しているのか?」

 結婚詐欺アカサギに遭って以来、自身の貢ぎ体質は自覚しているらしいが……構ってちゃんの性格と合わさって、ある意味最悪だった。その辺りを改善しない限り、彼女に当面、(まともな)春は来ないだろう。

 睦月は彩未のことをそう断じると、足早に家路に着いた。買い出しの荷物を家に置き、彼女を車で迎えに行く為に。




「はあ、疲れた……」

 あの後、普段使い用のワゴン車で彩未を迎えに行った睦月は、彼女と彼女の買い込んだ荷物を持ち帰って来たのだが……明らかに人一人分の許容量キャパシティを超えている。

 おかげで睦月と彩未の二人掛かりで新居まで運ばなければならなくなったのだが、新しい住処はマンションの最上階にあるので、車まで何回もエレベーターで往復する羽目となり、今ようやく終えたところだった。

 もしかしなくとも、姫香の嫌がらせの対象には、睦月も含まれていたのだろう。

「もう、無理……」

 彩未の方はすでに疲労困憊で、玄関から上がってすぐの床の上に、俯せに倒れている。

 時刻はすでに夕方、陽も暮れ始めている。姫香が買い出し品の確認を終えて夕食の支度に取り掛かるのを今か今かと待ち構えていた時だった。

「…………ん?」

 睦月のスマホが、着信で震え出したのは。

「ちょっと電話してくる」

 奥の洋室に入り、キングサイズのベッドの縁に腰掛けた睦月は、ようやくスマホの着信に出た。

「もしもし?」

『……ああ、睦月かい?』

 電話の相手は和音だった。

 早速保険が利いたのかと、内心警戒する睦月だったが、和音からの電話の内容は、予想とは違った。

『仕事の依頼だよ。秀吉の小僧が断ったやつなんだけどね、代わりに受けてくれるかい?』

「親父の奴、仕事ほったらかして逃げたのかよ……」

『いや、事前には断ってたって、さっき言っただろう?』

 ふぅ、と電話越しに煙管キセルを吹かす音が響いてくる。

『ただ、代わりが見つからなかったんだとさ。指定日も明日の夜だしね』

「直前じゃそんなもんだろう……内容は?」

『運ぶのは空港から隣の県の美術館まで。荷物は美術品の入ったアタッシュケースとその護衛一名だよ』

 直近ということもあり、報酬は相場よりも色を付けてくれるとのことだ。

 引越しの片付けは未だ終わっていないが、高校に通い始めるのだから、何かと入用になってくる。何より元金がなければ、資産運用そのものができなくなってしまう。

「……分かった。受けるって伝えてくれ」

『はいよ。詳しいことは明日話すから、一度店に来とくれ』

「ああ、昼過ぎに行く」

 そう言い、睦月は電話を切った。

「高校が始まる前で良かったよ……」

 通信制高校とはいえ、通学しなければならない時もある。下手に通学日と仕事が重なってしまう前で良かった、と睦月は胸を撫で下ろすと、ベッドの縁から立ち上がった。

「さて……飯にするか」

 さすがにもう、買い出し品の確認を終えた姫香が夕食の準備を始めているだろうと、洋室からでて台所の方を向いたものの、睦月の期待は完全に裏切られてしまった。

「お前等……何やってんだよ?」

 睦月は呆れながら、姫香達の元へと歩み寄っていく。


 ……スカートを捲られ、下着ショーツを降ろされた彩未と、丸出しにされた臀部を勢いよく引っ叩く姫香の元へと。


 歩み寄ってくる睦月に対して、姫香は両手の人差し指と親指を摘まんだ形にして、左右から交差させるようにして、自身の目の前に動かした。

「【間違い】」

「……で、間違えた数の分、尻を引っ叩いていると」

 ――パァン!

「あぅっ!?」

 まるで子供みたいなお仕置きだが、何故か彩未は、抵抗することなく姫香の行為を受け入れている。今度はSNSでブロックされかねないとでも、思っているのだろうか。

(どこまで構ってちゃんなんだか……)

「何でもいいけど……さっさと終わらせて、夕飯頼むぞ」

 気にしてても仕方ないからと、睦月はテーブル席に腰掛けた。

(最悪……俺も参加しないとな)

 でないと夕食が遅くなる。

 そば打ち位はできるかと考えながら、睦月はスマホで打ち方のレシピを調べ始めた。

 が……すぐにふと、気付いた。

「おい……そば粉は大丈夫だよな?」

 肝心の物は欠けてないかと心配になったが、姫香は指を揃えた右手を胸の前で、左から右に動かした。

「【大丈夫】」

「なら良かった……」

 どうやら引越しそばは無事に食べられそうだと、睦月は思わず安堵した。

 ――パァン!

「あぁん!?」

 しかし時間は掛かるだろうな、と睦月はレシピを調べ、先に始めてようと材料や道具を確認しに立ち上がる。

(食事中に仕事の話をしようと思ったけど……調理中になりそうだな)

 完全に陽が落ちたので、睦月は手始めにと、部屋の照明に手を掛けた。

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