第85話 水漏れ


 大きな犠牲を払いながらも、エリシモさんの案内で地下八階を抜け、ついに僕らは下り階段を発見した。

だが、ここで新たな問題が立ちふさがる。

なんと、たどり着いた地下九階が水没していたのだ。


 幅は広く、大きな駅の地下へ下りるような階段である。

けれども途中から水が現れ、その先には進めなくなっているのだ。


 いつもなら無茶な命令をしてくるパミューさんも、このときばかりはメリッサに偵察をしてこいとは言わなかった。

ドリンクの差し入れが効いたのか、多少の分別を取り戻したようだ。


 水は澄んでいたけど、奥底の方は暗くて何なにも見えない。

どんな敵が潜んでいるかもわからない状況だった。


「僕が見てきます」


 偵察役を買って出た。


「セラ、無茶な真似はよせ。よく考えてから行動しよう」


 パミューさんはそう言ってくれたけど、僕だって考えもなく志願したわけじゃない。


「実はグランダス湖で遊ぼうと思って作った いいものがあるんです」


「いいもの?」


「水の中で息をする装置ですよ。たまたまタンクの中に置きっぱなしにしてあったのを思い出しました」


 これは紫晶の力をかりて、電気分解により水から空気を作り出す装置である。

紫晶と緑晶を百gグラムずつ入れれば、十五分ほどの連続使用が可能になる。

スキューバダイビングで使うレギュレーターとタンクを一体化して、超小型化した感じだ。


 行こうとしたらパミューさんが後ろから声をかけてきた。


「セラ、すまんが頼む。気をつけてな……」


 なんだか以前のパミューさんに戻っている。

少しは落ち着いてくれたみたいだ。


「任せてください。帰ってきたらお茶にしましょう。約束のチーズケーキを焼きましたから」


 パミューさんの顔から少しだけ緊張の色が消えた。


「そうか、楽しみにしているぞ。きっと無事に帰ってきてくれ」


 階段を少し降りる と天井と水面には五十センチほどの隙間があったが、他はどこも水浸しだった。

どうやらこの階層は完全に水没しているみたいだ。

僕はボンベ の空気の吸入口を咥え、ランタンを片手に覚悟を決めて水中へ飛び込んだ。


 デザートホークスの標準装備であるヘッドライトは明るく、水中でもじゅうぶんな視界を保ってくれた。

いまのところモンスターの気配はない。

モンスターたちもこの水で死んでしまったのだろうか?


 しばらく水中を進んでから水面まであ上がり周囲の様子を確認した。

他の場所も水面と天井の間にわずかな隙間がある。

小舟を用意すれば下り階段がある場所へは行けそうだ。


 エリシモさんの話によると、下り階段はロックされているらしい。

そんな状況で扉を解除したら、下の階層に水が流れ込んでしまいそうだから何か対策を考えなくてはならないな。


 おや、あの音は何なんだろう? 

通路の奥の方からザーザーと水が流れ落ちる音が聞こえてくる。

僕は音のする方へ泳いでいった。


 そこは地下九階の最東端だった。

どういうわけか天井の一部が崩れ、そこから水が流れ出してきている。

これはどういうことだろうと、壁の奥を調べてみると、巨大なパイプに亀裂が入り、そこから水があふれ溢れ出しているのがわかった。


 このパイプはデザートフォーミングマシンの一部だ! 

地中の水脈から水を汲み上げるパイプは何本かあるのだけど、そのうちの一本が破損していたようだ。

そのせいで地下九階が水没してしまったのだな。


 壊れたパイプを『修理』で直し、みんなのところへ戻った。



 水から上がるとメリッサがタオルを手渡してくれた。

階段の踊り場にはすでに火が焚いてあり、いつでも暖が取れるようにしてあった。

仲間というのはありがたいものだ。


「誰か、セラに温かい飲み物を持て」


 パミューさんも僕を労ってくれる。

お茶の入ったカップを受け取りながら、この階層の様子を報告した。


「地下九階が水没していた原因ですが、天井からの水漏れでした。すでに水は止めてあるのでこれ以上増えることはありません」


 パミューさんは腕組みをして考えている。


「そうか、ご苦労だったな。だが水がひかなければ地下十階に下りる階段のところまでたどり着けないな。いつになったら水がはけることやら……」


「この階層は非常に気密性が高く作られているようです。自然に排水されるのを待っていたら何十年もかかってしまうでしょう」


 床も壁もコンクリートのような構造をしていたのだ。

あれでは一朝一夕に水が引くことはなさそうだ。


「それはまずい。何なんとか手はないだろうか?」


「天井と水面の間には隙間があるので、小舟を使って進みましょう」


「小舟か。いったん地上に戻って資材を運ばなければならないな」


「それには及びませんよ。材料なら目の前に嫌というほどありますから」


「そんなものがどこに……」


 僕はメリッサの方へ向き直った。


「メリッサ、お願いがあるんだけど」


「どうするの?」


「氷を作って」


 僕が思いついたのはのは氷のボートだ。

メリッサ得意の氷冷魔法を使って、水を氷塊にしてもらい、僕が『作製』でボートに加工していくというアイデアだった。


 メリッサが氷狼の剣を抜くと張り詰めた寒気とともに精霊狼が現れた。

精霊狼は白い息を吐きながらメリッサの周囲を巡り、一つの領域を形成していく。


銀狼氷結門ぎんろうひょうけつもん


 領域の中でキラキラと氷の結晶が舞っている。

あれがダイヤモンドダストか。

あまりの低気温に空気中の水蒸気が細かい氷の結晶となってきらめいているのだ。


 結界の中の気温はマイナス五十度℃に至るらしい。

あの中では氷冷魔法の効果は数倍に高まるそうだ。


「セラ、いい?」


 メリッサの準備ができたようだ。


「いつでもいいよ」


 頷くと、メリッサは両手を広げて胸の前に青く光る魔法陣を作り出した。

魔力の波動が周囲にもビリビリと伝わってきて、見守る人々もその迫力に言葉を失っている。

そのような状態でメリッサは水の上へと足を踏み出した。


 誰もが彼女が水の中へ沈んでしまうと思った。

ところが、メリッサが足を置いた部分は瞬時に凍り付き、氷でできた蓮の花のようになって水の上に浮かんでいるではないか。

メリッサはその中に座ると、静かに息を吐いた。


 込められた魔力が臨界へ達し、水面を滑るように青い光が放射状に広がっていく。

周囲で見ている人々はまつ毛まで凍り付き、その様子を直視できないほど寒くなった。


 やがて水音を立てながら、無数の氷塊が水面に浮かび上がってきた。

どれも完璧な直方体で、長さは七メートル、幅一メートル、奥行きも一メートルはある。

わかってはいたことだけど、メリッサの氷冷魔法には改めて度肝を抜かれてしまった。


 僕は次々と生み出される氷に触れ、『作製』を使ってボートの形にくりぬいていく。

こちらはたいした作業じゃない。

できあがったボートは兵士たちが階上に引き上げて運んで並べていた。


 一時間もかからずに氷のボートが百艘もできあが上った。

これだけあれば調査隊全員を乗せることができる。

僕たちは古文書に記されたルートに従い、地下へ降りる階段を目指した。



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