第67話 月夜にココアを

 ジャカルタさんにお土産の植物図鑑を渡したらとても喜んでくれた。

帝都で暑さに強い牧草の種を買ってきたので、そちらも確かめてもらう。

グローバーと呼ばれるこの牧草なら湖の周りに定着するという太鼓判を押しても貰うことができた。


 さっそく二人で湖のほとりほとりで種まきだ。


「グローバーは白とピンクの花を咲かせるのですよ」


「それは楽しみですね。この砂漠に花が咲くなんてまるで夢みたいだ」


 ジャカルタさんが農業スキルを使ったから、普通に撒蒔くよりはずっと早く生えるだろう。

それこそ夢のような話だけど、いつかはここで牧畜がされ るかもしれない。



 地下菜園の作物も順調に育っているとのことだったので見に行ってきた。

まだ小さいながらも、作物がいっぱい実をつけていたぞ。

もう少ししたら穫りい入れだ。

近いうちに収穫祭を開かなくちゃならないな。



 ダンジョンに潜ったので、帰るころにはすっかり夜になってしまった。

部屋の明かりを点けてぼんやりとしていると、あっという間に時間が過ぎていってしまう。

だけど、これはどういうことだろう? 

なにかが物足りなくて、僕はソワソワした気持ちのままなのだ。


 いろいろあったけど無事にエルドラハへ帰ってくることができた。

明日からは仲間たちと素材集めだ。

菜園も順調で言うことはない。

それなのに、こうやって部屋でくつろいでいるのに、落ち着くことができないのだ。


 控えめなノックの音が部屋に響いた。

夜も遅いというのに誰かがやってきたようだ。

ひょっとして急患が僕を訪ねてきたかな?


「はーい、今開けますよ……」


 扉を開けると、外に立っていたのは少しねた顔をしたメリッサだった。

その瞬間に僕は悟る。

そうか、なんだか物足りなかったのは、まだメリッサに会えていなかったからなんだ。


「ダンジョンから戻ったんだね……、久しぶり」


「明かりがついていたから寄ってみた」


 メリッサは言葉少なに僕の顔をじっと見つめる。


「さあ、入ってよ。温かい飲み物を用意するから」


 砂漠の夜は冷えるのだ。

僕はメリッサを招き入れようとしたのだけど、彼女は動かなかった。


「どうしたの?」


「もう帰って来ないかと思った……」


「そんなわけないだろう」


「…………」


 相変わらずほとんど表情は動かないけど、少しだけ怒っているようだ。


「ごめん……心配をかけたんだね」


 メリッサはコクコクと頷く。


「明日帰って来なかったら、飛空艇を乗っ取って帝都まで探しに行くつもりだった」


 ハイジャック!?


「お、大袈裟だよ……」


「冗談」


「そ、そっか」


 目が本気だったような気がするんだけど……。


「とにかく入って。お土産を買ってきたんだ」


 もう一度入るように促すと、今度はためらうこともなく部屋に入ってくれた。


「はい、気に入ってくれると嬉しいんだけど」


 お土産の品をメリッサに渡すと、メリッサはいそいそと箱を開けていく。


「きれい……」


 取り出したプレゼントを見て、メリッサは小さなため息をついた。


「ガラスでできたペンなんだって。青は君によ良く似合うと思って」


 この世界でペンと言えば羽ペンが一般的だ。

でもこれはペン先に細い溝が切り込まれたガラスペンである。

深い水を思わせるような透明なブルーをしていて、静謐せいひつな美しさがあった。


「ありがとう。大切にする」


「喜んでもらえたならよかったよ。飲み物を作ってくるから待っていて。帝都でココアパウダーもを買うことができたんだ」


「ココア……初めて聞く」


 メリッサがダンジョンから帰ってきたら飲ませてあげようと思って、昼間のうちに砂糖とミルクも買っておいてある。


「甘くて美味しいんだよ。こんなに冷える夜にはちょうどいいんだ。すぐに用意するから、ちょっと待っていてね」


 小鍋にココアパウダーと砂糖を入れて、弱火にかけながらよく混ぜ合わす。

そこにミルクを加え、沸騰させないように温めれば完成だ。


 マグカップ二個分のココアをも持って部屋に戻ると、メリッサは窓から月を見上げていた。


「月がまぶしい」


 メリッサは夜空から目を離さずにそっとつぶやく。

紺碧の夜空に浮かぶ月が砂漠の砂を白銀に輝かせていた。

寒いけれどいい夜だ。


「外に出ようよ」


 僕らはココアを持ってバルコニーに出た。

砂が雪のように輝いている。

まるで雪原を見下ろしているみたいだ。


「熱いから気を付けてね」


「うん……いい匂い。かいだことのない甘い香りがする」


「カカオの香りだよ。今日はオレンジのリキュールも少しだけ垂らしてあるんだ」


 小さな口を軽くとがらせて、フーフーとマグカップに息を吹きかけているメリッサがかわいかった。


「とっても美味しい」


「気に入ったのなら、また飲ませてあげるね。ココアパウダーはまだたくさんあるから」


「うん。また夜に来てもいいの?」


「いいよ。メリッサの好きなとき時に来て」


「ん……」


 メリッサが頭を僕の肩に乗せてもたれかかってくる。


「ココアを飲んだら少し暖かくなってきた。もう少し月を見ていてもいい?」


「いいよ、もう少しこのままでいよう」


 今日のメリッサはちょっぴり甘えんぼうだ。

しばらく会えなかったからかな? 

たまにはこういう日があってもいいと思う。


 でも、不意に僕はエリシモさんのことを思い出してしまった。

不意打ちとはいえ、僕はあの人とキスをしてしまったのだ。


 後ろめたさと甘い痛みが僕の胸を去来する。

でも、もう会うこともない人だ。

気にせずに忘れよう。

あのことは僕だけの秘密の思い出として、記憶の底の方に閉しまって しまうおくのがいいのだと思う。


「セラ、どうしたの?」


 メリッサは鋭いな、僕の動揺を感じ取ってしまったらしい。


「何なんでもないよ。そう言えば、黒い刃は地下八階の入り口を探しているんだって? 探索はどうだった?」


 僕は強引に話題を変えてしまった。

まあ、これは訊きたかったことでもある。


「かなり丁寧に探したのだけど、手がかりも見つかっていない」


「そっかあ、残念だな。下の階層へ行けたら、黒晶を集めやすかったかもしれないのになあ……ね」


「黒晶を?」


「うん。新しい計画があるんだ。訊きたい?」


 コクコク。


「実は飛空艇を作ろうと思っているんだよ」


 僕はメリッサにシルバーホーク計画を説明した。


「空を飛ぶ……」


「そうすれば自由にいろんなところに行けるからね。街や海、どんなところにだって飛んでいけるさ! もちろんメリッサも一緒だよ」


「私も乗せてくれるの?」


「当り前じゃないか。僕たちは友だちで、その……婚約者だろう? 保留中だけど……」


「う、うん……」


「シルバーホークが完成したら必ず乗せてあげるからね」


「私も素材集めに行く」


 唐突に、メリッサが僕の袖を掴んで宣言した。


「一緒に行ってくれるの?」


「行く」


 メリッサが一緒なら戦術に幅が出るな。

彼女の戦闘力は僕と同格かそれ以上だ。

僕はいろんなことができるけど、戦いの技術だけで言えばメリッサの方が上である。

そんな彼女が来てくれるのなら安心していろんなことが任せられるのだ。


「ところで、前から聞きたかったんだけど」


「なに?」


「メリッサの固有ジョブってなに?」


 シドは斥候スカウトだし、リタは戦士、ララベルは投擲手とうてきしゅで、ミレアはヴァンパイアである。

でもメリッサの固有ジョブが何なんなのかは、いまだに教えてもらっていないのだ。


「そ、それは……ないしょ」


「えー、なんで?」


「セラが私と結ばれたら教える……」


 うーん、そこまで隠されると気になるなあ。


「ところで、セラはどんな飛空艇を作るの?」


 今度はメリッサによって強引に話題が変えられてしまった。

ジョブについてはよっぽど話したくないようだ。

気にはなるけど仕方がないか。


「機体は銀色って決めてあるんだ。たぶんプロペラ機になると思う」


「プロペラって?」


「プロペラっていうのはね……絵をかいて説明するよ」


 僕たちはもう一杯ずつココアを作って、夜遅くまで話し込んでしまった。



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本日5月27日に第2巻が発売されました。

現在進行中の第二部の完結までが収録されております。

続きが気になる方は、ぜひお買い求めください!


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