第60話 至高の一品


 午前中から始めた治療はお昼前に終了した。

とりあえず顔のトゲはすべて取り払い、筋肉や肌も綺麗に修復してある。

傷跡なんてどこにも見当たらない。

これならエリシモさんも納得してくれるだろう。


 神経もうまくつながっているので表情がなくなるなんてことも起こらないだろう。


「そっと顔を動かしてみてください。痛いところや違和感はありますか?」


「大丈夫みたい。まだちょっと動かし辛いかな……」


 疲労でぐったりとしていたけど、エリシモさんは鏡を見ながら満足そうだった。


「ありがとう。これで心置きなく笑うことができそうね。それにやっとメガネがかけられるわ。ずっと視界がかすんでいたからこれだけでも本当にありがたいわ」


「でも、読書はダメですよ。疲れてしまいますからね」


 エリシモさんは苦笑する。


「わかっているわ。体が鉛のように重いから当分はなにもできないわ」


「トゲだけではなくて、長い療養生活と痛み止めのお香のせいで体力が弱っているのです。あのお香はもう焚かないようにしましょう。今から体力のつく料理を作ってきますので休んでいてください。できたら眠って」


「あなたが料理を作るの?」


「そうですよ。医食同源という言葉があります。体によい、美味しい食事をとることで病気を予防し、治療しようとする考え方のことです。料理というのは健康にとってとても大切なものなんです。もっとも、僕の料理は魔導錬成で作るので、ちょっと特殊なんですけどね」


「特殊というと、お薬みたいに苦かったりするの?」


 エリシモさんの眉毛が下がって困った顔になった。

僕よりもお姉さんだというのに、その表情は小さな女の子みたいでかわいらしい。

きっと苦いものが苦手なんだな。


「僕は魔結晶から成分を抽出して、特別な効果を持つ料理を作るんです。これでも僕の料理は評判がいいんですよ」


「それなら楽しみだわ。どんな料理が出てくるのかしら」


「そんなに豪華なものは期待しないでください。でも頑張って美味しく作りますからね。さあ、目を閉じて少し休んで。体力回復には寝るのがいちばんなんですから」


「わかったわ」


 エリシモさんが素直に目を閉じると、すぐに安定した寝息が聞こえてきた。

疲労困憊ひろうこんぱいしていたのだろう。

だけど呼吸に乱れはない。

これなら少し外しても大丈夫かな。


 側近の人々に経過をよく観察するようにお願いして、僕は料理を作るために厨房を借りることにした。

厨房には僕の世話役になっているエイミアさんがついてきた。

僕が勝手なことをしないように見張るためだろう。

油断なく僕の行動を監視しているようだ。


「なにをお作りになるのですか?」


「そうだなあ、帝都グローサムで旬の食材ってなにでしょう?」


「さあ、食べ物については詳しくありません」


 おいおい、そんなメイドさんがいるのかな? 

まあ、この人の正体は軍人さんだから仕方がないか。


 厨房の料理人に尋ねると今は夏牡蛎なつがきが旬だと教えてくれた。


 おお、今は夏だったのか! 

年がら年中乾いた砂に囲まれていたから、すっかり季節の感覚がなくなっているな。


『料理』のスキルを展開させ、美味しそうなレシピを頭の中で検索していく。

お、牡蛎を使ったお粥か、これなんかいいな。


 病気で弱った体を優しくいたわり、体力も回復してくれるみたいだぞ。

調理時間が長いのが難点だけど、その分スペシャルな効果を発揮するようだ。


「エリシモさんは牡蛎料理を食べられます?」


「はい、牡蛎は殿下の好物でございます」


 料理番がそう言うのなら間違いないだろう。


「じゃあ、今から言う材料を持ってきてください。ネギ、ショウガ、牡蛎、水、イーライ酒、骨付きジャイロックのモモ肉――」


 さすがは宮廷の厨房だけある。

僕が頼んだ素材がまたたく間に並べられていく。

しかも、どの食材だって新鮮で高品質だ。


 珍しいハーブやゼギン貝の貝柱の干物なんかもそろっているじゃないか。

これなら最高の料理ができるはずだ。


「あの、魔結晶も料理に使うのですか?」


 エイミアさんが不安そうに訊いてきた。

魔結晶をそのまま体内に入れると中毒症状を起こしてしまうから心配しているのかな? 

それとも、僕が金晶や銀晶をちょろまかすんじゃないかと警戒している?


「魔導錬成の技で食事に魔法をかけるんですよ。体にいいことしかない料理だから安心してください」


 用意された魔結晶から地水火風雷闇光静動すべての魔素を取り出して、必要な分を料理へ練り込んでいくのだ。


「それでは始めますので、皆さんは少し下がっていてください」


 見物している料理人たちを下がらせて『料理』のスキルを展開した。


 僕の魔力が素材に込められるたびに、もち米や牡蛎が空中に浮かび上がる。


「なんだこれは! これが料理なのか?」


 予想していたものとは違う光景に、料理人たちがざわめいている。

鍋やフライパンを使った料理もするけど、魔法薬膳まほうやくぜんを作るときはこちらの方がやりやすいのだ。


 すべての材料が浮かび上がると、それらは高速で回転しながら光を放った。


 よおし、いい感じになってきたぞ。

ここから汚れや骨、灰汁あくなどの要らない成分は排除して、必要なものだけを厳選していくのだ。


 今や料理は光の帯のようになっている。

一時間くらいはこの状態を保ってやると、素材の旨味が完全に引き出されるはずだ。


 微細な魔力操作が必要だけど、ここが腕の見せ所である。

絶えず魔力を送り続け、最高の状態に仕上げていった。



 一時間後

 厨房に芳醇な香りが溢れていた。

今や素材の旨味は混然一体となり、その味は至高へと昇り詰める段階にある。


「ここだ!」


 絶妙のタイミングを見計らい緑晶の成分を加える。

もち米も完璧な状態になってきたから、そろそろ銀晶の出番だ。

最後に塩と金晶で味を調えて……。


「エイミアさん、もうすぐできます。お皿、お皿!」


「は、はいぃ!」


 呆けていたエイミアさんが慌てて両手にお皿を持ってきた。


 僕はゆるやかに回転している光の帯をそっと皿に盛り付ける。

するとそこにホカホカと湯気を立てる牡蛎粥が現れた。


「こ、こんなことが……」


 驚きで声を失っているエイミアさんにスプーンを渡した。


「どうぞ」


「は、なんでしょうか?」


「皇女様に食べさせる前に毒見が必要かなって思ったので」


「はあ……、それでは失礼して」


 エイミアさんは半匙ほどお粥をすくって口に入れると、びくりと体を震わせた。


「っ!」


「いかがですか?」


「これは……、こんな料理って……」


 思わずもう一すくいしようとして、エイミアさんはハッと気がついたようにスプーンを離す。

無意識にもう一口食べようとしてしまったようだ。


「と、とても美味しいです。世の中にこんな料理が存在するなんて……」


「それはよかった。では冷めないうちにエリシモさんのところへ持っていきましょう」


「はあ……」


 エイミアさんの視線は未練がましく粥の上に注がれたままだ。


「ほら、早く!」


「は、はいっ! 失礼いたしました」


 僕らは足早に厨房を後にした。

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