第58話 エリシモ


 病室の扉を開けると、中からむせかえるような香の匂いが漂ってきた。

少し嗅いだだけで頭がフラフラとした感覚に襲われる。

『スキャン』を発動して調べると、この香りは痛みを和らげるためにかれた麻薬の一種であることがわかった。


 こんなものを焚き染めているなんて、エリシモさんの呪いというのはつらい痛みを伴うもののようだ。

ずっと重力の呪いに苦しんでいた僕は、エリシモさんの境遇にすっかり同情してしまった。


 だけど、これは中毒性のある煙だぞ。

そばで病人の面倒を看る人たちにも悪い影響を与えてしまう代物だ。

早いところ手を付けた方がいいな。


 ベッドに近寄ると痩せて青白い顔をしたエリシモさんが横たわっていた。


 姉と同じ金髪だけど、こちらはまたタイプの違う美人さんだ。

なんかこう、図書館にいそうなタイプっていうのかな? 

お勉強のできそうな知的な顔をしている。


 優しい司書さんって形容が良く似合う気がした。


 驚くことに、エリシモさんの左頬から首のあたりにかけて、きらめく無数のトゲが刺さっていた。

ひょっとしたら服の下にもトゲは刺さっているんじゃないのか? 

このトゲはガラス……、いや見たこともない金属でできているのか。


 他の部分は青白いのに、トゲの刺さったところだけは赤くただれていて、見ているだけでも痛々しい。

トゲはかなり微細で、顔に刺さった分だけでも千本くらいはありそうだった。


 僕の姿を認めたエリシモさんが声をかけてきた。


「新しい治癒師の方ね。よろしく……」


 声を出すのもやっとというくらい衰弱しているようだ。

それなのに僕にあいさつをしてくるなんて、姉よりもずっと礼儀正しい人なのだろう。


「魔導錬成師のセラ・ノキアです。よろしくお願いします。さっそく診察をしてみましょう」


 スキャンで調べようと手を伸ばしたのだけど、またもや騎士が茶々を入れてきた。


「無礼者、こちらは帝国第二皇女のエリシモ様だぞ。お体には触れずに診察するのだ」


 なんとも理不尽なお達しである。


「そんなの無理ですよ。トゲの構造を深く知るためには触れてみなければわかりません」


「貴様の治癒魔法はその程度か?」


 治癒魔法なら触らなくても魔力を送りこめるけど、僕の『スキャン』や『修理』は違うのだ。


「だから、僕は魔導錬成師であって、治癒師じゃないんですってば」


「つべこべ抜かさずにさっさと治療を始めんか」


 見かねたエリシモさんが声をかけてきた。


「よい。見ればまだ子どもではないですか。構わないから私に触れなさい。そうしなければ診療ができないのでしょう?」


 病人なのに気遣いのできるいい人だ。

僕の中でエリシモさんの好感度が上がった。


「それでは失礼します……」


 スキル『スキャン』発動。


 このトゲは魔力を物質化した金属のようで、構造は金晶や銀晶などによく似ている。

『解体』で取り除けるかと思ったけど、どうやら魔力を跳ね返す性質があるようだ。


 治癒魔法が効かなかったというのも無理はない。

魔法が全部跳ね返されてしまったのだろう。

僕のスキルなら時間をかければなんとかなるとは思うけど、さてどうしたものか……。


 トゲは厄介だけど、面白い物質ではある。

役に立つことがあるかもしれないと、メモ帳を開いて構造を書き留めておいた。


「突き刺さった先端が植物の根のように食い込んでいますね……」


 これでは無理に引っこ抜こうとすれば激痛が走るだろう。


「あとは毒か……」


 根の部分からは微量ながら毒が放出されている。

皮膚が赤く爛れているのはそのせいなのだ。


 とりあえず『抽出』で毒を抜いてしまおう。

そうすればエリシモさんの体はずっと楽になるはずだ。


「まずは体をむしばむ毒を抜き出します。なにか毒を溜めておける器をください」


「そんなことができるのか? 他の治癒師も試したのだが、できなかったことだぞ」


 パミューさんが疑わし気に訊いてくる。

治癒師が試したときは、トゲが刺さった状態だから解毒の魔法が効かなかったんだな。


「あくまでも対処療法的なものです。根本的な治療じゃないですよ。でも、体に溜まった毒が抜ければ、エリシモさんの痛みも少しはひくでしょう」


 すぐに侍女らしき人が毒を入れる深皿を持ってきた。


「少し我慢してくださいね」


 エリシモさんの頬に触れながら『抽出』を使うと、トゲの刺さったところから黒い液体が霧のように立ち上がり、空中でウズラの卵ほどの小さな球体になっていった。


「これがエリシモを蝕んでいた毒か?」


 パミューさんが近づこうとしたので、それを制する。


「あんまり近づいちゃダメですよ。死ぬことはないですが、皮膚がかぶれてかゆくなりますから」


 忠告するとパミューさんは一歩後ろに下がった。


「とりあえず毒は抜きました。どうですか?」


 エリシモさんは小さな笑顔を見せる。


「かなり楽になったわ」


 トゲが刺さったままなのでしゃべりにくそうではあったけど、少しは元気になったようだ。


「でもトゲは抜けていないので、時間が経てばまた毒に侵されてしまいます。次はこのトゲをなんとかしましょう。ところで、このトゲはどうやって刺さったのですか?」


 先に原因を聞いておいた方がいいよね。

解決の糸口が見つかるかもしれない。


「古代文明の古文書のせいなのです。帝国が手に入れた古文書があるのですが、それを開こうとしたらこのようなことになってしまいまして」


「その古文書はどちらに? 差し支えなければ見せていただきたいのですが」


「それならそちらの棚に。だれか、古文書を持ってきてセラさんに見せて差し上げなさい」


 言いつけられた侍女は顔を真っ青にした。


 エリシモさんの姿を見れば怯えるのも仕方がないことだ。

本を手にすることによって呪いが発動することを心配しているのだろう。


「僕が自分で取りますよ。場所を教えてください」


 侍女に案内してもらって部屋の隅の本棚のところまでやってきた。

鍵付き扉を開けると中にはずらりと古い本が並んでいる。

背表紙に文字の書かれたものもあったけど、古代文字らしく僕には読めなかった。


「そちらの金属のブックカバーのついたものがそうです」


「これが古文書?」


 その本は図鑑のように大きく、分厚くて、さらにごつごつとした表紙に覆われていた。

古文書というよりは耐衝撃性に優れた軍事用のノートパソコンみたいである。

ブックカバーは金属でできていて、削りだしの艶消しアルミニウムみたいな銀色が鈍い光を放っていた。


 映画の取引シーンに出てくる、現金の入ったアタッシュケースみたいだ。

ブックカバーの表側には日記帳のように留め金がついている。


 指を伸ばそうとしたそのとき、後ろからエリシモさんの声が耳に入った。


「気を付けて。レバーを下げて開こうとすると、ブックカバーが発光してトゲが放出されます」


 攻撃型のロックになっているわけだ。

どれどれ、こいつも『スキャン』で調べてみよう。。


 このブックカバーは空中の魔素から魔力を作り出してトゲを放出しているようだ。

トゲは微細だし、射程も短いから消費魔力は少なくて済むわけか。

なるほど、おもしろいな。


「ふーん、鍵の方はたいしたしかけじゃないな。暗号を音声入力するタイプだけど、外しようはある……」


「開くことができるのですか!?」


 エリシモさんが興奮した面持ちで僕を見つめていた。

あろうことか半身を起き上がらせている。


「寝ていてください。無理をしてはいけません」


「質問に答えて。本当にそのロックを解除できるのですか?」


 このお姫様は本当に本が好きなんだなあ。

自分の体よりも古文書のことが気になるらしい。

消耗が激しくて起き上がるのだって辛いはずなのに、そんなことは忘れてしまったかのように興奮している。


「できますよ。解除してもいいんですか?」


「はい、ぜひお願いします!」


 エリシモさんはまばたきも忘れて僕の手元を見つめている。

とりあえず解除して、気持ちを落ち着かせた方がよさそうだ。


「その代わり約束してくださいね。読むのは治療が終わってからですよ」


「うっ……、承知しました」


 今は毒が抜けて楽になっているけど、どうせすぐにぶり返すのだ。

無理をさせることはできないのである。


『解体』を使うとロックは簡単に外れた。

試しに開いてみたけど、トラップは反応しない。

これならエリシモさんに渡しても安全だろう。


「はい、解除できましたよ」


 チラッと中を見たけど、やっぱり古文書に書かれている内容は読めなかった。


「ありがとうございます、ありがとうございます。これで研究が進められます」


 よほど嬉しかったのかエリシモさんは涙を流して喜んでいた。


「それでは治療に取り掛かりましょう。まずは体を治さなければ研究もできませんからね」


「はい、お願いします」


 患者との信頼関係はこれで結ばれたかな。

僕は注意深くトゲに触れ、なんとか抜くことを試みた。

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