第40話 闇の中から、こんにちは


 誰かにつけられているというのはすぐにわかった。

太陽はとっくに沈み、今は細い新月が夜空に浮かんでいる。

僕はあえて人通りの少ない通りを選んで街はずれのゴミ捨て場へと向かっている。

この時間なら誰もいないに違いない。

戦闘になっても迷惑をかけることもないだろう。


 二つの建物に挟まれた細い路地に入った。

追跡者は屋根の上を移動しているようで月見の猫が驚いて逃げる足音がした。

僕は立ち止まって怯えたように後ろを振り返る。

主演男優賞がもらえそうなくらいの演技力だ。


「誰かいるの……?」


 闇は濃く、物音ひとつしない。

だけど感じる、奴は僕の真上にいる!


 ふわりと舞い降りた何かが後ろから息を吹きかけてきた。

甘い匂い……、これは何の香りだろう? 

ぼんやりとして気持ちよくなってしまう不思議な香りだ……。


「クッ、毒物か……」


 こんな攻撃を仕掛けてくるとは思わずに油断してしまった。

僕はなんとか『修理』と『抽出』で意識を混濁させる原因物質を取り除いた。

でも、そうとは知らない犯人は無造作に近づいてくる。

僕の首筋に牙を立て、血を吸い取るつもりだな。


 じゅうぶんに引き付けておいて、振り返りざまに胸倉を掴んでやった。


 むにゅ。


「あん♡」


 えっ!? 

僕の拳が深い谷間に挟まれている。


「うわぁっ!?」


 大きく後ろに飛びのき、僕は相手の姿を確かめた。

細い裏路地には背の高い黒髪のヴァンパイアが立っていた。

赤みを帯びた瞳が怪しく輝き、僕をじっと見つめている。

彼女には小さな翼やしっぽが生えていて、耳はエルフのようにとがっていた。


「どうして『眠りの吐息』が効かないの?」


 ヴァンパイアは小首をかしげながら訊いてくる。

その様子に害意などは感じられない。


「効いたけど治したんだ。それよりどうして僕を狙った!?」


 ヴァンパイアはにっこりと笑い、赤い舌がなまめかしく動く。


「だって、好みのど真ん中だったんですもの!」


 はい?


「本当はさっき襲った子でお腹いっぱいだったんだけど、君を見ていたらどうしても血を吸ってみたくなっちゃったの。デザートは別腹ってやつ?」


「僕を殺す気だった?」


「そんなわけないでしょう! 私は好みの男の子からちょっぴり血をもらうだけよ。病気にしたことさえないわ」


 嘘をついているようにも見えないので、少しだけ緊張を解いた。


「お姉さんはヴァンパイアなんですか?」


「一応ね……。私はミレア・クルーガーよ」


「セラ・ノキアです。あれ、ミレア・クルーガーってどこかで聞いたことのある名前だぞ。……思い出した! 伝説のソロプレーヤー」


 ララベルが言っていた聖杯探しに参加しているうちの一人だ。


「あら、光栄だわ。私のことを知ってくれているのね」


 ミレアはころころと笑った。


「伝説のソロプレーヤーがヴァンパイアだったなんて知らなかったなあ」


「生まれたときからってわけじゃないのよ。こうなってしまったのは半年前からなの」


「どういうことですか?」


「ダンジョンの呪いにかかってしまったのよ」


 ミレアは地下五階のトラップに引っかかってヴァンパイアの体になってしまったそうだ。

僕も重力の呪いにかかっていたから同情心が湧いてしまう。


「あの、僕なら貴女の呪いを解けますよ。任せてください」


 そう申し出たのだけど、ミレアはまたころころと笑った。


「この体は気に入っているからいいの。なんといっても不老不死を手に入れてしまったんですもの」


 ミレアはもともと『冒険王』という固有ジョブだったのに、呪いのせいで『ヴァンパイア』に書き換えられてしまったそうだ。


「そのおかげで『不老不死』とか、さっきの『眠りの吐息』なんてスキルも使えるようになったのよ。デメリットもあるけどヴァンパイアの方が使い勝手のいいスキルが多いの」


 だったら無理して治さなくてもいいのかな?


「デメリットって何ですか?」


「少しでも直射日光を浴びるとひどい火傷をすることよ。浴び続けると死んでしまうわ」


 そこらへんは僕の知っているヴァンパイアと同じなんだな。


「ところで、なん何で少年の血ばかりを吸っていたんですか?」


「好物だから。ショタコンなんだよね、私」


 ストレートなカミングアウト! 

気持ちのいいほどに悪びれたところがまったくない。


「まあ本当は血なら何でもいいんだけど、性癖に妥協したくないのよね。こだわりの強い女なの」


 そんなふうに胸を張られても……。


「それって、少年にとっては迷惑そのものですよ」


「そうよねえ。でも、もうしばらくは誰も襲わないわ。必要な分の血は手に入ったから」


「必要な分と言うと?」


「ヴァンパイアは血を吸うとパワーがみなぎるの。明日から地下七階を探索するから、その準備だったのよ」


 あれ、今とんでもないことをさらり言ったよな。


「地下七階ですって! 下り階段の場所を知っているのですか?」


「ええ、探し当てたわ」


 僕とメリッサでも探し当てられなかった下り階段の場所をこの人は知っているのか。


「もしかして知りたいの?」


「教えてください!」


「あらあらがっついちゃって……。でも、お姉さん、そういう元気な子は嫌いじゃないな」


 ミレアは値踏みするように僕のことを見つめてくる。

ずいぶんとミステリアスな雰囲気をたたえた人だ。


「貴方はたしか、銀の鷹と呼ばれている子よね?」


「らしいですね。自分で名乗った記憶はありませんが」


「きれいな銀髪ね……。決めた、セラが私の仲間になってくれれば地下七階へ行く階段の場所を教えてあげるわ」


「それはミレアがデザートホークスに入るってこと?」


 そう訊くとミレアはぽかんとした顔つきになる。


「私とコンビを組んでほしほしいって申し出なんだけど」


「じゃあ無理です。僕は今の仲間が大切ですから」


 気の合う仲間というのはそうそう得られないと思う。

残念だが地下七階の入り口は自分たちで探すとしよう。


 僕は諦めて帰ることにした。

ヴァンパイアといってもミレアは害のある存在ではなさそうだから、放っておいても大丈夫だろう。


「あんまり少年を襲わないでくださいね。どうしても欲しいときは僕の血を分けてあげますから。それじゃあ」


「えっ……」


 立ち去ろうとするとミレアが追ってきた。


「待って! どうしてそんなに優しいの?」


「呪いの辛さは知っているんです。僕もずっと重力の呪いというのにかかっていましたから。だから血の渇望がどうしても抑えられないときは僕のところに来てください」


「…………」


 ミレアは希少種でも観るような目で僕を見つめていた。


「なる……」


「はい?」


「私、セラの仲間になる! 私をデザートホークスに入れて!」


 ヴァンパイアになつかれた!?


「いいの? 分け前とかも減っちゃうよ」


「いいの! お姉さんはセラさえいれば他にはなにもいらない!」


 そ、そうですか……。


「わかったよ。それじゃあ仲間に紹介するね。今から僕の家まで来てもらってもいいかな?」


「セラの家? いく、いくぅ!」


 こうしてやけに明るい闇の住人が僕らの仲間になった。


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