第23話 守護の鷹の紋章


 修理を終えた僕はメリッサの部屋に招待された。

とにかく広い! 

僕の部屋の十倍はあるんじゃないかな? 

大きな鏡台や革張りの読書椅子など、品のよ良い調度がそろっていてゴージャスだ。


 クッションがたくさん置かれた寝椅子に僕とメリッサは並んで座った。


「すごいなあ、メリッサは。そういえば皆が君を姫様って呼んでいたけど、僕もそう呼んだ方がいいのかな?」


 メリッサはふるふると首を横に振った。


「今まで通りメリッサでいい」

「うんわかった。僕の両親はグランベル出身だったらしいから一応聞いてみただけ」


 メリッサがピクリと反応する。


「グランベルのどの辺り?」

「さあ、詳しいことは聞いていないんだ。僕はエルドラハ生まれだからね。だからグランベルの民って意識は薄いかな」


 前世は日本人だし。


「私はしがらみに囚われ過ぎている」


 メリッサの表情は少し悲しそうだった。

四十名もの臣下に囲まれている生活はプレッシャーなのかもしれない。


「メリッサもいろいろと大変なんだね」


 そう言うと、メリッサは僕に体を傾けてきた。


「セラは優しい。セラは私を怖がらない。セラといると楽だ」

「怖がる? 誰がメリッサを怖がるの?」

「みんなだ。私は強いし、何を考えているかわからないと言われる。表情が乏しいのだろう」


 メリッサは自分のことを強いというけれど、自慢している感じではない。

事実を淡々と述べているだけのようだ。

それから表情が乏しいか……。


「表情が乏しいなんて嘘だよ。僕にはわかるもん。今だってメリッサはとても悲しそうだ」

「わかるのは……セラだけだ」


 たくさん話すわけじゃないけど、メリッサは僕といて楽しそうだった。

日が傾いて暑さもだいぶマシになっている。

吹き抜けていく風が気持ちよかった。


「このお茶、美味しいね」

「ジャスミン茶だ」


 初めて飲むお茶だったけど、とてもリラックスできる気がする。


「なんだか眠くなってきちゃった。魔力を使い過ぎたかな」

「眠ればいい。夕食を用意させるからここで休んでいけ」

「そう? ……じゃあ、お言葉に甘えて……」


 目を閉じると、メリッサの指が僕の頭をなでている感触がした。

僕はうっとりと身を任せる。

風に更紗のカーテンが微かに音を立てている。

静かで落ち着いた午後のひと時 。

そしていつしか僕は眠りに落ちていた。


       ◇


 寝息を立てるセラを膝に抱き寄せて、メリッサは不思議な気持ちになっていた。

弟がいたら姉はこんなことをするのだろうか? 

それとも年下の恋人? 

母性とも恋心ともつかない感情が湧き上がっている。


 かつてこれほど、身分に関係なく自分を恐れないで、親切で、理解してくれる者はいなかった。

これからだって、セラのような存在は現れないかもしれない。

そう考えると、無防備に自分の膝で眠る少年が愛おしくてたまらなかった。


 メリッサは優しくセラの髪をなでた。

銀色の毛は柔らかく、スベスベと指をくすぐる。

起こしてしまうかもしれないと心配しながらもやめることができない。


 ふいに、セラの首筋に妙なものが見えた気がしてメリッサは髪の毛をかき分けた。

痣? 

そうではない、これは紋章だ。

盾にとまった鷹の意匠。

グランベル王国が誇る四大伯爵家のひとつ、ノキア家の紋章だった。


「失礼いたします」


 替えのお茶を運んできた侍女がセラとメリッサの姿を目にとめて驚く。

だが、侍女はなにも何も見なかったふうを装った。


「アムル、至急タナトスを呼んできてくれ」


 感情が表に現れにくいと言われる姫であったが、侍女のアムルもこのときばかりはメリッサが焦っている様子がよくわかった。


 タナトスはすぐにやってきた。


「姫様、いかがされましたか?」

「これを見ろ」


 言われるままにセラの首筋を覗き込んだタナトスの瞳が大きく見開かれた。


「紋章? これは守護の鷹! まさかとは思っていましたがこれで確信が持てました。やはりセラ殿はノキア家の跡取り」

「うん……私の許婚いいなずけだ……」


 グランベル王国において、王女は四大伯爵家に嫁ぐのが慣例だった。

順番からいって、メリッサはノキア家との婚姻が決まっていたのだ。


 これまでのメリッサだったら今さらそんな慣例など気にも留めなかっただろう。

たとえ亡国の王女とならなかったとしても、親の決めた結婚などしたくないと突っぱねたかもしれない。

だが、相手がセラだというのなら話は別だ。

メリッサはセラの紋章を隠すように髪をなでつけ、そして優しく抱き直す。

まるで誰にも渡さないと言わんばかりに。


       ◇


 優しく揺すられて目が覚めた。

窓の外が夕焼けで真っ赤になっている。

だいぶ眠っていたみたいだ。


「夕食の支度が整う。食堂に行こう」


 メリッサは平静を装った感じで言うけれど、表情を見ると、どういうわけかかなり動揺していた。


「どうしたの?」

「どうもしにゃい」


 顔はいつも通りにしているけど、舌を噛んでいる……。


「にゃいって……」

「ね、猫のまねだ……」


 かなり苦しいぞ。


「僕が寝ている間に何かあった?」

「セラ、両親の名前を憶えているか?」


 この場合、タカオとフジコは関係ないよな。


「うん、母はイシュメラ、父はセドリオだよ」


 どういうわけか、そばにいたタナトスさんが大きく頷いている。


「あ、僕の両親を知っているのですか?」

「グランベルの王宮で何度も君のご両親に会ったことがある。私は元々グランベル王国の近衛騎士団長だったのだ」

「ええっ!? そうなのですか」

「うむ、君はお母上によく似ているな。イシュメラ殿はグランベルの真珠と讃えられるほどの美貌の持ち主だったのだよ」


 厳しい顔つきのタナトスさんが、ふっと昔を懐かしむ表情をした。


「じゃあ、父さんと母さんが王国の貴族だったって本当なんですね。詳しいことは聞いていないから、半分嘘だと思っていました」

「嘘だなんてとんでもない。ノキア家は王国の重鎮、四大伯爵家のひとつなのだ。ご両親はどうして君に事実を教えなかったのか……」

「たぶん僕が過去に囚われないようにしていたのかもしれません。過去の栄華にすがることなく、このエルドラハで力強く生きてほしほしいと願っていたのだと思っています」


 両親の言葉の端々にそんな感情が隠れていた気がする。


「そうか……。豪胆なセドリオ殿らしい考え方だ」

「ところで、どうして突然僕の両親の名前を訊くのですか?」

「君が本当にノキア家の跡取りかを確かめたかったのだ。もしそうなら君は姫様の、っ!」


 いきなりメリッサが抜いた曲刀が閃き、タナトスさんの言葉を遮った。

幅広の刀身がタナトスさんの眼前に突き出されている。


「余計なことは言わなくていい」

「……承知しました」

「僕がノキアの跡取りならメリッサのなんだというの?」

「それは……ナイショ……」


 内緒って……。

でもメリッサが本当に困っているみたいだからそれ以上の追及はやめておいた。


       ◇


 夜空の下を元気に駆けていくセラをメリッサは見送っていた。

すぐ後ろにはタナトスが控えている。


「よろしかったのですか? 事実は早めに告げておいた方がよかったと思うのですが」

「いきなり許婚などと言ったらセラも困惑するだろう」

「しかし、王家復興を願う我らにとって、セラ殿は希望の星でもあります」

「セラが拒否することも考えられる。無理強いはできない……」


 表情こそ変わらなかったがメリッサの声はかすれるように小さくなった。


「そんな弱気でどうしますか。我々で因果を含めて、なんとか婚姻に応じてもらうしかありません」

「そんな急には……は、恥ずかしいではないか」

「姫様?」


 メリッサは決意を秘めた目でタナトスを見つめた。


「しばらくセラと行動を共にしてみる。そうすれば互いのことがもっとわかり合えるだろう。デザートホークスは地下四階でサンドシャークを討伐するそうだ。私もそれについていこうと考えている」

「承知いたしました」


 氷の鬼女と恐れられ、普段から冷静沈着なメリッサの体温が興奮で上がっている。

タナトスもそれ以上の進言は避け、しばらく様子を見ることにした。


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