第16話 レッドボアの運搬


 災難に遭っていたのは二人組だった。

まだ若い男女で、男の人は血まみれで倒れている。

一人残った女の人がレッドボアと対峙していた。


 レッドボアは巨大なイノシシの化け物だけど、主な生息地は地下三階のはずだ。

地下一階に現れるのは珍しい。

女の人は風魔法の遣い手のようでウィンドカッターでレッドボアと戦っているけど、レッドボアの皮は分厚いので苦戦しているようだった。


「二人はレッドボアをお願い。僕は怪我人を診ます」

「任せておいて!」


 リタはやたらと張り切っている。

そう言えばリタの好物は肉だったな。

レッドボアはダンジョンでは数少ない可食の魔物だ。

名前の通りイノシシの肉と同じ味がする。

塩と胡椒をかけて焼いたボアグリルはエルドラハでは一番のご馳走だ。

あれだけ本気ならリタ一人でも倒してくれるだろう。


 僕は戦闘には加わらず怪我人を治すことに集中した。


「しっかりしてください!」

「うぅ……」


 意識はまだあるようだ。

傷口に手を当ててスキャンを発動する。

鋭い牙で腹を切り裂かれたんだな。

傷口は七センチ、裂傷は内臓にまで達していた。


「すぐに楽になりますからね。じっとしていてください」


 スキル『修理』を使って先に止血をして、内臓の治療から始めた。

怪我人を診るのはこれで三人目だ。

まだまだ経験が浅いので治療には時間がかかりそうだけど、今回は仲間が二人もいる。

僕は安心して治療に専念できた。


「いよっしゃあっ!」


 リタの声がダンジョンに轟いた。

床には首のないレッドボアが横たわっている。


「シドとリタは周囲を警戒して。レッドボアの仲間がいるかもしれないから」

「仲間!? それも狩っちゃる!!」


 リタが猛獣みたいになっている。

今夜はみんなでバーベキューだな。


「ぐあああっ!」


 意識がはっきりしたせいで、患者が痛みで苦しみだした。

ここまで深い傷だと一気に治すことはできないのだ。


「動かないでね。治したところがまた広がっちゃうから」


 呼びかけるのだけど男の人は身をよじって動こうとする。

いっそ雷撃のナックルで気絶させてしまう? 

いやいや、そんな乱暴なことはダメだな。


「カネオン、動いちゃだめだよ」


 戦闘を終えた女の人が患者の体を押さえてくれるのだけど、それでも動きは止まらない。

これでは手の位置がぶれてしまうから魔法が上手く伝わらないよ。

なんとか痛みを和らげる方法はないかな……? 

試行錯誤していると頭の中でいつもの声が響いた。


(おめでとうございます。スキル『麻酔』を習得しました!)


 全身麻酔だけじゃなくて局所麻酔にも対応しているぞ。

さっそく使ってみるとしよう。


 スキル『麻酔』を施すと、カネオンさんはぐにゃりと力が抜けて動かなくなってしまった。


「カネオン、死なないで!」


 女の人は顔面蒼白になってカネオンさんを揺さぶってしまう。

治した傷が開くから止めてえ!


「大丈夫です、痛みを感じないようにしただけですから。今から治療しますので落ち着いてくださいね」


 この世界には麻酔という言葉すらないので、どういったものかよくわからないようだ。


 おとなしくなった男性の『修理』を続け、十八分ほどで完治させた。

やっぱり治癒魔法ほど使い勝手はよくないな……。

ここまで時間がかかってしまうと戦闘中は使えない。

数をこなせばもっと早くなるのかな?


「あれ……、俺は……生きているのか?」


 麻酔から醒めたカネオンさんが不思議そうに辺りを見回している。


「カネオン! よかった、本当によかった……うぅ……」


 抱き合いながら喜ぶ二人を見て、僕も嬉しかった。

自分のスキルが人の役に立つというのはこんなにも喜ばしいことなんだな……。


「ありがとうございました。なんとお礼を言っていいのやら」


 二人が謝礼として赤晶を差し出してきたけど、僕はそれを断った。

レッドボアの肉が大量にあるからじゅうぶんだ。

リタもシドもニコニコしている。


「しっかしこれはどうする? ここで解体して持てる分だけ持って帰るか?」

「え~、残していくなんてもったいないよ!」


 リタは心底残念そうな顔をする。

よほど肉が好きなようだ。


「そうはいっても、こいつは一トンくらいはありそうだぞ。加食部分だけでも四百キロにはなるだろう」

「肉が四百キロかあ……」


 リタとシドはレッドボアをどうするか決めかねているようだ。

たしかにこれは大きいもんな。

どれどれ、どれくらいの重さがあるんだろう?


 ズズズズズッ。


「お、運べないほどでもないよ」


 持ち上げるのは大変そうだけど、引きずるだけなら問題ない。


「ほら、家まで持ってもって 帰れそう」


 喜んでそう告げたんだけど、みんなは黙って僕を見つめるばかりだった。



 ズルズルとレッドボアを引きずって出口の方まで行くと、通行人はそろって道を空けてくれた。


「なんだ、あのガキ……」

「バカ、目を合わせるな!」


 みんな視線を逸らして逃げるように通り過ぎていく。

失礼な、僕はピルモアみたいに凶暴な男じゃないぞ。


「ヒッ!」


 噂をすれば影ってやつ? 

たまたまやってきたピルモアだったけど、僕の顔を見た瞬間に道を引き返して、どこかへ行ってしまった。


「セラ、休まなくてもいいの?」


 リタが心配そうに訊いてくるけど、僕はまだまだへっちゃらだ。


「うん、早く肉を食べたいもんね。リタもそうでしょう?」

「まあ、そうだけど……」


 時刻はそろそろ夕方になろうとしている。

早く帰って夕飯の支度をしなくちゃね。

どうにかこうにか引きずって、ダンジョンを出る最後の上り階段のところまでやってきた。


「よし、ここは担ぎ上げるぞ」

「担ぎ上げるって、おま……」


 シドが駆け寄ってきたけど、僕は手で止めた。


「危ないから離れていて。いくよ~……フンッ!」


 僕の身長が低いせいで、レッドボアの足は地上に着いたままだったけど、なん何とか肩の上に乗せることができたぞ。


「大丈夫なの? 潰れたりしない?」


 心配なのだろうけど、リタも手を出しあぐねているようだ。


「思ったよりきつくない……。担ぎ上げちゃえば平気みたい」


 肩にレッドボアを乗せたまま階段を一歩だけ上がってみる。

残りは四十七段、ぜんぜんいけそうだ。


「ほら、問題ないよ」


 みんなを安心させるために振り向いたら各所で悲鳴が上がった。

一トンもあるものを振り回すのは危ないね……。

と、ここで見知った顔を見つけた。


 通路の奥から黒い刃の一団が姿を現したのだ。

中心にはメリッサもいて、驚いたようにこちらを見ている。

僕はメリッサに向けて大きく手を振った。


「メリッサ、見て! すごいでしょう、これ!」


 メリッサがコクコクと頷いている。


「えへへ、獲物の大きさにびっくりしてくれたみたいだ」

「セラのパワーに呆れているだけじゃねえのか?」


 シドのツッコミは置いといて、夕飯にメリッサも誘ってみようかな。


「メリッサ! これからみんなでバーベキューパーティーをするんだ。メリッサたちもおいでよ!」


 メリッサは固まったまま動かない。

遠慮しているのかな?


「チームのみんなで来ていいからね。だってこんなにあるんだよ。肉は嫌い?」


 メリッサはふるふると首を横に振り、その動きに連動してきらめく髪が微かに揺れた。

もの問いたげな瞳は伏し目がちで、とてもしとやかだ。

この娘が氷の鬼女? 

そんなあだ名は似合わないよ。


「じゃあ、遊びに来てね!」


 メリッサに住所を教えて、僕は再び階段に向き直った。

大勢がパーティーに来るんだから急がなくてはならない。

大きく息を吸って、僕は一気に階段を駆け上がる。

後ろの方でシドとリタが何かしゃべっているけど、耳元でレッドボアの毛がガサガサいっていてよく聞こえなかった。


「セラはレッドボアを全部食べる気でいるのかしら?」

「たぶん、近所の奴らにもふるまう気でいるぜ」

「魔結晶や品物と交換するって考えはないの?」

「たぶんねーな」

「……不思議な子ね」

「昔っからそういう奴なのさ」


 まだ階段の下でおしゃべりしている二人に声をかけた。


「早く行こうよ! 大量の肉をさばくんだから!」


 みんな喜んでくれるかな? 

美味しそうに肉を頬張る人々の顔を想像しただけで、背中のレッドボアも軽くなる気がした。


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