第8話 はじめてのこと
扉を開けるとツンとした臭いのする煙が室内に流れ込んできた。
これは目くらましの煙幕?
つまり魔物が出現したということか!
通路には煙と血の匂いが充満している。
「しっかりして!」
目の前で倒れている人に駆け寄ったけれど、すでにこと切れていた。
傷口を確かめてみると、鎧ごと胸を切り裂かれて絶命している。
襲ってきたのはかなり強力な魔物のようだ。
死体は全部で七つ。
戦闘要員の半数近くが亡くなってしまったというのか!?
修理の力を使っても死んだ人を生き返らすことは不可能だ。
悲しいけど諦めるしかない。
「グッ……」
煙幕の中でくぐもったうめき声が聞こえた。
「誰かいるの?」
「セラ……逃げて……」
「その声はリタ! 今行くからね」
落ちていた剣を握りしめて魔物の影が揺らめく方へ移動した。
十メートルも進むと煙は薄くなり、目の前の光景がわかるようになってきた。
そして僕は愕然とする。
全身血まみれになったリタが巨大な犬の牙をギリギリのところで受けているではないか。
「目が四つある犬……ガルムか!」
ガルムは地獄の番犬と恐れられる魔物で、血のように赤い目が四つもあるのが特徴だ。
このガルムは体長が三メートル以上はあり、針金のようにごわごわした銀色の毛が全身を覆いつくしている。
「セラ、長くはもたない……、早く逃げて!」
絞り出すような声でリタが警告する。
鎖骨の下と左腕を負傷しているようでリタの足元には血だまりができている。
蒼白な顔で今にも倒れそうなのに、僕のことを気遣ってくれる。
そんなリタを置いて逃げられるわけがない。
リタは僕に優しくしてくれたんだ。
なんとしても助け出さなきゃ。
さいわいガルムは僕のことを気にしていない。
僕がまだ子どもだと思って油断しているのだろう。
敵わないまでも一太刀浴びせて、リタが反撃できるようにしてあげよう。
重力の呪いが解けたばかりだから、足元はまだフワフワしている。
よろめかないようにしっかり踏ん張って……。
僕は思いっきり床を蹴って踏み出した。
ところが――。
「うわあああああっ!」
これまで縛り付けていた重さがなくなったせいで、僕の踏み込みは自分でも驚くくらい素早いものになっていた。
六メートルはあったガルムとの距離は一瞬で詰まり、構えていた剣が四つ目の中央に深々と突き刺さってしまう。
僕、リタ、ガルム、三者とも何が起きたかよくわかっていない。
「えーと……」
突き刺さった剣をねじると、ガルムの顔面から緑色の血が溢れ出した。
ガルムってみんなが恐れる魔物で、表皮も硬くてなかなか刃が通らないはずなんだよな……。
スピードだけじゃなくて僕のパワーも上がっているのか?
重力の呪いが高負荷トレーニングのようになっていたのだろう。
まるで優良ハンター養成ギプスだね。
以前とは比べ物にならない力が満ちている。
「セラ……?」
リタも驚いたように口をパクパクさせていた。
僕だってびっくりだよ。
剣を引き抜くとガルムはドサリと音を立てて床に沈んだ。
「リタ、怪我の具合は?」
張り詰めていた緊張が解けたせいか、崩れ落ちそうになるリタを受け止めた。
重い鎧を付けているのに軽々持ち上げられるだなんて、自分でも信じられないくらいだ。
って、喜んでばかりもいられないぞ。
リタを抱えた手にどろりとした血がついている。
急いで治療しないと出血多量で死んでしまうかもしれない。
「セラ、すごいんだね。アンタなら一人でも地上に帰れるかもしれない。どうせ私はもうすぐ死ぬ。このまま私を置いていって」
「バカなことを言わないで。すぐに治療するから」
「ふう……、もう目がかすんできたよ。でも、こんなかわいい子の腕の中で死ねるんだ。私の最期もまんざらでも……えっ?」
傷ついた胸元に手を当てると、リタはびくりと体を震わせた。
「ごめんね、治療をするから少し我慢してね」
修理を発動するためにはリタの肌に直接手を触れなくてはならない。
そうやってリタの体を調べて、魔力を送り込む必要があるのだ。
「どういうこと? 痛みが少しずつ消えていく……」
「もう少し時間はかかるけど必ず治してあげるからね」
治療には二十分くらいかかったから、その間に僕が獲得したジョブやスキルについて説明した。
「よし、これで傷は完治したはずだよ。どう、痛いところはない?」
「ないけど、まだ少しフラフラする……」
「それならどこかで休んでいこう。もう少し落ち着ける場所へ移動するね」
両腕でリタを抱え上げると、リタは腕の中で身を強張らせた。
「ごめんね。でもここだと、いつ魔物がやってくるかわからないから」
「いいの。男に抱え上げられる経験なんて初めてだけど、そう悪いもんでもないかな……」
「そ、そう?」
「なんか照れるよね……」
照れるのは僕の方だ。
だって、男の子じゃなくて、男って言われたのは初めてだったから。
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