第2話 砂漠の収容所

 誰かが僕の体を揺すっている。

母さんが起こしに来たのかな? 

もう登校の時間なのかもしれない。

顔を洗って、ご飯を食べて、バスに遅れないように――。


「セラ、しっかりしろ!」


 聞こえてきたのは母さんの声じゃなくて、野太い男の声だ。

セラ? 

誰だろうそれは。

僕の名前は…………なんだっけ? 

あ、結城隼人だ。

なぜか自分の名前を忘れかけていた。


「セラ、目を開けろ。死ぬんじゃない!」


 うるさいなあ……。

今起きるってば、シド。


 シド? 

誰だ、それは。

あれ? 

僕は隼人じゃなくてセラでいいのか? 

なんだか二つの人格が入り混じって、記憶まで混濁してきたぞ。

頭がズキズキうずくけどそのせいかな? 

それにしてもここはやけに暑い。


 僕はゆっくりと目を開いた。

途端に白い光が網膜を焼き付ける。

なんてまぶしい太陽なんだ。


「おお、気が付いたかセラ。思いっきり頭を打っていたから心配したぞ。起き上がれるか?」


 白髪をオールバックにした初老の男が心配そうに僕を覗き込んでいる。

これがシドだ。

僕、セラ・ノキアの友だちで、隣の部屋に住んでいる。

親のない僕にいろいろとよ良くしてくれる親切な人である。


「うん……ちょっとぼんやりする」


 シドに手伝ってもらって僕はゆっくりと体を起こした。


 視線の先では焼けた砂が地平線の先まで果てしなく続いていた。

どこまでも続く砂の山と砂の谷。

結城隼人にとっては珍しいけれど、セラ・ノキアにとってはうんざりするほど見慣れた景色だった。

ここが砂漠の収容所エルドラハか……。

緑なんてどこにもない不毛の地である。


 だんだん頭がはっきりとしてきたぞ。

そうだ、このエルドラハが僕のホームタウンだ。

たしか僕はダンジョンから採取した魔結晶を運んでいて転んだんだ。

それで頭を強く打って……。


「体の具合はどうだ? 重力の呪いがまたひどくなったみたいだな」


 言われてみれば、ずっとプールに浸かっていたかのように体が重い。

立ち上がるだけでも一苦労だけど、僕はなんとか 起き上がって荷物を担いだ。

時間内にこれを倉庫へ納めなければ食事にありつけなくなってしまうのだ。


「これくらい平気だよ。若いからねっ!」


 セラ・ノキアは十歳だ。

十五歳の結城隼人からさらに五歳も若返ったんだから元気なのも当然だ。

体が華奢きゃしゃすぎて不安になるけど、成長期のまっさかりでもある。

これからもっとがっしりしてくるに違いない。

新しい世界はまだまだ不安だけどなんとかなりそうな気がしていた。


 三年の月日が流れた。


 なんとかなる? 

そんな甘い考えでいた頃もありましたよ、僕にも。

まあ、生きてはいますがね、異世界は一筋縄ではいきませんでした。

過酷を通り越して地獄と言ってもいいくらいの場所ですよ、ここは。

何回死にかけたか数えきれないほどだもん。


 何がひどいかというと、まず環境です。

しっとりとした温帯湿潤気候の日本からやってきた僕が砂漠ですよ。

梅雨が鬱陶しいだの、低気圧でだるいだの言っていた前世の僕を説教したいです。

そんなものは灼熱の太陽と砂嵐に比べたら楽園の味付けにすぎません。

ピリ辛みたいなカワイイもんですよ。


 もうね、紫外線は凶器です。

肌に突き刺さります。

武器と言っても差し支えありません! 

住環境だって最悪です。

砂岩でできた掘っ立て小屋に比べれば、かつて住んでいた築二十五年のマンションは王侯貴族の宮殿でした。


 それからご飯。

まず過ぎです! 

僕は飽食の国ニッポンで生まれたんですよ。

寿司、天ぷら、すき焼きなんて贅沢は言いません! 

でもまともな塩すらないのは辛過ぎます。

あるのは日持ちのする麦や野菜や豆くらい。

ご馳走は食料となる魔物の肉でございます。

そんな魔物の肉だって火炎魔法であぶるだけの料理ですよ。

あれが料理? 

もう信じられない! 

ああ、ママンの唐揚げが懐かしい!


 ふう……、愚痴を言い出したら興奮してしまったよ。

このように新しい世界は問題ばかりなのだ。

でもね、いちばん大変なのは重力の呪いなんだ。

この呪いは月日を追うごとにひどくなっている。


 おんぶした子泣きじじいがゆっくりと成長していく感じと言えばわかってもらえるだろうか? 

成長とともに僕の体力も上がっているはずなんだけど、呪いの効果はさらに上をいっている。

最近では歩いただけで息が切れ、走るなんてとてもできないありさまだ。


 それでも僕にだって生活がある。

生きていくためにはご飯を食べなければならない。

ここに送られてくる囚人は街の地下に広がるダンジョンに潜り、魔結晶を採ってくる のが基本的な生活スタイルだ。


 魔結晶とは何かって? 

それは土中の魔素が結晶化したもので、魔導具や魔法薬の材料になるエネルギーの塊だ。

ダンジョンでは床や壁に露出していることが多い。

僕たち囚人はこの魔結晶を拾ってくるよう、エブラダ帝国に義務付けられている。

ダンジョンには危険な魔物がうようよいるけど、ストライキなんてもってのほかだ。

ほら、今日も監獄長のダミ声が拡声器から聞こえてきた。


《聞け、クズども! ここのところ魔結晶の採取率が下がっている。これもひとえにお前たちのなまけ心が原因だ! もっと気合を入れて採取に励め、わかったかあ!」》


 いまだって限界まで頑張っているというのに無茶を言いやがる。

でも監獄長グランダスには誰も逆らえない。

身長三メートルはある巨体の持ち主で、この収容所を牛耳っているのが奴である。

それに、ダンジョンから魔結晶を持ち帰らなければ今夜食べる物にさえ事欠くのだ。

というわけで、今日も僕はダンジョン入り口前の広場までやってきている。

これから僕はポーターとして魔結晶の採取に出かけるのだ。

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