第2話 結婚

 彩乃の父親に癌が見つかったのは、突然のことだった。見つかった時には末期で、もう手の尽くしようがないと医師に言われた。

「長くて半年だって…。」

母が泣きながら言う。彩乃も突然のことに言葉を失った。


 厳しい父親だった。学生時代には、

「お父さんなんか大嫌い!!」

と、家を飛び出したこともあったが、時間が経つと、父親の行ったことが正しいのだろうと、家に帰っていったのだった。


 父親が亡くなるということが、まだ現実のものとして考えられなかった頃、母が見合いを勧めてきた。

「なんで今なの?なんで、お父さんが大変な時に、お見合いなんてしなくちゃならないの?!」

彩乃は全力で断った。

 けれど母は静かに言った。

「彩乃の花嫁姿を、お父さんに見せてあげたいのよ。」

「…。」

彩乃は、それ以上何も言えなかった。


 そんな目的だったから、相手は誰でもよかった。相手には失礼極まりない話だけど。相手の人にも事情を話して、嫌だったら父親の死後、別れてくれて構わないので、という条件で受けて貰うことができた。

 彼は橋野隆二はしのりゅうじと言った。有名商社に努める、営業マンで、仕事の相談にも乗ってくれる、いい人だった。この人なら、結婚相手として申し分ないと彩乃は思っていた。


 隆二は積極的で、綾乃は、よく食事や飲みに誘われた。そこまで好きになったわけではないけれど、これから夫となる人だ。嫌な顔をするわけにはいかなかった。

 そのうち、体を求められた。特に好きで仕方なかったわけでもない相手だったが、夫になる人なのだから、と、受け入れた。



 森山祐也が結婚した。特に変わったことなく出勤している彼を見ると、結婚したなんて、微塵も感じさせなかった。

 ただ、左手薬指には真新しい指輪が光っていた。

 一方で、綾乃の左手の薬指にも小さなダイヤのついた指輪が光っていた。隆二がもっと大きなものでもいいのに、と言ったけれど、どうせ偽装結婚だ。無駄な金は使わせたくなかった。要らないと言ったけれど、形式的な物だから、と、渡された。なるべく小さい石にしてもらうという条件付きで。


「森山さんおめでとうございます!!」

「松下さん、婚約したんだ!いいなぁ〜。」

営業課は、祝福モードで溢れていた。祐也はともかく、綾乃は全然喜べるような状況じゃなかったのだけど。


「松下、お前、結婚したくないの?」

移動中の車内で祐也が彩乃に尋ねる。 

「なんでですか?そんなわけないじゃないですか。」

彩乃が引きつった笑いで答える。

「俺の勘違いだったらごめんな。松下が…なんとなく、本当に笑ってない気がして…。」

「…。」

彩乃は黙る。

「訳ありなんだな。」

彩乃は黙ったまま、外を向いてしまった。

「そっか…」

祐也もそれ以上聞かなかった。


 彩乃と隆二の結婚式は、身内だけで執り行われた。

「もっと大きな式にして、お友達も会社の人も呼んでもよかったのよ?」

母が言ったが、彩乃はそんな気分にはなれなかった。早く式が終わってくれたらいいと思っていた。


 車椅子に座って、二人の結婚を祝う父は、急激に痩せ、老け込んでいて、もう長くはないことを皆に報せていた。

「彩乃、彩乃、おめでとう。死ぬ前にお前の花嫁姿を見ることができるなんて、こんなに嬉しい事はない。」

「お父さん…」

父親の手を取り、彩乃は泣いてしまった。その涙に嘘はなかった。

「隆二君、彩乃を頼んだよ。」

隆二の手を取り、彩乃の手の上に重ねた。

「二人で幸せな家庭をな。」

彩乃は泣きながら頷いた。


 それから1ヶ月しないうちに、彩乃の父親はあっけなく亡くなってしまった。


 四十九日を過ぎ、落ち着いた頃、彩乃は母と相談して、隆二に話した。

「ありがとうございました。父も喜びました。形式だけの結婚になって、申しわけなく思ってますが、もうおしまいにしていただいても…」

「じゃあ、ちゃんと言わせて下さい。」

隆二は彩乃の言葉を遮るように言った。

「彩乃さん、僕と結婚してください。本当の意味で。」

母は喜びに涙している。彩乃が、ここでどうして断れただろうか。

「ありがとうございます。」

彩乃は、隆二の申し出を快く受けたのだった。

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