動かない探偵 不動無道

春木のん

富豪家における密室殺人

「さあ、役者はすべて揃いました、探偵さん」


 物腰柔らかな風貌から奏でられる、およそ声変わりとは無縁そうなアルトの響き。

 探偵の助手クンこと石原悟市いしはらさとしは、高校生ながら、多くの人がいる場を取り仕切ることを得意としていた。


 様々な美術品骨董品が並べられた、この大きく豪奢な部屋で亡くなった高齢の男は、富豪金男ふごう かねお

 彼は頭部の右側から血を流し、床の上に倒れていた。


 富豪家に住み込みで働いている、家政学の専門学校を卒業したばかりの皐月さつきメイ。

 彼女は昨日、夕食時になっても金男が部屋から出てこないことを不審に思い、金男の妻、富豪美代ふごう みよに知らせた。


 美代が持っている合鍵を使って皐月は、美代と、金男の秘書と共に、この部屋の施錠を解いて中に入った。

 そこで、金男を発見した。


 警察に通報したのは美代。彼女は元看護師である。

 金男を発見時すぐ救急車を呼ばなかったのは、金男がすでに絶命していることを美代が確認できたからだと、警察は言ってた。


 その後の鑑識課の調べで、金男の殺害時刻はおそらく昨日の午前9時から10時の間。死因は、頭部からの出血多量によるものと特定された。


「みなさん、お気づきですよね? もちろん探偵さんも、すぐに気がつきました。この部屋には、鍵がかけられていました。そしてこの部屋の窓はすべて、はめ殺しの窓です。窓には壊された形跡や、何かトリックが行われた形跡が無いことは、警察の鑑識課の方々が証明済みです。富豪金男さんが普段使っている鍵は、彼の近くにあったそうです。つまり、この部屋は密室でした。この事件は、密室殺人であると、探偵さんは断言しています」


「なあ、坊っちゃん。なんで私らは、ここに呼ばれたんです?」


 声を上げたのは、一人掛けのソファに座る高齢の貴婦人。

 金男の元妻、富豪ふごうリツ。

 リツは昨年、金男と離婚。名字を変えずに富豪の姓を名乗り続けているのは、50年近く使っていた姓を変えるのは不便という理由らしい。

 現在は金男が所有していたマンションの一室に住み、離婚時の財産分与を毎月受け取って生活していると、金男の秘書が証言していた。


「それはですね、マダム」


 リツをマダムと呼んで話しかけたのは、ダンディな雰囲気を醸す中年の背の高い男。

 彼は警察の人間である。


「この部屋の合鍵を持っていたのが、アナタたち四人だったからです。ですよね、探偵さん?」


 この部屋に集まった四人の中に、金男を殺した犯人がいるかもしれないと、探偵は確信していた。

 というわけで、犯人の脱走や新たな加害を未然に防ぐため、警察が同席している。

 先ほどのダンディな男性が、降旗ふるはた警部補。

 限りなく気配を消している中肉中背の男性は、後泉うしろいずみ巡査である。


「じゃあ、合鍵を持ってたうちら全員、金男ちゃんを殺したかもしれないっていうこと? ふざけんじゃないわよ! バカバカしいったらありゃしないわ!!」


 壁際に立った、中年の女が声をあげる。

 肩パッド入りの青いジャケットに、タイトなミニスカート。ソバージュがかった長い髪の毛を邪魔くさそうにかき上げる。

 彼女は金男の愛人、風野多仁映かぜの たにえ

 金男の殺害現場である、この部屋に呼ばれたことがかなり不快な様子で、部屋の入り口に近いところから奥へ進もうとしなかった。


「あんねえ、愛人っていうのは、パトロンにいーっぱいお金をもらって生きてるのよ。だから金男ちゃんには、いーっぱい長生きをしてもらいたかったの。それなのに……うちらが殺すわけないじゃない! あと警察の人にも話したけど、うちはその時間はオールで飲んでて、飲み仲間とクラブにいたわ。なのにここに呼ばれるなんて。ほんと、バカバカしいわね!!」


「あの……わたくしも、右に同じく、はい」


 おずおずと手を挙げて発言権を求めたのは、儚伊はかないほたる。

 黒い丸縁眼鏡の奥にある瞳は、大きくぼんやりしている。ふわふわしたボブショートヘアーにベージュ色のワンピースが、全体的に朧げな印象を与える。

 金男とは孫ほどの年齢差がある、2人目の愛人。

 多仁映とソーシャルディスタンスを保った距離で、同じく壁際に立っていた。


「わたくしは、金男さんにこの部屋の合鍵をいただいておりました……はい、確かに。しかしながら、たとえこの部屋が母屋から離れた場所にあったとしても、ここにひとりで訪れることはありません……はい、恐れ多くて」


「ほたるちゃん、そんなんでよく金男ちゃんの愛人やってたわよね?」


 多仁映が呆れたように肩をすくめる。


「わたくしは……はい、金男さんの愛人と申しましても、ただお金をもらっていただけに過ぎず。わたくしの芸術的な才能を、金男さんは高く買ってくださいまして……はい。油絵や陶芸といった作品の制作に必要な道具にかかる費用の出資を……はい。それはつまり正しい意味で、金男さんはわたくしのパトロンでいらっしゃいまして……はい。この部屋の合鍵をわたくしが持っているのも、この部屋にある美術品をいつでも好きなだけ観て勉強していいとのことでして……はい。あと昨日はわたくしは、個展の準備がありまして、朝8時から正午までアトリエの方と打ち合わせで……はい」


「まあまあ、よう喋る愛人たちだこと。ここには金男と50年連れ添った元妻と、ほんの数か月前にどこからともなくポッと現れた後妻さんもおるっていうのに。なあ、美代さん?」


 元妻のリツが愛人ふたりを黙らせ、美代に話を振った。


 金男の今の妻であった美代は、リツとコーヒーテーブルを挟んで向かいにある、一人掛けのソファに座っていた。

 美代は怪我をしたのか、右手に包帯が巻かれているのが袖口から見えた。


「奥様……」


 美代の斜め後ろに立つ、家政婦のメイが何かを告げようとする。

 しかし美代が左手を上げ、それを制した。


「もうよろしいんじゃないでしょうか。私が警察に電話した時から申し上げておりますように、私が犯人ということで」


「いいえ、富豪美代さん。それはありえません」


 部屋の真ん中にいる助手クンが、一歩、美代に近づいた。


「探偵さんは、助手であるボクを使ってしっかりと調べ上げています。富豪金男さんが殺害されたとされる時刻は、昨日の午前9時から10時の間。しかし昨日の午前8時半頃、富豪美代さんは母屋の階段で転倒し、右手を負傷……骨折されたそうですね、お大事にされてください……そのため富豪金男さんの秘書さんに運転してもらい、車で片道30分かかる整形外科医院を受診し、そこで治療を受けていました」


 ええええ、探偵はその情報が初耳で知らないんですけどおおおお?!?!

 助手クン、そういうことは探偵にちゃんと伝えようね???

 報連相、大事だよ!!!!


 さておき。

 自らが犯人だと供述するも、美代には完璧なアリバイがあった。


「奥様。警察の方でも、そのアリバイの裏を取っています」


 助手クンと同じく、降旗警部補も美代に一歩近づいた。


「アナタの持ち物にあった整形外科医院の診察券。診察時のカルテも、受付の防犯カメラにも、アナタがその場所にいたという明確な証拠があります。アナタは、金男さんを殺すことは、絶対にできない。なのになぜ、アナタは自らを犯人に仕立てあげようとするのでしょう?」


 うん、それな!

 降旗警部補、いい質問ですねえ!!


「それは……密室なんだから、そう、トリックを使ったのよ」


「そのトリックとは? 奥様、アナタは利き腕である右手を負傷されていました。この部屋を密室にするトリック、そして、アナタが病院で治療を受けている間に金男さんを殺害するトリック。この二つのトリックを、奥様、アナタひとりで実行できたのでしょうか?」


 降旗警部補はもう一歩、美代に近づいた。

 なぜか負けじと、助手クンも美代に二歩ほど近づいた。


「富豪美代さん。実は探偵さんは、一つ目のトリックをすでに解いています」


 え、そうなの?

 待って待って助手クン。

 探偵、そのトリック聞いてないし、解いていないんですけど???


「こう、この床の上で、富豪金男さんはうつ伏せに倒れていました。そして鍵は、そばに落ちていたと聞いています」


 助手クンは、金男が倒れていた時と同じ体勢で床にへばりついた。

 すると、あらかじめ助手クンから指示を受けていたのか、後泉巡査が段ボールを縛るときに使うようなビニール紐を持ってきて、倒れている助手クンの左肩に通した。


 って、警察を助手に使うの、マジやめようね、助手クン?!?


「探偵さんが考えた、密室のトリックはこうです。富豪金男さんの体のどこかにビニール紐を通します。それをこの部屋のドアまで伸ばしていきます。ドアの下には少し隙間があるので、ビニール紐を部屋の外に出して、ドアを閉めて、鍵をかけます」


 後泉巡査は助手クンの言う通り、ビニール紐を持ったまま部屋を出た。


「ここからは単純ですが、部屋の鍵をビニール紐で結びます。そしてビニール紐の片側を引っ張り、鍵を部屋の中に戻し入れます」


 しばらくすると、ビニール紐の途中で結ばれた鍵が、ドアの下を通って部屋の中を真っ直ぐ、倒れている助手クンに向かって進んできた。


「ここからは、勘と経験が頼りなところがあるだろうと、探偵さんはおっしゃっていたのですが」


 いや、探偵は言っていない。

 言っていないぞ、助手クン。


 鍵は、とうとう助手クンの左肩の上に乗った。

 そしてビニール紐が強く引っ張られたかと思うと、ピィンと音が鳴り、ビニール紐から解放された鍵が軽く宙を舞って、助手クンの近くに落ちた。


 その後はスルスルと、ビニール紐の片端がドアの外から現れ、倒れた助手クンの肩からビニール紐が外れて、スルスルと何事もなかったかのようにドアの外へと消えていった。


「このようにして、この部屋を密室にしたトリックは暴かれました。聡明な探偵さんの、名推理です」


 ポンポンと胸や膝を手で払いながら、聡明な助手クンが立ち上がる。

 部屋の外から後泉巡査が戻ってきて、ビニール紐を助手クンに渡した。


 だーかーらー、警察を、助手扱いしないよ、助手クンっ!!


「そして探偵さんは、更にこうおっしゃっております」


 はい、ここで再び。

\\探偵は言っていない!!!!//


「特殊なことがあるとすれば、それはこの鍵を結んでいた紐の結び方です。これはシベリアン・ヒッチと呼ばれる結び方です。このように、紐を鍵の下に通して、左右から出た紐を手前に揃えます。そして片側の紐でUの形を作ってから、紐を左から下を通って右へとぐるっと一回し。回してきた方の紐でUの形を作り、先ほどのUから出来た輪っかの中に入れます。紐の長さを調整すると、ビニール紐は鍵にしっかり結び付きました。しかしこのように、片方の紐を強く引っ張ると」


 ピィンと、先ほどと同じ音がして、何もついていない鍵が助手クンの足元に落ちた。


「この結び方を知らない人や慣れていない人が、人を殺して興奮している状態で、小さな鍵に結ぶことは極めて難しいと思います。ですが、例えば山岳部やキャンプのような、ロープを使う作業をしたことがある人であれば可能だろうと、探偵さんは推測したのです」


 うん。

 もういいや。

 ここから先は助手クンに任せるよ。


「最近の家政学では、家族でキャンプを行うことも想定して、キャンプの火起こしからテントの張り方まで学ぶそうですね……皐月メイさん」


 助手クンに名前を呼ばれたメイは、明らかに動揺した。


「わ、私は……」


「酷い冗談ですね、探偵さん。こんな小娘に、何ができるというのでしょう。もう推理なんて、おやめになってください。金男を殺した犯人は私です。早く私を捕まえてください、刑事さん」


「奥様! やっぱり、いけません、このような事になってしまっては……」


 淡々とした美代に相反して、せきを切ったようにメイは泣きながら崩れ落ちた。


「旦那様を殺したのは……私です。奥様が病院に出かけられた後、旦那様からこの部屋の掃除をするように言われ、入室したところ、背後から抱きつかれておたわむれを……私は恐ろしくて、咄嗟に近くにあった物で旦那様に抵抗を……」


 わあああああ! とメイの泣き声が部屋中に響き渡る。


「富豪美代さん。探偵さんは、この事件の謎をすべて解明しました……でも納得がいきません。あなたは、この事実を隠そうとするために、自らが犯人だとおっしゃっていたのですね?」


 後泉巡査が、メイに手錠をかけた。

 それを見つめていた美代は、フーッと長い息を吐いた。


「……50も年の離れたじじい手籠てごめにされかけて、抵抗して殺してしまっただなんて。そんなくそみたいな汚点を、メイの先の長い人生に残しちゃいけないでしょう?」


「そうかもしれません。しかし、殺人は殺人です。奥様、あなたは犯人の身代わりになろうとした隠避いんぴ罪に問われます。我々と共に、署にご同行を」


「ええ、結構です。お手柔らかに」


 降旗警部補が美代の左側に立ち、腕を差し出した。まるでダンスの誘いに乗るように、美代はその腕に掴まって、一人掛けのソファから立ち上がった。


「探偵さん、それじゃあ我々はお先に。今回も、名推理でした」


 降旗警部補が美代と部屋を出る際、探偵に微笑みかけた。


「本当に、今回も素晴らしい推理でしたね、探偵さん。ボクは探偵さんの助手で、とっても鼻が高いです!」


 助手クンが意気揚々と、笑顔で駆け寄ってくる。


 探偵は、この部屋に入ってからずっと入り口の近くの椅子に座って、口元で両手を握って一ミリも動かず一言も喋らずにいたのに。


 今日もまた、探偵は何もしないまま、事件は解決してしまった。


 まあ、いっか。


 探偵――僕は、両手をほどいて立ち上がり、締めの言葉を高らかに叫ぶ。


「これにて、一件落着!」




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動かない探偵 不動無道 春木のん @Haruki_Non

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