3話 国と信仰

 必死だったので、細かいことはあまり覚えていない。


 ヘドロのような、見たことも聞いたこともない断罪者コンダンナーから逃げた後。俊動エオーの効力が切れてもカカロを引きずって裁判刑務所に戻ったネスは、己の見たものを見たままに話してすぐ、勇喝イングも切れて倒れ込むようにその場で気を失った。


 次に目が覚めたのは、裁判刑務所の奥にある白一色に統一された医務治療室で、傍らには先に目覚めたカカロが椅子に腰かけていた。


「いや、何か……そんな時に寝ててごめんとしか言えんねやけど」


 事情を改めて話したネスに、カカロがばつ悪そうにうなだれて頭をかく。


 三つほど並んだ寝具の一番窓側、薬品のにおいが染みついたそこで上体を起こしたネスは、首を横に振りながら抑揚のない声を返すしかできなかった。


「カカロが謝ることはない。元はと言えば、怪我を負わせたのも俺のせいだ」


「ちゃうねん。オレ、何か今回やたら息切れしてたやろ。あれがそもそも……ネスに突っ込まれた通りやったっちゅーか」


 いつになく歯切れの悪い話し方をされ、ネスは小首をかしげてカカロを見た。


 カカロは内臓ごと零れ落ちそうなほどに深い溜息を吐いた。かと思えば、「あーっ」と何かを振り落とすように呻いて、その大きな両手で顔を覆う。


「……マイサー・フォルテの話が出て、動揺して……それ引きずったまま戦ってもぉた」


 ぽつりと、小さく告げられたのは、懺悔めいた反省だった。


「自分がダサすぎて引く……」


「それでも俺を助けてくれたお前がダサいなら、何もできずリューズとガイを見殺しにしてしまった俺は、たぶん生きてる価値がない」


「重い! 返しが重たい! わかった! オレはダサくないし、はっちゃめちゃに男前のままやから! そんな男前を助けてくれたお前も、そのまま生きてていいよ!」


 カカロは即座に弾かれたように顔を上げた。


 こんな時でも冗談が言える底抜けの明るさに、ネスは妙に安堵して肩の力を抜く。


「カカロ」


「何やねん」


「ミディアルはいたが……マイサー・フォルテはいなかった」


 恐らく気になったであろうことを、ネスは先に告げた。


 目を丸くしたカカロは、何か言葉を探すように口を開けた。かと思えば、そのまま妙に甘ったるい物でも含んだみたいに苦笑を浮かべて、息を吐く。


「……ミディアル・レジンのことは、よぉわからんけど。生きてたんなら、ネスは『相棒殺し』なんかやなかった、ってことやな」


「わからない。顔を見ても、何も思い出せなかった」


「ええやん、別に。次会った時に話聞けば、また何かわかるやろ。まあ……そのミディアル・レジンが、断罪者コンダンナーから逃げも戦いもせず、ただ傍観してたってのは気になるけど」


 ややこしさをかき混ぜるように頭をかくカカロに、ネスもあごを引いて首肯を返す。


「あんなヘドロみたいな断罪者コンダンナーも、聞いたことがなかった。甲虫型は通常、甲殻を破って中身を空気に晒せば駆除できると、以前教えてくれただろう」


「せやな。甲虫型の中身って、要するにオレらで言う内臓みたいなもんやから、内臓全部ぶちまけてる状態で駆除人食うって相当ヤバい気ぃするんやけど……オレもそんな断罪者コンダンナーがおるなんて聞いたことない」


 ううん、と腹痛に耐えるような呻きを漏らし、カカロは大きく天井を見上げた。


「刑務官は何か言うてた?」


「気を失う直前だったから曖昧だが、『何だそれ』みたいな顔をしていたのは覚えている」


「ほな、新種なんかな……また何か進化しよったんか、断罪者コンダンナーは」


「ヘドロ状のものをどうにかするルーンは、存在しないのか?」


 ネスは先の戦いと混乱を振り返り、己の知識不足を補って欲しくてカカロに訊ねた。


 が、カカロは投げやりに首を横に振る。


「オレが知ってるルーンは、もう全部お前に教え済みや。すまんけど、何も思いつかん」


 手詰まりに、ネスはそっと眉尻を下げた。手元に視線を落とし、溜息を零す。


「後でまた刑務官から聴取があるだろうから、駄目元で一度訊いてみる。以前のように、駆除人に神聖文字ルーンを指導するなんて以ての外だと断られそうだが」


「それか……めっちゃ嫌な態度取られるんを覚悟して、エクソシスト協会に行ってみるほうがいいかもしれへんな」


「エクソシスト協会?」


 記憶を失くしてからふた月、今まで耳にしたことのなかった単語にネスは首をかしげた。


「ルーンが元々悪魔祓いに使われてた神聖な文字で、主に聖職者が使ってるもんやっていう説明、ふた月前にしたのん覚えてる?」


 カカロが前傾姿勢になって顔を覗き込むので、目を瞬かせて「ああ」とうなずく。


「信仰心の強い人間に神気が宿り、その多くが聖職者になるという話だっただろう。断罪者コンダンナーを隔離する加護エオの結界も聖職者が施したもので、刑務官も聖職者の一人だと」


「面倒くさいから、前は説明端折っとったんやけどさ。刑務官って、実は聖職者の括りで言うたら割と下っ端くんなんよ、これが」


 驚いて、ネスは「そうなのか?」と小さく目を瞠った。


「そもそも、聖職者の中にはルーンを使われへん人間も存在してて、そういう人が修道士として地方で初等教育とか施してるんやけどさ。基本、刑務官も『修道士』の場合が多いねんよな。何でかってぇと、ルーンが使える『エクソシスト』って呼ばれる聖職者は、そもそも数が少なくて、刑務官なんかやらせてる場合ちゃうわって話になるからなんよ」


 この国で実質国を支えているのは、王ではなくエクソシスト達なのだとカカロは説いた。


 改めて言われてみれば、記憶のないネスにも確かに納得できる話だった。


 水道に冷蔵庫、竈や暖炉、照明装置や建築物基礎、果ては遠方への移動手段まで。この国には、生活導線の至るところに『神からの施し』としてルーンが活用されているからだ。


 それらは国中に普及しているが、整備は当然エクソシストにしかできない。そしてエクソシストは数が少なく、古代から悪魔祓いをはじめ、人への慈悲の精神をもって神に仕え、施しを行なってきた聖職者でもあるわけだから――……。


 多少優遇される特権階級であったとしても、エクソシストが国中の人々から尊敬されてしかるべき存在であることは、揺らぐわけもなかった。


「ルーンのことに話戻すけど。そういうわけで刑務官は、エクソシストからロザリオを授けられただけの修道士っていう場合が多いねんよ。まあ、この南部裁判刑務所には何人かエクソシスト司祭もおるっぽいけど……ぶっちゃけ所詮は司祭やから、ルーンの扱いも特別に上手いってわけじゃないんよな」


 カカロは巡らせている思考をなぞるように、立てた人差し指を顔の横でくるくる回した。


「正直オレは、刑務官よりネスのほうが神気強いと思ってるし、扱えるルーンも確実に多いと思うし、扱いそのものも上手いと思ってる」


「司祭……は、エクソシストの階級か?」


「そう。最上が教皇様で、この国に一人だけ。次が司教で、こいつらが実質聖職者を取り仕切ってる現場監督って感じかな。その下が司祭、候補生、って位階が分かれてるねん」


 隔離領域を作って加護エオの結界を維持し続けているのも、司教以上の上位階聖職者だ、とカカロは説明を重ねた。が、そのまま渋いものを口に入れたみたいな表情で唇を歪めて、


「せやからルーンのことで教えを乞うんやったら、絶対司教レベルのエクソシストに話を聞いたほうが早いし、確実やと思う」


 裏腹な言葉と表情に、ネスはこれまでの会話を脳内で反復してこめかみに手を触れた。


「……嫌な態度を取られる、と言っていたな。それは、俺達が駆除人だからか?」


「そらなぁ。悪魔祓いが本来の仕事っていう聖職者からしたら、悪魔と同格みたいな犯罪者代表の駆除人なんか、好きにはなられへんやろ。実際、駆除人ってネスを殴るようなクソみたいな奴が相当数おるやろ。一般的な駆除人のイメージって、基本あれやからな」


 身に染みる解説に、ネスは苦みを帯びた歪みを口の端に乗せた。


「まあ……仕方のない部分もあると思うが」


「いや、仕方なくはないからな。あと、武装ティールの水晶を支給してくれてるんも当然エクソシスト協会なわけやけど、洗礼ペオースの仕組みとか、そもそもの『一定以上の犯罪者を駆除人に』っていう仕組みとかを作ったんも協会やからな。一部の駆除人がエクソシストに反発するもんやから、余計に水と油っぽくなってる感もある気ぃするわ」


「そうか……そうだな。駆除人は結局、なるだけで遠回しな死刑宣告にも近いから」


「そう。オレみたいに『マイサー殺したいわあ』みたいな目的でも持ってない限り、それこそ殺人すら犯してない三ノ色、四ノ色程度の犯罪者なんかは、オレですら駆除人にされんの可哀相やなー、エクソシスト結構えげつないなーって思うようになったもんな」


 悪びれることなく言い切って、カカロは「んぐーっ」と腕を前に出して伸びをした。


「一般人から見てエクソシストが聖人君子に思えるんも、まぁ今も普通に理解できるけど」


「水と油でも、その司教位階のエクソシストに接見することは可能なのか?」


「正直、司教位階はどうかわからんけど、大聖堂勤めのエクソシストへの接見は、刑務官に申請しすれば普通にできるはずやで。水と油とは言うたけど、お国柄、駆除人になっても敬虔な信者っていう人間のほうがホンマは多いからな。それを見捨てるようなことは、さすがにエクソシストもせぇへんよ。それこそ聖職者なんやしな」


「……国に信仰が根付いているんだな。あまりそうは思っていなかったから、少し意外だ」


 ネスがこの二か月を振り返って視線を流すと、カカロは「はは」と困ったように笑う。


「駆除人やってたら感覚狂うでな。実は大陸一の神聖国なんやで、ここ。国民の九割五分が信仰心持ってるて言われてるし、肌感覚でもそんな感じするわ。それこそルーン使える人間が一定数おるんも、ええ証拠やで」


「他の国では使えないのか?」


「他の国ではっていうか、別にこの国の外でもルーンは使えるよ。ただ外国の人間の九割九分がルーン使われへんらしいっていうだけ。そんな神聖国で断罪者コンダンナーなんか生み出してしもてるんは、ガチでヤバいと思うけど」


 笑いながら手をはためかせた後、カカロはわずかに声を低めて付け加えた。


「……まあ、この国じゃなかったら、たぶん断罪者コンダンナーなんかとっくに戦争の道具に使われてるやろうから、その辺はさすが神聖国やとも思うけどな。実際、噂聞きつけて手ぇ出そうとしてくる国もあるらしいし。誤魔化してるらしいけど」


 思わず閉口すると、カカロは毒のない笑みを張り付けて「話めっちゃ逸れたわ」と、切り替えるように手のひらを軽快に叩き合わせた。


「で、どうする? 行ってみる? エクソシスト協会の支部がある、都市の協会大聖堂」


 その問いに、行かない、という選択肢はなかった。


 ネスはうなずいて、己の手のひらを見下ろした。両手とも軽く握り締め、もう一度開いて、体内を巡る神気の流れを意識する。


 信仰心、というものが、今のネスには正しく理解できていないかもしれない。


 ただ、使えるものは使うべきだ、と思う。


 だってそうすれば、ネスがカカロを――……。


「ほな早速、刑務官呼んで来よか」


「ああ」と首肯して、ネスは真っ直ぐ顔を上げた。

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