2話 犯罪と贖罪

 断罪者コンダンナーの隔離区域を囲う結界は、わずかに光を反射する薄い空気の幕のように見える。どちらの領域に立っても結界の内外が見え、仮に加護エオの幕が見えなかったとしても、その境目はいつも明確だった。


 結界の中、断罪者コンダンナーの領域は緑が少なく、廃れた空気に満ちている。


 対して結界の外側、人間が生きている地帯は草花も青々と茂り、空の青もよく映えた。


 とは言え、ここ数年、断罪者コンダンナーがいくらか駆除されたお陰で、結界内にも少しずつ植物が伸び始めている。隔離区域への出入りは、平野に突如そびえ立つかのような頑強な鉄扉を使うが、あと数年もすればこの鉄扉こそ違和感の最たるものとなり得るかもしれない。


 そうなればいい、と考えるでもなく思って、ネスは鉄が軋む音を聞きながら加護エオの扉が閉じられるのを見届けた。


「よく戻りました、ネス・バンテーラ。カカロ・ドゥーン」


 扉が閉まった直後、横手からかかった声にネスとカカロは揃って振り返った。


 鉄の壁と天井に囲われた、ダンスパーティーでも開けそうなほど広い空間。しかしその実、飾り気が皆無でパーティーに適さないことは一目瞭然の場所だ。壁に聖光シゲルのルーンが刻まれたランプが等間隔に並ぶだけで、他は模様ひとつない殺風景が広がっている。


 季節問わずいつも冷気が滞っている気がする、そんな屋内の一角に、床と同じ大理石で造られたカウンターがある。


 その内側で、気難しい顔つきの中年男が控え立っていた。


 黒の聖職服をまとう男は静かに目をしばたたくと、先と同じ淡々とした声で再び口を開いた。


「お二人の洗礼ペオースのルーンを確認します」


 言葉に従いカウンターに歩み寄った後、カカロが先に「ほい」と自身の腕を差し出した。手首の内側、巻かれた濃茶のバングルに、透明に近い薄灰色の石が留められている。その石の中央では、ゆるく洗礼ペオースのルーンが浮かんでいた。


「ご苦労様です、カカロ・ドゥーン。此度の駆除を経て、あなたの洗礼ペオースは二ノ色に薄まったことが確認されました。贖罪は為されたと見なされ、駆除人を辞めることも可能ですが、どうしますか?」


 何の感情も窺えない言葉を受けて、カカロは「ハ」と鼻で笑うようにあごを上げた。


「贖罪終えましたおめでとうございまーすって顔やないやろ。いくら品行方正の聖職刑務官様でも、もうちょっと愛想良くせんと駆除人に嫌われる一方やで」


「愛想良く勤めた結果、駆除人に舐められ傷を負った同業が東部にいますので」


「おいおい、裁判刑務所内で流血沙汰って、大丈夫なん?」


 豆鉄砲を食らったように目を丸くしたカカロを、男はあくまで冷めた目で一瞥した。「ご心配なく」とすげなく言い、首から下げたロザリオを胸元に掲げ持つ。


 ロザリオには、世に存在する三十種の神聖文字ルーン、それらすべてが刻まれている。聖職者しか持つことを許されない、最上の特権階級を示し護身もできる代物だ。


「我々に手が出された瞬間、洗礼ペオースを身に帯びた対象犯罪者には、このロザリオから大きな苦痛を伴う天罰が下されます。それでも態度を改めないようならば、ご存知の通り死刑囚と見なされ、断罪者コンダンナー駆除の囮として使われることになりますので」


 贖罪。犯罪者。裁判刑務所。言葉の通り、ネス達がいるのは罪を贖う場所だ。殺人、強盗、その他罪を犯した者が送られる場所。


 罪の有無をつまびらかにする洗礼ペオースは、身に帯びた者の罪や罪悪感の重さを定めて色分けする。無罪は透明に。罪を犯した者は薄灰から漆黒に。そして神聖文字ルーンに嘘は通用しない。


 有罪の色には十段階の濃さがあり、一ノ色は小さな嘘など、罪とも言えない罪の色だ。二ノ色は、些細な盗みや喧嘩など、罰金や反省で済む程度の罪。そこから先は、度を越えて人を、物を傷つけたり盗んだり、あるいは殺した者の罪の色となる。


 三ノ色以上の犯罪者は、定期的に、あるいは突発的に隔離区域に放り込まれて、断罪者コンダンナーの駆除人となるのが十余年前に定められた掟だ。一度洗礼ペオースのルーンを身に着けてしまえば、どこにいようと逃げられない。洗礼ペオースが聖職者に居場所を知らせ、抗えば抗うほど罪は重くなり、結局最後は断罪者コンダンナーの餌にされる立場に行きつくこととなる。


 生きとし生けるものを殺戮する存在が今も断罪者コンダンナーと呼ばれ続けるのは、とんだ皮肉だ。


 そしてそんな殺戮生物を創造し、今となっては指名手配され行方をくらませているマイサー・フォルテの目的が、結果として達成されていることもまた、皮肉だ。


「……ともかく、贖罪や反省を重ねれば洗礼ペオースは薄まります。神が贖罪をお認めになった証なのですから、カカロ・ドゥーン。あなたは死刑囚とは真逆に、釈放が許される身となりました。釈放を望まれるならば、この後で手続きを――」


「あっれぇ? そこにいるの、相棒殺しのネスじゃないか?」


 ずっとカカロの傍らで待機していたネスは、己を呼ぶ声に後ろを振り返った。


 見やれば、ネス達が入ってきた隔離区域とは反対側、街と繋がっている外側の扉から、三人の男女達が入ってきたところだった。それぞれ腕や首に洗礼ペオースの水晶をぶら下げている。召集を受け、これから隔離区域へ入れられる駆除人であることは間違いなかった。


 相棒殺し。物騒な呼び名に、ネスは表情を動かさず、ただ己の首に巻かれたチョーカー、その中央に埋め込まれている洗礼ペオースの水晶を指先で撫でた。


 鏡でも覗かない限り、己では色を確認できない。


 けれどもそれは二か月前、己の記憶が始まった瞬間から今もきっと変わることのない、


 ――漆黒だ。


「げっ、あんな洗礼ペオースの色、初めて見た。ねえ、あいつヤバいんじゃないの?」


 三人の内、唯一の女がネスの首元を見て嫌悪を隠さず、化粧の濃い顔をしかめた。


「何だ、お前知らないのか? 一見仰々しい漆黒の駆除人だけどな、あいつめっちゃ弱いんだぜ。見た目通り、もうヒョロッヒョロ」


「どんな重罪犯したのか知らないが、ただの薄気味悪い奴だよ」


 そう言う男二人の洗礼ペオースは恐らく五ノ色辺りだった。場合によっては、殺人くらい犯したことがあるのかもしれない。良くも悪くも肝が据わっているようだ。


 男達はネスの洗礼ペオースに怖気づく様子もなく、むしろ嘲笑するようにふんぞり返っていた。


「……すまない。覚えがないんだが、お前達は俺の知り合いか?」


 ネスはゆるく首をかしげ、抑揚のない声で問いかけた。着けっぱなしだった砂塵ゴーグルを外して太もものベルトに引っかける。


 相棒殺し。漆黒の駆除人。忌避や侮蔑を含んだ言葉だろうが、ネスに思うところはない。


 何しろネスには、今から二か月より前の記憶がない。挙句、裁判刑務所にも、ネスについてはろくな記録が残っていなかった。


 ただ十年前、ネスは十二歳の時に自ら駆除人を志願しに現れたという。何を問うても罪状は明かさず、それでもいざ、洗礼ペオースを身に帯びてみれば色は十段階中、最も濃い漆黒。


 漆黒は、それこそ無差別大量殺人などを犯さなければ浮かび上がらないほどの色だ。が、ネスが現れた近年、そういった犯罪は大都市でも地方でも起きておらず、仔細は謎のまま。


 しかしどんなに罪悪を感じ、仮に己の罪を勘違いしていたとしても、神聖文字ルーンに嘘偽りは通用しない。漆黒は、漆黒の罪。それ以上でもそれ以下でもなく、ネスは己の希望通り駆除人になったというのである。


 ——一体、自分は何の罪を犯したのだろう。


 何ひとつ覚えていない今は、いくら善行を行ない、断罪者コンダンナーを駆除しても、ネスは何も悔い改められず贖罪などできようはずもないのだった。


「はあ? てめぇなんかと知り合いなわけねーだろ」


 ネスの問いに、最も体格のいい男が底意地の悪そうな笑みで頬を歪めて前に出た。


「ただ、相棒殺しの駆除人様はちょうどいいサンドバッグになってくれるって噂があってよ。それが本当なら、俺らも世話になりてぇなあって思ってたんだよ」


 男の言葉に、先ほどまで苦い顔をしていた女が「へえ?」と興味深そうに男の背後からネスを覗き込んだ。そして傍らの細身の男も、それを肯定するように唇で大きく弧を描く。


「やっぱさあ。贖罪とは言え、こうもこき使われちゃ鬱憤も溜まるんでね。同じ駆除人なら、わかるだろ?」


 そのままネスの目の前に歩み寄ってきた男に、胸ぐらを掴まれる。


「別に……構わないが、お前の洗礼ペオースが濃くなるだけじゃないか」


「るっせぇ。大きなお世話——!」


 男が拳を握り振りかぶったのが見えて、ネスは舌を噛まないようにただ唇を引き結んだ。目を閉じて、体のどこかしらに来るであろう衝撃に構え、わずかに眉根を寄せる。


 ……ところがいつまで経っても、ネスが殴られることはなかった。


「アホくっさ。そんな暇持て余してる間に、さっさと駆除に行ってこいや」


 目を開けると、ネスの後ろから伸びていた褐色の腕が、正面の男の腕を捕えていた。音もなくギリギリと食い込む指が、掴む力の強さを雄弁に物語っている。


「何ッ、だ、てめぇ!」


「ネスの相棒でーす。現役でーす。胸くそ悪いんで、オッサンみたいな奴は嫌いでーす」


 首だけ回して振り仰げば、カカロは爽やかな満面の笑みを浮かべて男を見据えていた。


 あ、と思ったが止める暇もなく。


「嫌いなんで、殴りまーす」


 明るい言葉と共に、ぼぎ、とカカロが掴んでいる男の腕から酷く鈍い音が鳴り、ネス越しに飛んだ左拳が真っ直ぐ男の顔にめり込んでいった。


「な……っ!?」


 気を失った男の後ろで、残された男女が愕然と目を見開いている。


「刑務官さん、ごめーん。オレの洗礼ペオース、三ノ色に戻ったみたいなんで、まだ駆除人続けますねぇ」


 あまりにもあっけらかんと宣言したカカロに、終始冷めた目で見ていた聖職刑務官も、さすがに深々と溜息を吐いて額を押さえていた。

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