断罪者<コンダンナー>の駆除人

弓束しげる

一、 断罪者<コンダンナー>の駆除人

1話 ネスとカカロ

「よっしゃ、わかった! ガッツリ来いや!」


 凛々しいキメ顔で笑んだ二十代も半ばの青年が、無造作に転がった足元の瓦礫に腰かけ、大股を開きながら「アハン、カモーン」などと身をくねらせる。


 その様は、滑稽を越して一種の恐怖心を煽られた。


「カカロ、お前は……何というか、いつも元気だな」


 M字に開かれた男の股の正面に立つネス・バンテーラは、抑揚のない声で静かに、わずかに眉尻を下げながら答えた。


 澄んだ中低音が、風が吹き抜けるように廃屋に溶け消える。


 屋根が崩れ落ち、澄んだ青空が頭上いっぱいに広がる、煉瓦の壁だけが残る廃屋の一室。開放感がありつつも他にひと気のない、土埃のにおいしか残らない寂れた場所だからこそ、目の前の光景の異様さが際立っていた。


「ちょっ、待って。ガチでドン引きせんといて、心が抉られる!」


 カカロと呼ばれた男は、焦った様子で柳眉を上げて跳ねるように立ち上がった。反動で、背中でひとまとめにしている癖のない白銀の長髪が揺れる。


 陽光を受けた髪が、輝く小滝のようにきらめいた。


 健康的な褐色肌に、思慮深そうな切れ長の深緑の瞳が印象深い。簡素な黒のハイネックインナーと瑠璃紺のシャツに髪や瞳が映え、頭に上げた砂塵除けの武骨なゴーグルがお洒落にすら見える。黙っていれば男女関係なく振り向くような長身美形……なのだが、口を開けば快活な西都訛りでふざけたことを言う、それがカカロ・ドゥーンという青年だ。


 慣れてくれば次第にその後ろ姿が、きらめく小滝どころかメッキのスプーンに見えてくる程度には、少々残念な男である。


「カカロ。何がガッツリ来いなのかわからないが、俺はお前に不審なポーズを取ってくれと言いたかったわけじゃない」


「真顔やめて。いや、ネス大体いっつも真顔やけど、今は余計にやめて」


 カカロは頭半分ほど低いネスを見下ろしながら、苦みに歪んだ笑みを浮かべた。


 癖のない藍がかった黒髪、光の加減で緑にも見える樺茶の目。しなやかな筋肉を備えたカカロに比べれば貧相な色白の体に、簡素なプルオーバーと額に上げたゴーグル。いわく「色々ギリギリの迷子猫のよう」なネスの姿が、そう例えたカカロの瞳に映っている。


「オレはただ、お前が突拍子もなく神妙な顔で『カカロ、俺は経験がないんだ』とか言うからやな。それやったらこのお兄さんが広い懐で一肌脱いだろやんけ、て思て」


「それは要するに、お前の尻で童貞を捨てろと言いたいのか? 未経験の意味がそもそも違うが、俺は別に生涯童貞でもいいと思う。そもそも童貞かどうか知らないが」


「ノリでのボケに真剣に返すのはやったらあかんことです、しんどい! あと二十二にもなって人付き合いド下手くそなお前が非童貞やったら別の意味でもしんどい、マジで!?」


「知らない。すまない、その辺りの機微が俺には難しい。やはり記憶がないからだろうか」


 ネスが首を振って返すと、カカロは酸いものを口に入れられたように顔をしかめた。


 しんど、と再三重ねて言うのでやはり申し訳なくなって、何か気の利いたことをひとつや二つ返せるだろうかと考えかけた時、


 ぐう、と喉の奥で唸るような獣の声がネスの背後から聞こえた。


 瞬間、ネスは声と距離を取るように、そしてカカロは声のほうへ向かって地を蹴った。


 ネスは左人差し指の指輪に右手をかざし、体内に血脈のごとく流れる神気を注ぎ込んだ。指輪にはめられた水晶の中央で、上向きの矢印に似た形の、武装ティールのルーンが光を帯びる。


 手のひらに火をかざしたような熱を感じた時、ネスの手には光をかき集めて形作られた石弓が現れていた。振り返り様、照準を前方に合わせて背を壁につく。


 広く開けた視界の先で、カカロが太もものベルトに挿していた糸巻きの柄を抜き放った。ネスが指輪にしたのと同じく、そこに神気が込められる。柄に埋め込まれた水晶の武装ティールが輝き、やはり光で形作られた片刃の刀身が柄の先に生まれ出た。


 その直後。とっくに扉を失った歯抜けの部屋の入り口から、漆黒の毛で身を覆った人ほどの大きさの狼が現れた。


 狼が、瞬時に地を蹴った。対してカカロは上段から刀を振り下ろして迎撃する。


 しかし狼は紙一重で身を捻り一撃を避けると、カカロに向かって鋭い爪を薙いだ。


 そこへネスが光の弾を撃ち込んで、人の太ももほどもある太い前足に食らわせる。


 ギャンッ、と空気を裂くような声を上げて狼は後退した。


 かと思えば、次の瞬間その鼻先をネスに向け、近くにいたカカロを無視してネスのほうへ飛び掛かってくる。


「うぉわッ!? マジでか、ちょっと待たんかい!」


 慌てて腕を返したカカロの刀の切っ先が、狼の腹の薄皮一枚を裂く。同時にネスも再度弾を撃ち、狼の眉間を狙った。


 が、ネスの弾は当たらず、再び狼が大きく後退する。


「速いな、あの断罪者コンダンナー……これが獣型か」


 ネスは小さく口の中で呟いて、己の気を落ち着かせるように細く息を吐き出した。


 ——断罪者コンダンナー。今からわずか十余年前、この世界に生まれ出でた異形。偉大なる神聖文字ルーン研究家と謳われた、老師マイサー・フォルテが生み出したとされる世の異物だ。


 元々マイサーは、この世界に犯罪者が際限なく生まれ続けることを嘆く聖人だった、と伝えられている。ゆえに殺人など重罪を犯す者を裁き、同時に牽制するための存在として、一種の処刑道具となり得る断罪者コンダンナーを生み出そうとしていたらしい。


 しかし何をどうしたのか、いざマイサーが完成させたそれは。決して道具とは言えない、低いながらも知能を有し、本能のみで生きる制御不可能な殺戮生物となった。


 初めは数十しかいなかったとされる断罪者コンダンナーは、野に放たれた後、多くの人間や動植物を殺し、食い散らかし、恐れおののく早さで独自の進化を遂げて数を増やしていった。当時に壊滅した街や村は、総じて十数にも及んだという。


 もしもこの国に住まう聖職者達が、大規模な加護エオのルーンで広範囲に及ぶ結界を張り、断罪者コンダンナーを閉じ込める隔離区域を作ってくれていなければ。人の世は、その後に間もなく滅んでいたかもしれない。


 ――そして今、ネスとカカロがいる廃屋こそ。


 まさに隔離区域の中。かつて滅びた小さな街の一角にある、断罪者コンダンナーの棲み処だった。


「カカロ! 少し観察したい、任せても――」


 任せてもいいか、と。言いかけた瞬間、またも狼型の断罪者コンダンナーは、近くにいるカカロではなくネス目掛けて地を蹴った。


 一瞬で迫った巨躯に目を見開き、転がるように横へ避ける。とっさのことで足がもたついて、よろけて壁に肩を打ち付けた。


「えぇい、こん畜生め、面倒くっさいな!」


 跳ぶように距離を詰めたカカロが、断罪者コンダンナーからネスをかばうように立ち塞がる。


「ネス、五分しか持たんで!」


「充分だ! と思う」


「そこは言い切ってくれや!」


 左手に刀を持ち替えたカカロは、神気を溜めた指で虚空にアルファベットのMに似た形を描き出した。俊動エオー。一定時間、作用させた者に対し通常の倍ほどの俊敏さを与えるルーンだ。それに改めて手をかざせば、彼の足元から風が吹き上げるように光が浮く。


 次に地を蹴ったカカロは、それまでとは比べ物にならない速さで断罪者コンダンナーとの距離を詰めて刀を横薙ぎにした。元から動きが柔軟で身体能力が高いから、カカロが俊動エオーを使えば、それだけで相手を圧倒できる可能性も充分にある。


 が、断罪者コンダンナーはまた皮一枚でカカロの攻撃を避けてしまった。


 ネスは眉をひそめ、カカロの邪魔にならないよう後ろに下がって再び壁に背をついた。


 ……やはり初めてヽヽヽは戸惑う。


 断罪者コンダンナーに遭遇する直前、ネスがカカロに言いかけていたことだ。植物型、甲虫型、色々な断罪者コンダンナーが存在する中、ネスは記憶の限り未だ獣型と対峙した経験がなかった。


 植物型は核を燃やせばいい。甲虫型は甲殻を破り体液の大半を空気に触れさせればいい。そして獣型は、首を飛ばせばいい。そういった最低限の弱点だけは教わっていたが、実践するのは言葉ほど容易ではない。


 人並みでしかない動体視力を駆使して、息を詰めるように集中しながらカカロと断罪者コンダンナーの動きを追う。


 カカロが踏み込めば、同じタイミングで断罪者コンダンナーが退き、即座に爪や牙を向ける。カカロがそれを避けても間髪容れず追撃する様には、まだ余裕すらあるように見えた。口の端からダラダラと滴る涎は、まさにご馳走を目前にしている獣そのもので、身の毛がよだつ。


 歯噛みしたカカロが、刀で爪の軌道を逸らして反撃に転じる。断罪者コンダンナーの力が強いのか、それにはあまり重さが乗らず、当たっても切れずに叩きつけるような攻撃になるだろうことがネスの目にも見て取れた。


 駄目だ、あの隙は大きい。やられてしまう。


 寒気を感じ、ネスはとっさに援護しようと石弓を構えかけた。


 ところが次の瞬間、抱いた危惧とは裏腹の光景がネスの目の前で繰り広げられた。カカロが反撃に転じるより先に、まるで動きを読んだかのように断罪者コンダンナーが後ろに退いたのだ。


 わずかな違和感に、ネスは目をすがめて息を詰めた。


 断罪者コンダンナーの知能は低い。生きた物、特に人間を食いたい、という本能が通常先立つ。食うことを優先する存在のため、多少己の肉が削がれる程度の攻撃なら、気にせず飛び掛かってくるような個体しかネスは見たことがない。


 しかしあの個体は避けた。大した傷にもならないであろう、カカロの攻撃を。


「……っ、……!」


 わかった、と声を上げかけて、ネスは即座に言葉を呑み込んだ。


 唇を引き結び周囲を見回すと、斜向かいの壁際に乾きかけた木の実が転がっているのが目に入る。足音を可能な限り立てないように木の実の傍らに寄ると、Fの形に似た豊穣フェオのルーンを木の実に描き、手をかざす。


 ルーンが光を帯びた直後、めき、と軋むような音を立てて木の実が急速に成長した。見る見る、崩れた屋根を超すほどの木になっていく。


 断罪者コンダンナーが鼻先をこちらに向けたのを目の端で確認しながら、ネスは木の幹に足をかけた。


「カカロ、音だ! その断罪者コンダンナーは音で判断している! 恐らく目と鼻は機能していない!」


 叫んだ直後、可能な限り急いで木をよじ登ると、案の定断罪者コンダンナーは先ほどネスが叫びを上げた場所、既に誰もいなくなった木の根元に向かって飛び掛かり牙を剥いた。


 その隙があれば、充分だった。


 不敵に口の端を上げたカカロが、まだ効いている俊動エオーを駆使して跳躍する。壁に足をかけ、次いで煉瓦の隙間に指をかけると、軽々と本来屋根があったであろう場所に飛び乗ってから再び煉瓦を蹴った。


 靴底が煉瓦を擦る音がする。断罪者コンダンナーは、カカロが煉瓦を蹴った場所に鼻先を向けた。


 しかしその時、カカロ本人は既に断罪者コンダンナーの頭上で刀を振り上げていて、


「さすがネス。やっぱオレ、お前と一緒が一番戦いやすいわ」


 カカロがそう言った時には、断罪者コンダンナーの首と胴体は綺麗に切り離されていた。


 くすんだ廃屋の床に、断罪者コンダンナーの頭が勢い良く転がっていく。血は出ない。ただ切った箇所から小火ぼやがくすぶったような黒い煙が立ち上り、首も胴体も形が崩れていく。


「……俺もカカロと一緒だと助かる。俺はお前ほど身体能力が高くないから」


 答えながら、ネスはずりずりと幹に抱き着く形で木から滑り下りた。


「オレは逆に考えながら戦うとか苦手やから、適材適所やなあ。やっぱ相性最高やん」


 と、見かねたらしいカカロが、苦笑に呼気を震わせた。地を蹴り、ネスの脇腹をわし掴みにして軽々とネスを抱き上げると、そのまま自身の着地と共に床に下ろしてくれる。


 かと思いきや、そこで俊動エオーの効果が切れて、微妙に着地を損ねたカカロが足を滑らせた。


「んげっ」


 そんな呻きに巻き添えを食い、ネスも無言のまま一緒くたに体をかしがせる。


 ……せっかく無傷で駆除を終えたのに、二人揃って手足に擦り傷をこしらえてしまった。

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