九、すべては誤解の中から


 聳え立つアークテクチュアに囲まれ、独自の文化が華咲いたチャイナタウン。


 数日前の「違法賭博場一斉摘発騒ぎ」に色めき立ってはいたものの、今日の夕方に至っては、露天で丸焼きのダックを捌く料理人や、それを興味深そうに写真を撮影する観光客、そして狭い路地にも構わず机を広げて麻雀を始める老人などなど、チャイナタウンは人通りの多い、いつも通りの日常が広がっていた。


 そのキャナルストリート外れのそのまた外れ、T字交差点の一つに位置する小さな中華料理店、「高璘」〈コウリン〉の扉には、「定日休日」という看板が掛かっている。しかしヨーナスは今、店のカウンターに座りながら担々麺を食べていた。


 カウンターを挟んだ向かいにいるのは主人、ではなく彼の愛娘、杓高珊。事情聴取を済ませ、彼女は店に戻ってきた。手を組み合わせた親指には包帯を巻いている。


「うん、美味しい……! とっても美味しいですよ、高珊ちゃん」


「良かっタ。店の父にはまだまだと言われてるんですガ。」


 細い指を交わす少女の笑顔。その可愛らしさに胸がときめくと同時に、ついこの前にリング場にて闘っていた相手、ということを寸時に思い出すと、ヨーナスは素直に応じられなかった。その表情を読み取ったのか、少女も真顔になり、目を伏せる。


 しばらくの沈黙が続いた。ヨーナスは再び担々麺を口にしながら小さく訪ねる。


「林文棋は……その後はどうなったのですか」


「大量出血で一時期は危ない所でしたが、なんとか命を取り留めましタ……。当分動けない間はジュリアが面倒みてるとのコトでス…。今後についてハこれから二人デ決めるそうでスヨ」


「何ですって……、あのコンドルが!?」


「えエ……、私も驚きましタ。銃の使い手に、ましてやマフィアにそんな義理高い人がいたなんテ……私たチはなんて酷い思い込みをしていだのでしょウ」


 高珊は俯く。ヨーナスも気持ちは同じであった。


「結局、自分の推理も思い込みと勘違いのオンパレードだったですし……最早何も言えません。ちなみにこっちはですね、気の良い上司、ウェッブ殿がこの事態を深刻に受け止めてくれまして。今後NYPDの方で、クラパの一斉捜査をすることになったようです。ちなみに、ジョージさんもそれに参加する予定でいるようですよ」


 高珊は苦笑いをする。


「ええ、お察しの通りそれはもう、とてもやる気満々でいましたよ。私も誘われましたが遠慮させていただきました。貴女との約束もありましたしね」


 顔を逸らして笑いながら、ヨーナスはチャイティーを飲んだ。


「フフ、あんなにウェンチーが軽蔑していた憎っきジョージさンが、結局は師匠の敵を討つことになるなんて、複雑な話ですネ。やはり、銃は強い。とても強いものなんですネ」


 と、ヨーナスと共に笑いながらも寂しい目をする高珊。もし、ジョージがここにいたらその通りだと言うだろう。でも、私は違う、と、彼に言い聞かせるようにつぶやき、ヨーナスは眼鏡をかけ直して顔をあげた。


「でも、私は、貴女方の信念は全て間違っているワケではないと思いますよ」


 その言葉に高珊は声をあげる。


「確かに銃は向ける相手も、持つ人さえも単位になさしめる冷徹な暗い穴です。そういう前提の前では、義理やプライドなど何の意味もなさないものかもしれません」


 それでもと、ヨーナスは続けた。


「貴女のように、諦めないで貫き通す覚悟があるというのは、素晴らしいと思います。少なくとも、従うことに慣れてしまった私にとってはとても眩しく、羨ましかった。人間としての本質がそこにあったからなのかもしれませんね」


 ヨーナスは穏やかな瞳を細め、高珊を見つめる。瞬高珊は頬を染めるが、カウンターから身を乗り出しヨーナスに問うた。


「でも……! 私、それについて一日中考えてたんですけド……っ! 私たちがそれを諦めないように、ジョージさんのような人も銃を持つコトもやめないっていうのは、ただ元に戻るだけではないですカ!? それでは何の発展もない! ただの堂々巡りになってしまっただけじゃないですカ……!?」


 彼女があの時と同じように、震えた声でヨーナスを見る。


「そうだね、確かに。ジョージさんのように『純粋に』戦いに正しいも何もないと考えている人にとっては、通じない理論なのかもしれない」


「なラ……っ!」


「高珊ちゃん」


 困惑する高珊の声にヨーナスははっきりとした声で言う。決して穏やかではない、銃を持つ者としての覚悟を持った男の声に、高珊は三つ編みを揺らして寸時身を引いた。


「あのね。おそらく彼らの心を震わせることが出来るのは、私たちのような『殺す物を持つ』人じゃないんだと思うよ」


 高珊は息を呑んだ。


「それはもっと別の次元の、武器ではない何かを持つ『誰か』が、いつか教えてくれるものなんだろう。少なくとも私はそう思っている」


 だから、そこはもう割り切ってしまうしかないのだ。結局は、自分も行き着く先はジョージと同じだ。と、自嘲気味にヨーナスは口角を上げた。高珊はやがて目を伏せ、カウンターを見つめる。してゆっくり顔を上げヨーナスをもう一度見定めたかと思うと、今にも壊れそうな顔を保ち、微笑んだのだ。


 相容れぬ銃の使い手と向き合い、現実に応えようする瞳。今まで見た笑顔の中で一番美しいと、ヨーナスは思った。


「娘々(にゃんにゃーん)、こっちに餃子セット一つちょうだーい」


「う、うぐう……椴さん……」


 バツの悪そうな顔をしてヨーナスが後ろを向いた先には、テーブル席に座る椴とその向かいに座るミナがいた。二人ともヨーナスと違い、器用な手つきで箸を使ってラーメンを啜っている。


「はいはい! 餃子セットネ!」


 と、いつもの看板娘の調子に戻り、厨房に戻る高珊を残念そうに見送りながら、ヨーナスは悪態をついた。


「全く……。ここまで私の落とした写真を届けてくれたミナさんならともかくね、彼女を口説いていただけの椴さんまで、なんでココにいるんですか……」


「んだよ冷たいな。誘い誘われの仲だったじゃねぇかよ」


「またそんなことを言って……ってミナさん! そんな成程って顔で納得しないで! ミナさん!」


 慌てて否定をするヨーナスに、ミナはそうですかと応え、また箸を進めた。


「しかしヨーナスさん、この写真って一体何です? ここの中華料理店と何か関係が?」


 机の上にしわくちゃになった写真を押し広げ、ミナは尋ねた。


「ああ、はい。あまり詳しくは話せませんが、彼女の双子の兄と父の写真なんですよ。どうです。彼、高珊さんと顔がそっくりじゃないですか」


「そっくり?」


椴とミナは同時に写真を見る。そして、厨房で餃子を作る高珊を一、二回見るとヨーナスの方へ向き二人同時に言った。


「「何言ってるの、全然違うじゃない」」


「ええーっ!?」


 ヨーナスは写真を取り上げ凝視した。


「いや、似てますよ! 結構似てますよ!」


「違う違う。全然違う。どっからどう見ても赤の他人だよね、これは」


「ええ、全く似てません」


 椴とミナは高珊を写真を交互に見ながら、念を押すように言った。


「ええー…違うんですか~…?」


 妙に納得のいかない様子のヨーナス。ミナはそれを見て、また如何にもといったように頷いた。



「成程……。これはヨーナスさんが間違えてしまったのも無理ないのかもしれませんね」


「は? どういうこと?」


 ヨーナスとともに椴も首を傾げる。


「あのですね。ヨーナスさんのようなアジア圏以外の人は、大抵アジア人の顔をきちんと見分けることができないんですよ。NYPDの刑事もアジア人を追跡調査するときは、そこら辺に歩いているアジア人にチップ渡して、写真と同一人物か確認させるのはよくあるじゃないですか。え、知らなかったんですか? ヨーナスさん」


「う、うぐう……知り、ませんでした……」


「へえーどうりでね。俺もなんか心当たりが一つやつあると思ったら……」


 嗚呼、と、心の中で叫びながら、ヨーナスはテーブルに肘を付いて顔を覆った。改めて自分は調査権のないただの巡査なのだと思い知らされた。


「じゃぁ、文棋が言ったという、双子の妹ってどういうことだよ……誰なんですか……?」

 

 手の中で小さく呟いた言葉に、今度は高珊が答えた。


「双子の妹?」


「そうですよ。貴女のことじゃないんですか」


 高珊はそこで高らかに笑った。


「確かに、私は林文棋の妹弟子ではありますがネ!『この通り』血は繋がってませんヨ! 双子の妹はあの大麗、小麗姉妹のコトですヨ? 文棋が失踪した後、親戚筋の隣が引き取ったから名字は違っているんですけどネ」


「あああああ! 双子ってそういうコトだったのかああああ」


 ヨーナスは今度はカウンター席にて俯いた。


「あア、確か。あノ日私と最初に会ったトキに、ジョージさん、私を文棋と間違えてましたよネ。色々バタバタしてたので忘れてましたガ」


「そうだよ! あのときに文棋とは別人だってはっきり言ってくれれば、賭場に行くまであんな複雑な思いをしなかったのに!」


「へ? 私あのトキ、言いましたヨ。ちゃんト」


「言ってないよ!せいぜい、ぶつくさ中国語で呟いてたことくらいしか言ってないよ!」


 すると、高珊はああと思い出したように口に手を添えた。


「すみませン。私、慌てるト、英語言ったつもりで母国語喋っちゃうコト、よくあるものデ」


「へえ……? な、なんだあ、そういうことだった訳え……?」


 脱力するヨーナスの後ろで、「わかっるうーっ!それ、俺もよくやるわ!」

と、椴が笑う。笑顔で答えた高珊は両手にスープが注がれた餃子のお盆を抱え、カウンターを回った。


「はーイ。餃子セット、お待ちネー!」


「わあ、美味しそう」


 と、手を合わせながらミナが喜ぶ。一方で、丈の短い赤い満州服が似合う高珊を見見上げながら、ミナは餃子に口をつけつつ、憮然としてヨーナスに言った。


「でも、ヨーナスさん酷いですね。顔の見分けがつけないのはともかくとしても、こんな可愛い女の子を、男と思い込むなんていくら何でも、見る目なさすぎですよ」


「い、いやそれはですね……」


途端、ヨーナスは口をごもらせミナの視線から避ける。その横で高珊が前屈みになって「日本人の方ハ」と、醤油を椴の前に置いたとき、今度は椴が成程と言った顔をした。


「はーん、そういうことかあ」


 目を細め鼻をのばし、にやにやと笑う椴を不思議そうに眺めるミナと高珊。


「ちょっと。椴さん」


 ヨーナスが諫めようとするその前に、椴は答えを言った。


「隠さずに言ってごらんなよディンゴ君。あるもないも同じ胸だったから、男だって疑っちゃってさ!」


「シャア……?」


「ちょ、高珊さん、私何も言ってな―」


 言い終わる前に、高珊の平手打ちが頬に直撃した。赤く痺れる頬を抑えるヨーナスを、高珊は一度きっと睨みつけて立ち去った。


「ちょっと椴さん! ダメじゃないですか! 今のは貴方が殴られるべきでしたよっ!」


 と、椴へ怒るミナに気づかれぬよう、ヨーナスは口元をゆっくりと上げていた。


「いてててて……高珊さん。怒るときもシャアって……猫みたいに可愛いなあ……」


 しかし、それが中国語で言う「ぶっ殺す」という意味だと知るのは、それからずっと後のことであった。




〈終〉

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GUNMAN GEORGE 根井 @nenoi_9696

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