七、チャイナタウンでの素人推理
路地を右に曲がった二人は、人混みの多い大通りに出た。
先ほどのドンパチ騒ぎに駆けつけ、とり囲む野次馬を押しのけ、縦に並んで豪華絢爛豪華な中国語の看板の下を真っ直ぐに歩いていく。そうして前を歩く高身長の、白い満州服を着たジョージの姿は、自然と多くの人の目を惹いていた。
「ジョージさん、以上のことを考えると、段々彼女が事件の犯人だって思えなくなってきましたよ。ジョージさんだって、本当は気付いているんでしょう?」
やがて、精悍な顔つきで歩くジョージの後ろから、ヨーナスが声をかけた。
「あの時、撃たれた隙を見て私を突き飛ばしたのは攻撃的だからじゃない。どちらかというと怯える仔鼠がその場から逃げ出すような……そんな感じでした。そんな子が自らジョージさんを襲うような、仮面の男と同じだというのでしょうか」
「演技だったかもしんねえだろ」
ジョージは背中を向けたまま、そっけなく答えた。
「根拠はまだありますよ。ジョージさん右」
二人は更に、自動車も走る通りを抜けて曲がる。
「貴方が仮面の男と闘って肩に負傷させた日がおとといの夜。私が彼女と初めて店に訪れたのはその次の日の夕方です。肩まで出したセミチャイナドレスからは治療中の様子もえぐられたような傷跡も全く見えませんでした。これはやはり同一人物ではないという証拠にはなりませんか。」
ジョージは歩きながら振り向いた。
「あぁ!? お前があいつと会った日って俺が闘った日の後かよ!」
「ええ、私も貴方の話を聞いてようやく気づいたんですよ」
「それでも俺は認めねぇぞ。顔は俺も見たが、確かにこの林文棋とそっくりだっ
たし、前もそれで最初はあいつを疑ってたじゃねえか」
「えぇ、でも彼女はもしかしたら、貴方が言った林文棋の双子の『妹』の方、なのかもしれませんよ。左」
自動車に銃を突きつけ止まらせて、二人は道路を大股で渡った。
「さあ、どうかな。顔がそっくりな男女の双子ってのは殆どありえねえ話なんだろ。偽名を使って女装した本人、って可能性もなくはねえ」
ヨーナスは後ろで唇を噛んだ。それを否定する余地をヨーナスは持ち合わせていなかったのだ。それどころか裏付ける心当たりもあった。
「それに仮面の男と別人なら何故あんとき、それは自分じゃないと言わなかったんだ。怯える奴ほどああいうのは自ら叫んで言うもんだろ」
ヨーナスは更に、何も言えなかった。
「まぁ、それもそれとして俺が気になんのはその手口だな。俺や他の奴らに対しては、銃に手をかける間こそは与えてくれたのに、ジュリアに対してはドアを開けた瞬間にぐさりだ。不意打ちだったんだ。この違いが偉い気に食わねえ」
ジョージは
けっと唾をはく。
「普通に推理するなら、ジュリアさんの時だけは、別人であったということでしょうか。」
「んならジュリアを襲ったのはあの双子の妹っつう可能性は高いな、女同士だし。」
「それは決めつけすぎでしょう。まだ別人だって決まったわけではないですし、もしかしたら、ジュリアさん本人に特別な恨みがあっての行動ではないのですか?」
「別人っつったのはテメーの方だろうが! なら奴はなんで、ジュリアを狙い本当に関わった奴らは全く無視しやがる?」
「そういえば……、それを考えると彼にしろ彼女にしろその行動はおかしいものでありますね……。まさか、もしかして仮面の男イコール林文棋、ということ自体、間違いだったのでは? 男というのも、私たちの思い込みだったのではないですか?」
「あ? ならあの小娘は、林とは関係のない赤の他人だっていうのか? ならなんで顔が似てる? それこそなんで弁明しない?」
「うぐ……そうでした……。もーっ、何が何だか分からなくなりました! 実は二人はクローンでした!? とか?」
「ははっ、ははっははっはは」
ジョージの声は笑っていなかった。
「むう……なら……やはり、ジュリアさんが何かしらの嘘をついたってことに……」
「それはねぇよ」
それにジョージは、きっぱりと言い捨てた。一方でヨーナスは肩を竦める。
「さあ、どうだか。なにしろマフィアの言うことですからねえ……」
と、ヨーナスの呟きにジョージは下ろした右手に持つ黄金銃をくるりと回し、銃口を向けた。
「てめえ、これ以上言ったら――、」
「ジョージさん、左」
ヨーナスのかけ声に曲がらなければ、そのまま突き当たりにぶつかるところだった。調子を崩されたジョージは舌打ちしつつ、そばにあるゴミ袋を蹴り飛ばす。路地裏に至った道は先ほどの大路地とうってかわり、非常に狭く、暗い。
大路地に面する料理店の裏は複雑に絡み合う小さな住宅が集まる構造となっており、そこには一体何が潜んでいるか分からない、不気味で静寂な世界が広がっていた。暗い路地を歩く中、溝鼠がジョージの足元を駆け抜ける。
「たっく、きったねえところだなぁ!ま、俺にゃお似合いかもしれねぇが」
自嘲気味なのか否か、ジョージは嗤った。
「どうだヨーナス、何が共有して真相を掴める、だ。話せば話すほど訳が分からなくなっていくだけじゃねーの」
確かにそうだ。ヨーナスは俯いた。
結局、お互いの手がかりが互いを否定し合う形となっていって、真実が見えることなどなかった。
仮面の犯人は果たして、林文棋(リン ウェンチー)か、杓高珊(シャク コウシャン)か。
二人は別人か、同一人物か。
二つの事件は同じものなのか、二人が起こしたものなのか、それとも別々の事件が偶然重なり合ったものなのか。
異なる二つの事件の出方は、別の事件だからこそか、それともジュリアの嘘の証言なのか。
そして――、目的は復讐か、愉快か。
手がかりはすべて掴んだはずだった。しかし、犯人の正体も目的も、あらゆる方向へ可能性が散らばっていくだけで、確証を持つ物は一つもない。
この不可思議な現象に、ヨーナスは指を顎につけて考える。一体どこで自分は間違っているというのだろうか。
そして、それを探る次の手はもうすぐ目の前にあることに、思わず声をあげた。
「ジョージさん、彼女が動きを止めました。近いです」
ヨーナスの声にジョージは後ろ手で携帯を奪い、画面を見る。
「近いな」
二人は共に走り出した。行き着いた先はチャイナタウンの南、ストリートのはずれにある路地裏の突き当たりだ。路地の間に高いゲージがかかっており、手前には似たような容姿を持つ見張り番と見られるいかつい男が二人いた――、が、二人とも地面に転がってのびている。
「なんだあ?」
ジョージが一人の胸倉を掴んでみると、顎と喉にひどい痣が浮かび上がっているのが見えた。
「倍の高さのある男に顎蹴りをして、すぐに喉元を潰したってことか、こりゃあ相当実用的だな」
と、ジョージは男を地面に無造作に落とした。
「こっちは目蓋に痣です。目潰ししようとしてたんですね、これは……」
一方で、ヨーナスは丁寧に彼を元のところ下ろす。その様子にジョージはやれやれと首を振った。
そうして、錆びた鉄の擦れる音を響かせながらゲージを抜けると、突き当たりの壁にあるのは扉のない入り口。「闘賭場」と書かれた貼り紙が釘で突き刺さっている。地響きのような観客の歓声が、やがて開く先にある、二手の通路から聞こえていった。
「まあ、どっちにしろ、奴を追いかけなあ、まだ“真相”ってのは分からねぇってことか」
「そうですね。さて、どういう結末になるのやら」
やがて砂利を踏む音を立て、二人は立ち並んだ。
「俺は左だ」
「私は右で」
「どちらかがヤツを見つけたら、銃でも何でもぶっ放して騒ぎを起こせ。それを聞きつけ一方がそこに駆けつける、良いな?」
「了解。無茶はしないで下さいよ」
「俺に無茶なことはねえ」
黄金銃とGLOCK18、かつて向かい合い、闘った物同士は今、同じ敵に向かい、共に主人の動きに従い並んで弾を装填する。同時に響いた鉄の音を聞きながら、ジョージは一言尋ねる。
「おい、ついでに聞きてえ。お前、あのとき『けじめをつけろ』っつったのは、どういうことだ」
ヨーナスは両手にGLOCK18を持ちながら笑った。
「へえ、もうすでにどうでもいいと思っていたのかと」
「これ以上茶化したらコレはてめえに向ける。無駄口叩かずさっさと答えろ」
「それは勘弁勘弁」
と、言いながら、ヨーナスはジョージを見た。
「私はですね、ジョージさん。けじめをつけろと言ったのは、貴方が元マフィアであることから、と、言ったわけではないんです。いえ、むしろその逆です」
「逆」
黄金銃を両手に掲げ、ジョージもヨーナスを見た。
「貴方はもうマフィアじゃない。『警察官』なんです。だから、そんな簡単にマフィアと連絡をとるような立場じゃなくなってしまっていることを、分かってもらいたかったんですよ」
曇りのない黒い瞳でヨーナスは蒼い瞳を見定める。
「だから、これからは『警察官』ジョージとして、相応しい行動をとってほしいんです。その黄金銃も、NY市民のためにあるということも自覚してほしいのです」
と、ヨーナスがギルデットを見ながら腫れた頬を上げて微笑んだとき、ジョージは一度目を見開かせると、それを隠すように顔を背け、そそくさと左へ行ってしまう。
そんな彼の背中を見守りながら、ヨーナスはもう一度小さく笑うと――、メガネをかけ直し、足を右の方へ向けて走った。
***
そこは胸糞が悪いところだった。ヨーナスは部屋の隅に身を潜めながら、ざわめく客たちを睨んだ。
彼が右に行った先は、挑戦者たちの控え室や、両替所、治療室、用途の分からない牢室などがあり、突き当たりは二階までふきぬけの闘儲場であった。
中央のリングで繰り広げられる闘いは、ならず者たちがルールもなく血だらけになって戦う粗野なもので、それを見る古今東西の観客たちも、狂ったかのように彼らの動作一つに盛大に笑ったり、怒ったりしている。
彼らが更に盛り上がったのは、敗者たちへの罰ゲームだった。四肢の引き回し、犬に噛みつかせる。石投げの刑など非人道極まりないもの。一体何が面白いのかと、ヨーナスは眉を顰めるが、悲鳴があがる度に客の歓声が沸き上がる。それがヨーナスにとって、実に耳障りだった。
「悪趣味すぎる!」
眼鏡の奥から軽蔑の眼差しで、蠢く彼らを一瞥した。拷問による叫び声が響くたびに、GLOCK18を持って駆け出したくなる衝動を歯を食いしばって押さえつつ、かれこれ一時間も待ち続けている。
「すべて片付いたら全員逮捕してやる、全員だ……!」
そうして、ヨーナスが意気込んで腕を組むと――、リング場を取り囲む渡り廊下に、一際小柄の彼女を見つけた。
「いた……!」
手すりを握り、高見を見下ろす彼女はキョロキョロと三つ編み振り回して、誰かを探しているようだ。急いで階段を駆け上り、彼女に近付き手をかけようとする。
が、そのとき――、高い銃声が響いた。
「な……!?」
ヨーナスは眉を顰め、壁の方を向いた。
「ジョージさん!?」
何故だ。彼女は今、この目の前にいるというのに。疑いつつもギルデット銃声は続く。ではやはり、彼女は仮面の〈奴〉とは別人だったというのだろうか――、そう思った矢先、彼女は銃声の瞬間に手すりを飛び越え、リング場へ着地して走ってしまった。観客たちは興奮で異変には気づかない。ヨーナスも慌てて飛び降りて追いかける。
「待って! 待ってよ! 君はそっちへ行ってはだめだ!」
ヨーナスの呼びかけに答えず、少女は無言で赤いカーペットを走り抜く。入り口を通り過ぎた先の部屋は、ジョージが向かったリング場があった。扉を叩き開き、少女と後からついたヨーナスが見たのは、リング場の中に銃を持って立つジョージだ。そして、同じように向かい合っているのは、蒼い満州服を着た仮面の〈男〉。
「ウェンチーッ!」
少女が彼の名を口にした。
「あ……! 行っちゃだめだ、高珊ちゃん!」
少女はリング台に手をつき仮面の男に向かって涙声で叫んだ。ヨーナスは彼女に駆け寄り止めようとするも後ろ回り蹴りで攻撃される。
「おおわっ!」
蹴りを腕で受け止め後ずさるも、続けてきた柳葉刀の攻撃に二丁のグロック18のスライドで一つ、二つと受け止め、足を狙った攻撃から逃げるようにリング場へ飛び上がった。少女もそれに続き一回転してリング場の上に立つ。
こうしてついに、四人がリングの上で対峙するに至った。
「遅い」
ジョージが横目でヨーナスを睨む。
「すみません……っ」
「そうか。お前カ、NYPDのディンゴって奴ハ」
少女のかけ声にも応じなかった仮面の〈男〉――、林文棋がそこで口を開いた。横につく高珊と背丈は全く変わりはなかったが、声は彼女と似ても似つかぬ、しっかりとした男性の声だ。
「さあ役者は揃ったぜ? 良かったろ林(リン)。これで精一杯腕をふるえるってもんだ」
ジョージが野卑に笑い、銃を握る。それに反応して林も柳葉刀を縦に構える。
「待って下さい! 闘う以外に道はないことは、ないでしょう!」
ヨーナスがGLOCK18をレッグホルスターに仕舞い、手ぶらのまま二人の前に立ちはだかる。
「邪魔をするナディンゴ。さもなくば私はお前も斬ル」
「ああ、出来るものならやってみな! でもこっちはその前に、貴方に聞きたいことが幾つもあるんでね!」
ヨーナスも負けじと声を張り上げた。
「一連の事件はすべて貴方の仕業で間違いないか! 林(リン)!」
「あァ」
「ウェンチー…! やっぱり貴方ガ…!?」
隣に構える少女が顔をひきつらせる。
(なんだ、彼女は知らなかったのか?)
ヨーナスは首を一瞬傾け、眉をぎゅっと顰めた。
「噂で聞きつけた時はすぐ貴方だと思わっタ……! どうして! なんでこんなコトを!?」
「お前には関係ナイ」
「……っ、そういう訳にはいかないでショ?!」
彼女の怒声にも文棋は応じる様子がない。ヨーナスはこの状況を頭の中で整理していく。
「林文棋……。貴方は今、四年前の殴り込み事件で被害を受けた父親の復讐としてこんなことをしている、と思われている。そうして今、私たちは貴方を追っているのですが……」
「だからなんダ」
ヨーナスは、林のそっけない態度に眉を下げ、俯いた。それは、ある一つの推理を思いついたことに対するもの。一か八か。ヨーナスはその推理に展開をまかせることに決めた。
「……真槌を突かれても、その反応なのですか?」
突然嗤うような拍子で、声を下げる。ヨーナスは掲げていた両手を下し、文棋を見ていった。
「成程。今までの反応ですべて分かりましたよ。やはり嘘だったんですね、復讐なんて」
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