六、犯人は一体どっち?それとも……

 時間は午後10時25分。誰もいないチャイナタウンストリートはずれの料理店前にて。店のシャッターを閉める少女がいる。上白い下布を着こなす蒼い満州服の少女は、シャッターの鍵をポケットにしまい、夜道を歩き出そうとしていたところであった。


「待って」


 呼び止められた声に振り向けば、巡査服の警官が一人、白い息を挙げながら少女の前に立っている。


「ヨーナス……サン?」


 突然の訪問客に少女は戸惑いつつも、その名を呼ぶ。


「あらら、結構早くまた来てくれたんですネ。でも、この通り、今日はもう閉店デ……」


「そのためじゃない。今日は君を止めにきたんだ」


 少女は目を見開く。


「何の話でス?」


「とぼけなくてもいい。私はもう何もかも分かっているんだ、君がこれからやろうとしていることを」


 その真面目な声色に、少女の顔は微笑から真顔になった。


「なるホド。やはり貴方、ただのお客さんではなかったのですネ」


「知っていたのですか?」


「えエ。貴方、あの剣舞を褒めたとき、私のこと名前で呼んだデショ。私も父も、残った客も、双子の姉妹もあの日、私の名前を貴方の前では言ってまセン」


 成程、あのとき目を見開いたのは、それに驚いたからなのか――、少女の鋭さにヨーナスは眉を顰めた。


「そうか、なら話は早いさ。高珊ちゃん。何が理由か知らないがもう、これ以上こんな事をするのはやめてくれ。これは自分の仲間のためじゃない、なによりも君のためを思って言っているんだ」


 そんなヨーナスの思い虚しく、高珊は持っていた二つの柳葉刀を前に出し、身体を縦にしてゆっくりと翳し、構える。


「すみまセン、ヨーナスサン。いくら貴方といえどモ、この思いを邪魔するのは許せませン」


「やめろ! 私は貴女とは戦いたくはない!」


 ヨーナスは声を荒げながら、ホルスターにかける手を震わせた。


「聞いてくれ。もうじき猟犬の方が貴女の元にやってくる。彼と絶対に戦ってはだめだ。彼は私と違って、女の子だろうが関係なく本気で潰しにかかってくるよ! 私が先に来たことを幸いだと思って行くんだ! それを言うために私は来た! 君と戦うためじゃなんかじゃない!」


「ふ、何を今さラ」


 少女は地面を踏みつける。その有無を言わさない覇気にヨーナスはぐっと、歯を喰縛りながら、その状況に戸惑う。素早く隙のない業をこなす少女との白兵戦。抵抗と同時に、彼女の実技にGLOCK18で応戦できるのかという不安にも駆られ、ヨーナスは動けなかった。


 鋭い感性を持つ少女は、自信ありげに口角をあげると、「私からいきますよ」と、突然甲高い声と共に、一方の柳葉刀を素早く回転させた。


「くっ!」


その素早い動きに目を奪われ、後ずさるヨーナスの隙を狙い、一直線に彼の腕めがけて、もう一つの柳葉刀を突き立てられる。


「やばいっ……! 斬られる……!」


 覚悟を決し、腕を前に構え目を瞑るヨーナス。が、その次に彼が聞いたのは、銃声と少女の悲鳴だった。


「いやあああああ!」


 目を開けば、血が流れた親指を片手で押さえる高珊が蹲っているではないか。


「高珊ちゃん!!」


 駆け寄ろうとしたが脇から殺気を感じ、素早くGLOCK18をそちら側に突きつけた。


「おいおい、ヨーナス。またあン時みたいに俺にそれを構えるか? ん?」


 小馬鹿にしたような男の声。暗闇から現れたのは、金の満州服に身を包んだジョージである。右手に黄金銃を持ち、歩きながらヨーナスの前に構える。


 何としてでも避けたい状況に陥ってしまったと、ヨーナスはああと、上ずった声をあげ顔を歪ませた。


「ジョージさん、それ何のためのコスプれ……、いえ、ジョージさん。貴方がこう思ったより早く追い付いてしまうとは……残念です。」


「ああ、あの後アレクサンドルからお前のことを聞いてな、すぐに」


 ジョージはにやりと笑い、蹲る少女の方へ視線を移した。


「やあ、little girl(お嬢ちゃん?) 俺の45ACPの味はどうだ?」


「くっ……銃使いガ……! 卑怯者メ……!」


 痛みに目が攪乱し青ざめる少女の前に黄金樹を突きつけ、高見から見下すその様は正に弱者を虐げる強者の優越感そのものであった。それにヨーナスは激しい嫌悪感を覚え、ジョージに向けるGLOCK18のグリップを更に強く握りしめた。


「ジョージさん。ダメです。これ以上、彼女を撃ってはいけません」


 低い声で諭すヨーナスに、ジョージは再びにやりと笑う。


「ふっ。助けてやったのに、それがお前の礼儀かよ」


「ええ。しかし、それとこれとは別の話です。相手は子どもです。卑怯ですよ;


 すると、ジョージの目つきが途端に鋭くなった。


「ほざけ。こいつはあのコンドルの腕を、その刀で台無しにした張本人だ。そんなヤツに、そこまで構う必要がどこにあるってんだよ」


「コンドル!? もしかしてあの、『クラパのコンドル』と呼ばれたジュリアのことですか!?」


 汗をかき、ぼんやりとした目でヨーナスを見る少女を、ヨーナスはちらりと見て、ジョージの方へと再び顔を向く。


「んだよ知らなかったのか、お前」


「ええ……。しかし、高珊ちゃんは、連続襲撃犯なのでは? 私はジョージさんもウェッブ殿から頼まれて、その一連で襲われたのかと思ってたのですが……」


「あ? なんなんだその事件は」


「え。」


「え?」


 お互い拍子抜けした瞬間、ヨーナスは条件反射で少女に覆い被さった。ジョージも咄嗟に素早く構え直すも、GLOCK18をつけられたままでいる。


「おいおいおい、どういうことだおい。お前、俺の写真を見てコイツだと思って走ったんだろ? なんだ、その襲撃事件ってまさかコイツ、そっちにまで手エつけてたのか?」 


 ジョージが銃口の向こうで怪訝な顔をする。


「まあそれはいい。しっかしなあ、林文棋。てめーそんな女装してまでして潜んでたとは知らなかったぜ。なるほど、どうりで見つからなかったワケだ」



「え……女装?」


 ヨーナスも、彼の中でうずくまる少女も目を開けた。


「ヨーナス、そこをどけ。俺はコイツが警察に引き渡される前に、さっきの礼と落とし前をつけてえんだ」


 やがて開いた左手で、ジョージはしっしとヨーナスに退くように促す。しかし、ヨーナスはそれでも彼女(彼?)を渡すわけにはいかないと思った。


 自分の中で小刻みに震え、中国語をぶつくさと話す小さく細い身体を持つ者にヨーナスはどうしても、ジョージに引き渡す気がおきなかったのだ。そして、目を瞑り、汗をかく。それから見開いたヨーナスの目には、光が無くなっていた。


「……落とし前をつけるべきなのは、貴方の方じゃないのですか」


 ヨーナスが次に出した言葉は、ジョージに対する牽制だった。


「黙って聞いてみれば、ジュリアだのどうの、それは今だマフィアとコンタクト取り合っているというではありませんか。どういうことですか、ジョージさん。もういい加減けじめをつけてくださいよ」


「あんだって?」


 ジョージがその言葉に眉を顰め、犬歯をのぞかせる。


「マフィアとの絡みで、少女を撃つとは実に嘆かわしいことではありませんか。ましてや、腐れ縁のマフィア共のためになどと・・・・・。」


 落ち着いた言葉の中に含む、ヨーナスのマフィアに対する侮蔑の態度がジョージの逆鱗に触れた。


「てんめええええええェーッ!!もう一度言ってみやがれ―ッ!!!」


 目をひん剥き、眉間に皺を一点に寄せた形相で、ジョージはギルデットを撃つ。何発も何発も、少女を抱きしめ、かばうヨーナスの背中に撃ちつけた。発砲音以外の音が聞こえない状態が数秒続き、けぶる煙硝の中ジョージは息を荒げながら、黄金銃を下す。


 するとその時、少女は突然、ヨーナスの胸に何回も素早い小突きをくらわせた。その勢いに離れたヨーナスから逃れ、店のへりに飛び手をつき宙返りして屋根に登ったのである。


「あ、こら、待て!」


 怒りに我を忘れていたジョージは弾切れなのにも構わず、彼女に銃口を向け引き金を引く。が、当たるはずもなく黄金銃が軽い音を立てると共に、少女はそのまま屋根伝いに逃げてしまった。


「ああああ、くっそおおお! やっちまったあああ!」


 煙硝が舞う店の前には、夜空を睨んで咆哮をあげるジョージと、横倒れになっているヨーナスの二人だけが残る。やがてヨーナスはむくりと上半身だけを起き上がらせた。


「いてててててて……念のためと思って、背中をケプラー繊維にしてもらってよかったです……」


 と、その時、ジョージは振り返るヨーナスの顎を蹴り上げた。仰向けに倒れたヨーナスに馬乗りになり、胸倉をつかんでは、彼の顔を殴り飛ばす。


「まだまだまだまだぁーっ!てめーが余計なことべらべら喋ったせいで取り逃したぞこの野郎! メガネの分際で俺のこと好き勝手に言いやがってーッ! てめえー、天にまします我らがエボバ様に、そのクソの詰まった脳みそと口で何も言えたもんじゃねえだろがーッ!」


 意味の繋がらない怒声をぶちまけながら、何度も交互にヨーナスの顔を殴るジョージに、ヨーナスは呻きながらもその拳を腕を振って突き飛ばす。も、その隙間からいまだ鉄拳が襲い掛かる。その狭間で必死にヨーナスは大声をあげた。


「ぐはっ、やめてください! やめ……っ! ぐはあ……! まだ、彼女を……! 追い駆ける手筈は、ありますっ……てえ!」


「ああ!?」


 更に強く殴ろうと振り上げた拳が止まる。それに割れたメガネをかけ直し、腫れ上がった紫色の頬を押さえながら、ヨーナスは唇から糸筋の血を垂らして声を張り上げた。


「私だって、ただ彼女を可愛そうと思って駆け寄ったわけではありませんよ! 抱きしめた際、GPS機能を持つチップを背中に張り付けておきましたんですから!」


「ん、だってえ!?」


 自分に八つ当たりをさせ、その隙に高珊を逃す。――この一連の流れこそが、ヨーナスの目的であったことも知らず、目を見開き素直に喜ぶジョージを見ながらヨーナスは深いため息をついた。


「さっきまでブチ切れていたのに、調子の良いことを……」


 と、その様子を恨めしく思いながら、ヨーナスは取り出したスマホ画面を確認した。


「ああ……どうやら今、彼女はチャイナタウンの料理店の屋根伝いを跳び乗って移動しているようです。見るからにとても器用に渡ってますね。さすがは彼女、と言った所でしょうか。」


「だったら、とにかくさっさと行こうぜ! そこらへんからバイクでもかっさらってくる!」


 と、路地を見渡すジョージにヨーナスは彼の肩に手を置いた。


「いえ、待ってください。ここは歩いていきましょう」


「は、なぜ!?」


「屋根伝いにわたっているので、いつ細い路地に飛び移るか分からないじゃないですか。子どもの足です。私たちのスピードなら追い付けないことはないと思います。と同時に……」


 言い終わる前に走り出すジョージを呼び止め、痣だらけでも精悍な顔つきでヨーナスは言った。


「追いかけている間に共有するのです、お互いの情報を。そうすれば、このちぐはぐな『2つ』の『柳葉刀』事件の真相が、見えてくるはずでしょうから」

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