四、果たして彼女は

 ウェッブとのやりとり思い出しながら、ヨーナスはコンクリートの壁に貼り付けられた、剥がれかけの中華風ポスターを眺めていた。やがてそこから、彼女の円満の笑みを窺うと、ヨーナスはその少女が、とても柳葉刀の使い手には思えなかった。彼女はその、可愛らしい容姿を除けば、細見で小柄な、ごくごく普通の少女だったのだ。



 父の呼びかけに「はぁい」と、軽やかに応じた少女は、茶色い丸盆に大きな椀をのせゆらりと揺らめきながら、こちらに近付いてくる。その手の震えようから見てもとても、武術を習得しているようには見えない繊細な身体つきだ。


「シーフードラーメン……おまたせしましタ……っ!」


「あ、ああ! ごめんね! 私のだったか!」


 慌ててお盆を持つヨーナス。少女の手と重ね合わせてテーブルの上に置く。すると、ラーメンの湯気で白くなった視界に、ヨーナスは「うわ」と、声をあげた。


「すみまセン! 良かったらコレ……!」


 彼女が差し出したのは、テーブルの上に置いてあったトイレットペーパー。ヨーナスそれを引きちぎり、眼鏡を拭いた。


「ありがとう」


 眼鏡をとり、彼女に感謝したヨーナスは、ぼんやりとした視界の中で、少女が口に手をつき驚いている様子を見上げた。


「お客サン……眼鏡あると、ないとで結構印象が違いマスね……」


 その後、急いで手を振り、失礼なことを言ったワケではないと弁明する彼女に、ヨーナスは笑いながら眼鏡をかけ直す。


「ええ。よく言われます。でもコンタクトはどうにも相性が悪くてですね」


 そう答えながらヨーナスは不器用に箸をつける。絡まる麺を噛み解く中、麺が吸い取った出汁の味や、弾力のある丸エビやキャベツの風味が口内で広がるのを堪能した。可憐な看板娘だけでなく、味もいいんだココは。と、ヨーナスは高燐の繁盛を思い直すことにした。



「そういうモノですカ? 私は逆に、メガネがあると宙返りは動きづらくテ大変ネ」


 一方、隣に立つ少女の言葉にヨーナスはスープをすすりながらぴくりと片眉をあげる。


「宙返り? 料理店の店員にそこまでする必要が?」


 彼女はあっと困ったようにまた手を口に当てた。


(なんだ、失言だったのか?)


 と、更に問い詰めようした時、店の奥にある両扉が大きな音を立てて開いた。



「「高珊姐姐(姉ちゃん)! 今から演武やってよ! 演武!」」


「そうそう! もう店じまいも近いしからいいでしょ! やってよ!」


 扉に小さなを手をつき現れたのは、坊主頭の双子だった。お揃いで光沢のある満州服の寝間着姿に身を包み、共に目を輝かせる様はまるで鏡合わせである。


 しかしその二人の声に反応したのは、父親の怒声であった。


「コラ! 店仕舞いっつてもまだ客はいるんだゾ! 仕事の邪魔をさせるんじゃないネ!」


 予想をしていなかったお叱りに一人は小さな肩をびくと震わせ、もう一人は口をぽかんと開ける。すぐ横にいた常連客がなだめる様子を見る限り、なにも知らないただの客というのはヨーナスだけであったようだ。


「あ、ああ。いいですよ親父さん。この子たちの好きにしてあげて下さい」


 穏やかに話すヨーナスを少女は見る。突然のことに戸惑っている黒い瞳に、ヨーナスは優しく微笑んだ。


「可愛らしい子ですね。弟ですか?」


「イエ、隣近所に住む『姉妹』でス。あぁもう、全く馬鹿なことしテ……!」


 わあんと泣き出した一人に少女は駆け寄った。店に泣き声が響かぬよう少女が双子の背中を押して扉の向こうへ戻す中、開く扉から見えるコンクリートに囲まれた中庭に、ヨーナスは興味を示す。


「へえ、店の奥が扉と通じて、中庭につながってるんだ……他では見ない構造だなあ……」


 これからそこで、姉妹たちの言う「演武」でもするのだろうか。そちらにも興味が向いて椅子からそこを覗き込むと、向かいの常連客が、切れ長の目を目尻の皺と合わせて細める。それからヨーナスに示すように扉に指をさした。中国語は聞き取れなかったが、興味があるなら行ってみればと、言っているようだ。


「お客サン! 見に行きたいなら食べきるのが先ネ!」


 と、厨房の煙の中から父の怒声に慌てた声をあげて、ヨーナスはそそくさとラーメンに手をつけることにしたのだった。やがて、扉の向こうから子どもたちのはしゃぐ声が聞こえた。残りのスープを飲み干したヨーナスは、早足に扉の先へと向かう。


 扉手前のスペースは、店のタイルと違うコンクリートの段差と隔たれ、店とは区別されており、右手には木の扉。おそらくバスルームであろう。一方、左手にはコンクリートに突き刺さった釘にかけてある、色鮮やかな装飾品との間に梯子があった。


「どこにつながってるんだろコレ……」


 と、木製の梯子に手をかけるも、そこで再び親父の大声が響く。


「その先は娘の部屋になるネ! 何!? お客サン見たいカ!?」


「えええっ!? い、いいえっ! まっさかあ!」


 慌てて手を引っ込めながらヨーナスは、前の扉を開けることにしたのであった。


 さて、白濁色の硝子に唐草彫刻がはめ込まれた扉を開くと、先ほどの中庭の様子が一気に広がる。それは、四方をコンクリートに囲まれただけのスペースだった。どの面も家の裏面であるのか、勝手口や窓がついており、左の窓から奥の窓へと、曇天の空に原色の洗濯物が列をなす。中庭の中央には枯れた井戸があり、そしてその右手にある茶色いアンティークチェアーには、先ほどの双子が座っていた。


「あ、哥哥(お兄ちゃん)も姐の演武見にきたの!?」


「あ、うん。まぁね。」


「哥哥もこっちに座ろうよ!」


 と、小さい手をつき、小さなお尻を動かしながら一人分のスペースを開ける仕草にヨーナスは思わず微笑んでしまった。


「ありがとう」


 それに肖り、ゆっくりとそこに腰を下ろす。そして彼女たちに穏やかに話しかけた。


「お姉さんは演武が出来るんだってね。中国人みんなが出来るってワケじゃないからさ、そんなに意識してなかったけど……」


「姐姐は出来る人の中でも格別に強いよ! 僕もいつか姐姐みたいなカンフー使いになるんだ!」


「だから今日寝る前に、型を見ておさらいしようとしたトコロなの!」


 意気揚々と同時に語る双子の勢いに戸惑いつつ、ヨーナスはまだそのことについては信じられていなかった。


「あ、姐姐が来た!」


 双子の笑顔と共に前を向けば、剥がれた赤い木枠に囲まれた勝手口から、少女が出てくる。先ほどの丈の短い満州服とはうってかわり、下布もしっかり履いた出で立ちで歩く姿。そして色も深紅から――、


「蒼い満州服に……だと……!?」


 ヨーナスの心臓が鉛のように重くなった。手には赤い彩を付けた柳葉刀を腰にか掲げている。ヨーナスが想像していた犯人像が今、目の前にいた。


「あ、お客サンも来てくれたんですカ?」


 大きい瞳がぱちりと瞬いた時、ヨーナスは震えた声で、「はい」と答えた。


「恥ずかしいですネ。あまり人様に見せられるものではありませんガ…これから『峨眉剣』をしようと思っていまス」


「峨眉剣……? カンフーじゃないんですか?」


「カンフーにも色々あるんだよ!」


 脇にいる双子が答えた。


「そうですネ。貴方が想像するカンフーの形も砲拳、柔拳、玄武拳、と様々な種類がありマス。私がやるのは道具を使うタイプ、柳葉刀で演武する『峨眉剣』でス。」


 と、少女は説明しながら二つの柳葉刀を横にして、ヨーナスの前に突き出した。柳葉刀の鋭さを示すシャリンといった鋼の音に、思わずレッグホルスターに手をかけてしまいそうであった。


「いや、まさか。子どもがいる前で、そんな」


 と、なんとかその右手を押し留める中、高珊はふっと、その心境を察する様に笑った。


「でワ、始めますね。しっかり見ててネ。小麗(シャオリー)、大麗(ダイリー)」


「「うん!」」


 双子のかけ声に、もう一度微笑んだ少女は中庭の中央、噴水前に直立し、ゆっくりと息をはいた。そこから脚を広げ、向かって右から左へとの柳葉刀を斜めに薙ぎ払う。続いて、逆方向へ右の柳葉刀を振り回す。そこでそのまま柳葉刀の面を空に水平構えてザッと正面へ横振り。


 そしてもう一回、今度は右足を擦って足を揃え屈伸し、立ち上がる勢いで左足をあげて腕を交差しつつ、ざっと両腕を広げ着地の間際に左右に刀を振った。


 その伸びやかで、息継ぎのしっかりした動作を見るだけで、彼女がしっかり軟体運動をしているのだと、ヨーナスは経験からしてすぐ分かった。


「けど、なんかゆっくりだなあ……」


と、思った瞬間――、彼女がはいっと声をあげると、軽身を生かして高く飛び上がると共に、その着地で突然、素早い動きを始めたのだ。


「……!?」

 

 右足を前に出し、柳葉刀を八の字のごとく大仰に振り回しヨーナスの手前で回転させる。そのすぐに持ち替え胴にそって回転させ、後ろ手に回し突き抜く。息をつく間に後ろ足を軸にし、右膝を上げる時にも柳葉刀を股の間で回転させる。


「すごい……! 全然刃が身体に刺さってない!」


 と、ヨーナスが息つく間にも、少女は優雅に回りながら横蹴りをくるくる身を回しながら二、三回空中に喰らわした。それに呼応して靡く蒼い満州服、激しい動きをする彼女の周りに柳葉刀が素早く回る。それにヨーナスは感嘆と共に、一つの確信を募らせる。


 びよんびよんと柳葉刀の音を鳴らし突き進めた後、後図だったかと思いきや、噴水から扉へと大きく助走し地面高く回転した。一回転の間にも柳葉刀をくるくると振り回す。二回転した寸で、片手で地面をつき一度這いつくばったと同時に後ろへ一回転、そこから開いた両足を股まで地面について柳葉刀を脇の下から背中、と回転しながら移し替える。


 そして全脚のまま地面から跳ねて着地、十字に2つの柳葉刀を振ってフィニッシュ。最後、巻き上げられた木の葉を柳葉刀で真っ二つにに斬り捨てて、彼女はピタリと刀をかざし、静止した。


「す、すごい高珊さん! すごすぎます!」


 子どもが声を出す前にヨーナスが立ち上がって大きな拍手をした。ヨーナスの反応に彼女は一度大きく目を見開くが、すぐに顔をほころばせ、


「あ、ありがとございまス」


と、笑った。そこにはなぜか苦みがあった。


「高珊姐姐! それ普通の型と全然ちがうよー!」


「そんな難しいのできっこないじゃーん!」


 一方でヨーナスに続き、双子が拍手しながらも不服そうに声をあげる。


「今日はお客サンいるからネ。なんとなくいつもよりちょっとアレンジしてみちゃっタ」


「ちょっと!?」


 驚き、動くことを忘れたヨーナス。そうして今だ脚にしがみつく双子を連れ、ベンチの横にある勝手口の方へ押し込んだ少女は、ヨーナスに駆け寄り彼を見上げた。


「しかし、本当にすごかったですね。最初はそういうの、出来ないだろうと思ってたのに」


 彼女は小さな肩をあげて「ふふふ」と、笑った。


「よく言われまス」


 と、ヨーナスがさっき言った事を返した。


「父がいざ料理で稼げないときにってことで、近所の老師から教わってたんですよ。そしたら父より、側で見よう見真似していた私の方が、素質ガ良かったそうデ……それで……」


「そうだったんですか」


「それニ、その老師から教えてもらっタ、柳葉刀の流儀とイウモノに感動しテ、柳葉刀使いになろうと思いましてネ」


 と、警官であるヨーナスを見上げて、高珊は興奮気味に腕を掴んでつらつらと述べた。


「あくまで、刀ハ、武器じゃないデスカ。だからコソ、それを扱う者にハそれなりの技術や覚悟ガ必須になるンです。実ハ、柳葉刀は自分のタメに使ってハいけないもの、と強く言われルものなのデス」


 ヨーナスはその言葉に、目を見張った。


「身体を鍛え、心を鍛えるためものでデアル、と。それを辛さヲ乗り越えられた者こそが、柳葉刀ノ、武器の使い手として完成する『人間の理想的な姿に最も近イ』のであるのだト。だから私タチは効率的な銃を『あえて』使わないのデス。それヲ誇りに思ウことこそが、私タチ柳葉刀使イの真骨頂なのデス」


「ええ……!?」


 市民のために銃を持つヨーナスにとって、その理論はあまりにも意外で、そして眩しく感じられた。それは、共感の中に潜む圧倒的な「違い」に対してでもあった。その背景に、銃とは違う柳葉刀の世界を知る。


「それは、素晴らしい、ですね……」


「ハイ、私もそうなれるように日々頑張っていまス」


 ゆっくりと銀の刃先を撫でる高珊の満足げな瞳に、別の意味でいたたまれなさを感じて、ヨーナスはそっと目をそらした。


「……そう言えば、アメリカに来て久しいのですか?」


 その代わりに出たものは、その戸惑いを隠すとりとめのない言葉。


「えエ、四年前ニ。カンフーの技術を保つ運動と、お店の手伝いで英語の勉強まだまだデス」


「そんな事ありません、上手ですよ」


「ありがとうございまス。ヨーナスさんが、わざわざゆっくり話しかけてくれるから助かりましタ」


 気付いてたんだ。と、苦笑するヨーナスに少女は目を細めた。その繊細な表情にヨーナスの胸が高鳴る。


「また……、来てくれますカ」


 そっと、差し出された手をヨーナスは優しく握った。自分の手の中で彼女の細い指が重なり合うと、胸が苦しくなっていった。その手がどうか、互いの獲物を持ち向かい合うことがないように、切に思いながらヨーナスは握る力を強めると、

「ええ、きっと」と、目を伏せた。


 しかし、そこで浮上された、杓高珊への疑惑。一方で、彼と同じく犯人を追い求めるジョージも、新たな展開にめぐり合わせていた。

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