二、唐突な犯人確定

2、犯人確定


 NYセントラルパークに面する、とある病院の14階。


 真っ白な個人病棟で、黒服の無口なボディーガードたちに囲まれる中で、女、ジュリア・アモローソは疼く左腕の痛みに耐えながら、ベッドに横たわっていた。


 汗をかいたまま、流し目に見たのは新緑に芽吹く公園だ。


 ふとその美しさに心を安らげたそのとき、地面が響いたような音がしたかと思うと、入り口ドアの向こう側で幾つもの銃声が聞こえた。


 向こうで構えていたであろうボディーガードたちが殴られ突き飛ばされる鈍音、同時に聞こえる男たちの呻き声。閉ざされたドア一枚を隔てた騒動が、息つく間もなく収まったと思いきや、病室のドアがまるで薄っぺらいベニヤ板と錯覚する程、勢いよく蹴飛ばされる。


 そして、がら空きになった病室の前に長い脚を突き出し、現れたのは、ジュリアにとって忘れられない一人の男。


「ジョージッ!」


「コンドル! どういうことだあ、これはあ!」


 懐かしい甲高い声が、ジュリアの耳に心地良く響く。「きゃっ」と、わざとらしく声を上げ、痛む両腕を耳につめながらジュリアは嬉しそうに笑った。硝煙の中からドカドカと迫ってくるジョージを、ジュリアはベッドの中から愛おしく眺めた。


 高い背丈、変わらない長い手足にくびれと見紛う位細く絞った腰、その腰の両側に揺れる悪趣味な黄金銃、そして今、黄金の針のような前髪の隙間から間近に見える、端正な顔立ち。蒼い瞳はジュリアがかつて愛したサマーブルーの輝きを放っている。



あの時の頃と変わらないと、ジュリアは思った。彼が今、漆黒の巡査服を着ていることを除けば――、


「やめてくれよジョージ。あたしはもうコンドルじゃぁないんだ。ジュリアって呼んでくれ。」


「んだよコンドル。らしくねぇこと言うな。」


 ジュリアと呼べと言ったのに真っ先にコンドルと呼ぶジョージの態度に、そこも変わらないねえと、目を伏せてまた笑う。


「やめな、あんたら。コイツがあの噂の元テストのバウンド様さ」


 侵入者に殺気立ち銃を構えるボディーガードたちを、ジュリアは微笑でもって答える。バウンド(猟犬)という言葉に、ボディーガードたちの背中に戦慄が走り、すかさず銃を上に翳す。それを察しジョージは「にや」と、笑うと、顎をしゃくって彼らにドアを直させた上で退散させる。二人きりになった病室は、防音が行き届き、すぐに静かになった。


「しっかし、いかついガードマン揃えたもんだな! お父様の口添えってやつ?」


「そうだよ。堅気になって長いのに、相変わらず子煩悩なもんだ」


 ジュリアは話を続けようとしたが、左腕の痛みに呻いた。その様子を見るジョージの瞳に一瞬マリアは恐れをなす。同じ経験者だからこそ分かる、腕の状況から先のことを見定めるその瞳に。


「腕……相当だな」


「ああ、グサリとやられた」


「……クソッタレ」


 悪態をついて顔を背ける端正な横顔を見て、マリアは寂しそうに微笑んだ。


「仕方ないよ、銃を持つ事を仕事にしてしまった者の当然の報いさ」


 ジョージは煙草を咥えながら、両腕に包帯をまいたジュリアを見下ろす。かつて養父の率いるマファア、クレパの女ガンマン、コンドルの異名を持ち、同族ファミリーだったテストのジョージと共に、縦横無尽に駆け巡った彼女の面影は最早ない。


 ジョージはふと、胸に奔った何かを感じながら、煙草に火をつけた。


「しかし、かしいモンだな。お前が堅気に戻るころにゃ、それなりに『落とし前』はつけてきたはずだろ。それだってのになんで今更……」


「犯人はマフィアの連中じゃないよ」


 ぺら、と、紙のめくる音に振り返れば、目の前につきつけられたのは一枚の写真。父子と見られる二人の黄ばんだ写真が、ジョージの顔をかすかに映し出した。


「これは……」


「林(リン)父子だ。あたしを襲った犯人は、その左にいる息子」


 古い写真館で撮ったとみられるその写真には、ワイシャツ姿に黒のスラックスといった出で立ちで、直立に構える細面の父親と、その下で蒼い満州服に身を包み、2つの柳葉刀を得意気に構える少年がいた。


「こいつが……?」


「あぁ、最初不意打ちされた時には気付かなかったが、とどめを刺されたときにはっきり見えたのさ、あたしの左腕に真っ直ぐに突き刺さる柳葉刀をね」


 ジョージはもう一度少年の持つ柳葉刀を見た。その間際、当時を思い出し、ジュリアは力なく拳を握りしめる。


「あたしが刺される覚えのある奴で、柳葉刀の使い手といったら、コイツしかないんだよ。あんたも覚えあんだろ。『林餐館』と聞けば。」


「ああ、あれかあ……」


 向かい合う白い壁がスクリーンとして映る像となって、ジョージに当時の記憶が浮かび上がった。


「林餐館」


 NY都市計画の道路開拓のための、立ち退き指示を唯一断固として認めようとしてかった、チャイナタウンの古舗料理店である。


 政府の資金、交渉をも一切受け付けない態度に業を煮やした計画担当の政治家たちは、イタリアンマフィアにリトルイタリーでの権益をそれなりに保証するかわりに、林餐館を秘密裏に謀殺することを依頼し、その担当はクレパが受け付けた。


 ジョージが当時、イタリーのバーの中で聞いた話では、クレパたちが林餐館にしたことは実に陰湿、人外外道なもので、不審火、駆け込み、殴り込みなど一般人なら一日で尻尾まいて逃げ出しそうな程の嫌がらせだったという。


 しかしそれにも屈せず、林餐館は一ヶ月も耐えた。執行日まで浅い日に痺れをきらした政治家たちの催促で、クレパはついに真夜中の言いがかりをつけて最終総攻撃を開始。そのいざこざの中で餐館の主人、林艾青(リン アイチン)はついに腕を負傷し二度と鍋を握れない手となってしまった。


 それに乗じ、林艾青は内臓の内出血でしばらく入院した後に死亡、息子もついに負傷し林餐館はついに差押えとなった。


「あんときの息子は確かまだ12、13くらいだったかな。結構小柄な子だったけど、小柄割に動きが早くて腕前が強くて、あたしらも散々手をこまねいたもんだ。後にその息子、林文棋(リン ウェンチー)はクレパが奴を連れてくる際の隙を狙って、クレパの連中を斬り捨てて逃亡、その後行方不明。林餐館襲撃事件も主人が死亡したことで結局うやむやにされてしまった。きっとその事に関して激しい恨みで、あたしに復讐しようとしていたんだ、きっと」


 唇を噛みしめるジュリアの確信の瞳に、ジョージも共感するものの、記憶を張り巡らせると疑問が残ることに気付く。


「でもよ、お前あれにはただ護衛役としてでしか、関わってねえじゃねーか。なんでよりによってお前だけ……お前だけがこんな目に」


 ジョージはそれだけに留まらず、言葉を並べた。


 あの事件については誰よりもジュリアが一番悲しんでいたこと、それがきっかけで堅気に戻ろうとしていたこと、堅気に戻るために孤軍奮闘として落とし前をつけ、養父の執拗な折檻にも反抗することなく耐えたこと。


 話せば話すほど、何故彼女だけがこういう目に合わなければならないのか、と、憤りばかりが募っていった。


「そんな私の都合なんて一般人には関係ありゃしないだろ。」


 すると、ジョージの気持ちを察してか、ジュリアは悟ったように呟いた。


「もういいんだ、ジョージ。やっぱりね、人並の生き方はこのあたしには無理だったんだよ。母と同じ娼婦のようにはなりたくなくて、銃を持つことを選んだが、もうそっから、あたしの人生は尽きたんだね」


 ジョージは舌打ちをする。ジュリアの方を向かずに森をぼんやりと見る先には、何があったのだろうか、と、ジュリアは思い馳せた。


「……旦那とは別れるよ」


 それから、しばらくの沈黙の後に、ジョージがようやく彼女の方を見遣った。



「今後また、恨みによって、こんな危険な目に合わされらたまったもんじゃないからね。それに旦那だって巻き込まれる可能性だって少なくない。そう言ったら、苦しげだったが……納得してくれたよ」


 ジョージはただ何も言わずにジュリアの力のない左手から写真を取り上げた。その拍子、彼の白く細い手に指をのばしジュリアは絡めようと思ったが、写真ごし、一寸先のジョージの指に伸ばす力も柳葉刀によって奪われ動けない。初めて見るジュリアの哀しげな瞳に、ジョージが何か声をかける余地などなかった。


「……俺にやらせたいことはもう大体分かった。後は任せろ」


 そうして、ジョージはこれからやるべきことに意識を向け、そのまま部屋を出ていこうとする。余計な言葉は不要だと思った。嫌悪とそれに伴う暴力の中でしか生きてこなかったジョージには、慰めの言葉という概念がない。しかし、ジョージがドアノブに手をかけたとき、ジュリアが――、


「ジョージッ!」


 と、声を振り絞る。打ち振るえた女の声に呼応し、ジョージが彼女のために動きを止めた。


「銃を選んだときから、こうなるとは分かっていた……! 覚悟はしていたんだ! でも……あたしは……! あんたがあたしの告白を受けてくれたら、こうなっても後悔なんて決して……!」


 ジョージは部屋を出て行った。廊下に響くすすり泣きは、運命を受け入れようとした女の精一杯の強がり。神妙な面持ちでそれを見守るボディーガードをすり抜け、ジョージは廊下を黙って歩く。やがて廊下に、黄金銃のスライドによって、鉄のぶつかる音が凛として響いた。


一瞬止まったすすり泣きは、この音に気付いたからであってほしい、と、なんとなくジョージは思ったのであった。


 こうして、ジョージは決意を示す。いづれ、追い駆けるこの自分にも向けられるかもしれない、柳葉刀の銀の瞬きへ――、この金色の銃口を向ける覚悟を。


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