四、BIG APPLEを駆け抜けろ!
大通りを真っ直ぐに走るファントムを捉え、HSVは斜めに走らせながらその後ろについていった。
「タイヤを撃ちな!」
「わあってるよ!」
椴の声に答え、吹き上がる風に髪を乱しながらジョージが片手で撃つが、ファントムは横滑りしながら速度を急激に下げることによって、それを避けた。途端、続けざまにシフトアップし、急ブレーキをかけて止まろうとしたHSVの横から再び逃げ切ったのだ。
「うそお! 早っ!? ATなのに、嘘だろ!? えぇ!?」
電子制御(TCS)でもかなうべくもないギアの速さに、高級車のスペックは大したことないだろう、と、なめてかかっていた椴は大きく目を見張った。ジョージが上で蹴って煽ったことで、慌ててスピードをあげて追いつくも、ファントムは大型車に似合わず実に器用に、衝突する車を避け続けた――否、ボディごとぶつけて、車を弾き飛ばしていくのだ。
「うわああああ! なんだあの荒技はあああ!」
それに迫りくる車を避けようと、HSVは横に逸れてしまい、間に距離ができてしまう。ファントムが対向車を突き飛ばしてドリフトした右に曲がったのを、HSVもブレーキ音響かせて同じドリフトで追いかけてみるも、やはり他の車が邪魔して、後ろにつくことが出来ない。ジョージはその間に弾を何度も撃つが、すべては挟んでくる車に当たってしまう。その様子を嘲笑うかの如く、ファントムも更にスピードをあげてきた。
「うげっ、あのファントム横滑りしながら避けてやがる……!? VSA使ってないの? なにそれこわい」
「うるせえええ! それより当ったらねえええ! おい! なんで脇にそれたあ!」
「そりゃ無茶ですよ! 脇にそりゃなければ事故るし、第一こんなスピードじゃ当たるもんも当たらない!」
「クソッタレ!」
強い風圧に耐えながら大声をあげる二人を横に、椴は昔見た活動写真のごとく通り過ぎゆく風景を横目に、猛スピードの中で次の策を考える。
その一方おそらく今、ファントムの実力を知るに至る者は自分しかいないだろうと悟っていた。ファントムのテクニックが頭にちらつき首をふる。今はしっかりとファントムを捉えなければ――と、掴んだ獲物は逃がさない毒蛇の目が光った。
「よし、ちょいとこっちも攻めて行くとしますか! しっかり捕まってな二人さん!」
「椴さん何を……って、わぎゃぁっ!」
椴が触ろうとしたのは ヨーナスの尻ではなくそれに覆い被されていたセレクター。力を込めて押した時、椴の好きな歯車のぶつかる音が響く。楽になったアクセルを踏み一気に加速させた。
「レーシングカーの格の違いってやつを思い知らせてやるよ!」
はるか先の距離をものともせず、HSVは滑り込むように少しずつ近づきファントムに追いついた。ふいをつかれた向こうも加速するが、レーシングカーにリムジンが追いつく術もない。
風で乱れる金髪の隙間で、ジョージが目前のファントムのパルテノンラジエーターを捉えた。
「よっしゃぁ追い越した! 横にそれろ! 椴!」
「まだまだ!お楽しみはこれからだ!」
表面積がHSVより大きいがために風抵抗を受けるファントムをよそに、HSVの流線型のフロントボディがファントムの横を突き抜けて、距離がどんどん広がっていった。
「椴さん! なんで通り過ぎちゃったんですか!? だめですよ! このままじゃファントムが減速して横に逃げる可能性が!」
「大丈夫! あのスピードじゃ簡単に出来やしないさ!」
ジョージは後ろを向きながらファントムが急に遠くなっていくのを見た。減速しつつも椴の言うとおり、なかなか上手く横に曲がれていないようだ。
「おい! んでも、このまんまじゃ!」
椴はサイドミラーからファントムの様子を確認する。ファントムの特性、HSV(相棒)との距離。己の技術とこの道路の幅、すべての条件が揃った上で試す事はただ一つだけ――、椴はステアリングを握りしめた。
「イける!」
「ぬわっとお!」
「ジョージさん!」
ジョージは突然、金切り声をあげて右にカーブしたHSVから弾き飛ばされそうになった。片手で持った吸盤をギリギリの所で付け、ヨーナスの右手を掴みながら、車がスピンする後になんとか這い上がる。
一方ヨーナスは、遠心力で身動きがとれない中、椴がステアリングに皺が寄る程握りしめ歯を食いしばり、男三人の重量がかかった車を必死にコントロールしようとしているのを見た。通常ラリー以外でハーフスピンをすることなど滅多にない。大抵は幅が足りずに壁に激突するのが常である。
しかし、椴の絶妙なテクニックはそれを寸ででかわした。猛々しい摩擦音が響く中、そのまま回転させないようにステアリングを操作してファントムと向かい合うことに成功したのだ。
「す、すご……!」
車音痴のヨーナスでも、この技術のうまさには舌を巻いた。絶妙にバランスを保ったまま操作したその力強さと、繊細なテクニック。ヨーナス自身はただバランスを保って座るだけで精一杯だったというのに。そして椴は、摩擦力で揺れるタイヤをブレーキを絶妙に使いながら押さえつけ、歩道を巻き込んでそのまま直進した。
そしてついに――、その先にファントムの姿を捉える。
「今だ!」
がら空きになったファントムへ、ジョージは黄金銃を斜め左から狙って撃った。猛スピードと小刻みに揺れる身体に銃を持つ手が震えるが、己の実力を信じ撃ち続ける。
凄まじい発砲音と共に撃たれた弾はすべて下方のボディに当たってビクともしなかったが、その次に撃った四発で両方のタイヤの側面を抉った。そしてようやくHSVは直接道路に降り立ち、丁度真っ正面にファントムが迫ってくる形になった。
ジョージは片足を吸盤の取手にひっかけて、今度は両手で一つをしっかりと構えた。鉄の音をたてたギルデットは、車のタイヤに焦点を合わせる。
「当たれええええええ!」
白手袋をはめたジョージの両手の中で、ギルデッドが火花を散らした。飛ばされた弾はそのままタイヤ目掛けて風の中をつっきる。その姿こそは見えないものの、ジョージはそれに確かな手応えを感じた。
「当たったか!?」
が、当たったのはタイヤではなく何故かパルテノンラジエーターグリルである。
「なっ……!」
「「なんだありゃあー!!」」
車内にいる二人も、意外な展開に声をあげた。ジョージが的を外したのではない、タイヤの部分にラジエーターグリルが覆うように急に移動したのである。ラジエーターグリルは途端に半分に分かれてそれぞれのタイヤに移動し、瞬時にガードしたのだ。
「お、おおお。どうりで他のファントムには見ない変な溝があると思ったら……!」
「うそお……! 椴さん。普通、車にはあんな機能なんて」
「あるわけないだろ! だから今驚い――って、あぶねええええ!」
ファントムがスピードを止むことなく突進するところを、すばやくステアリングを回すことでよけた。
「俺じゃなかったらぶつかってたぞ!」
と、振り向き悪態をつく椴をファントムは素知らぬ顔で通り過ぎ、そして横に曲がった。それにジョージが鋭い犬歯を剥いて叫ぶ。
「ファントムが曲がったああああ!さっさと戻れこの野郎おおおお!」
「ええええええ!? 無茶言うなああ!」
椴はエンジン音に劣らぬ叫び声を上げながら、サイドブレーキをかけた。
ヨーナスが大きな音を立てて前目乗りになだれこむ。
「うおりゃあああああああ!」
それから椴は重いステアリングを無理やりに回し続け、HSVをキュルルとまくような音を立たせながら、前輪を軸にしぐるりと回り向きを変える。
「おおう、お見事……!」
ヨーナスは椴の直線上での荒業を称えた。
「つかどこ!?どこに行った?!」
一方で、切羽詰まった形相で迫る椴に、ヨーナスも慌てて応える。
「ええと五ブロック先右手で! いや、でもあの通路は……! あそこはだめだ! 止まって下さい! 椴さん、止まって止まって!」
「ええええええ!? 何を今更あ!?」
ヨーナスは曲がろうとステアリングを構えた椴の手をぎゅと握った。
「ちょい!相手はまたしてあげるから、今はああああ!」
「そういうことじゃねええええ!」
ヨーナスは本性を剥き出しに椴の上質な黒靴を思い切り踏みつけ、無理やりブレーキをかける。椴の低く鈍った声に反してHSVは金切り声を上げ、ファントムが曲がった通路前に丁度良く止まった。
「痛っあ……!さっきから回れだの、止まれだの、口で言うのだけは簡単なんだから……! ディンゴくん、君は何しやがって…!」
「あれを見て下さいよ」
ヨーナスが冷徹に顎をしゃくった先は、ファントムが曲がった通路の先だった。そこには大量の円テーブルと椅子が一面に転がり、そして多くの老若男女が逃げ出そうと通路の中で悲鳴を重ね入り乱れている。
「え、あれ……?」
「あそこはミッドタウン、ジェイドライオンストリート。主に富裕層の市民がショッピングと、カフェを楽しむ歩行者天国なんですよ」
一方ジョージはルーフの上に立ち、高見から人々を容赦なく押しのけるファントムを見下ろしていた。ファントムは今度はグリルをボディより前に突き出し、障害物を突き刺し押しのけていくことで難なく進んでいるのである。
「すげえな……あの野郎。今度はグリルをラム(衝角)代わりにしてやがる」
「へえ、ラムかあ……凄いねえ。俺の股間にゃ魔羅(マラ)はあるけどねぇ、コイツと同じように黒光りするテッカテカな」
「はい? なんか日本語のダジャレですか? 全然面白くないです」
意味は分からずとも、もう二度とこの車には乗るまい、と、ヨーナスは心に決めた。そしてにじみ出ていた汗を腕で拭い、沈んだ声で呟いた。
「しかしこうなっては仕方がないですね……諦めて引き返しますか……」
「はあっ? せっかくここまで来たのに?」
するとジョージは。ヨーナスのため息に途端に顔を歪めルーフを蹴る。
「仕方ないですよ。今更回っても、ファントムはもう抜けた後でしょう?この状況じゃファントムが横に滑った時点で、最早勝敗が決まったようなものですよ。貴方だって今、バテているではないですか」
彼の息切れから察したヨーナスに、ジョージは今度は黙ってルーフを蹴り続けた。やがてヨーナスは眉を下げ、申し訳なさそうな面持ちで、今度は椴の方を見上げて言う。
「椴さん、すみませんでしたね……。一般人の方に、こんなNYPDの事情に巻き込ませてしまって……」
結構貴方も乗り気でしたけどね。と、いう本音はおくびにも出さずにヨーナスは言ったが、今の椴にはその気遣いは不要であったようだ。逃げ惑う人々の阿鼻叫喚を横に見ながら、椴は今、顔を紅潮させ息を上がらせているのである。
それはあの、ジョージが闘いを楽しむときに笑う顔とは違う類の――、男の色気と野卑さを同時醸し出すような荒々しい息遣いだった。
「と、椴さん……?」
「たまんねえな……」
「へ?」
椴は蛇のように細長い赤色の舌を出し、唇をなめずりまわした。
「今まで挑んできた奴を負かせる度、持ち主ごと喰ってきたこの俺に、尻向けてああまで逃げ出すヤツがいたなんて……!」
口角を上げた唇の中から見える鋭い歯が光る。と、共に慇懃に光った眼光の鋭い赤茶色の瞳は、ファントムの逃走劇に巻き込まれた、婦人の震える垂れ下がった頬を捉えていた。
そして、騒ぎを起こしたファントムをもう一度睨む。車乗りとしてのルールを侵す卑怯さと狡猾さ、そして自分のテクをもかわし、翻弄するロールスロイスの最上級高級車。
車狂いとして、男としての自分のすべてをあしらったような態度に椴の支配欲が滲み出る。そして波打つように溢れだす血流はとあるひとつの部分にだけに集まっていく。
「やばい……! 勃ってきやがった……!」
「は?」
やばいと言いつつも嬉しそうに、にやけて汗をかく椴の様子に、ヨーナスは背中が緊張の汗で冷えていった。
「え、ちょっ、うあああああ!!」
すると、HSVは器用に通路に向かって後ずさると、そこから助走をつけ、一気に加速して突進してきたではないか。
「ぶつかるううううう! やめろおおお!」
ヨーナスの叫びもものともせず、黒い車は風を斬って走った。
今すぐファントムの尻にぶちこみたいという衝動を、スピードの中で募らせながら、このまま俺は絶頂に至ることができると、走馬灯の中で椴は確信した。
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