二、NYのファントム
「NYPDのファントム? なんでえ、お前知らなかったのか?」
翌日の朝、プラザ(本部)での内勤中。コーヒー片手にヨーナスの様子を見にきたかつての相棒、アレクサンドル巡査は彼の質問に怪訝な顔で答えた。
「え、そうなんですか」
「おうよ。特別戦闘員のお前にゃ分からんだろうが、俺たちヒラ警官の間にゃ結構有名な話だぜ?」
「やめて下さい、その言い方。ディンコ(野犬)の次は、それですか?」
と、眉を顰め、残った資料に取りかかるヨーナスに、アレクサンドルはケタケタと笑う。その相変わらずの笑い声に、ヨーナスも呆れに肩を竦めつつ、とりあえず眉の顰みを緩めた。
「それはともかく、何なんですか? そのNYPDのファントムって」
「車だよ」
「車?」
ヨーナスの反応に、今度はアレクサンドリアの方が呆れる顔をした。
「お前、男ならそれ位、知っておけよなー。ほらあるだろ、ロールスロイスのファントムって車。あれが二十日前のクイーンズの路上で、歩行速度で走っていたところを露道のホームレスたちが見かけて騒ぎになったのが、噂のきっかけになったんだよ」
流暢に語るアレクサンドルだが、ヨーナスはある事に引っかかり、首を傾ける。
「え、ちょっと待って下さい……? その車はただ『歩いていた』だけなんですよね。何故それが騒ぎになったりするんです?」
「あーっ!これだからお前ってば!」
アレクサンドルは擬音を声に出して肩を落とした。
「NYPDのファントムって、ことあ、NYPDの『パトカー』ってことだろ!?赤いサイレンとあのマザーラインをドアパネルにつけてる!」
「まあ、そうですよね」
「んで! 一方ファントムっつー車は、ロールスロイスの中でも格別に有名な高級車! お前さ、想像してみ? NYPDと書かれた値段4000万円する、『動くマンション』がホームレスたちの目の前で、悠々と歩いていたらどう思う?」
「撃ちたくなりますね」
「撃ちたくなるのは、お前だけだがな! まあ、だろ? そういうわけで、奴らも当然ぶち切れて、石やパイプが飛び交う大騒ぎになったんだよ。側を通りかかった他のパトカーがリンチにあってる仲間を見つけて急いで止めたんだけど、そのゴタゴタを横目に、ファントムはどこかへ行ってしまった……と いうワケなんよ。それでも時々また現れたりしてるんだぜ。今だに正体不明、まだその身柄も確保されていないってところだよ」
「へえ、そんなことがあったんですか」
と、言いながらヨーナスは疑問に頬杖をついて眉をひそめる。高級車が何故、パトカーに化けてNYの街を徘徊しているというのだろう、と。そして、一体誰がそんなことをしているのだろうか、とも。
「でもその話、すごく臨場感ありますね。まるでその場にいるみたい」
「そりゃそうよ!なんたってその場にいた奴らから聞いた話なんだからな!」
アレクサンドルは胸に手を当て堂々と構えた。それが俺らしいだろと言わんばかりの気迫にヨーナスは「そうですね」と、目を伏せて呟いた。アレクサンドルは確かにそういう男であった。と、ヨーナスの瞼の裏にかつての日々が蘇る。
アレクサンドルはパトロール中、勝手に抜け出しては、わざわざ道端に居座る学生に話しかけたり、ゲットーの子どもたちと遊んだりと、新米のヨーナスを散々困らせる警官だった。
しかし、ホームレスやコールガールたちの悩みや苦しみを受け止める、アレクサンドルの慕われようは、どのNYPDメンバーにも劣らない。警察学校を卒業したばかりで、法学と刑法で頭が固まっていたヨーナスは、それをバディーとして手助けすることで少しずつ価値観を変えていった。
若者にしては珍しく昇格願望がないのも、ひとえにアレクサンドルの影響があるからであった。
「まあ、私は、アレクサンドルさんが、それでトラブルが起こる度に、GLOCK18で助けることしか出来なかったんですけど……」
「ん、何だ?」
「いや、別に」
と、苦笑するヨーナスに、今度はアレクサンドリルが首傾けながら問いかけた。
「でも、どうした? 急にNYPDのファントムのこと聞くなんてな」
「ああ……実は、昨日のパトロール中にある一般人から、そのNYPDのファントムに会いたいなんて、言われたんですよ」
渡された名刺を差し出して、ヨーナスは昨日のことを話す。それにアレクサンドルは、受け取った名刺片手にああ、と片眉をあげて答えた。
「あぁ。コイツか。椴(とどまつ)敬之(たかゆき)っていう日本人。車狂いで生粋のプレイボーイと、そっちの界隈じゃあ、有名な男だな」
「知ってるんですか!」
「知ってるも何も、俺コイツに関する話もよく受けたりしてるぜ。アイツが私を捨てたの、今彼を口説いているのとか、男女問わずそういうのばっか。のくせに、当の本人は呑気にファントムに会いたいとか、性別どころか人間にも飽きたらず、ついには車にまで手をつけるもんなのかあ? モテる奴は分からんなー」
「全くですよ」
と、ため息ついて頬杖をつくヨーナスの頭の隅に、得意気に笑う彼の姿が過ぎった。一方、アレクサンドリアは徐に腰ポケットについた、オフィサーの必須品であるNY地図を取り出したかと思うと、ヨーナスの机の上に広げる。
「ま、でも、せっかく名刺まで渡されたんじゃあ、そのままにしておくのもアレだしな。今まで目撃されたファントムの場所を印つけて、大体どこら辺に表れるか適当に予想してやればいーじゃん」
「そうですね。『適当』にですね」
「よっし!なら決まりだな!」
と、アレクサンドルは手を叩くと、周りから聞いた情報を早速ヨーナスに語り出した。そして、ヨーナスも急いでペンでその跡を辿り、×印をつけていく。見慣れたNYの街中はやがて黒の×で埋められていったものの――、
「……何コレ」
「ワケが分かりませんね」
マンマッタンにつけられた13ヶ所の×印は、二人の予想を大きくはずれ、てんでバラバラな方向へ散らばっていたのだ。半径で囲むことも出来なければ、線を引いて何か図式が出来上がるわけでもない。
「……こりゃあ、予想を付けるどころか、謎が深まるだけになったな。一体何の目的で、NYPDのファントムはNY中を回っているんだか……。運転手は一体何をしたいんだ?」
訳が分からないと、巻き毛の金髪を掻き回すアレクサンドル。しかし、ヨーナスだけは、てんでばらばらに見える×印に一つの道筋を見出していた。
「ううむ……例外もあるけど、偶然にしてはちょっと出来すぎているかもな……」
「ん? どうした。またメガネに手を当てちゃったりして」
するとヨーナスはアレクサンドルの方を向き、地図を指して言った。
「いやね、この×印。13個の内の9個が、私がパトロールした場所と一致しているんですよ。」
「ええ!?」
アレクサンドルはヨーナスと共に地図を見張った。
「ほら、私たちプラザの巡査は、分署と違って要請がない限り、まずパトロールはしないじゃないですか。しない割にはよく当たってるなと思いましてね。ファントムがその場に表れた日付も、私がパトロールしたその1日、2日後と大体共通してます」
「じゃぁなんだ? ファントム様は1日開けて、お前の後を追っているということなのか!? 何だお前。高級車に付け狙われる覚えでもあるわけ?」
「あるわけないでしょ。だとしても、残り4つの例外が説明出来ないじゃないですか」
「ああ、それ俺が回ったトコだぞ」
「「わぎゃあ!」」
突然の声に振り向けば、まだ新しい胸章を瞬かせ、ジョージが仁王立で煙草をふかし見下ろしていた。
「お……おう! ジョージ今日のシフトはこれで終わりか!」
それに驚きつつ、アレクサンドルが馴れ馴れしく肩を叩くのを、ジョージはすっと払いつつ、
「ああ、今日もただの見回り。かったるかった」
と、そっけなく答え、フロアの窓側に位置する、巡査室とはガラス張りに区切られた警部補室へと入っていった。留守なのをいいことに、勝手に居座り脚を机の上に置くジョージに向かって、アレクサンドルは口に手をあて、呼びかける。
「おーい。ジョージ。ということはお前もヨーナスと同じように、正体不明の高級車に付け狙われてるってことなのかー? 勿論、その覚えは……」
「ねえよ」
「ですよねえ」
ヨーナスとアレクサンドルは同時に腕を組み、地図を見る。誰もいないフロアにお互いの唸る声が響いた。
「でも……もし、以上の推理で次に、謎のファントムの出現場所を予想するというならば……」
アレクサンドルの呟きにヨーナスが続ける。
「次に現れるのは、つまり……」
呟いた瞬間、閃いた答えに顔あげるヨーナスのメガネが瞬いた。
「ジョージさん! 今日貴方がパトロールしたところはどこですか!?」
声高らかに呼ぶヨーナスに反応し、ガラス隔ててジョージが、青い瞳をそちらへ向けて答えた。
「ロック・フェア・センター周辺。それがどうかした」
ヨーナスは勢いのあまりジョージの質問には応えず、アレクサンドルの方へ興奮気味の顔を向ける。
「私、丁度明日と明後日非番ですから、そこで様子を見に行こうと思います!」
「げえっ! せっかくの非番なのに仕事しようってのかよ!? メールでそのプレイボーイに伝えるくらいでいいだろ!」
「いえ、やはり自分と関わる可能性があると知ったら、やはり気になりますから!」
「はあ、そういうもんかねえ」
と、アレクサンドルは口をへの口に曲げる。
「それなら、俺も気になるから、行きたかったけどね、その日はどっちも新しいバディーとパトロールの予定があんだ。残念だけど」
アレクサンドルの乗り気じゃない反応に、ヨーナスも視線を落とした。
「そうですか……、それは残念ですね」
アレクサンドルから聞いた新しいバディーという言葉に、ヨーナスは途端、寂しげに目を伏せると、アレクサンドルはそれに眉を下げ、口角をあげながら素っ気なく呟く。
「ま、でも、俺はお前とバディーじゃなくなって良かったと思うぜ、正直」
「ええ……そんな……!」
彼の気持ちを読み取った上での突き放しに、思わずヨーナスの声が震える。それでもアレクサンドルは構わず背を向け、仕事場に戻ろうとしていた。が、一瞬振り向いたと思うと、いきなり人差し指を突き付けて大声をあげる。
「だってな! もうこれから『非番で仕事の人間と会うなんて嫌』なんていう、言い訳が出来なくなるもんな! これからは色々とトコトン誘ってやるぞ! 覚悟しろよ!」
それに対して、ヨーナスが大仰に目を見開くのを微笑んで見れば、コーヒーを片手に慌ただしく戻るアレクサンドルであった。それにヨーナスは目を綻ばせ、かつての相棒の気遣いに、心の中がじわりと温かくなるような気持ちになった。
しかしその一方で、ヨーナスは背後にいる今のバディーの、悪意を含んだ笑みに気付くことが出来なかったのだ。
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