二 ファントム編
一、毒蛇、猟犬を誘う
前回「GANMAN GEORGE」一話を掲載されることになった後、読者から様々な評価をいただいたおかげで、二話も掲載することに至った。改めて、意見、感想を送って下さった読者には深く感謝の意を示したい。
さて、今回の2話であるが、正直なところ、これを掲載するには多少の躊躇があったことをまず告白する。二話の内容は、一話とうってかわり、所々不適切な用語が多く、ポルノでないこの雑誌に載せるのはいかがなものか、と思ったからであった。
しかし、今だ行方不明であるジェームズ・ラングドン氏の資料に検閲を付け加えるのは忍びなく、まあ、ここもくだらないスキャンダルばかりとりあげているので、まあいいかと言う、編集長のご配慮にあやかり「そのまま」掲載することに至った。
未成年であることもないことも構わず、私たちは貴方自身が分別のある「大人」であると信じて、ここに二話を書き記す。
改めて読んでくれる読者と貴方に感謝して。
NYタイムズスクエアの喫茶店にて
イゾルデ・エリザ
***
1930年代、禁酒法時代のアメリカは、当時「BIC APPLE」と例えられていた。
その由来として、当時のNYは恐慌時代にあえいでいた大量の林檎売りが路頭に現れていたからだ、とか、仕事を失い娼婦と化した色艶やかな女たちが、紅い林檎に例えられたとか、様々な説が上げられるが、どちらにしろ建ち並ぶ巨塔の下に生きる、NY市民の哀愁と憂いをよく表したものであろう。
楽園に暮らした人間に、知恵と同時に堕落をももたらした林檎。それは「世界経済の中心」と例えられるNYには相応しい「シンボル」と言えるのではないか。
――なんてことを知る由もなく、待ち歩く女性たちの煌びやかな視線を受ける、一人の巡査がパトカーのサッシに肘をついて、悠々と林檎をかじっていた。
白く節々とした手にすっぽりと収まる丸い赤林檎は見栄え良く、それを犬歯で少しずつかじっていく端正な顔立ちを八角帽子に僅かに隠す様相、道行く女性たちの羨望を集めていた。
「困るんですよねぇ……」
一方、パトカーの運転席からそれを見守るもう一人の巡査、ヨーナス・ラトヴィスはため息をつきながら彼を見上げた。今彼らは、分署の支援に応じて、大通りの隅に留まり、パトロールをしている。まだ巡査になりたてのジョージは内勤の業務を覚えると共に、巡査任務の基本であるパトロールを繰り返す日々を送っていた。
そして今日、初めてバティー(相棒)として行うヨーナスとのパトロールは、互いに予想した通り、嫌な雰囲気となっていたのだ。
かつてはあの「NYの悪夢」と呼ばれた日に、敵だった日は浅い。しかも向こうはこっちと馴れ合うつもりがないと断言した中で、ヨーナスはもう痛まない筈の右腕をさすっていた。
「たっく、なんなんだし!」
するとジョージが突然苛立ち、パトカーのフロントドアを蹴り飛ばす。
「いったあ! 何なんですか!」
中にいるヨーナスは揺れる車内で、右腕が当たり声をあげる。舌打ちしつつも、ヨーナスはバティーとしての応答を始めた。
「ジョージさん、どうしたんで――、」
「あー!パトロールとか言いやがって、さっきからなーんにも起こんねーじゃねーか! クソつまんねえ!」
どことなく察しのついた理由に、ヨーナスは眉間を押さえた。
「全く、何言ってるんですか。何もないことが一番良」
「あーっ! コイツといるから更につまんねぇんだよな、クソったれが!」
飛び交う怒声と理不尽な罵声。会話が全く成り立たない様子に、ヨーナスは更に頭を抱えた・そう、宿敵だろうが元ギャングだろうが、なんだかんだと言いこの二人を隔てているものは、この圧倒的な性格の違いだった。
目の前のビルを指差し、突然ジョージは犬歯を剥き出しにして叫ぶ。
「あーあ!なんか今ここで銀行強盗とか起こってくんねーかな! 金塊室のトンネル見つけて、仕組んだ奴らをボッコボコとか!」
「そんなことする位なら、今は廃品業者装って携帯のチップ集めた方が、効率は良いんですよ」
「あ!? なら、あの会社の汚職事件を摘発して総動員で根絶やしにする!」
何人かのビジネスマンが通り際顔を見合わせたのは、気のせいにしようとヨーナスは思った。
「それより、汚職摘発は内部者に条件付きで密告促して、向こうから公表させるやり方がベストです」
「てんめー!さっきから分かったような口聞いてんじゃねぇよ!」
「おおわっ!?」
甲高い声と共に、ジョージは窓から片手でヨーナスの胸倉を掴む。謂れのない嫌悪に戸惑い、ヨーナスは開けていた運転席から引きずり出された。
「そんなんだったら何もかもつまんねぇじゃねーか、クソが!」
足も手も地に着かない状態で、ヨーナスは頭一つ分上から怒鳴りつけられる。予想していたとはいえ初っ端から最悪なパトロールだった。
「あのですね! ジョージさん!さっきから言っている通り、つまんないとかそういう問題なのではないんですよ!」
「仲が良いねえ、お二人さん」
「「どこが!?」」
すると、さっきまでバラバラだった二人の気持ちが、この時初めて同じになった。ジョージとヨーナス、互いに声のする方に鼻先を向ければ、パトカーのボンネットに手をついてこちらを見る男がいた。
明るいグレースーツの一張羅に、光沢のある真っ赤なタイといった出で立ちで佇む男は、古典美術建築の摩天楼を背景に、絞り鍛えた腰のラインに手をおき、ジョージとは違う、そのオリエントで端正な顔立ちを保ったまま微笑んでいた。
身長はさほど際立っていないが、周りにいる黒いスーツ姿のビジネスマンなど背景の一つにすぎない程、彼の存在は印象的で、ふとヨーナスはそれを見ながら、コール・ポタの、「love for sale」が、流れているような気に陥る。
「あ?何なんだし、何か用か、ロメオ」
一方、その余韻をふっ飛ばした声の主は、相手に向かって侮蔑と嫌悪を露わにした。それでも、男は軽く笑うことで難無く受け流し、近づいて来る。両側に分けられた髪がさらりと揺れて、狭い額に影を落とす。
今まで、腕っ節の強い、武骨でがさつなメンバーとしか付き合ったことのないヨーナスにとって、その優雅な出で立ちを醸し出す男は、今まで見たことのないタイプであり、思わず戸惑いの声をあげた。
「あ、あの……」
それを男は切れ長の目でちらりと横流しに見たと思えば、薄い唇をふと上げた。まるで子どもを眺めているようなその目線に、ヨーナスは胸が高鳴る。
そして男は、そのまま視線を隣のジョージへ移したかと思うと、次はあげた口元を開き、前歯近くの犬歯をのぞかせて言った。
「へえ~。あんた、NYPDに入ったんだ。NYPDの猟犬様たあ、出世しもんだねえ」
のびやかな調子で話しかけ、男はジョージの顎に指をのせてあげた。血色の良いペールオレンジの指がシャープな色白の輪郭に触れたとき、ヨーナスの心臓は勢い良く跳ね上がる。
「……ああ?」
一方当の本人は、更に眉間に皺を寄せ、上げられた角度から男を瞳孔のない蒼い瞳で見下している。
「へえ、ギャング時代からの噂通り、つれないけど、眉目麗しき美青年じゃないの。そうだ、丁度今、仕事帰りで癒やしも欲しいところだし、どう? 一発」
容姿媚態ながらも唐突な発言に、ヨーナスは一瞬にしてその意味を解し、大仰に腕を振る。
「な、何言っているんですか!?駄目です!私たちはまだ仕事中なんですから!」
仕事の問題ではないだろうという突っ込みは、ヨーナス自身も分かってた。が、突然初めて見た「男が男を買う」行為に混乱し、適切な対応が出来なかったのだ。
「ん? 何、そんなに慌ててんのさ。何? 君はホモファビア(同性愛嫌悪)なわけ?」
すると、男はヨーナスの初心な反応を楽しむようににやける。
「いえ! ここNYでも同性結婚は認められたものですし、それに従うべきだとは思っていますが!」
「へーえ。なら自分ではまだ納得してないってことかい」
「いえ……!」
顔顰めて抵抗するヨーナスを、男は低い声で笑った。
「まあ、良いさ。これはどのみち俺と彼との問題なんでね。なあ、どうだい猟犬君、あんた多分初めてなんだろうけど、大丈夫。腰回りは締まってるしバイブもローションもこっち持ちだし、安心しな。最初は激痛な菊座も、俺のテクにかかりゃ激痛も絶頂までの始まりにすぎなくしてやるさ」
舐めるような目でジョージを見る男の口から出た卑猥な言葉に、ヨーナスは更に顔を赤くした。
「しっかしなあ、久々に今夜はいいのを見つけたな。そのキュッとなったホント腰回りすっげー好きだよ? 今すぐここで脱がしたいくらい」
甘い声をあげて男が、ジョージの腰回りを一撫でしたとき、ジョージがそこでようやく口を開いた。
「おい、お前何勝手に」
ヨーナスは心の中で手を叩いた。そうだ!その調子だ!と。
「何勝手にこの俺をタチにしようってんだ、ああ?」
そっちじゃないだろ!と、ヨーナスは心の中で突っ込みを入れた。
一方男は、その言葉に顎を引いて口笛を吹いた。
「へぇ、いいねーそいつはより良いな。あんたみたいな人種は特にデカいっていうから、深いところまで食い込みそうで楽しみだよ」
その言葉でヨーナスはまた顔を赤くするが、ジョージは平然として煙草を咥え、首を斜め上にあげながら男を見下ろしている。
「ああ、デカいよ? なんたって216ミリセンチだからな」
「WOW!」
男は両手を広げ歓喜の声をあげるが、ヨーナスは聞き覚えのある数字に、赤い顔を途端に青ざめる。やがて、ジョージがと嗤い、ジャケットの下から取り出したもの。それは、夜のネオンで眩しく光る一物。
「やっぱりかああああ!」
ヨーナスは男をジョージから突き放し、ジョージの右手首を横から押さえつけた。そして悪趣味に輝く黄金銃のスライドを引かせまいと必死に掴む。
「何しやがんだ! 離せ! あいつの望み通りにぶっこんでやろうとしてるときによ!」
「いーえっ!それとこれとは意味が違いすぎます! 絶対させるものですかー!」
マガジンを引こうと動くジョージの左手をヨーナスの右手が追っかける。そうして「離せ」「嫌だ」の押し問答で、バディーは取っ組み合いを始めた。
しかし、ジョージの本性を察して諫めるヨーナスの気持ちを汲み取らず、男はきょとんとした顔でその一抹を見守っている。
「あららー。メガネのにいちゃん、照れるなって。いいのいいのー。俺、そういうプレイも大歓迎だからー」
「冗談言わんで下さい! この人その気になれば、本気で撃つ人なんですからねっ!」
ヨーナスはパトカーに沿ってジョージと共に二転三転と回りながら、彼をパトカーの運転席へと誘導する。
「さ、さ! もうとにかく行きましょジョージさん! 丁度シフトも終わる頃合いですから!」
と、促し、両手でジョージを運転席へと追いやった。狭い車内の中で、ホイールを長い足で窮屈そうに何度も蹴り飛ばすジョージの様子に、ヨーナスはサッシに手をつき、再び深いため息をつく。するとそこからまた遠慮なく男が声をかけてきた。
「ねえ、メガネの兄ちゃん」
「なんですかあ!?」
「悪かったねえ。ホントは別のことについて聞きたかったんだけど、あの噂の猟犬君があまりにも綺麗だったもんで…。」
「そうですか! それは今ここでなくてもパークロウにて受け付けますので、そちらの方でいつでもどうぞ!」
「お、おう」
口調は多少きつくとも、それなりに適切な返答でヨーナスは答えた。自らも乗ろうと運転席に目を向けたとき、右頬に風が走った気を感じ、寸でで何かを受け取る。
「ならどうかひとつ、NYPDのファントムに託を願えないか!? 毒蛇があんたを恋しくて、今夜も違う女を抱いているってな!」
同性が好きじゃなかったのかよ!と、いうヨーナスの的外れな突っ込みも知る由もなく、男はそう言い残し立ち去っていった。
ぴらぴらと手を振りながら、スーツを靡かせて歩く男の背中は実にまた映えている。その先には、車高が低く細長いヘッドライトを瞬かせる黒い車が主人の迎えを待っていた。
「一体なんだったんでしょう……あの人……それにしても、NYPDのファントムって……何……?」
男が車に乗り込み、去っていくまでをヨーナスはフロントドアのサッシに肘をついて、見守った。その後、空いた方の片手を手首ごと回し、渡された紙を裏返せば、メールアドレスと携帯番号、そして漢字で、
「椴 敬之」
と、書かれているのを知る。彼の名前であろうか。
「しかしなあ、全く…ここ最近、人の気まぐれに付き合わされてばっかりだなあ……」
ヨーナスは名刺持つ手首にを曲げて額を押さえ、向こうの席で悪態をつくバディーとの帰り道を思い浮かべながら、憂鬱に俯いたのだった。
その出会いが、やがて出くわす騒動の始まりにあるとは、そのときはまだ知らずに。
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