四、 再びのワン・ポリス・プラザ

 すべてのギャング抗争騒動が、このディンゴ対猟犬事件によって解決し、ウェッブは実に鼻高々だった。解決したどころか、この事件を皮切りに、逮捕したギャングたちを問い詰め、芋づる式に仲間の組織を捕りたい放題。


 これで治安の悪さで批判していたNY市民共も、今や寄ってたかって、NYPDのことを褒め称えている。ただしその賞賛を得るために、彼らはかなりの譲歩を受け入れることにもなった。


***


 無事、念願の猟犬を確保したウェッブは、意気揚々としていたものの、実はそこから先が、それ以上に大変だった。


 なんといってもこの猟犬、彼が酷い暴れ者で、ひとまず留置所から取調室に行こうとするとき、職員のスキを狙って殴り倒して逃げようとするわ、捕まえようとしても、そこで蹴って殴って被害者は増えるだけだわ、取調室で厳しい口調で問い詰めするも、それを間に受け大喧嘩。それによりまた取調室の輩を全員ボコボコにするなど、全く捜査が進まない状況に陥っていたのだった。


 ヨーナスが入院中ということもあり、まともに対抗できる奴は殆どいないことも状況を更に悪化させていた。そのため、ウェッブは管轄外でありながら複数の部下を連れ、プラザの取調室の通路を歩くはめになる。


 通路の両側にはこれまた野次馬のごとく黒、白の制服を着た内勤者たちが困惑した様子で騒いでいた。


「向こうのドアだな。猟犬のいる取調室は」


 と、後ろにいる顔を向けて部下に問い、部下がそれに答えようとしたところ、彼は口を開けまま動かなくなった。


「くそったれが! マジで死ね!」


 激しい怒声と音に気付いて前を向けば、取調室のドアと共に、職員が向かい壁に弾き飛ばされていたのだ。


「おおっと、どうやら合っていたようだ」


 うずくまる職員の介抱は部下に任せ、ウェッブは蝶番が外れ、ドアとしての機能を果たさないその向こうへ足を運ぶ。その先は狭い取調室。その中央にある机の上に、長い脚をかけた猟犬の細長い靴底が見えた。そして彼は、ほぼ仰向けに寝ているような形で、悠々と煙草をふかしていた。


「そこまで譲歩してやっても、まだ気に食わねえのか、猟犬」


 猟犬はウェッブの声を聞くと、気怠そうに靴底の向こうから顔を傾けた。


「その声は……お前か、最後の方で襲ってきやがった卑怯者」


 部屋の四隅で固まる職員たちを尻目に、ウェッブは彼の横についた。彼もまた、はまらないポケットに手を突っ込み、あえて横柄な態度でそれに応じる。


「おう、卑怯者上等。なあ猟犬、お前なんで取り調べを受けない? お前がやったことは、ちょいとムショに入ってりゃ、すぐシャバに出られるんだぞ」


「気に食わないからやっつけてるだけだ」


 答えになっているような、なっていないような。回りの奴らは顔を見合わせるが、猟犬の性格からしておそらく、そのまんんまの意味で言ったのだろうと、ウェッブは悟る。


「分かった。じゃあ気に食わなければいいんだな。俺の名前はアルバ・ウェッブ。お前は?」


 すると、突然丁重に名乗ったウェッブを前に、猟犬は押し黙る。しかし、しばらくして煙草の咥える位置を少し変えた後、


「……ジョージ・キッド」


 と、小さく答えたのだった。回りの職員が小さい歓声をあげ、その調子で更に問い詰めようとするのを、


「黙っていろ、お前ら!」


 と、ウェッブは厳しい口調で制した。そしてウェッブは身を乗り出し、再び一人で猟犬と向かい合う。


「そうか、ジョージ。年は結構若いはずだろ、声に張りがあるからな」


「……17だ。テメーはさしずめ50くらいだろ。ジジ臭ぇから」


 唐突に表れた、まだ未成年であるという事実に、背後の職員は更に困惑している。さすがに、ウェッブも彼がま17歳だというのには驚いて目を大きく開きつつ、その素振りを一旦は見せないように、首を横に振った。


「お、おお。残念ながらまだ48だ」


「大して違わな……」


「しっかし、その若さでイタリアマフィアの猟犬様とは大したもんだったなあ! どうりで、味方まで巻き込んで組織の得にもならねェ、ドタバタ騒ぎを起こしたもんだ。あんなの、出来た大人がすることじゃねえ」


「俺にとっては得だったから良いんだ」


 そして、ウェッブの煽りに対し、ジョージはぬけぬけと言った。綺麗な眉を優雅に動かし、言ってやったような表情で嗤う彼の姿に、ウェッブは教育係として、一つの考察が過っていた。


 成程、コイツは基本、自分のことしか考えていない。自分が楽しいから撃つ。蹴る。人を傷つける。自分が好きか嫌いかおもしろいかつまらないか、得か損かでしか物事を考えていやしない。皮肉な程、空のように澄み切った青い瞳には、他人のことなど全く映っていやしないのだ、と。


 一応受け答えはしているものの、これがいつ彼の気分によって変わるかも分からない。しかし、絶対にコイツに吐かせて、マフィアの内情を掴んでやらねばならないのだ。とも思った。そして、心の中で叫ぶ。


「なんてったて、吐いたものがゲロだけなのは、たまったもんじゃないかな……!」


「おい、何とか言えよ。テメーの方から話しかけてきたんだろが」


 ジョージが黙るウェッブに次第に苛立ちを感じていた。長い脚が綺麗に組み合わさったところを、カタカタと貧乏ゆすりをする。かなり短気な所も若者らしい。心なしか煙の量も増えていくような。もう、躊躇している間はないと、彼はここで一つの決断をした。ジョージが機嫌を損ねてまた面倒くさいことにならないように、その上で、彼にとって得はでない証言をさせるために。損をすることもまた勇気だ。と、頷く。


「なあ、ジョージ、ここで一つ取引しないか」


 睨んでいた青い瞳が途端に広がった。ここでいきなりまた取引を受けるとは思わなかったのだろう。


「は? 何言ってんのお前」


「ここでお前が遊んでいても、いずれ飽きることになる。そうなる前にそれなりに譲歩することで、お前を解放してやろうって話だよ」


「譲歩? 俺が何をしなくちゃいけないってんだよ」


「お前の仲間たちことを話せ、すべてな」


「冗談じゃねえ! そんな俺の何の得にもならんことをすんのが嫌だから、今こうしているんだろうが!」


 ジョージは眉を吊り上げて怒鳴りつける。しかしそれは当然、予想通りの反応だ。だから周りのように、ウェッブが怯える必要はない。むしろ余裕綽々として、片眉を上げて言った。


「だぁから、俺たちはお前に証言するもらうことで、特別に解放してやるってんだよ」


「解放? はっ」


 ジョージは嗤った。口を大きく開け、犬歯を見せつけるように。


「逃げることだけだったらとっくのとうにやってる! ただ、コイツらが必死になって捕まえようとして、俺に酷い目に合うのを見ているのが面白れェから、ここに留まっているだけなんだよ! ああ、そうか。そう望んでんなら、今からでも本気出して逃げてやろうか?」


 ウェッブは舌打ちした。コイツ思ったより、質が悪い。突然調子よく身を乗り出すジョージの仕草に、職員は一斉に腰に手を当て、緊迫した状況が流れた。


 プラザで暇つぶしして、飽きたら逃げる。これほど彼にとって得であるものがあるだろうか。しかし散々その暇つぶしに付き合わされた上、逃げ出されたらこのプラザの面目がたたないとウェッブ眉を顰める。そして何より、命がけで猟犬を確保するきっかけを作ってくれた、ヨーナスのためにも、と。


「解放するのは、自分で出来るか。じゃあ内容を変えよう」


 するとウェッブは再びの沈黙の後に呟くと、ジョージの肩を思いっきり掴んだ。抵抗しようとするジョージを無理やり、椅子の硬い背もたれに押し付ける。その時びっくりする位に肩が細いのを感じ取る。まるで今の衝撃で折れてしまったのかと思ってしまうくらい。


「なんだあ!? やるってのかあ!?」


 ジョージは威嚇するも、その勢いに対してつり似合わない細身の身体に、ウェッブは一瞬憐みさえ感じてしまった。しかし、そこで彼はジョージの顔に近づきそして笑った。いつもの、そうあの仄暗い黒い瞳で、青い瞳をしかと見定め、そして言った。


「こうしようや、ジョージ。テメーが、もしお仲間さんについて話してやったら、これから俺が、お前の仲間になってやるぜ」


「は……?」


「は……!? ウェッブ殿、それはどういう……!?」


 職員が口を割った。しかし今度はそれを制することなく、ウェッブはジョージを見つめたまま続けた。


「ここですべて話してやったら、お前をNYPD巡査に就けるように算段してやるっていう話だよ」


 一気に、周りの空気が変わった。


「楽しいぞぉ? サツの仕事はよ。さっきのようにどんなに蹴ろうが殴ろうが撃とうが、すべてが正義のための正当防衛だ。お前らマフィアのようにいちいち責められる必要もねえで、税金で好きにやりたい放題。場合によっちゃテメーらよりも質が悪いお役所さ。な? これほどお前の性に合う話もないだろ」


 そう言いのけ、ウェッブもうやがて口角を上げては、顔が近いにも関わらず葉巻を吸って、彼の顔に煙をかけた。それに、ジョージは眉間に皺を寄せたまま黙っている。


「な? 追われる身から、追う側の人間になるってのも楽しいモンだぜ? おいおいそんな怪訝な顔をすんなよ。銃もあのままで使わしてやるからよ、そのへんの所は要相談だ」


 と、言い終えて、ようやくジョージの側を離れた。その瞬間に浴びる職員たちの抗議の声。肥えた腹をくくった彼にとっては、最早雑音以外の何物でもなかったが、だた一人、割り込んだ男の声だけは違っていた。


「ウェッブ」


 声の方へ振り向けば、壊れたドアの傍にいる男が見える。それはウェッブにとって久しぶりに見る、瘦身のシルエットだった。


「ア、アーサー……? お前、どうしてここに……?」


 影が前に出て明らかになったのは、荒削りされた細い色白の顔立ちに、ほぼ白に近い灰色の短髪、同じ色の瞳の姿。その下には、目の下半分を覆っている隈が目立つ。こうして、銀のチェック柄が映える黒いスーツを纏う顔色の悪い男が、ボディーガードを引き連れ現れたのだ。しかし、素質としてある、無駄な線のない端正な顔立ちと、細長い四肢の麗しさが霞むことはなかった。


「すげえ……久しぶりだな! 実際に会うのは大学卒業時以来じゃねえか!」


「その話は後だ、ウェッブ。それより、どういう風の吹き回しで、犯罪者を巡査にしようとしているのか、と、聞いている」


 無表情のまま低く落ち着いた声で尋ねる。そこも全く変わってはいないと、ウェッブは目を綻ばす。


「なあに、犯罪者を警察側につかせんのは漢王朝の劉邦しかり、江戸の今大岡奉行の同心しかり、歴史的には理にかなっているはずだぜ? それに俺の先輩方にも、ギャングを手懐けて治安を守っていたこともままあったんだぜ」


「とんだ理屈を言うな、誰が責任を取るんだ」


「そりゃぁ、もちろん、俺に決まっているだろう」


「そうか、お前だけが決めたことなのか」


「あ? 誰なんだテメー。気色悪い顔しやがんだな、ゾンビかよ」


 すると、二人の男のやりとりに、唐突にジョージが間を挟む。彼の遠慮ない一言にウェッブは背中が震えた。


「ちょっ……! オマ! それを明からさまに言うもんじゃねえ!」


 アーサーはその言葉を無表情に聞き取り、彼に近づいてきた。


「ああっ。だから、言わんこっちゃない!」


 ウェッブはアーサーを止めようとするも、彼はそれを躱し、ジョージの横に立った。しかし特に何もすることなく、アーサーは彼をただ見下ろしているだけだ。しかし、灰色の瞳に光はなく、ただ黒い瞳孔がジョージの青い目を見つめている。眉毛のない額と、隈との間に見える鋭い瞳から、その荘厳なる雰囲気を感じ取り、いつしかジョージは沈黙で苛立つ気持ちも忘れてしまった。


 さっきまでの、同じ戦闘者としてのウェッブとは違う、最早自らのいる次元をも超える所にコイツは存在しているのだ、と、感じていた。


「ジョージと言ったな。お前、アメリカ市民権持っているのか」


 やがて、アーサーは突然そう聞いてきた。ジョージは意味有り気に笑う。


「ああ、二年前にな。犯罪者の俺がどうやって取ったかも教えてやろうか?」


「結構だ。取れているかどうかだけ、確認できていればそれでいい」


 それだけ言うと、アーサーは、ジョージと机を挟んだ向かい側に歩いて立った。そして机の上に手を置く。ジョージはそのただ者ではない雰囲気につられて、つい足をどけてしまう。


「ウェッブ。お前、こう誘うなら、もっと賠償金と保釈金で儲け放題というのも付け加えるべきじゃなかったのか」


「お前、それ冗談でも面白くねえから……」


 と、あっけらかんとするウェッブを他所に、アーサーは今一度、ジョージを睨みつつ、諭すような声色で言った。


「いいだろう、私は認めよう。ただしそれはウェッブ、お前が考えたことを尊重したまでだ。リードはちゃんと握っておけ」


「も、もちろんだっての!」


 その答えに徐に頷いたアーサーは、そのまま黙ってドアの方へ歩いた。どうやら帰ってしまうようだ。しかし、一瞬だけ振り返り、冷たい灰色の瞳で再びジョージを見据える。


「話は大体聞いた、ジョージ・キッド。これから誠心誠意、NYの民を守るために、その能力を使え」


 そうして、突然の訪問者は帰って行った。姿が見えなくなる寸前の、揺らめくスーツの裾が印象的であった。


「なんだあ……あいつ。変な奴だったな」


 ジョージが面くらいつつ、ぼやきながら再び机に脚をのせ、頬杖をつく。


「え、貴方知らないんですか?!」


 すると、さっきまで心あらず、と、立っていた職員の一人が驚きで口を開けた。


「あの方は、アーサー・ベリャーエフ議員。NY出身のロシア系、連邦議会の下院議員ですよ! あの次期下院議長の最有力候補者として注目されている方で……!」


「ああ。なんかソレ聞いたことあるかも。つーかそいつがなんで、プラザに来てやがンだよ」


「さあ……多分、それはこのプラザで新しく導入する、交通管理プログラムを確認するつもりじゃなかったんですかね。あの人今、『トゥールデの魔女』対策実行委員も兼ねていますから……」


「ウオリャッ! 禁則事項! それはコイツが巡査になってからに話しな!」


 鉄拳一発。彼の回りに黄色い星が飛び回った。


「それからヤツあ、俺の大学時代の親友でもあるんだぜ。いやー今夜は良い酒が飲めそうだ! ちなみにアイツ、噂によりゃあ下院議長どころかいつか代表入りして、大統領になるつもりでいるんだってな!」


「プレシデント? 無理だろ、あんなゾンビみたいな顔じゃ」


「コラ! そういうのを言うモンじゃねえ! せいぜいあだ名の死神って言いな!」


「そっちの方がもっと酷えだろーがよ」


 突然の部外者の出現に、取調室の様子はまた、今度は不思議と穏やかな方向へと変わっていった。やがてジョージも噛みつくこともなくなり、他の職員たちとも会話が出来ている。これはいけるかも、と、今度は軽く置くような感じで、ジョージの肩を掴んだ。今度は、ジョージは抵抗しなかった。


「よし、じゃあもう一度聞こうじゃねえか。バイショウキンとホシャクキンで麻薬売るよりオオモウケー、ということで、」


 一呼吸して、息をのむ。


「巡査になってみないか、ジョージ」


 その提案にジョージはただにやりと笑うだけであった。

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