第3話 三度目の神たらし

「マムシとカエルは美味いけど、アオダイショウは美味しくないです」


 何度かこちらでエピソードを書かせてもらっている、ウサギに命を救われ、マタギにモノノケと間違われた野生児バーテンダーさんは事も無げにそう言った。


 今年の春の飲食店自粛期間には、彼が働いているバーも長期休業となったので、彼は一月半程山にこもっていたそうでして。

 僅かな調味料だけを持って山に入った彼はカエルやヘビを捕まえては食べていたのです。


 果ては猪猟のマタギと山で出会って、猪猟を手伝い、猪肉にありついた数奇な運命のグルメ野生児に、「カエル、ヘビ、鹿、猪と、山グルメがレベルアップしてるから、次は熊やね」と、僕は言った。すると彼は「熊には一度負けてますから……」と言った。


「あれ? これ、話してませんでしたっけ?」熊とも遭遇しとったんかい、という僕のツッコミに対してそう言いながら、彼は熊に出会った時の話をしてくれた。


 自転車で日本一周をした時に、彼は北海道の長い坂道を一所懸命こいで駆け上がっていたそうな。ずーっと続く長い真っ直ぐな急勾配の坂道を目の前のアスファルトを見つめて一心不乱に足を回していたら、対向車線を走ってきたトラックに何度も何度もクラクションを鳴らされたのだと彼は言った。「うるさいなー。何も迷惑になるような事してないじゃないか」と憤慨しながら後ろに遠ざかっていくトラックを足を緩めずに見送った。そして、頭を元のとおり前方に向け、視線をまた道路に戻した後、ふと頭を上げて前を見るとそこには熊が両手を上げて立っていたらしい。


 北海道で、熊。ヒグマだ。急ブレーキをかけて止まったそのおよそ2メートル前方に、およそ2.5メートルの熊が立ち塞がっていたのだ、と。すぐさま回れ右して、シャカリキに、逃げた、と。幸い、逃げの一路は急勾配の下り坂、アスファルトの道路の上をロードバイクタイプの自転車をひとしきり走らせて、振り返るとそのヒグマは追いかけて来ることもなく、のそのそと道路から離れて行ったという。


「敗走ですよ。一敗です」と、彼は笑った。「トラックのおじさんも熊なら熊と言ってくれたらよかったのに」なんて事も言った。爽やかな笑顔で。


「脳内麻薬、なんですかね。死を間近に感じた時って、その危機から脱した時、めっちゃ気持ちいいんですよ」なんて、彼はとんでもない事をサラリと言う。


 冬山登山でのアイスクライミング時に、遠くの雪崩をきっかけとしてハーケン(くさび)がどんどん抜け落ちていくのを知った彼は覚悟を決めて6メートル程下のふかふかの新雪にダイブした。40センチ程雪に埋まったままで見上げたその先には大きなつららがあって、身動きも取れないままにそいつは落ちてきた。「身体を貫かれた!」と、彼が死を覚悟し、それを受け入れた後に助かった時( 神たらしエピソード1【神たらし 与太バナシ】 )の細かなディティールを、ヒグマバナシの後に、続けて彼は話してくれた。


 彼が九死に一生を得たそのエピソードは以前に聞いたのだけれど、今回はその時の肉体の細かな反応を詳しく語ってくれたのだ。


「死んだと思っていたら、脳の真ん中がすっごく熱くなったんですよ。そして、次に脳全体が熱くなって、頭から首、胴、腕、足、指先、爪先へと順々にその熱さは広がって行って、そしてその直後、今度は末端から中心に向かって、熱さの広がりとは逆方向にブワッと鳥肌が立っていったんです」と。


 その後、生きてる事を実感したらしいのだけど、「その時の感覚がめちゃめちゃ気持ち良かったんですよ」と、彼は言った。


 それを聞いて僕は問うてみた。「もしかして、勃起してたりしたの?」と。


「そうなんですよ。勃起、というか、果ててたみたいです。どのタイミングでかは定かではないのですが、気がついたらパンツがカピカピでした」


 この経験きっかけで、どうやら彼は本格的な【スリルジャンキー】になってしまったらしい。

 二十代の彼の夢は冒険家になることだと言う。

 強烈な体験で【生】を色濃く感じたい、そんな思いを熱く語ってくれた。


 男たらし、女たらしの上位に人たらしがいて、彼はさらにその上の神たらしだと僕は思っている。その生き様は正に神を楽しませる物語の主人公なんだ。

 彼の物語に脇役として出させてもらっている僕は、「この話、文章にしてネットに上げてもいい?」なんて断って、今、ここに筆を置くのです。

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