第2話 神たらし、再び
「おまえ、人間か?」こんな質問を見ず知らずの人から投げかけられた事のある人って、どれだけいるだろう?
本日立ち寄ったバーで、バーテンダーさんから聞いたエピソードの中に出てきたセリフが「おまえ、人間か?」だった。
そのバーテンダーさんは、以前に書いた【神たらし】のエピソードのその人で、そのバーは1F2Fで別店舗なんだけど経営母体は一緒の店で、僕は今日、2Fの店に行こうとしていたんだけど、彼を1Fで見かけたので1Fで飲む事にしたんだ。
「最近、なんか、新しいおもしろエピソードできた?」と僕が聞くと、「いやー、特にこれと言ってないですねー。一月半ほど山に籠ってましたし」と彼は言う。
や ま に こ も っ て た ?
彼の中では別段面白くもない話のようだが、普通のおじさんである僕からすれば、一月半山に籠るというのがもう別次元の話だ。僕は彼にその山籠りの話を続けるよう促す。
どうやら、新型コロナウィルスのせいでお店が営業を自粛していたその期間、決して密にはならないであろう山奥で、たった一人のサバイバル生活をしようと思い立って、実行したらしい。
「えっと、それって食料は現地調達で?」
「はい。最初の方は蛇とか蛙捕まえて食べてたんですけど、色々あって後半は鹿とか猪を食べてましたね」
もう、面白い。もう、訳が分からない。
「鹿?猪?マジで?」
「ええ。ある時、瀕死の鹿を見つけたんですよ。それでそれを担いで沢まで行って、血抜きして皮を剥いで解体して」
と、鹿の解体の手順を説明しだす彼。だけども動物の解体をしたことのない僕には大変分かりにくい説明だ。やはり彼は話の構成が下手だ。何より彼は【自分の当たり前】と【世間一般の当たり前】に大きな隔たりがあることを自覚していない。
テントとナイフと塩と砂糖と味噌は持って行っていたらしい彼は、基本それら以外は現地調達していたという。ペンとメモすら持たずに、木の皮を剥いでその裏にナイフで正の字を書くことで日数を把握していたらしい。
一応スマホは持って行ってたけど、夕方に電源を入れて電波を探して、会社からの連絡がないことを確認するだけの数分しか一日に使わなかったらしいし、「電池残量が僅かになったら帰ろう」と思っていたけど、一日数分の電源オンでは大して電池も減らなかったらしい。
飲み水はこうやって調達した、とか、水分はもちろん大事だけどそれ以上に大切なのは体温調節体温管理だ、とか、肉は干し肉にした、とかを彼は丁寧に説明してくれた。異次元過ぎて笑ってしまったけど、彼はきっと、サバイバル術を知っておくことが役立つ事もあるだろうと善意をもって全力で僕にレクチャーしてくれていた訳だ。いいヤツだ。
そして、ある時彼はその山の中でマタギに会った、と。
そのマタギに銃口を向けられながら言われたのが「おまえ、人間か?」だったのだそうな。
両手を上げて「人間です」と答えたその時の彼は、寒さをしのぐ為に解体した鹿の皮を纏っていたらしい。
マタギのおじさんに山に棲まうモノノケと思われてしまった彼。そりゃそうだろう。
そこから彼はそのマタギのおじさんと同行して猪猟をすることになる。
そして、猪を見つけたその時にマタギのおじさんは彼にこう言った。「このまま近づいたら、お前は気づかれないだろうが、オレは気づかれる。風下から近づくぞ」と。どうやら一月程山のモノ(主に肉)ばかり食べていた彼は猪の鼻に山の異物として察知されないであろうとマタギに言わせた訳だ。
なんだそのケモノ感。
目の前の彼はシュッとしたバーテンダーの格好をしてるのに。
かくして、彼ら(猟犬もいた)は猪を仕留めたそうな。そして猪の肉を分けてもらって食べてた、と。一人と一匹のマタギチームとはその後スッと別れて、また、一人サバイバル生活が続いた、と。
これが、彼にとっては面白くもなんともない話らしい。
「最近、なんか、新しいおもしろエピソードできた?」と僕が聞いたら、「いやー、特にこれと言ってないですねー」が第一声だったのだから。
山籠りグルメがカエルやヘビから、鹿、猪とどんどん豪勢になっただけでも面白いのに!
長々と書いたけど、僕は随分内容をはしょったのに!
世の中には変態がいっぱいだ。
僕が普通過ぎるのは、彼らの活躍をこうやって書き留める役割を天から授かったせいなのかも知れない。「普通の感性のおまえだからこそ、コイツらの生態を面白がれるのだ。だから、書け」と。
僕自身には大したおもしろエピソードは降りかからない。それは少し残念だし、釈然としないが、そういう事かも知れないな。
しょうがないから、これからも色んな変態さんの話を聞いていこうと思う。
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