神たらし、与太バナシ

ハヤシダノリカズ

第1話 神たらし、与太バナシ

「自転車で日本一周をした時に富士山に立ち寄って、五合目まで自転車で上がり、さて、そこから山頂を目指そうかという時に、『この相棒(自転車)をここに置いたままオレは一人で山頂に辿り着いて、それでいいのか?』と思った彼は、その相棒をその場でいくつかのパーツにばらし、背負って山頂までいったらしいんですよ」


 これは、昨夜立ち寄ったバーでバーテンダーさんから聞いた、そのお店の系列店で働く後輩バーテンダーの話だ。この話だけでもしっかり濃いキャラクターだというのが伺えるのだが、このエピソードは飽くまでジャブだった。


「自転車で日本一周するためには何回か海を渡らなければならないですよね。ヤツはバカだから、津軽海峡を泳いで渡ったらしいんですよ。自転車は宅配業者に依頼して事前に対岸に送っておいて。どうやら海流を捉えてそれに乗れば大した労苦ではないらしいんですけど、そんな馬鹿な、ですよね」


 基本野宿の自転車一人旅はそれほど珍しい話じゃないけれど、自分の身体で自分を運ぶ事にそこまで徹底する人は少ないだろう。ちなみに津軽海峡を泳いで渡った時にはTシャツ短パンシューズ着用で海に入り、疲れた時には靴を脱いでラッコみたいにその靴を浮き輪代わりにして休んでいたのだという。


「彼は冬山登山にも何度も挑んでいて、ある時二人の友人と共に、とある雪山に登ったそうです。その山の崖を上っている時に見えた隣の山が『自分を呼んでいる』と感じた彼は、その山の登頂後、二人の友人と分かれて単独でその山に挑んだらしいんです。アイスクライミングというんですかね。氷の壁にくさびを打ちつけながら、ロープをそこに引っ掛けながら順調に上っていたんですって。ところが、その山のどこかで雪崩が起こった。音と振動で雪崩を感じ取りながら、『あ、やばいな。これはくさびが抜けるわ』と彼は思ったそうです。暖冬である事と、雪崩の振動で案の定、崖の下の方からくさびが抜けて落ちる音がしている。それはすべてのくさびに伝播して全て抜け落ち、『オレが落ちるのも時間の問題だ』と思った彼はピッケルも放りだして、ふかふかの新雪に綺麗に落ちられるように準備した。そして、落下し、狙い通りふかふかの新雪に肩から背、腰の順に着雪できたらしいんです……が、仰向けに雪に埋まったその態勢で見上げたその先にしっかりとしたつららがあって、そのつららが今まさに落ちてこようとしているのが分かったそうです。でも、すぐに身動きも取れないし、つららの落下予想地点が丁度胸のあたりであったので、彼は『あー、オレ、死んだ』と、覚悟を決めて目を閉じた。程なくして、つららがドスンと胸に落ちてきた感覚があり、『死んだなー』と思っていたら、何やらおかしい。呼吸も出来てる、全身に血が巡っている事も知覚出来てる、目を開けると胸の上につららは立っている。『どういうことだ?』と彼はその胸の上のつららを持ってみた。すると、そのつららには野ウサギがささっていて、野ウサギを貫いたつららは彼の身体を傷つける事がなかったんですって。雪崩でパニックになって走り回っていた野ウサギがたまたま彼の埋まっている雪の上を通った時に、たまたまつららが落ちてきて、つららは彼ではなく、野ウサギを貫いた、と」


 なんだその、主人公感。人は自ら動く事によって、自分を自分の人生の主役と捉え頑張っていく事ができるイキモノだと思うのだけれど、このエピソードのような奇跡に巡り合える事はそうそうないだろう。うらやましくなくって、うらやましすぎる。なんか、スゲー。


 その、自分の命を救ってくれた野ウサギは、そのあたりにポイとしてしまう気にもなれず、彼はその絶命した野ウサギを家に持ち帰り、庭に埋めて墓標としてかまぼこ板を立てたのだという。


 たまにいるよね、「あなた、なんらかの物語の主人公をやってるでしょ!」って、濃い生き様をしている魅力的なキャラクターの人って。


 まー、そういう人には「勝てない」って感じてしまうんだけど、「彼の物語の脇役として、ちょろりと僕が出演できるのは光栄だな!」とも思わされてしまう。そんな、【ひとたらし】たる彼らは神をすら魅了しちゃうから、奇跡的な場面に遭遇するのかもしれないね。


 濃いキャラクターの人生をエンターテインメントとして神は見ていたりなんかして。「コイツおもしれーな」と、思う人間には試練と奇跡を与えてくれるんだ。きっと。


【オトコたらし、オンナたらし】の上位に【ひとたらし】がいて、さらにその上には【神たらし】がいるんだな、きっと。


 奇跡を体験したいなら、【神たらし】を目指せ! そんな教訓を得た昨夜でありました。


 バーでのバカ話はいいですな。

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