第23話 兎と狸。

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 スタジアムの廊下で、狸原たちのペアとすれ違う。猪子の側に精霊の姿はないが、狸原の側にはいる。だが、やはり豪華な衣装ではないようだ。


「――悪かったよ、亀山。オレ、後先構わずに……」


「別に大丈夫だ。この通り、三位決定戦で勝ったんだし」


「ならいい、のか?」


 頭を捻って唸る猪子の背後から、狸原が現れる。相変わらず、女王感溢れる雰囲気だな。兎川で慣れてない俺だったら、思わず跪いてるんじゃないだろうか。


「アナタの勝ちよ、亀山くん。主に兎川の件に関してだけど」


「勝ち……? 主に……?」


「ええ、アタシもいろいろと考えさせられたの。それにしても、一ヶ月足らずであそこまで上手くやるなんて、よくできたものだわ」


「俺は特になにもしてないが……」


「ふふ、そういうところなのかしらねぇ。もう参っちゃうじゃない」


 狸原は両手をあげて、やれやれと肩をすくめる。彼女の言いたいことは分かるような、分からないような、微妙なところだ。付き合いが全然ないから読み取れないのは当然とも言えるが、彼女ほど本音と建前を上手に使い分けていそうな生徒を俺は知らない。


 そんなことをぼんやりと考えていると、女王が今度は兎川のほうへと近寄った。ゆっくり、でも大きく、狸原は距離を詰めていく。


 それから、兎川の耳元で小さく「――おめでと、陽華」と囁いた。


 彼女の言葉を受け取った兎川は不敵に笑って、真正面からその瞳を見つめ返す。


「ありがとう、狸原さん。あなたも負けるんじゃないわよ。ぜひとも頂点に立ちなさいな」


「言われなくても。……せめて優勝くらいしなきゃ、たぶんアンタに並び立てないし……」


「……? なにか言ったかしら?」


「なんでもないわ。見てなさいって言ったのよ」


「言われなくとも、観させていただくから安心して」


 あれだけ目を背けていたのに、今となっては真っ直ぐに見つめ合っている。それだけで、二人には十分なのだろう。


 フィールドへと移動していく狸原たちを見送り、兎川は清々しさをその身に宿してつかつかと歩き出した。低めに結わかれたツインテールの髪が、ご機嫌な様子で左右に揺れている。


「亀山くん。あなたのこと、見直したわ。やるじゃない」


 運動靴の音だけが響く廊下で、歩みを止めずに兎川が告げた。振り向きもせずに、真っ直ぐに目的地へと進んでいく。


「言うの、今かよ。ま、兎川のおかげだろ」


「――っ。……ふふ、当然でしょ。大いに感謝してくれていいわよ?」


 よく言うぜ。俺の即答に驚いて、一瞬だけだが足を止めていたくせに。おかげで俺が追いつけてしまったじゃないか。


「さすがにもう本調子だな。これぞいつもの兎川って感じだ」


「はぁ……。いつもの私って、なんのことかしら。さ、早く行くわよ」


 これが照れ隠しならかわいいのだが、その気配はまるでなし。相変わらず、魔法関連のこととなると精神が強いんだよな。気まずいから、定位置の一歩後ろから向かうとしよう。


 大会出場選手エリアに到着すると、犬森と猫塚が揃って俺たちに手を振ってきた。


「おーっ、亀ちゃんとハナちゃん! こっちこっち〜」


「もうじき始まるぞ」


 手を大振りする犬森と、小さく振る猫塚。だがなぜか、左右に振る動きが見事に真逆だった。そのまま向かい合わせにしたら、きっと鏡になりそうないい具合である。喧嘩になること確定なので黙っておくが。


『さて、いよいよ決勝戦です。盛り上がって参りましょう!』


 会場にアナウンスが響き渡り、試合開始の鐘と同時に歓声が上がる。さすが最終戦だ。

 俺にはスポーツ大会を直に観戦した経験がないから、あまりの盛り上がりに気後れしそうになる。だが、苦手なはずの空気に包まれていても、不思議とそういう感情は湧かなかった。


「狸原さんはね、攻撃力、防御力ともに上クラスのオールラウンダーで、とても器用なのよ」


 着席して試合を見ていると、隣で兎川が妬ましく思うでもなく、ただただ誇らしそうに言った。そこにはもう、複雑に絡まってしまった感情などは存在しない。


「へえ、すごいな。いいライバルをお持ちのようで」


 率直な感想を返すと、彼女は「ふふっ」と満足げな微笑を浮かべた。それからは、夢中になって狸原の活躍を目で追いかける。


 狸原&猪子ペアは、ひたすら突き進んでいく猪子を中心に敵陣の旗を目指しているようだ。狸原は彼と上手く連携を取りつつ、ときに土人形を使って攻撃をしかけ、ときに盾や土壁を作って防衛している。確かに器用なものだな。


「……私、あなたには感謝してるの」


「ん?」


 究極スマイルをさらに綻ばせ、かすかに頬を染めた兎川がこちらを向いている。次の瞬間にぽつりと零された言葉は、鮮明に脳天まで響いた。


「ありがとう、亀山くん」


「…………」

 ここ数日での、突然のデレ。柔らかくて暖かな微笑み。

 それが幾度となく発揮されたため、俺はもう麻痺しかけていた。

「あいよあいよ」


「軽いわね……!? ありえない。もっと空気を読みなさいよ、まったくもう……」


 つまり、俺の軽い返事はその副作用というわけで。

 じわじわと動揺が時間差でもって追いかけてきた。だから申し訳ないことに、それ以降の試合内容はほとんど入ってきていない。

 感情から解放された隣の美少女が、その輝く瞳で純粋に観戦する様子ばかりが、気になって仕方なくて、試合のほうには全く集中できなかった。


『試合終了! 優勝はぁ~、狸原&猪子ペアだぁーっ!』


 歓声、拍手、口笛、それらによって会場が割れんばかりに包まれる。


「……おめでとう、狸原さん」


 そして、隣の兎川はやり切ったような顔で静かに笑みを湛えていた。 

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