第6話 意外な事実。

 体感時間ってのは、楽しさや癒やしと結びつくからな。無の状態で記憶に浸るだけでは、対抗できるはずもなかった。


「なあ、兎川」


「なに? まだ二分しか経っていないけど、飽きたのかしら」


「だから話しかけてんだよ、暇つぶしってやつ。質問していいか?」


「暇つぶしに使われるのは癪だけど、私も暇を持て余してるから売ってあげる。何が知りたいの? 値段によっては考えてあげなくもないわ。ちなみに、私に関する情報は高いわよ?」


「有料かい。そこは暇と暇で相殺しておけよ」


 ツッコミをしながら、俺は釘を刺されていることに気づいた。


 勢い任せにしようとしていた質問、それを今ここで訊くことによって生じるデメリット。

 内部生同士が何をどこまで把握しているかなんて知りようもないが、この場で兎川に関する質問を口にすること自体、危ういことだ。情報だけに留まらず、信頼関係等々の隠していたことが露見してしまうだろう。いまだに何人かの視線がこちらへ向いているようだし。


「……そんな大したことじゃないぞ。この場に早めに来るメリットと遅めに来るメリットは何だろうなって、なんとなく思っただけだ」


「早めに来るメリットと遅めに来るメリットね。思ったよりおもしろいじゃない。せっかくなら、あなたも考えてみなさいよ。そのほうが時間も潰せるでしょう?」


「そ、そうだな。まずは早く来るほうから挙げるか」


「席を選べるから、顔を見られないようにできる」


 早っ。そりゃ、さっき言っていたことだけどさ。コレ、俺も返さないとだよな。なぜか、まったくと言っていいほど、彼女と目が合わないんですけども。


「スクリーンが見やすい場所を選んだり、好きな席が取れる、とか」


「場の空気に触れることで、気持ちの切り替えができる」


「バレないか、という心配に精神を削られなくて済む」


「ペア相手と早めに合流することで、安心感を得られる」


「え、なに。おまえ、安心してくれてんの?」


「は、はぁ……!? そんっ……そんなことあるわけないでしょう。あくまで一例として、考え得ることを挙げただけに過ぎないわ。だから勘違いをなさらないで。はい、次。遅く来るほうの利点を亀山くんからどうぞ」


「えぇ……」


 いつものように噛み付いてくるかと思ったが、ふぃっと斜めを向かれてしまった。勢いで誤魔化されたのか、はたまた本気で嫌がったのか、さすがにそこまでは突っ込めない。都合よく、前者として捉えておくとしよう。


「んーと。席の選択肢が減ってるから、余計な思考をしなくて済む」


「ギリギリまで合流しないことで、ペアを隠せる」


「ギリギリまで大会の緊張感を味わわなくて済む」


「埋まった光景から、ペアが確認しやすい」


「トイレの心配をしなくて済む」


「……さっきから何なのかしら?」


 何って、突然すぎて君のほうが何だよ。全然思い当たらないんだけども、俺ってば、そんなに変なこと言ったかな? 


「どうしてぽかんとしているの? あなた、言い方がいちいちアレだって言っているのよ」


「アレと言われてもなぁ」


「マイナスを置き換えて言うのはやめなさい」


「んー?」


「はぁ……。早く来る欠点を一つ挙げてみて」


「場の空気に当てられて、大会のそわそわした緊張感を味わってしまう」


「ぶっとばしたいわ」


「なんでだよ!?」


 分からなすぎて怖いわ!

 なんだよ、言い方がアレ? もしや「しなくて済む」ってやつ? 分からなくはないが、相反する二つが並んだら、一方の欠点はもう一方の利点だろう。何もおかしくはないはずだ。


「まあいいわ、この話はおしまい。あと五分よ。心配ないように、トイレ、行っておいたら?」


「お、おう。そうするわ……」


 もしやじゃなくて、完全にそれだな。

 確信した俺は、微妙にもぞもぞした気持ちを抱いて立ち上がる。これは謝るべきなのか、それともこれ以上は話題にしないほうがいいのか、判断に迷うところだ。別に、早く集合しようと言った兎川を責める気なんて一切ないのだが――そう聞こえていたなら後味が悪い。


 戻ったら、一言謝っておこう。


 そう決意して、急ぎめに階段を上がる。

 さすがに五分前ともなると、席が埋まり始めていた。隣のペアと一席空けるのは、コソコソ話でキャッキャウフフと盛り上がるためだろうか。いや、どこが映画館デートだよ。


 普通に考えて、発表を聞きながら秘密の会議をするためか、単に「こんなに埋まらんて」とか「気まずいし空けとこ」とかいった暗黙の了解ってとこだろう。いや、映画館デートじゃないか。別段、悪くはないがな。


「あっれ~、亀ちゃんじゃん!」


 急に声をかけられて、ビクッと肩が震えた。誰だよ、すごい油断してるトコを突いてきたのは。こんな明るく無邪気な女子は一人しか知らないから、選択肢なんてないけどな。


「犬森かよ。びっくりした……」


 俺たちの三列後ろ。その通路側の端に陣取って、犬森たちは座っていた。ペア相手は一体どんなやつかと気になって、せっかくだからと隣に座る男を覗こうとしてみると、ひょっこりと向こうから顔を覗かせてきた。


「ヤッホー、亀チャン」


「ね、猫塚……!? おまえら、ペアだったのかよ!」


「気づかなかった? すごいだろ、俺たち」


 にっこりと爽やか極まる笑みを受けて、俺は頬を引き攣らせて笑う。


 待て待て、そんな雰囲気まるでなかっただろ。いっそ、お互いに「敵同士です」と言わんばかりの空気感だったじゃないか。なんだったんだよ、アレは。犬森は対抗心アリアリで意識しまくってたし、猫塚のほうは若干避けるようにしてただろうが。全部演技かよ怖ええよ。


「う、うん! 意外でしょ~、アハハ」


 なぜか犬森は緊張した様子で頷く。頑張って同調しようとしているふうに見えた。わざわざ何を取り繕ってるんだよ。俺と猫塚を相手にそれは必要ないだろうに。なんとなく空気が重たくも感じてくる。


「あ、ああ、意外だった。じゃあ、そろそろ。俺、一応トイレ行くとこだからさ」


「あ、うん。またね、亀ちゃん」


「んじゃな」


 足早に目的地へと向かって、とっとと用を済ませる。何もおもしろいことはないから、カットだカット。ただ、ひとつだけ。めっちゃ清潔で綺麗だった。


 ハンカチで手を拭きながら歩いていると、扉の近くで壁に寄りかかった猫塚の姿が目に止まった。


 通りがかりに黄色い声をあげる女子たちへ、爽やかスマイルで手をひらりと振っている。そして、彼女たちが通り過ぎたらスンと真顔になる。その顔の清涼感よ。甘さとコクがあって、爽やかさはしばらく続きますってか。どのチョコミントだよ。シトラスに留めておけ。

 そんな猫塚だが、俺の顔を見つけるとベンチのある方向を親指で示して歩いて行った。どことなく行きにくいな。しかも、このタイミングときた。あの件じゃなかったら追いかけなかっただろう。


「なんだよ、猫塚」


 猫塚が足を止めたところで、俺は背後から話しかける。振り返った彼は、宣戦布告でもするかのような心持ちの顔に、シトラススマイルを貼り付けていた。


「いいや、特別なにも。大した怪我じゃなくてよかったよ、と思ってな」


「ん。ありがとな、いろいろと」


「なんだよ、いろいろって」


「おまえ、熊崎にちょっかいかけた三人組に何かしただろ。遠巻きにじろじろ見られたぞ」


「チッ……謝ってねぇのかよ、アイツら……」


 刺々しく吐き捨てると、猫塚はハッとする。そこまで言う気はなかった、とでも言いたげな反応だ。じゃあ、何のために俺を呼んだんだよ。分からないやつだな。

 猫塚は声作りをして、改めて告げてくる。


「そこまで知ってるなら話は早いな。とにかく俺は、オマエが勘違いしたまんまだったら胸クソ悪いと思っただけだから」


「そうかよ、なら俺は大丈夫だ。おまえがすげえ剣幕してんの見えてたし」


「なに、見てんだよ。俺のこと気になってんの?」


「もしかしなくても、俺に呼びかけたのって猫塚だろ。おまえこそ気になってんじゃん」


「そらーね。俺、亀チャン好きだし?」


「やめろやめろ」


 こういうやりとりは、ぶっちゃけ気が楽だ。同性だと確かに楽。しかし、コレジャナイ感は否めない。なんで男なんだよ、おまえも熊崎も。


「ははっ。戻ろうぜ、亀チャン。女子を待たせるのはよくない」


「だな」


 こんなイケメンと並んで歩くのも訳が分からなかった。

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