第5話 講堂前で待ち合わせしたら、デートみたいだった。
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昼食を済ませ、いよいよ公開の時間が近づいてくる。
無事に着替えは済ませられたが、ネクタイは曲がっているような気がする。普段は問題なくできるんだけどなぁ。まあ、こういうときもあるさ。
俺は会場への道を一人、のどかな気持ちでゆったりと歩いた。そこは入学式が行われた講堂と同じ建物だから、行き方も問題なく記憶している。初日から迷わないように、と星良から叩き込まれたので、早々忘れはしない。
これから発表される情報は、基本的にペアが揃った状態で見ることになっているため、その段階で組み合わせがバレると言えた。ゆえに俺は堂々と、有名人の兎川陽華を全面的に目立たせる感じでいこうと考え、肩の荷を下ろす。今日は多種多様に喋ったことだし、いいだろう。
そして、記憶通りの場所に辿り着くと、予想以上に多くの一年生たちが待ち合わせをしている様子が視界に入るのだった。
俺たちだけでなく、新入生たちが会場であるこの講堂前で待ち合わせていたのだ。男女混合のペアばかりらしく、流行のデートスポットを選んでしまったのかなとか思えてくる。
これでよかったんだろうか。妙に小っ恥ずかしいんだが。
視線を虚空へ向けていると、真正面から「亀山くん」と凛々しい声で呼ばれた。俺の姿を見つけて駆け寄ってくれたのだが、目立つ形になってしまったのがさらにこそばゆい。
「今日は早かったのね」
「たまたまな」
「ネクタイ、あまりにも不格好なのだけど」
「なんでか上手くいかなくて」
「はぁ、ちょっと失礼するわよ」
兎川は俺のネクタイに手を伸ばし、せっせと形を整えてくれる。ちょっと締めすぎだ、後でこっそり緩めさせてもらおう……。
今度はこちらの顔をじーっと見つめてくる。正確に言えば、頬に張られた大きな絆創膏を見ているらしかった。箒で擦ったようで割と長めの傷跡が付いていたから、それなりに目立つ大きさの絆創膏なのだ。
「その顔どうしたの?」
「あー、体育の飛行実習でちょっとな。事故ったというか」
俺が絆創膏を付けた箇所を掻くと、兎川はさらに怪訝な顔をした。
「手の甲もじゃない」
「そうだな。ちょいと油断してたら、ひっくり返っちまってさ」
「あなた、飛べないはずよね?」
「ああ。普通に地面に座っててひっくり返った」
どうして? と言わんばかりの瞳を向けられる。そんな憐れみの感情を向けないでくださいまし。本当に事故なんだよ、あれは。
「まあいいわ。合流できたのだし、もう中へ入りましょう」
誰か会いたくない人でもいるみたいに辺りを見回し、兎川は先に講堂へと入って行った。俺も知った顔がいないか念のため見回してから、後へと続くことにする。
ロビーに入ると、ホール前の扉近くで出席確認が行われていた。係りの先輩からの案内に従って、兎川が卓上の端末に手を置く。俺はそれを三歩ほど下がって見守った。
「お待たせ。席は一階と二階で選べるそうなのだけど、どちらか希望はあるかしら?」
「じゃあ、目立たなそうな二階で」
「分かったわ。行きましょう」
二階へと続く階段を上りながら、俺は内装を堪能する。学校の敷地内に佇む講堂にしては立派な装飾が施されており、写真に収めたら華やかな絵となりそうなものだ。
ちょっとだけ立ち止まって、どんなものかと指で四角形を作ってみる。
思った通り、素晴らしく絵になった。これから演劇の舞台を見に行く、そんなワクワク感を生じさせる雰囲気の――いや、ちがう。兎川が映り込んだことで、この場所こそが演劇の舞台と化した。映える背景には映える被写体だ。
「亀山くん? 立ち止まって、何をしているの?」
「あ、悪い」
兎川が首を捻りながら見下ろしていたため、俺はすぐに追いかけた。ついつい、見惚れていた気がする。どこからどう見ても、綺麗なんだよなぁ。
「それで、今日はどうだった? 友だち作りをしたいと言っていたけど、できたかしら?」
「うーん、長年その概念がなかったからか、バグみたいなものが起こっててさ……友だちってどっから言えるんだろうな、と現在進行形で考えているところだ」
「悲しいバグね。でも、私に聞かないで自分で答えを出しなさい。友だちの定義なんて、所詮は主観的なものでしょうし……」
語尾はほとんど聞こえなかった。誤魔化すためでなく、覇気を失って――その言葉は空気中に溶けていく。聞き返すべきではない雰囲気だということは幼児でも分かるだろう。かといって、どうするのが正解かなんて分からない。稀に適正な判断をする俺の思考に賭けてみるが、本日はどうも閉店したみたいだった。役立たねぇ。
俺が自分自身に悪態を吐いていると、兎川は自身で気を持ち直したらしい。こちらの目を見て、もう一度尋ねてくる。
「聞き方を変えるわ。今日、何人かに話しかけられた?」
「それはあったな。みんな浮かれすぎだろってくらいに雰囲気が変わってて、俺はもうひっくり返るかと思った」
「あら、実際にひっくり返ったんじゃなくて?」
「別だよ! あれは飛行実習って言っただろ。しかも、物理的な事故だっつの! 箒がこう、急にぶっ飛んできたから!」
「ふふ、もちろん分かってるわ。冗談よ冗談」
「なんだよもう」
今の兎川は妙に空元気だった。「元気」という明るい響きは兎川にあまり似合わないが、ここはそう呼称するのが相応しいだろう。さっきもそうだったが、誰か会いたくない人がいて、その人のことを考えないようにしているかのようだ。
少なくとも、俺の目にはそう映った。
二階に到着して扉をくぐると、ちらりほらりと席が埋まっていた。完全自由席ではないみたいだが、内側から座れば何列目でもいいらしい。
「どこにするよ?」
「亀山くんの希望がないなら、一番前かしら」
「まあ、ねーけど……理由は?」
「人に顔をじろじろ見られなくて済むから」
スクリーンが見やすいとかの理由ではなく、「見られなくて済むから」とな。しかも即答だった。言っているそばから既に注目されているため、説得力はすさまじいな。
もしかしなくても、俺の勘はいいところをついてるんじゃないか。心身の危険を感じるくらいにナンセンスなことだから、訊いて確かめるなんてしないが、誰かを意識していることは間違いなさそうだった。
「じゃあ、そうするか」
「あそこならスクリーンも見やすいわね」
話しながら、兎川は最前列へと向かって階段を降りていく。すでに着席していた生徒たちの視線は、見事なほど例外なく彼女に集まっていた。
入学式では新入生として一階が指定席だったから、二階に足を踏み入れるのは初めてだ。もっとこの光景を堪能したいのだが、そうにもいかないようである。
「俺にも映像見えるかな?」
「プロジェクターで映すようだから、亀山くんにも見えるはずよ。ほら」
兎川が指で示した一階部分を覗いてみると、確かに映写機があった。これは一安心だ。ありがとう、運営。仲間外れにしないでくれて、ありがとう。
安堵を感じつつ、彼女の右隣に俺も腰掛ける。劇場仕様の椅子って、なぜか折り畳まれた状態で上に座ってみたくなるよな。さすがにやらないけど。
「あとどれくらいだっけ?」
「予定ではあと十分くらいね。混み合う前に来れてよかったわ」
「そうだな」
集合時間を聞いたときは早すぎやしないかと思ったのだが、実際に来てみるとそうでもなかった。教室で気を張りながらドキドキするよりも、会場に来てしまったほうが案外ドキドキしないものである。というか、全くドキドキしていない。場の空気に、些かそわそわする程度だ。
兎川のおかげだろうか。俺に視えずとも、彼女は見ていてくれるのだし、そこに関しては最大の心強さがある。あと、多少考え事をして話を聞いていなくても大丈夫そうという点も。
これなら、十分なんて割とすぐだろう。
「ほら、どうぞ。あなたたちは私の膝の上に座るといいでしょう」
「ん? あぁ、精霊か……」
「まさかとは思うけれど、精霊の存在を忘れていたとかいうわけ、ないわよね?」
「なっ、ない、デスケド」
「物凄くカタコトね、嘘が下手なのかしら」
ほっとけやい。
こればかりは仕方ないと許してほしい。ハンカチは見えても、姿は視えないんだからよ……。こりゃお先真っ暗だ。この空気で約十分を乗り越えるには――寝たふりしかない。
腕を組んで、じっと目を瞑ってみる。そして、スマホの画面越しに見た「兎川と精霊の絵になる交流」を思い出して浸ってみる。いけるいける。もう五分くらい余裕で経っただろ。
ところがどっこい、いざ時間を確認してみると、五分どころか三分も経っていなかった。辺りを見回してみても、変化はなし。人もあんまり増えていなかった。
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