第2話 体育って、体操着って……。

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 三時限目が終わり、女子は更衣室へ向かって、男子は教室でそれぞれ体育に向けて着替えを始めた。


 無心で着替えをしていると、忘れ物をした女子が澄ました顔で教室へと乗り込んできて、なぜか男子のほうばかりキャーキャー言ってる図ができあがったりするものだ。よくあることながら、なんだコレと思う。逆はともかく、おそらく興味持たれてないぞ。

 というか、変身魔法たらいう瞬時に着替える技を使ったらいいのに。


「おー着替え終わったみたいだな、亀チャン」


 俺の背後にピッタリとくっついてきた猫塚が、静かに耳元で囁いてくる。だから、こんなのは誰も得しねえって。案の定、猫塚のキャラは完全に変わっているし。諸々なんでだよ。


「…………」


「んだよー、冷たいなぁ」


「何も言ってないだろ」


「警戒心丸出しじゃん」


 ハハハと楽しげに猫塚は笑ってくるが、そりゃそうだろう。

 いきなり変に絡まれたと思ったら、第一印象と雰囲気がガラリと変わったりして恐ろしすぎるんだから。もはや、狙われているようにしか思えない。身だか精神だかの危険を感じる。


「いつものメンバーと行かなくていいのか?」


「ああ、気にすんな。あいつらだってほら、気にしてる様子ねーだろ?」


 猫塚が顎で示した先にいたのは、例の男子生徒たちだった。確かに、猫塚を気にしている様子はない。なさすぎて、一周回って怪しすぎるくらいだ。

 疑い始めると止まらないってのは、まさに今の俺みたいな状況だろう。人狼ゲームとか、たぶんこういう感じ。実際にやったことがないからあまり知らないけど。相手いないし。


「ってことで、グラウンド行こうぜ?」


「いいけどさ」


 ここで断る勇気も理由もないため、渋々といった形で応える。


 そして、並んでみて思った。完全に引き立て役だな俺、と。


 おそらく猫塚にその気はないだろうが、百七十センチ前半の隣に百八十センチ近い身長の男が並んだら後者が映える。雰囲気も温度も色合いも違うことだし、そうなるのはもはや当然の理だ。なるほど、コレが世界の現実ですね。


「なあなあ、亀チャンのパートナーって女の子?」


「だから、言わないって言っただろ。それに、冗談なんじゃなかったのか?」


「もうすぐ発表されるんだし、これくらいはいいだろ。精々、選択肢が半分になるだけだ」


「二分の一に絞られたら、全然少しじゃないっての。あと数時間待てばいい話だろ、大人しく待ってろよな。ステイステイ」


「俺は犬かよ。ちぇー、他の奴らは快く教えてくれたけどなぁ」


「他は関係ねーよ。俺は俺だから」


「確かに、亀チャンならしょうがないかもな」


 気になる言い方をしてくる。まさか、俺の魔法無効化を確信されているとか……? くそ、視えないから、たとえ何かを使われそうになっても分からないんだよなぁ。いや、ここは冷静に、何事にも動じずいこう。


「そらどうも」


 気にしたら負けだと自分に言い聞かせ、快晴の頂点に御座す太陽とのご対面に目を細める。ま、眩しい……。


「おぉっと? 猫塚、亀山くんと一緒に来たんだ!」


 グラウンドへ出ると、無邪気な笑顔を浮かべた犬森が俺たちを迎えた。


 俺は咄嗟に、視線を右斜め下へと逸らす。

 犬森は運動を始める前から既に半袖で、ジャージの上着を腰に巻いていた。まだ春先で、ほんのり暖かいくらいの気温なのに、布が少ない。ただでさえボディのラインが浮かんでいるのに、小走りされるとそれなりに揺れて――それはもう、くっきりと見えてくる。

 成長期らしい妹の、きっと二倍はある大きさだ。だけども、胸元だけが不自然に目立っているわけではないという、なんとも自然すぎる豊満さ。このレベルにはまるで耐性がない。


 加えて、彼女は顔にも愛らしさを持っているため、普段はその無邪気な表情に目が惹かれるものだが……すごいぞ体操着。


「結構おもしろくてさ、亀チャン。すごい盛り上がったんだよね」


 嘘つけ。盛り上がってたのはおまえだけだよ、猫塚。また猫被ってるし。

 そんな俺の疑いに塗れた視線に気づく素振りなく、犬森は楽しそうな様子でにへっと笑った。


「へぇ、亀ちゃんって呼び方いいね! あたしも呼んでいい?」


「えっ、あ」


「ありがとー!」


 おい、自分で聞いて自分で許可すんな。そう呼ぶのは構わないが、口を挟ませない勢いなら、いっそ聞いてくれるなよ。あたふたとしちゃって恥ずかしいわ。


 そんなこんなで授業前に歓談するという、初めての体験をしていたら、しゃっきりとした牛久先生が腹から声を出して呼びかけた。


「揃ったな、ストレッチを始めるぞ」


 屈伸をしたり、手首や足首を回旋したりと筋肉や関節をほぐしていく。今のところ、俺が体育で参加できるのはこれくらいだから、ここだけでも真面目にやっておく必要があるのだ。


 しかし、今日はなんだか得体の知れない危機を感じる。この後に、いつもと違う何かが待っているような、と勘が告げていた。


「では、今日から二人組でしっかりと柔軟もしてもらう。誰でもいいから、近くの奴と組め」


 牛久先生の言葉を耳にし、俺はたちまち顔を歪めた。自分でも分かるくらいに目元がひくひくとする。


 俺はこの手の授業が本当に苦手だ。今までスムーズに二人組を作れた試しがない。奇数のときは必ずと言っていいほど余り者になり、どれほど先生と組んだことか。ちなみに、四人組でもなかなか入れなかった。


 いや、いやいや、落ち着こう。今日は近くに猫塚もいるし、もしかしたら浮かずに済むかもしれない。んーと、こういう場合はどうやって話しかければいいんだっけか……って、成功の経験ないんだった。いつの間にか、猫塚も近くにいないし。おい、こりゃ詰んだぞ。


「ねーねー、亀ちゃん! あたしと一緒にやらない?」


「……へ?」


 脳内へと染み込んできた女子の声に、俺は頭を抱えたまま固まる。じっくりとその言葉を反芻した後、彼女に確認を入れることにした。


「えっと、俺と? 犬森が? 一緒に?」


「そうそう! 亀ちゃん、確かにおもしろいね!」


「そ、そうか」


「あ、でも、嫌だったら全然いいけど……」


 犬森の無邪気さに若干引きずられ気味でいると、彼女は一転して悲しげな表情になった。

 うっ。せっかくのお誘いなので、断る気は毛頭ないのだが……なぜだか申し訳なくなってくる。なんだ、このつぶらな瞳は。うるうるとしていて、ものをねだる子犬みたいで、迅速な了解を求められている心地さえしはじめた。


「や、大丈夫だ。むしろ、俺でよければ」


「おぉ! じゃあ、始めよっか。亀ちゃん、お先どーぞどーぞ」


 流れるように誘導され、俺は地面に尻を付けた。まずは開脚をして右側に身体を倒して――。


「いってぇっ」


「わっ、ごめん。亀ちゃん、思ったより身体硬くて……。柔軟だけでも毎日して、本番に備えたほうがいいよ?」


「今この瞬間で、よーく実感したわ」


「うんうん。次はもうちょい優しめに押すね」


「ああ、さんきゅ……って、いだだっ」


 運動不足の身体には、そのちょい優しめも割と痛いものだ。さすがに柔軟くらいしておかないとな、と身に染みて感じる。案外、他人から押されないと分からないものらしい。俺とか自分に甘々だし、な。

 左側に伸ばし、それから真正面に身体を倒すと――これがマジで痛い。曲がらない。


「いたたたっ」


「がんばれがんばれ!」


 犬森は早くもおもしろがって、俺の背中に体重を掛けてくる。

 ちょっと待て。この柔らかくてモチッとした感覚は絶対当たってるだろ。髪からはココナッツみたいな甘ったるい香りもしてくるし。意識がそっちに集中して、柔軟していることさえ忘れそうだ。いっそ、硬さによる痛みも忘れさせてくれ。


「……ねえ、亀ちゃんは猫塚のことどう思う?」


 不意に耳元で囁かれ、俺の動きはピタリと止まる。ハキハキしていた声から一転して、妙に落ち着き払った声が聞こえため、理解が追いつかなかった。


「どうって、どういう?」


 体勢を変えて柔軟を続けつつ、俺は小声で彼女に質問を返す。どんな表情をしているか気になったが、さすがにそこまでは首が回らなかった。


「あいつ、外部生じゃん? だけど、まるで恐れなしというか。先週までのバチバチした空気の中でも、平気でニコニコしててさ。あたしたちのグループとも、涼しく爽やかに挨拶交わしてたし、その結果としてクラスにすごく馴染んでるでしょ?」


 犬森の囁きに、俺は頷いて応える。なるほど、内側からだとそう感じるのか。だったら、外から来た俺が勘違いするのも無理はない。


「ほいっ、交代しよ!」


「ああ」


 今度は犬森が座り、俺が背後から押す。やはり布が少ないから、ブラの紐がどこにあるかよく分かった。触らないように気をつけよう。自衛、大事。


 他人のことを言うだけあって、彼女の身体は柔らかかった。べったりとまではいかないが、地面すれすれまで上体が曲がる。


「で、続きなんだけど……。さすがにペア相手の子から、そういう忠告はされてると思うんだよね。気をつけてよ、とかって。それで乗り込みに来るとかどう? すごくない?」


「実際にあいつが、それ関連で何か喋ったりとかあったのか?」


「それがね、皆無なんだよ。ポロッと情報零すとかもなし。何にもくれないの」


「じゃあ逆に、探りをしかけられたりとかは?」


「その覚えもないんだよねぇ。うー、知らないうちにとかだったら、怖ぁっ……!」


 上体を起こし、犬森はわざとらしく自分の腕を擦ってみせる。


 ほれ見たことか。滅茶苦茶に警戒されてるじゃないか猫塚。俺だけじゃないだろ! といった感情を込めた視線を送るべく見回して捜索してみると、そこには女子に囲まれて談笑する猫被り塚の姿があった。イケメンリア充め。


「だからね、あたし、今日はビックリしたんだよ?」


「何に?」


「あいつが満足げに笑ってたの、たぶん亀ちゃん相手が初めて」


「こ、怖っ……」


 俺の口から心の声がダダ漏れし、犬森が堪えきれずに「あっははっ」という具合で吹き出す。


 それを他から怪しまれないように、俺たちは素早く牛久先生の元へと身を運ぶことにした。

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