第2話 スマホって便利。
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徐々に積み重なった劣等感。そこから目を背けたくて、俺はやってらんねえと背を向けた。どうして向き合おうとした瞬間に、それは容赦なくやってくるのか。人生は残酷だ。
やはり視えないことにはどうしようもない事柄があり、参加できない授業によって馴染む機会を奪われる。実習ってのは、唯一探り合いがない交流の場なのだろうが、そこに俺の居場所はなかった。
『 亀山くんへ
どういうつもり? あなたのための特訓なのに、サボるなんて信じられない。
何のためのペア戦だと思ってるの? 私だけじゃ意味ないのよ。
それに、お披露目会まで時間は限られている。
そんなこと、分かってるでしょ。なら、どうして?
本当に呆れたわ。「俺はひとまずついていく形で」っていうのは嘘だったのかしら?
兎川陽華 』
恐ろしいくらいにキレのある字だ。一画一画がビシッバシッと書かれており、とんでもなく読みやすい。ゆえに、怒りがひしひしと伝わってきた。
おそらく、この手紙を書いたのは昨日の放課後だろう。初めて、特訓をサボったのだから。
昨日は、ひらひらとハンカチをなびかせながら困惑する精霊に対して、「今日は無理なんだ」とかなんとか言って俺は帰宅した。
今日も同様だ。卓上から見上げてくる精霊が、どことなく悲しそうにしている気もしたが、視えないのでこれはただの想像にすぎない。もう全てがどうでもよくなってきた。
いや、悲しいのは俺かもしれない。精霊が触らせてくれない理由なんて、今ではよく分かっている。「魔法無効化能力」らしきものを持つ俺には、元より資格などなかったわけだ。
チョコを一欠片摘まみ、ゆっくりと口の中に入れ込む。カカオ独特の香りが鼻から抜け、苦みが奥底から存在を出してきた。もっと甘いのにすればよかったな。
兎川の言いたいことだって分かる。だが……分かってても、気持ちは追いついてこない。
「仕方ないだろ、俺にはやっぱりできないんだから。ほっとけよ、おまえには分かんねぇって」
ダイニングテーブルの上に手紙を放り投げ、椅子を二つ陣取って横になった。
虚無には虚無だ。いっそ、何も考えないほうがいい……あぁぁー。
ガチャッ!
「……ぅぉっ!?」
虚しさに声を発しかけていると、勢いよく玄関の扉が開かれた。
ビックリした。椅子から転げ落ちるかと思った。
そのまま「ふぁぁあ」と隠すことなく欠伸をしながら短い廊下を進み、ダイニングキッチンに差し掛かったところでギョッと足を止める。おい、全部聞こえてるぞ、妹よ。
「うわーっ、ビックリしたぁ。何やってんの、るー兄」
若干上擦った声を発し、ダイニングテーブルの脇で寝転がっている兄を上から覗き込む。呆れとも心配とも好奇とも取れる複雑な瞳をしているが、たぶん実際は何も考えちゃいない。
俺の妹、
顔はそこそこ俺と似ている、らしい。当人たちにはよく分からないものだが、よく言われるので俺はそう思うことにしている。星良にとっては些か不服であるようだが。
短めにカットした髪はハーフアップにしているため、前髪以外が揺れることはなく、後ろから毛が流れてくることもない。本人曰く、楽。だから、その髪型にしているそうな。
……そういうところが、如何にも俺の妹なんだよなぁ。言わないけど。
そういえば、結ばずにピンで留めただけでもハーフアップと呼んでいいのだろうか。ちなみに、現在のお気に入りは水色の三角バレッタらしい。結構どうでもいい。
「見て分からんか、現実逃避だ」
「へー」
さして興味なさそうな適当極まる返答だ。超絶ドライ。いつも通りなので、兄は傷つかない。
「星良、菓子食うか?」
「うん――って、チョコじゃんコレ。マジやめて。そろそろ学んで」
元々低かった声の温度がさらに下がった。低温乾燥って、日本の冬場の天気かよ。もう春なんですけど。
しかも、兎川のような鋭さを持ったツリ目じゃないのに、彼女に負けず劣らずの冷たい瞳まで浮かべている。もしや、垂れ目から発される冷視線のほうがおっかないのでは?
「……すまん。わざとじゃないんだ」
だが、これは全面的に俺が悪かった。我が妹のことながら、ついつい忘れて聞いてしまうのだ。チョコがまるきり嫌いなんて、なかなかに珍しいもんだからさ。
「どーだかねぇ」
呆れ満載の声で呟きながら、星良は一旦自室へ戻る。そして、鶴島印のブレザーを脱いだ下着姿のまま、着替えを持ってダイニングへと戻ってきた。いや、着てこい。寝てても見えるんだぞ。中三とか年頃でしょうが。
俺はむっくりと上体を起こす。一応、呆れの視線は忘れない。
「なぁー、星良。愚痴聞いてくれよ」
「えぇーなんでさ。妹に愚痴とかダサいよ?」
「お詫びに、今日の夕飯は俺が作るから」
「おっ! やったね、パスタだぁ。何にしよっかな~っ!」
るんるん舞いながら、被せ気味にメニューを言い当ててくる。さすが実妹、よくお分かりで。俺といえばパスタ、パスタといえば俺、というのが亀山家だ。理由は特にない。
「よし決めた。んとね、鯖のやつと卵とベーコンのやつがいい!」
名称のない鯖のやつはともかく、卵とベーコンのやつはカルボナーラって言えよ。こういうときだけ声色豊かになりやがって。つか、いつまでタンクトップのままいるんだよ。
妹には夢も希望も優しさもあるものか。あるのは「ちゃっかり精神」くらいだ。頼み事をするときだけはめちゃくちゃ胡麻を擂ってくるし、物に釣られたときだけはおだてもしてくる。
「それで、何か悩みな訳?」
「一回整理したいんだ。ごちゃごちゃしててさぁ……」
ようやくTシャツを着た星良は、軽い足取りで室内を歩いた。それから、何食わぬ顔で俺の正面に腰を下ろす。気づけば、緑茶を入れたコップとともに、のりしおと書かれた袋がテーブル上に置かれていた。
「よし、どーぞ。ポテチ開けていい?」
「訊きながら開けてるじゃねーか」
「まぁね」
こんなにもマイペースで、菓子さえ箸で食うやつだけども、俺は星良に感謝している。
魔法社会とはあまり縁が無かった俺が鶴島学園を知ることができたのは、妹がその付属中学校に通っていたからだ。言い換えれば、星良が通っていなかったら、俺は入学試験すら受けていなかったかもしれないのである。
「俺の入学理由ってさ……ある意味、通学よりも通院だと表したほうが感覚的には近かったりするだろ?」
「ほん、そーいやーそうだったね。……んぐもぐ」
なぜ使えないのか? なぜ視えないのか? それをどうにかできるのか? それらの疑問が解消できればいいな。ついでに、学校生活をエンジョイできたらいいなぁ……と。俺としては本当にその程度で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
だから、兎川にとんでもないハードルを置かれた気がしたのは、全くもって気のせいではなかった。気持ちが追いついていなくて、俺にはやりがいのありすぎることだったから、不安要素しかなかったのである。
そこに、あの飛行実習なんか来てしまったら、憂鬱にだってなるだろう。大きな希望が生まれてしまったら、絶望に転んだときは相応に苦しいものになるんだから。
「この精霊だってさ、俺には本当の姿が視えないんだからな……。いろいろ俺には無理すぎたというか、分不相応だったのかなって」
「もぐ、ゴクッ……。別に、裸眼で視えないからって諦めることなくない?」
「ん?」
星良は箱からティッシュを一枚引き出すと、持っていた箸をその上に置く。そして、菓子袋の横に置いたスマートフォンを手に取り、精霊のいるほうにカメラを向けた。
カシャッ。
「ちょっ、オイ何してんだよ!」
「だからさ、裸眼じゃなくていいじゃんってこと」
「はぁ?」
「スマホで撮れば、ほらっ! これなら視えるんじゃないの?」
「……えっ、マジだ」
差し出された星良のスマホ画面には、確かに精霊らしき人の姿が写っている。いつものハンカチを被っているから、間違いなかった。
三頭身ちょっとのちんまりとした姿は、デフォルメされたフィギュアみたいでとても可愛らしい。目尻の垂れた黒とグレーの瞳も愛らしい。へぇ、羽はないのか。それでも、飛んでるっていいなぁ。
そんでもって、何より髪の毛だ。色は真珠のような銀白で、その長めの前髪が左目を秘している。……目が隠れてるって、ある種のロマンだと思わないだろうか。
「精霊くん、もう一枚撮ってもいいかな? うん、今度はハンカチ取って――そうそう。で、背中をこっちに向ける。いいね! いいよ~!」
モデルを撮影するカメラマンのように、星良はノリノリでスマホを向けている。精霊も楽しそうにやっているのだろうか。
「ほれ、るー兄。精霊くんハンカチなしバージョン! 本来の姿はこんな感じ」
「ほぉ……へぇ……」
半袖の黒Tシャツに焦茶色のズボン、それから白のロングブーツを身につけていた。とてもシンプルな格好で、その質素感が逆に味わい深いというものである。
銀白の後ろ髪は思っていたよりも長く、腰辺りまで長さがあったらしい。ハンカチがないことで光がより反射し、パールにも劣らない一段上の光沢を見せている。なんだか、神聖な存在に感じてきた。
だが――恥ずかしそうな様子もなく、めちゃくちゃノリノリで写っている様子が画面の中にある。これは予想以上だ。感動で涙が出そうなくらい。
「コホン。結論、スマホこそが優秀ってことね。ついでに、私の閃きも?」
「……俺が劣ってるって言いたい感じ?」
「違うよ、スマホがすごいんだよ」
「一緒だろ」
「スマホに人間が勝てるわけないじゃん。人間技術の結晶をナメちゃいけないのさ」
ほう、それなら正論だ。我が妹ながらいいことを言う。しかし、正しく使う人間がいない限り、スマホが輝けないのもまた事実。何を隠そう、俺のスマホのことですね。
せっかくなので、俺も素晴らしい使い方を実践してみることにした。
「いきなり撮ってごめんね、精霊くん?」
テーブルの上で星良とわきゃわきゃ遊んでいるのが、画面上に映る。あぁ、視えるっていいなぁ。触れるって羨ましいなぁ。
「いいよな、触れて」
「しょうがないよ。るー兄ってば魔法を弾いちゃうから、自衛本能ってやつ? 精霊ってまだ未知が多いらしいからさ、きっと彼らだけに感じるものとかあるんだよ」
「確かにな」
俺に視えないという観点からすると、精霊とは魔力から成る存在といえる。だから、魔法の類いを消してしまう俺から距離を置き、自身が弾かれないようにするのは道理だろう。資格がどうとかではなく、単なる相性の問題なのだ。
「それでも逃げずに、寄り添ってくれてるんだからいいじゃんか。それ以上は贅沢ってもんだぞ」
そうだな、その通りだ。十分に贅沢だった。片時も離れず、隣にいようとしてくれるなんて泣ける話じゃないか。
「ご、ごめんよ~」
「るー兄、ちょっと気持ち悪い」
「……スミマセン」
感情の抜け出した声というのは恐ろしいもので、無防備な心に直接届いてしまうものだ。効き目も抜群で、言葉の通りのことを速攻で痛感させられる。俺、気持ち悪かったわ。なんで声を震わせて、猫なで声なんか出しちゃったんだかね。
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