第2章 解決法はスマートに
第1話 黙ってれば美人なのになぁ。
どこか信じがたい思いでいたが、確かに専門科目を偽る理由がなかった。
信じられなくて頭がバグりそうだったのは昨日までの話だ。リアルタイムでジャージ姿の我がクラス担任・牛久先生を前にして、それを実感しないほうがおかしい。
黒い生地に白い線が入ったシンプルなジャージ、ポニーテールと表すには若干低い位置で束ねられた茶髪。さらには、そのスタイルの良さも相まって「美人体育教師」感が全面に出ている。凜とした瞳に鼓舞され、クラスの大半が背筋をぴんと伸ばしたほどだ。
かくいう俺は、そこまで刺激されなかった。
今日という日は、最高の散歩日和だ。最高に屋外での授業なんて受けたくない。のんびり読書とかでいい。だから、爽やかに風が通り抜けていくのを感じつつ、シャンプーのコマーシャルがいい具合にできそうだなぁとか考えていた。
別に体育が嫌いというわけじゃない。特段好きということでもないが、とにかく屋外はご遠慮願いたいものだ。しかも、初回授業の一発目がコレとはあんまりである。ザ・快晴。天気が良すぎて浄化されそう。
そんなことを思っていると、牛久先生がすぅーと息を吸った。全員、どんな風にセリフが飛び出すだろうかと意識を集中させる。
「えー、とにかくやってみようか。安全第一だぞ」
見た目は変わっても中身は変わらず。「美人体育教師」感は前面に出ているだけであった。
相変わらずの気怠げな口調に、思わず乾いた笑いが浮かぶ。やはり黙っていれば、文句なしの美人なのに……。
――こんな風にヘラヘラしていられたのも、一昨日の授業開始から三十分ほどまでだった。
参った。さすがにこれは参る。
箒を使っての飛行実習。体育の授業で必修の内容であるために、当然のことながら俺も参加しなければならないのだが、案の上の事態である。
魔法の使えないこの俺が、空を飛べるわけがなかった。さらに、俺以外に飛べない者などいるわけもなかった。いや、分かっていたとも。伊達に十五年も生きてないし。ただ、それが二日も続いてしまうと、いくら俺に耐性があっても精神的に応えるというものだ。
そして、飛行実習三日目の今日――俺はもはや箒を持つこともなかった。そりゃ、持っててもただ掃除することしかできないのに、うっかり掃き動作をしたもんなら「用途が違う!」と牛久先生に怒られたんだしな。感嘆符付きで突き抜けたその勇ましすぎる声に、こっちがビックリ仰天だった。
というわけで、俺はいま少し離れた木陰に避難しつつ、飛行実習の見学をしている。じっくりと授業風景を観察しながら、レポートのために記録を取っているのであった。
お題は『上手な人と下手な人の違い』というものだ。思っちゃいたが、これはなかなかに難しい。
さて……ではなぜ、亀山月人は実習場所から少し離れた木陰にわざわざ避難しているのか。それは何も俺の意志ではなく、太陽光に浄化されるのを防いでいるわけでもない。
俺は昨日、どうやら周囲の邪魔までしてしまったようなのだ。申し訳ないが自覚はない。
近くにいた生徒の何人かが違和感を覚え始めたところで、牛久先生からの肩ポンが入った。無言のまま、親指を背後に向けてゴーアウェイを促され、いるべき場所に辿り着いたってぇわけだ。
別に寂しくなんかないぞ。現にほら、ハンカチ頭巾を被った精霊が隣にいる。座っている俺の横にピッタリとではないが、寄り添ってくれている。と、思う。
「調子はどうだー、亀山?」
ふらりと様子を見に来たらしく、彼女は腰に手を当てながら軽く身を屈めた。
「牛久先生、やっぱりこのお題はキツいですよ。その道が分からない人に、もっと分からなくなりそうなことを訊くもんじゃありません」
「なに説教じみたように言ってるんだ。姿勢とか箒の持ち方とか、きみが分かる範囲でいいって言っただろ」
「いえ、そっちではなく」
俺は参考人物と書いた箇所を指差す。全くといっても過言でないほどに、他者との交流がないため、名前なんて分からないのだ。よって、完璧なレポートとはならない。
「そもそも入学から一週間も経っておらず、お披露目会に向けて交流を切っている俺に、どうやってクラスメイトの顔と名前を――」
「……めんどくさ」
「ちょっと。教師がそれってないのでは……?」
「まー、いいよ。特徴とか適当に書いといてくれればいい。それより、自称・意識がすこぶる高いくんに手紙の配達だ。自称するなら、もっとしっかりと向き合ってやれ。私からは以上だ。励めよー」
押しつけるように封筒を渡してきた牛久先生は、さくっと実習に戻っていく。
置いて行かれた手紙を見ながら、俺は溜め息を吐いた。差出人も内容もバッチリと心当たりがある。むしろ、心当たりしかない。この高校での知り合いなんて一人だけしかいない。
きっと、字もお嬢様らしいんだろうな。そう思いながら、逃げるようにして封筒をポケットにしまう。
この日も、放課後の特訓に行く気は起こらなかった。
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