第5話 虚無に虚無はつらい。

 雑すぎる雑談を挟んだ後、ようやく兎川の気持ちが晴れやかになってきたらしい。彼女は静かに深呼吸をして落ち着きを取り戻したのち、ゆっくりと口を開いた。


「気分が晴れてきたし、再開しましょう。確か、何のために何をしているのかって話ね」


「そうなんだが、その前に一個いいか?」


「なに?」


「新入生お披露目会について、情報を聞き合わせたい。俺にはどうにもまだ分からなくてだな」


「いいけど、亀山くんって何組?」


「Cだけど」


「もしかしなくても、牛久先生ね?」


「あぁ、そうだな」


 うんうんと合点がいった様子で兎川が頷く。どうやら知っているらしい。


 俺のクラス、C組の担任は牛久うしく絃恵いとえという女性教師だ。

 長身でスタイルがよく、背筋は常に伸びているものの、顔には無気力さが漂う脱力系体育教師。瞳こそ凜々しく輝いているが、口から飛び出すのは気怠げな声ばかりだ。学園生活二日目にして、すでに「喋らなければ美人」な印象ができていた。


 言わずもがな、初日なのにろくな説明もせず放り出してきたのは、その牛久先生である。

 入学式後のショートホームルーム。肩下数センチの茶髪を揺らし、のっぺりとした口調で彼女はこう言い放った。


「これから封筒と案内が来るから、各自案内に従ってくれ。あー、封筒は案内が終わるまで見るなよ? 振りじゃないぞ? ではな」


 おおかた、こんな感じだった。まさか、案内が精霊とは思わなかったですよ先生。


 そんな牛久先生の名前が「C組」と聞いてすぐに出てくるのは、兎川が以前より彼女を知っていたからなのだろう。やはり、兎川は中学からの上がり組か。


「あの先生に何かあるのか?」


「何かあるというか、納得かしらね。牛久先生は『とりあえずやってみろ』精神の人だから、わざわざ一から説明することはしないわ」


「詳しいな」


「もちろん。中学二年のとき、クラス担任だったもの」


 予想的中。ますます新入生代表だった可能性が高まった。

 こういうエスカレーター式の一貫校では、内部生が務める役割だと聞いたことがあるし、最初の態度からしても断定できる。話を聞いてなかったこと、バレバレだったじゃん。絶対、触れさせないでおこう。


 思い返してみると、噂に聞く補習などはなかった。付属した中学からの内部生と高校から入った外部生とでは、知識面や技術面で差が付いていそうではあるのだが……もしかすると、新入生お披露目会がここに絡んでくるのかもしれない。


「新入生お披露目会って、中学でも結構有名なのか?」


「そうね。大会期間中は中学も授業がなくて、希望すれば観戦もできたわ」


「なるほど」


 さすがは超大型イベント。教師たちや上級生に実力を示すだけでなく、未来の後輩には刺激としての機会というわけだ。抜かりない。


「大会の内容は来週の公開日まで分からないんだよな?」


「いいえ、おそらく逆――公開日になれば、ほとんど全て分かると言ったほうが正確のはず。種目や形態、さらには他のペアまで明かされると思うわ」


「根拠は?」


「毎年の雰囲気よ」


「ふむ。そういえば、クラスがやけに落ち着いているな……」


 新学年では友だち作りに奮闘したり、新生活の夢を語り合ったりするものだと思っていたが、現在のクラスの雰囲気はとても静かだ。なんなら、あからさまに気が立っているやつもいて、どこか殺伐としている空気が立ちこめていたような気もする。


 妙だなと思っていたことだが、そういうことなら納得だ。


「つまり、ペアを悟られないよう、過度な接触は避けるべきということか?」


「その通り。どんなに仲が良くても、このときばかりは距離を置くようね」


 今、確かに他人事のように言っていた気がするが――触れてはいけなさそうな空気が兎川から漂っている。俺の勘がそう告げている。そもそも俺って、他人のこと言えなかった。


「……そのようだな」


 だから、さしあたって肯定しておくこととした。


「中には、平然と会話をしている人たちもいるけど、うっかり知られてしまうとか考えないのかしら。それとも勝つ気がないとか?」


 言葉にキツさが戻ってるぞ、兎川。オーラが本当に怖いんだけど。


「要するに、ペアがバレることで対策が立てられるのを防ぐ、ってことだよな?」


 外部生とのペアはともかく、手の内を知られている内部生同士だったら難易度がぐっと下がってしまうのは俺でも分かる。慣れない場でこそのお披露目会だろうに、長年やっていたスポーツかの如く攻略されては堪ったものではない。


「ええ、もちろん」


「でも、それこそ探ってくるやつはいるんじゃないか? 誰と誰がペアなのかって、やっぱり気になるだろ」


「一週間後には分かるのに、わざわざ危険を冒してまで? 愚行もいいところよ」


「愚行て」


「愚行と言わずしてどうするの? だいたい、そんなに対策したいものかしら? 人数もいるのに? どこかのペアに絞って対策を練るより、自分たちのスキルアップを目指すほうがよほど有意義な七日間だと思うけど」


「お、おう」


 立て続けの疑問形に潰される形で押し黙る。


 兎川って、絶対「テストでなぜ山を張る必要があるの? そんな暇があったら、範囲を全部勉強すればいいじゃない?」とか言うタイプだよ。俺もそっち派だから分かる。山を張るのが苦手すぎて、勉強したほうがマシなくらい。


「話が逸れたわ。ともかく、今は情報共有ね」


 ようやく入った本題は、日程確認から始まった。


 入学式から新入生お披露目会までの予定はこうなっている。


 第一週目、入学式から七日間はペアとの親睦を兼ねた会議や練習をする。この際、基本的にはペア相手とだけのやりとりが中心で、教師の介入も原則としてなし。兎川が俺の可能性をはかると言ったのはそのためだった。


「さっき亀山くんが言ったような人がいるなら、もっと警戒すべきね。外部生はいろいろと狙われやすいと考えていいわ。あなたのように、よく理解していない可能性があるもの。けど同時に、外部生のほうがそういった行動をしてきやすいとも言えるでしょう」


 そう言い切られてしまうと、様々な方法で探られているような気がしてならない。だって、魔法学校だぜ? それ向きの魔法なんていくらでもありそうだ。


「分かった。もう少し、周りを警戒しておくよ」


「それで目立たないようにね? あなたが弾けるのは魔法だけなんだから」


「大丈夫だ、基本的に影薄いからな」


「親指を立てることではないと思うけど」


「フ……」


 心配せずとも、こういうときは無心でサムズアップだ。


 次いで、第二週目。月曜日が公開日で、火曜日から木曜日までは作戦会議期間。金曜日と土曜日、翌週月曜日の三日間で予選会となっている。

 その予選会は観客が入らず、一年生とその担任たちだけで行われるようだ。つまりはここを突破しない限り、全校へのお披露目はできないということになる。


「予選落ちしたらどうなる?」


「ただの観客かしらね。救済措置はないそうだから」


「現実は厳しいな」


 そして、第三週目。火曜日から二日間かけて本戦が行われるという流れだ。毎年順位が出されるとのことで、一番盛り上がるのはやはり本戦二日目だと兎川は語る。


「成績上位とか活躍者には何かあるのか?」


「ええ、簡単に言えば内申点で有利になるとか。噂の域を出ないけど、それ以外にも部活や委員会などで勧誘されたりもするそうよ」


「ほーん」


 こうして聞いてみると、担任の牛久先生がちょっぴりしか説明してくれなかったのも意図してのことかもしれない、と思えてくる。

 内部生がこれだけ詳しいのだから、彼もしくは彼女に説明させるのが効率的によほどいい。中学上がりが七割強を占めるようだから、完全アウェーのペアはいないだろうし、コミュニケーションの助けにもなって一石二鳥だ。


「他に確認したいことはある?」


「いや、平気だ。ありがとな」


「なら、そろそろ特訓に戻りましょう。その目的もあらかた分かったと思うけど、どう?」


「ああ、分かったよ。方針は変わらず、俺はひとまずついていく形で」


 そうは言ったが、実際には大きな不安が残る。しかしながら、強い眼差しで真剣に付き合ってくれる彼女に、そんなことを言えるわけもなかった。


 いくら状況を説明されたところで、俺にはやっていることが視えないのだ。だから何の実感も湧かない。虚無に虚無を重ねることがどれほどのものか、兎川にはなかなか理解できないことだろう。


 暖簾に腕押し、豆腐にかすがい――それ以外にも張り合いがないという意味のことわざはいろいろあるが、それ以上にもどかしい感覚だ。


 そこに勝ちも負けもないはずなのだが、俺の精神はずっと負け続けていた。 

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