第4話 視えないものはどうしようもない。

  **


 一夜明け、二日目の登校。


 授業らしい授業はまだ始まっておらず、クラス内で自己紹介をしたり、新入生お披露目についてちょっぴり詳しい説明をされた感じではあるのだが――これは後でゆっくりしたい話だ。


 そんなことを考えながら、俺は昨日と同じ会議室の前で立ち止まった。一つ違うことと言えば、挙動不審でないことだろう。あと、ネクタイもすでに緩めてきた。

 本番までの放課後、俺と兎川はこの会議室で集合することになっている。わずかではあるが、室内からガタガタと物音がするため、彼女はすでにいるとみた。


 一応ノックをしてみると、兎川の凛とした声が返ってきた。扉を開けて彼女の姿を確認すると、どうも来たばかりというわけではなさそうである。やっぱり、早いな。


 彼女は何かを飾り付けているような動きを続けながら、ちらりと俺の顔を見た。もしかして、生存確認とかされている感じですかね。


「遅かったわね、亀山くん」


「兎川が早いんだよ」


 ホームルームが終わり次第の集合とのことで、俺としては競歩を極めんとする心意気で普通に歩いてきたつもりだ。ツッコミはいらない。これは口に出せないやつであるからして。


「じゃあ早速だけど、亀山くん、この机に手をかざしてみてくれる?」


「おう……? こんな感じか?」


「そう。そして、ゆっくりと下ろす。そこに針山があるのをイメージして」


「針山!? いやいや怖すぎるだろ!」


「問題ないわ。ほら、手を引っ込めないで。意味なくなっちゃうから」


 問題は大ありだろう。何かあったらどうすんだ。





 かくして、俺専用スペシャル特訓は開幕されたのである。


 文字にしてみればスポ根モノのそれらしく思えなくもなかったが、その実は全くの別物だ。いや、美少女マネとか美少女コーチとかいかにもそれっぽいことは否定しないけども。仮に「美少女と密室で特訓」って字面にすると、別の特訓になりそうで怪しさ増増だよね、とか思ってないけども。

 と、現実逃避してる場合ではなかった。


 その特訓の実態はというと、大きな動きをすることもなく、地味な作業の繰り返し。それゆえか、俺には何の実感もない。そもそも、自分が何をやっているのかさえ、まるで理解できていなかった。


 最初はとりあえず、兎川に言われるがままやっていたのだが、そろそろ限界だった。目の前に何もないのに、何を感じろというのか。



「……あのさ、兎川」


「はい、次。今度はこっちとこっちに設置して――」


「おーい」


「ギブアップには早すぎると思うけど?」


「ギブアップ以前の話だよ!」


 俺が声を荒げると、兎川はようやくこちらに顔を向けた。何かしら邪魔しないで欲しいのだけど、という声がどこからか聞こえてきそうな表情だ。


「俺には何やってる分からないんだが!」


「……忘れてたわ。そういえば、亀山くんには視えないのだったわね」


 さっぱりと言いやがった。


 そういえばって、おいおい。あれだけ衝撃を受けておいて、忘れるか普通。俺の特性だぞ。特有で特異な性質だぞ。


 だがしかし、逆に考えればそれだけ俺が異質と言えることなのだろう。当たり前すぎて、そこから外れた存在がいること自体は記憶に刻み込まれたものの、それが目の前の人物だということはつい忘れてしまうやつだ。俺にも心当たりがある。


「一旦整理させてくれ。第一に、俺は何のために何をやらされてたんだ?」


「思った以上に何も分かってなくて、一周回って感心しちゃうところね。もう一度説明するから、今度こそ聞いてなさい?」


 二度言わせないで、と言いたげな雰囲気が醸し出されているが、俺は異議を申し立てたい。正直、俺としてはしっかりと説明された覚えがないからだ。もしかして記憶が飛んでいるのかなと思いかけるが、さすがにそれはないだろう。


 ともかく、誤解しないでほしい。俺は別に聞いていなかったわけではない。理解力がないのは認めてもいいから、そこだけはどうか。


「……あいよ。今度は分かりやすく一から話してくれ」


「まずは、あなたの可能性を知るべきでしょう? でも、新入生お披露目会までは自分たちでなんとかするしかない。だから、私なりに考えて計ろうと――」


 うん、さっぱりだった。


 これは出会って二日目にして実感していることだが、兎川陽華は彼女の中だけで物事が完結する傾向にある。要は、彼女が納得していればそれでいいということだ。ゆえに、多少なりとも強引で言葉足らずにも関わらず、状況が進められそうになる。人付き合い大丈夫なのか?


「待って、ストップ兎川」


「何よ」


 もはや語尾も上がらない平板な疑問文。


 そこまで怒らなくてもいいじゃないかと思いかけて、俺はふと思い至る。今年で中三の妹も月に一度か二度くらい、こうやって塞ぐときがあるなぁと。


「もしかして、どこか悪いのか? 気分とか体調とか」


「……っ?」


 これまたどこまでも意外だったのか、兎川は俺の顔を見ながらぽつんと停止する。鳩が豆鉄砲を食ったようとは、まさしく今の彼女のことだろう。

 すぐに否定が来ないということは、反して図星なのだと俺は推察する。


「おい、無理はしないほうが――」


「……いえ、大丈夫。何を思ってるか知らないけど、そういうのじゃないから。身体はすこぶる健康よ」


 言葉の通りなら、ただ機嫌が悪いということになる。


 学年トップと思われし成績で、かつ、偏差値高く整ったこの顔面だ。それなりに人が群がってきそうなのは想像に容易い。俺はそういう世界とも無縁であるからして憶測の域を出ないが、人間関係でゴタゴタすることだってあるのだろう。


「ならいいけど、無理はすんなよ?」


 それでも、俺にとっては少しだけ意想外だった。


 昨日の数時間だけでも人柄は十分に見えた。

 自分をしっかりと持っていて、俺みたいな変わり者とも向き合おうとしてくれた美少女。いや、少女と言うには大人びているな。いろいろと喚いていたが結局は信じてくれたし、あれだけ驚いても堂々としていた。多少、尖りすぎではあるけども眩しい人だ。


 だから、公私はキッパリ分けそうだと思っていた。


「ええ。ごめんなさい、私情を挟んでしまって」


 それでもやはり、すぐに謝ることができるのが兎川という女子生徒だ。まあ、年相応ってところか。そりゃ兎川だって人間なんだから、何も不思議に思うことはない。


「いいよ、別に。兎川も人間だしな」


「ちょっと気になる言い方だけど、他意はないのよね?」


「あるわけないだろ、そのままだよ。普通のことで、何も意外じゃないってことだ」


 兎川はほんのり顔を染める。恥ずかしくされるようなこと、言ったかな俺。もしかして、ラブコメ? ついにそんな展開が始まる?


「意外と言えば、あなたのほうね。そんな気遣いが出来るなんて」


「俺だって並の観察眼くらいは持ってるわ。まあ今回は、妹がいるからたまたま察せただけというか……」


「そう。なら、妹さんに感謝ね。是非とも仲良くしたいわ」


「そ、ソウデスカ。でも、俺としては勘弁して欲しい」


 兎川陽華は刺激が強すぎるだろ、妹にも俺にも。特に俺は、兎川と妹というペアの強さを前にしたら、途端に敗れ去りそうである。


 おや、違いますねコレ。コメではあり得そうだけど、ラブ含めてなんか始まらねぇわ。

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