第八話・参 ー決心ー
「ほい、完成しました。」
緻密に描く宝治にしては、すこぶる早く描き終えた。まさかの事態に、虎の思考は止まってしまいそうだった。
「虎ぁ!」
虎は、はっと気がつく。弾が麻痺が残る体で必死に描きながら、虎を睨みつけた。
「何を腑抜けたことをやってやがる!」
「す、すみませんっ!」
虎は絵筆を取り、背景や細かい描写を始めた。
しかし、手が震え、いつものように描けない。
「くそ…」
下唇を噛みながら、必死に描く。
「あぁあ、次世代の天才もこんなもんか!」
横になっている狼が、虎を野次る。
普段は温厚な虎も、この状況に何かが切れた。
「うるさい!貴様なんぞに何も言われたくもない!貴様がこの街にした事、忘れたとは言わせん!」
「まぁだあのこと根に持っとるんかい、みみっちいガキですこと!」
虎が狼を毛嫌いしているのは、街の皆が承知していた事。しかし、理由までは分かっていなかった。
「貴様が『あいつら』側だったことは周知の事実!それが宝治様に弟子入りしたから、無かったことになど出来ないだろう!」
そういうと、狼を殴りつけていた。
いつもの冷静な虎からは考えられない行動だった。
「やったな、このボケが…わしかて償っても償い切れへんのは百も承知じゃ!」
狼は殴り返した。場内は危険なほどにヒートアップし始めていた。
咄嗟のことに宝治は筆を置き止めようとしていたが、二人の罵りあい、殴り合いは止まらなかった。
「あんのクソバカ共…ハツカ叔母さん、ちょっと行ってくるわ…」
さすがのジャンも頭を抱え、立ち上がった。
「あぁ…いや、いい。」
皇帝はジャンを制して立ち上がると、
「うるせぇ、静まれや!おい、狼…そして、虎…てめぇら退場だ、このバカタレ!」
皇帝の一言により、会場も舞台上も一応の落ち着きを取り戻した。
「…申し訳ありませんでした…」
「虎…」
虎は背中を丸めながら、フラフラと舞台から降りた。
「頭冷やしてこい、こんボケ!」
「そや言うたかて、あいつやんか、殴ってきたの!正当防衛や!なんで俺まで!」
「喧嘩両成敗や、アホ…」
納得のいかない狼は観客を威嚇しながら舞台を降りた。
「あー…ジャン、虎に伝えてくれるか。『猫手の中でも色々あるだろうが、一旦落ち着いて』と…幼なじみのハッチャンからと…」
「わかった…」
ジャンは猫手会の控え室へ急いだ。
観客として見ていた武市と三毛は気が気ではなかった。
「あんな虎先生…初めてみた…」
三毛は怯えていた。
「俺もだ…」
武市も動揺を隠せていなかった。そして三毛は、いてもたってもいられず、控え室へと走った。
その後落ち着きを取り戻した決勝戦は宝治と弾の一騎打ちとなり、両者とも時間内に描きあげた。
「弾…大丈夫か」
「宝治よ、さっきはうちのがすまんかった…」
握手をする二人に会場から拍手が鳴り響く。
宝治は、炎を抱く皇帝の姿を
弾は、ここ十数年間で得た縁を
それぞれの思いを込めて描いた。
そして、数十分の審査を経て、結果が伝えられた。
「優勝は、D-HANDS-FACTORY!」
勝者は宝治だった。会場は割れんばかりの大歓声で二組の健闘を称えた。しかし…
「八百長です!」
そこに水を差す叫びがひとつ。退場させられた虎が、怒りの表情で現れ、叫んでいたのだ。
「お前…なんてことを!」
弾が止めるのも聞かず歩を進める。そして皇帝の前に立った。
「決勝戦のお題、あれは確実にD-HANDSに有利に運ぶため、事前に教えていたのではないですか?」
ジャンが後ろから追いつき、虎を拘束した。
「そうでもしないと!あんなに早く描けるはずがないんだ!」
「虎ぁ!テメェそろそろ黙れや!誰にもの言ってんのかわかってんのか!」
さすがのジャンも必死の形相で止めるのだった。
皇帝は目の前まできた虎を見て、ジャンを止めた。
「ねぇ、虎君…あーしがそんなことすると思った…?」
皇帝ハツカの悲しげな顔と言葉に、虎は我に返り自身の言動を反省した。
「…あ…あぁ…ごめん…ハッチャン…僕…」
皇帝は、幼なじみのハッチャンとして、虎を抱きしめた。
「大丈夫、落ち着いて…」
虎は幼なじみの胸の中で泣き崩れた。
お付の女性が虎を裏に連れていき、改めて閉会と表彰式が行われ、大会は終了した。
しかし、この事件により、猫手会からは手を引く者もおり、少しばかりの仕事しかなくなった。
徐々に資金が尽きかけてきたときに、悪いことに映絵塾は休止され、子供たちも職人に混じって現場仕事をするしかなくなった。
時々、D-HANDSが受けきれない仕事が時々舞い込んでくるため、なんとかギリギリを保っていたが…
しかし…
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!こんなおこぼれ仕事やってられるか!そんなにあいつらがいいなら、嫌々こっちに頼んでくるな!」
現場から職人が飛び出して行った。
若者の職人が言う、渡りに船と受けたはいいが、施主から言われる言葉の二言目には必ずD-HANDS、D-HANDS、D-HANDS…新規の客から元々の顧客まで必ず何度も出てくる。
「おいおい、こりゃ由々しき事態だ…」
鉤尾は顔を真っ青にし、頭を抱えながら、職人の現場割り振りを考えていた。
プライドの高い猫手会の職人は、
『ワンコロからのおこぼれなんて死んでもやらん』
『やるくらいなら筆を折る』
と、誰も引き受けようとしないので、ストップしている現場まで出てきてしまったのだ。
「流石に昔からの顧客まで、彼らに依頼してますから…」
すると、ゆっくりした足取りで弾が現れた。
「おう鉤尾と…お前か…おい、鉤尾、とりあえずお客様には別の映絵師を手配しろ、頼んだぞ」
「あい、わかりましたよ…はぁ…」
一言二言鉤尾と話をした弾は、チラリと虎の顔を見た。
「あの弾様、私は…」
弾は虎の言葉を無視して、出ていってしまった。
こんな事になったのは誰のせいだ…
私の心が弱かったからだ…
その時の感情で馬鹿なことをしたせいだ…
もう『不動心』なぞ、なんの役にも立たないではないか…
もう何をしてでも、猫手会を復興しなければ…
そうすれば、弾様もご安心いただけるだろう…
ーーーーー数年後
「んで?折り入っての話とはなんだネ?」
虎は鳳 鶯と会食していた。
「先日は資金援助、感謝いたします。お願いなのですが、鳳さんと手を取って、何か仕事はないかと思いましてねぇ…猫手会も少しづつ復興してはきていますが、未だ危ういのですよ…」
なるほど、と鶯は考えた。
「なら、今私の息子が大学に行っててネ。将来的には後継にするんだが、その前に大きな畑を与えてやろうと思ってネ。」
「ほう、畑とは」
鶯は小ぶりの袋を取り出した。
「これは…」
「大きな声では言えんがネ。とあるルートで人気があるサプリメントでネ。昔息子が作って撒いた薬品のお陰で進化した特殊なミミズが原料の『滋養強壮サプリ』ができてネ…凄く効くと言うので、もっと量産できるように畑を作ってるところでネ…」
表向きは滋養強壮サプリを謳っているが、どう見ても危険な物であることはわかった。
「これは…いや、ご冗談を…私は…」
小袋を目の前に、動揺してしまった虎に鶯は畳み掛ける。
「これはネ、将来的には巨万の富を産む、金の卵なのだぜ。わかるかい?なぁに、君たちの状況ならわかってる。金が欲しいんだろ?そんなんで四の五の言ってられんのか、猫手会最高幹部、虎君?」
虎は置かれた小袋を握りしめた。
私一人…薄汚れた泥をかぶるのは、私だけでいい、それでいい。
「わかりました…一つだけ、お願いしたい事があります。」
「フフフ…何かね?」
「その御子息に与える畑、下準備を私が行いましょう。スムーズに”サプリ”が作られるようにね。」
その数ヶ月後、三毛の破門騒動があり、自身に心酔する三毛を養子として迎え、鳳一家のミミズ畑の下準備のために猫手会を離れた。
ーーーーー
そうだ、私はここで道を誤らなければ…ここで鳳の所にさえ行かなければ…
我が義息…三毛も…傷つかずにすんだ…
街にも迷惑をかけてしまった…
誰か…止めてくれ…
鳳を…
アレらを再び解き放ってはいけない…
誰か…
ーーーーー
「よし、パパ、終わったよ!」
燕が研究室のカプセルを開けると、そこには虎が眠らされていた。
「ヒヒヒ…これで、邪魔者は全て排除だ…」
次回
第九話・壱 ー鍵穴ー
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