第七話・肆 ー変動ー
「武市よぉ、なんで自分はあそこにいないんだ、って思ってるか?」
弾が隣にいる武市に声を掛ける。
「うん、そうだね…」
少し悔しげな表情になる武市に、弾は親心をみせる。
「悪いな…本当は俺がお前にイロハを叩き込まにゃいかんのに、こうなっちまって…」
弾は動かない足を叩く、しかし武市は弾の手を取り、
「違う、親父はがんばってきたんだよ!ちょっと休めってことさ。」
と言うのだった。
まだ幼い息子の気遣いに涙した。
「あぁ、ありがとな…でもよ、三毛のやつも大した才能だな。実際、映絵塾が始まってからのお前達二人の才能の伸びは凄まじいものがあるからよ。虎に任せて、正解だった。」
「うん、三毛はスゴイ、でも僕も負けてられない!」
鼻息荒く、目を輝かせる武市であった。
「そうだな、それでこそ俺の息子だ。よし、お前も心の中でお題に挑戦してみろ」
弾は武市の頭を撫でる。
「なんだよぉ…へへ、やってみるよ!」
これから始まる戦いの前に、美しい親子愛をみた猫手会。
負ける気はしなかった。
多数の取り巻きと共に玉座から会場を見下ろす皇帝。
「ここからのお題は、私自ら告げるとしよう。」
静まり返る会場…
「お題は…『うみ』」
少し会場がざわめいた。が、すぐに静まる。
「時間は30分、さあ、始めるがよい!」
皇帝の号令と共に始まった準決勝、思惑が交錯する。
「三毛君…少しよろしいですか…三毛君?」
画材を選ぶ三毛、その手に持つのは『スプレー』であった。
「虎先生、ちょっと僕、やりたいことがあります。」
「ほう、どのような?」
二人は、相手に聞こえないよう相談していた。
相手はというと、ぐぅ〜亭屋兄弟。呟焼町で数店のステーキハウスを営む副業映絵師だ。
「にいちゃん、どうしやしょ?」
「相手はあの虎だ。生半可な絵じゃ、ぜってぇ勝てねぇ…ここはしっかり描こう!」
「…という感じにしようかな、と思いまして。どうでしょうか」
「なるほど、それならそのスプレーもその道具も使えますね。わかりました、では私は早速下絵を…」
虎と三毛の相談がまとまり、準備した虎は、ためらいなく大きな映絵紙に筆を入れた。場内から、おぉ…という感動にも似たどよめきが起こった。
「それにしても三毛の野郎、スプレーとバケツの蓋、瓶の蓋…あんなもんで何するつもりだ?」
弾は思考を巡らせた。するとひとつ心当たりがあった。
それを思い出すとポツリとつぶやいた。
「なぁるほど、あの描き方か…三毛の野郎、ひょっとすると、ひょっとするかもな!」
「あったりまえだよ!」
自慢げに武市は叫んだ。
「おっ、そうか?」
「そうだよ、風景を描かせたら右に出るヤツはいないよ。なんと言っても不動心の跡継ぎだから、冷静だと思うよ!」
「そうか、三毛は不動心を学んでるんだったな…お、描き始めたぞ」
武市の言ったように、三毛の表情はいたって冷静。スムーズに描き始めたのだった。
息が詰まるような時間が過ぎようとしていた。勿論、見ていたのは猫手会側だけではない。
弾と武市のいる客席の反対側に陣取っていたD-HANDS陣営は、宝治を囲むようにして対決を見ていた。その中にひときわ目立つ大柄な男がいる。
長く伸びた毛並みがいかにも暑そうで、凄みのきいた目、鋭い牙、隆起した筋肉…およそ映絵とは縁の無いような容姿であるが…
その男は、なにやら宝治と話しをしているようだ。
「師匠よぉ、弾のやつぁ出てけぇへんのやろか?」
一見気質の人間には見えないこの大柄な男は、狼というD-HANDS所属の映絵師にして、印職人である。
「どうやろなぁ…まぁ決勝まで温存しとくつもりやないかとは思うが…この勝負は狼、どないや思う?」
狼は、ん〜と唸ってから、
「ま、出てくるやろ。」
「あいつ、噂じゃ病気してもうたらしいけど、大丈夫なんかな…それより、お前、今の状況どう思う?」
宝治は舞台を見ながら、狼に尋ねた。
「せやなぁ…さすがに床屋行ってから来ればよかったわ。暑うてかなわんで。」
「話聞けドアホ、今の勝負の話やろがい。」
狼はガハハ、と笑いながらビールを飲んだ。
「ぷはぁ…ああ、縞々虎太郎が一番ちゃいますか?」
と言って虎を指す。
「勝てるか、狼」
「あんなブッサイクな爽やか好青年には負けへんでぇ、オジキ…師匠!」
狼の頼もしい返事を聞くと宝治達はまた繰り広げられる勝負に集中した。
「よし、時間だな……そこまで!!」
緊張に包まれた30分が終わり、座っていた皇帝が立ち上がって終了の合図を告げる。
4人とも筆を止めた…三毛のやりきった表情なのは何よりだ。
相手は、すっかり猫手会の技量に圧倒されていたようだった。
「さあ、素晴らしい映絵をわたしに見せてみよ、まずはそなたじゃ!」
といって指名されたのはぐぅ〜亭屋兄弟である。
用紙を広げると、そこには鮮やかな青空と、輝きが眩しい海が余すことなく表現されていた。
「おおっ、これは美しい!」
「これは我々兄弟の生まれ故郷の海辺にございます。」
うんうん、と皇帝は頷きながら見ている。
「しっかりと描けておる。綺麗な波しぶきまで…うむ、精進しとるようじゃの。」
「はっ、お褒めに預かりまして光栄にございます」
ぐぅ〜亭屋兄弟は深々と頭を下げた。
「さて、次じゃ。猫手会、見せてみよ」
虎は三毛の肩に手を置き、頷いた。
「さぁ、三毛君。」
「はい!」
三毛は臆することなく堂々と用紙を広げた。すると、皇帝は一瞬顔を顰めたが、理解したように縦に続けて頷いている。
「ははっ、みろ!俺ァどうやら三毛の給料アップしないといけねぇらしいぜ!」
三毛の映絵を見て弾が嬉しそうに言った。
夕闇の中光る満月、真っ白な砂浜、見慣れない樹木、そして見たこともないような深く青い海。メインで描かれているのはウミガメであった。
「まさか被せてまで、ここまでいい絵を描くとはなぁ、さすがお前のいいライバルだな!」
弾は自分の体か不自由なのも忘れるくらいに喜んだ、それは武市もおなじだった。
「それは、確かに海というお題はかなっているが、このウミガメや見たことのない風景は一体なんだ?」
三毛の映絵に見入っている皇帝。
「はい、僕ら猫手会は『うみ』を海、そして『産み』と2つの要素を盛り込みました。」
解釈を聞いて皇帝は目を輝かせた。
「そして、この海は異国の海で満月の夜に産卵するウミガメを描きました。」
「ほほう!そなたその若さで異国の海を見たことがあるのか?」
会場もザワザワとしている。
「いいえ、僕は映絵塾で映絵の勉強をしています、そのなかで先生に教えてもらったものを想像で描きました。」
虎と三毛は見合わせて微笑んだ。
「なんと!映絵塾とな!それは良い営みじゃ、されど真に見事じゃな、そんな海があるなら余も行ってみたいものだ、それを想像で描くとは天晴れじゃ!」
「はい!ありがとうございます!」
三毛は喜んだ。
「親父、どうなるの?」
「ん、こっちは取れたろう、天晴れをもらったからな。」
審査は満場一致で猫手会の勝利となった。あとは、D-HANDSの結果を待つだけとなった。
「両者とも、非常にいい絵であった。今後とも精進するがよい。」
そういうと、再び玉座へ戻っていった。割れんばかりの拍手の中、三毛はやっと認められたという気持ちで高揚していた。
ぼーっと会場を見渡すと、弾と武市が笑顔で会話しているのが見えた。
親と子、僕にはないものを武市は持っている。一瞬心にもやっとしたものがあったが、三毛は考えないようにした。
「では三毛君、戻りましょうか。」
「はい、虎先生!」
虎は退場しながら、ふと客席を眺め、手を振って答えていた。
すると、ここに来るはずのない男が見え、虎は戦慄した。
「虎先生?どうしたんです…」
三毛が言葉を止めた。それもそうだ、虎の表情は、これまで一緒にいて見たことのない顔をしていた。
今にも、誰かを殺してしまいそうな。
目線の先を見ると、観客席から立ち上がり、宝治と共に舞台へ向かう大きな男が見えた。
「では、次の試合!D-HANDS-FACTORY対天狗堂書店!」
次回
第八話・壱 −欠信−
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