第一話・参 ー蚯蚓ー

襲名式前の楽しい時間、どんどん酒が進み、おつまみも平らげて満足した炎は、ふと天窓を見ると外はすっかり夜の闇に覆われていた。もちろん炎は陸の言葉を忘れてはいない。流石の飲んだくれでも、自分の式典の為には帰らねばならない。

「お、もうこんな時間か...女将おあいそや」

酒に強い炎だが、この一時の酔い加減に油断していた。

「あら ツケでいいわよ?」

「いや、俺は借金はせえへん主義や」

炎は宵越しの金は持たない主義で、必要そうな分だけを持って出かけるのが常だ。

「借金じゃないわよ、次への約束よ」

「へっ、物は言いようやな」

そう言いながら炎は酔いざましに、先程出されたチェイサーの水を飲み干す。グラスに残った氷がカランと音を立てる。


「おたくの店員さんもよう気ぃきくなぁ。チェイサーに井戸水なんてしゃれたもん持ってきてくれてたからなぁ」

「あら、ありがとう。い、今仕込みしてるから…後で言っておくわ」

「さよか...ごっつぁん、また来るわ」

炎は軽く手をあげると、ゆっくり店をあとにした。

「またね…二代目さん……」


帰り道、炎は急ぎ足で襲名式に向かっていた。

「ふぃ〜、すっかり遅うなってもうた…怒られるな、こりゃ…でも、あれ美味かったなぁ…出汁入り味噌かけたからし蓮根に、牛タンも厚くてよかったなぁ、山椒もたっぷりで」

と、味の感想を独りごちていると、とふわっとした不思議な感覚に襲われた。

「んぁ?地震か?それとも酔っとんかな、ククク、陸に大目玉やろなぁ…」

笑いながら、ゆっくり歩いていると、徐々に視界がぐるぐると回り、頭がグラグラと揺れてくる。

「いや、こんなになるほど飲んでへんぞ…なんや?」

足元がフラついて歩けなくなってしまった炎。ついには、その場に倒れ込んでしまった。


「…俺とした事が…くそっ…やられた…やっぱりあの料理はおかしかったんや…」

先ほどの店の女将は企鶴、つまり鳥族は、いくら家畜だろうと同族を殺して料理しない掟があるのだ。

しかし、女将は同族を使った料理を平然と持ってきていた。そして、あの水を持ってきた店員がいつの間にかホールにいなかったことを炎は思い出した。


「…料理がでてくるまではおったはずや…くそ、思考を止めるな……やっぱりあいつが…」

薄れいく意識の中で炎は自身の酒癖と思慮の浅さに辟易した。

次の瞬間に幼い頃の自分と陸が遊んでる姿が、目の前に見えた。

「…幻覚かぁ?走馬灯かもな……俺はもうあかんかぁ」

自分の描いた映絵を嬉しいそうに見せる陸。

それを見て微笑み褒める父。まさしく絵に描いたような幸せだ。

まるでうわ言のように炎は弟の名前を呼んだ。

「あ、ああ…すまん…陸……親父…陸を…」

意識を失う寸前の言葉はもう誰にも聞こえないくらい、か細いものだった。

ほどなくして、暗がりから影が近づいて来た。


「うまくいったようですねぇ」

月明りに照らされた人影が現れた。店の厨房にいた虎だ。倒れて気絶している炎の傍らに立っている。

そして後から来た人影は顔を伏せながら辺りを伺いながら頭巾を外す。三毛だ。

炎が先ほどまで飲んでいた店の「消えた店員」は、実は変装した三毛だった。

「虎様ぁ!遅くなりましたぁ…ホントによかったんですかぁ?二代目に話しもしないでぇ」

「なぁに…まだ死んではいませんよ。」

ニンマリと笑う虎縞に少し恐怖を覚えた三毛は機嫌を取るように、

「どうしてまた、兄貴なんですぅ?なんで弟の方が絵の評判いいんじゃないんですかぁ?」三毛は尋ねた。

「良い質問ですねぇ。ひとつは犬どものそもそもの弱体化…もう1つは弟よりも兄のほうを潰してしまえば奴らはもう何も出来ません。弟の方が感性、発想力、閃きは遥かに兄を上回っているのですが、あの気弱な性格…弟一人では何もできないのですよ。これでやつらは終わりなのですよ、ニャフフ…」

「…え、えへへ…虎様の頭脳には敵いませんねぇ…べ、勉強になりますぅ」

「ニャッフッフッ!貴様ももっと勉強なさい。」

三毛は「はいぃ」と深く頷くと、炎の方に目を向けた。

「ニャフフフ...例のものはちゃんと回収してきたんでしょうねぇ?」

虎はそう言いながら三毛に促す。

「はぁい、それは大丈夫ですよぉ」

三毛は青い粉末が入ったパックを虎に渡す。これは界隈で流行している、「ミミズ」と呼ばれる、所謂違法なドラッグだ。粗悪品にもなると副作用が酷く、最悪死に至ってしまう。

「我々の痕跡は残してはなりませんよ、あくまでも事故…ですからね」

「はい…あの……そういえば...さっきの女はどうなるんで?」

三毛は手際良く炎の上着のポケットに「ミミズ」を忍ばせながら聞いた。

「えぇ、気絶させてから来ましたが、どの道…後ほど処理しなければいけませんねぇ」

虎は三毛がしっかり下準備を終えたのを確認すると、再び暗がりに向かって歩き出した。

「ととと虎様ぁ、もう一つだけ教えて欲しいのですがぁ…」少し訝しげな顔で虎は振り向く。

「なんですか?勉強熱心な事は大変良い事です、言ってみなさい」

「あの水の中に「ミミズ」は入ってなかったですよね?一体どうやってこんな…」


長く伸びた髭を触りながら虎は得意気に話す。

「ニャフフ、貴様も嫌いな物の匂いは良くわかるでしょう?」

「はぁ…それはアイツらも同じ、むしろ私達よりも鋭いのではぁ?」

三毛は不思議そうに虎を見ている。


「しかし、それが匂いの素が分からなければどうでしょう」


しばらくして三毛は驚いた。

「まさか!その為にからしと山椒ですかぁ?」

虎は再び不気味な笑みを浮かべる。

「あのチェイサーの和らぎ水は、直ぐ飲まない事はわかっていましたからねぇ。徐々に氷が溶けるよう計算し、からし蓮根で舌を軽く麻痺させ、山椒で鼻が効かないようにしたのです。酒飲みに違和感なく飲ませるのは簡単ですねぇ...」

虎は長い舌を出して、不気味に笑いかけた。

「で、でででは…あの店は…あの女将、こ、こここ、ころ…」

虎はうろたえる三毛に呆れ、

「あの女将は後日でもいいでしょう。さぁ、これくらいにして、早く運びますよ」

「は、はいぃ…ぃよいしょっ…」

虎と従者は倒れている炎を担ぎ上げ、足早に暗闇の中へ消えていった。


少し時は戻り、襲名式の準備をしているD-HANDS-FACTORY

会場の裏側では若い衆が段取りに追われていた。そこにすこし早く到着した銀が母屋へ訪ねていた。

「おう、炎坊、邪魔するぜ?そろそろ二代目だって自覚が…あん?」

ふすまを開けると、そこに炎はいない。まだ戻ってきていないようだった。

「なんだってんだ…いねぇのか?おい、陸坊!」隣のふすまを開けると、着替えが済んだ陸の部屋であった。

「なんや、銀じい来とったんかいな、あぁ炎にぃなら酒が我慢できひんで飲みに行ったで」

「なにぃ?!いねぇなら仕方ねぇ…ったく…じゃぁ陸坊、また会場でな」

と銀は呆れ、ため息をついて歩き出した。

「あ、銀じい、さっきはありがとうな、あんな上等な酒もろて」

陸の言葉にピタリと動きを止めた。

「酒だぁ?なんだそりゃあ」

「え…いや、昼ちょっと過ぎくらいに、裏口に来て酒くれたんとちゃうの…?」

銀は首を傾げた。


「昼?俺ぁ、店の営業終わらせて、ついさっき来たんだがよ」


陸は悪寒が走り、胸騒ぎがした。

「…おいおい…嫌な予感しかせぇへんぞ…」

「まさか、炎坊、なんか厄介事に巻き込まれてんじゃねぇだろうな!」

陸は走った、屋敷内を叫びながら。


炎を探せ!


血相を変えて走る陸にただならぬ気配を感じた参加者は、それぞれ心当たりの場所へ走っていった。

しかし、どこにも炎の気配はなく、行きつけの店や周辺、懇意にしている店を回るも、見つけることはかなわなかった。

「風が温いな…嫌な事にならなきゃいいが…」界隈を回っていた銀も、不安を感じていた。



しかし、銀の予感は的中したーーーーー


結果、襲名式は中止された。





明け方、街はずれの橋の下で意識不明の炎が見つかったのだった。




ーーーーー次回、第二話・前編 壱 -不動-

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