第一話・弐 ー油断ー

初代犬剣の二人の息子「炎(えん)」と「陸(りく)」

まるで怒髪天を衝くような毛の逆立ちと、背中に真っ赤な色が燃え盛る炎のように見える毛並みから名付けられた、人物画が得意な兄の「炎」

端正な顔立ちと、父親譲りの器用な手先を持った、大地のように揺るがぬ集中力を持つ、背景画家の弟「陸」

二人は子供の頃から父親の描く映絵を見て育ち、やがて自分達で描いて遊ぶようになった。

特に炎の描く映絵は秀逸で時に周囲を唸らせる程の物もあり、陸はそんな兄が自慢であり、『自分は”炎にい”の絵の周りに添えるものを描ければいい』と思っていた。

才能を認めた父、初代犬剣・宝治は本格的に、二人へ映絵修行に入るように考えていた。自分と同じ道を歩もうと努力する息子達。父としてこんなに嬉しい事はない。父は自分の持てる全てを伝えていくのだが......



馴染みの店に向け、歩を進める炎。

「♪たらったったった〜ん…ん~…いや…なぁんか嫌な感じやな…鉄の店はやめとくか...」

陸に言われてからというもの、狙われる身という言葉に嫌に敏感になっている。

芝から貰ったタダ券が使える店まで、そんなに距離はない。馴染みの店もいいが、たまには、と思っていたが、どうもざわついている。

普段通らない路地裏を歩き、通りひとつ離れた商店街まできた。

「ほー...こんなところに結構飲み屋あるんやなぁ...どらどら...」


丁度、呟焼町と隣町の境に位置する商店街に、最近新しくできたであろう飲み屋があった。

「んーと、芝おじがくれた券の店はあそこか、ほほー!中々ええ外観やないけ」炎はガラガラと戸を開けて入っていった。

真新しい白い壁と檜の香りがする外装。おしゃれな看板も魅力的に見えた。中に入ると、こじんまりとした空間に同様の檜のカウンター、そこにいくつかの椅子が並べられていた。確かに新築である、という香りだ。

「誰もおらんか…?おーい、邪魔すんでぇ?」

まだ時間が早いせいか他の客は小柄な男が一人、一番奥のカウンターにいるだけだ。

厨房の方から少し慌てた様子の女将が現れた。着物が似合うスラリとした鳥族の女性が切り盛りしているようだ。


「あーら、いらっしゃい、まだ時間も早いのにありがとうねぇ」

「いや、酒呑みには時間は関係あらへんからな」

炎は続ける。

「ん?女将は鳥族か...それも企鵝さんかいな」

「そうよ、なんだっけ?あそこの主人と一緒よ…えぇと」

「万事屋の銀じぃか...確かに珍しいな」

炎は女将が答えるより早く答える。


「そうそう!あの人ここを開ける時にも、凄く良くしてくれたのよ。本当、頼りになるわぁ」

手を叩いて、屈託のない笑顔で話はじめた女将。

「アイツはそういう奴や。まぁ顔は悪いがな」

「お客さんも村前さんと知り合い?」

「ああ、まぁ...親の代からのつきあいやな」

炎はカウンター真ん中程の椅子に座りながら話す。

「それじゃぁ何貰おうかな...」

「日本酒でしょ?わかるのよ」

「なんでわかったんや!あ、そやけど一つ注文がある」

炎は女将を見上げながら真剣な眼差しで

「この店で一番安っすい奴をくれ」

「どうして?そんなにお金は取らないわよ」

炎は違う違う、と手を振りながら

「ちょっとな、今日は極上の酒が手に入ったんや。そいつを楽しむ為に先にパッと軽く飲んでから、違いを楽しみたいんや」

よく分からない理屈に女将は笑いながら頷くと思い出したかのように

「いい酒ねぇ…ああ、お客さんもしかして今度襲名するっていう犬剣さんかい?」

----場の空気が一瞬凍った

興味津々な女将に少し冷たく

「...どうしてそう思うたんや?」

「ほらぁ村前の銀さんよぉ。朝から走りまわってたのよね、二代目の襲名式に間に合わせなきゃならないって」

「……銀じぃが?」

「その顔は図星ね、いやーお客さんが二代目の映絵さんなのかい!」

年甲斐もなしにはしゃぐ女将に炎は

「いいや、残念やな。俺は弟のほうや...襲名するんは兄貴の方や...襲名式まで時間あるからな、少しだけ行ってこいって兄貴がな」

…本当のことを言ってはいけない、そんな予感が感じ取られ。


「まぁでも親類の方でもうれしいわ、ちょっと待っててね」


炎の言葉に喜ぶ女将は、おつまみをサービスすると言って奥の厨房に下がる。

それと同時に座っていた、この店の従業員だったらしい男がお冷やを運んできた。

「気が利きませんで、お冷やです。日本酒と併せるのに井戸水をろ過して使っています。チェイサーにどうぞ。」

頭巾で頭を隠している男に訝しげな表情を向ける。

「なんや賄いでも食うとったんかい、まぁまだ時間早いからのう...あ?お前どっかで...」

「い、いえ、人違いでしょう」

男はさっと頭巾で顔を隠し、そそくさと離れて行った。


男が離れたあと、直ぐに水の入ったグラスに鼻を向けるが特に変わった様子はない。

「…なにもないな、考えすぎなんかな......」

程なくして女将が戻ってきた。戻ってくるのと併せて日本酒も注がれた。

「はい、おすすめの『鳥の丸揚げ』よ」

塩焼きされた美味しそうな揚げ鳥は少し食べやすく切ってあった。


「…アンタ、ホンマに鳥族か?」

「え?...そうだけど、なんで?」

「いや......女将が良ければいいんやけど…」

炎は念の為に揚げ鳥の匂いも嗅ぐが特に何も感じられない。むしろ香ばしく焼けた鳥の美味しさが伝わってくる。併せる日本酒もいつも飲んでいるようなものだ。

「ほんなら、いただくわ...」

「はい、どうぞぉ、この店のおすすめなんだから」

炎は鶏足をむしり取り、ゆっくり匂いを気にしながら食べ始めた。

「(なんや初めての店やし、新しいから怪しいなと思っとったけど存外、わしの考えすぎやったんかな...)」

炎は軽く息をつき、ぐいっと日本酒を煽った。

安心、まではいかないまでも普通の居酒屋であると判断して、警戒を解いた合図でもあった。


「あ、女将!そういや、こんな券貰ろたんやけども?」

あ!と女将が発すると、

「なんだもう、その券持ってたの?じゃあ、サービスしちゃうわよ♪」と炎に似合いそうな辛口でフルーティーな日本酒を一升持ってきた。

「おいおい、女将!そんな流石に飲まれへんて…あ、せや!女将も一杯どや?」

「あら、ありがとう、いただきますね」

炎はその後も女将との談笑を楽しみながら酒を飲むのであった。

「あ、そうだ…ちょっとごめんなさいね、鍋を火にかけっぱなしだったわ!」と女将は厨房へ入っていった。

「ふぅ…ここの酒、安くてこのレベルかいな、通うかな…それにしても、やっぱり考え過ぎなんかなぁ…」


「これで……いいんですか……」

厨房で女将は泣きそうな顔で、ある人物と相対していた。

「にゃふふ…えぇ、大丈夫。あなたに迷惑がかかるようなことにはしませんよ。そう、あなたが黙っていれば、ね?」

虎の仮面をした、白髭の大男が厨房の奥に座っていた。

「あとは彼が上手くやります。さぁ、この料理を持っていきなさい。」

女将の手が震える。

「で、でも…」

「早く、行きなさい」

虎の仮面の男は女将に有無を言わせぬ口調で命令した。女将はそそくさと厨房から出ていった。


「三毛や」

名前を呼ぶと、音もなく小柄な猫族が現れた。

「はぁい、虎様ぁ?」

男は仮面を取ると、猫族が率いる猫手会の重鎮である虎(とら)であった。

「用済みですね、この女将は…頃合を見て、処理しなさい、にゅふふ…」

「はぁ〜い…虎様ぁ、炎はどうするんです?」

虎はニヤリと笑いながら

「大丈夫、何もしなくてよいのです。」

といい、静かに裏口から出ていった。


ーーーーー次回 第一話 後編 -蚯蚓-

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