第9話 この瞬間を待ち望んでいたんだ


 

 「はぁ?!」

 「ご主人様?!」

 「なにやってんだあいつ?!」

 

 驚愕に満ちた三つの声が追いかけてくる。


 (その通りだよ! 何をやってんだよ俺は?!)

 

 我に返ったのは、その声が耳に届いてすぐのことだった。


 だけど、今さら戻れない。いや、戻る気など無い。急速に近づいてくる鉄球の圧を背中に感じながら、呆然と立ち尽くしている褐色肌のメイド――ゼルの許へ全力疾走する。

 

 「だりゃああああああああっっ!!」


 いよいよ大きな影が砕けた石板に飛び乗った俺とゼルを覆い尽くしたその時、俺はイチかバチか力の限りジャンプして、彼女の体をさらった。


 そのまま空中でゼルを包み込むように体を丸め、歯を食いしばって目を閉じる。

 

 

 ズドオオオオオオォォォン……!!!



 次の瞬間、すぐ背後で轟音が鳴り、その余波に吹き飛ばされて俺は地面に投げ出された。


 「ぐあっ! い、てててて……はぁ、ふぅ……ギリギリ、だったみたいだな……」

 

 打ち付けた背中の痛みに耐えながら身を起こす。痛みを感じているのは生きてる証拠だ。幸いなことに背中そこ以外に痛みは無く、一通り確認してみても、擦り傷やあざたぐいはあれど、深刻な怪我はどこにも負ってなかった。よし、大丈夫だ。

 

 そうして自分の状態を確かめた後、俺は胸の中にいるゼルに顔を落とす。

 

 「キミ、無事か? 怪我はないか?」

 「え……」

 「だから、怪我してないか? 痛い所は?」

 「…………ううん。どこにも……ない……」

 

 黒一色の目を大きく見開くゼルは、戸惑いの表情を浮かべながらも小さく頷いてくれた。


 俺の懐にすっぽり収まる彼女の体は小さく、とても軽い。腕なんて少し力を入れたら折れてしまいそうだ。いくら魔法を使えるからって。人知を超えた力を持っていたって。こうして見れば、本当にどこにでもいるか弱い女の子にしか思えない。

 

 なんの躊躇も罪悪感を覚えることもなく、よくもこんな子を殺せと吐き捨てられたモンだ。何度でも生き返るからって、よくも……よくも……!

 

 「そうか……だったら、よかった。本当に、よかった……!」

 「…………」

 

 彼女が無事だった。それがどうしようもないくらいに嬉しくて、誇らしくて。顎が震えて、目頭が熱くなってくる。やばい、なんか泣きそうだ。

 その間もずっとゼルは俺を不思議そうに見つめていて。涙目になっているところを見られるのは恥ずかしいから、誤魔化ごまかすために彼女の頭を撫でる。


 ビクリと体を大きく震わせたゼルだったが、しばらくして害が無いと分かったのか、次第に体の強張こわばりを解いて俺の胸に頭を委ねてきた。なんか猫みたいだな。ちょっと可愛い。

 

 「ご主人さまあああああああっっ!!」


 そうして束の間の癒しを得ている時だった。巨大鉄球の一撃によって舞い上がる砂煙の向こうから悲鳴に近い呼号が上がり、遅れてリヴィアが場に現れる。相当、焦っていたのだろう。血の気が引いた青白い形相ぎょうそうには玉のような汗が流れていて、彼女は俺を見つけると、長い息を吐きながら地面に座り込んだ。

 

 「はぁ、はぁ。よ、よかった……ご無事で。い、いえ! それよりも! なんて無謀なことをするんですか?! 急に走り出すなんて! 下手すれば死んでいたかもしれないんですよ?!」

 「あ、ああ、悪い。自分でもバカなことしたと思う。でも……ジッとしていられなかった。この子が殺されてしまう、と考えたら……黙って見ていられなかったんだ」

 

 リヴィアに答えながら、俺は再びゼルを見遣る。この間も甘んじて俺のナデナデを受け続けた彼女は、もう完全に心を許したのか、全体重を俺に預けて目元を緩めていた。暴れたり嫌がられるよりマシだけど、ささやかな胸の柔らかさやスベスベした太ももの感触が絡みついてきて、これはこれで辛い。

 

 そんなゼルを眺め、リヴィアはもう一度、深く嘆息した。

 

 「……これまでの経験から、あなたがそのような人であることは把握済みですから。私はメイド、主人の意志を尊重し、意向に従う者。あなたが決めた道に異論は申しません。せめて、もう少しご自愛くださいませ」

 「ああ……すまないな」

 「……それと、ちょっと2人ともくっ付き過ぎではありませんか? まだ敵は去ってないのですから早く立ってもらわないと困ります。ほら、離れて離れて」

 「お、おい。そんな乱暴な……」

 

 言うが早いか、リヴィアはさっそくゼルを引き剥がしに掛かる。


 大人しいというか。主体性が乏しいというか。リヴィアのされるがままに俺から離されたゼルは、ぼんやりとその場にたたずむばかりである。半ば無理やりだったから、少しは怒ってもおかしくないのに……あまり自己主張しない娘なのかな? まあ、ケンカにならずに済んで……いや。


 リヴィアを一途いちずに見つめる、湿っぽいジト目。無感情の黒に染まっていたそこに、小さくない炎が宿っている……ように見えなくもない。そういえば、どことなーく頬が膨らんでいるような。眉間にもすこーし皴が……あれ? これ、もしかして怒ってる? 言葉にしないだけで、実はかなりイラついてない? これ。

 

 「あっははははは!! マジかよあいつ!」

 

 能面の下に隠されたゼルの感情に気付いて、戦々恐々となっている時だった。不愉快な笑い声が地下空間に響き渡り、俺は顔を上げる。


 砂煙で淡く濁った視界の向こう、嘲りと蔑みに満ちた目の龍彦がこちらを……俺を指差し、身をよじらせながら大いに笑っていた。


 「メイドを助けやがった! しかも、何の関係も無い野良のメイドを! バッカじゃねえの?! 死んだってすぐ生き返るのに、そんなヤツを命懸けで! 良い人アピールのつもりかよ頭おかしいだろマジで!! ぎゃはははははは!!」

 「…………!」

 

 悪びれない、反省の一欠片かけらも無いその言動が、俺の感情を激しく揺り動かす。前にいるリヴィアを押し退けるようにして俺は歩き出し、砂煙の中から出ると同時にヤツに叫んだ。

 

 「この娘を助けたことがそんなにおかしいか? 有り得ないことかテメェ!」

 「あぁ?」

 

 すぐさま顔面をいかつく歪ませる龍彦。その時その時で豊かに表情を変えるところを見るに、裏表がない性格というか……まあ、ただの単細胞か。

 

 「おかしいに決まってんだろ。こいつらはどうせ生き返るんだぜ? しかも記憶まで失うってのに、そんな化け物共を助けるなんてどうかしてるとしか思えないだろーが。なに言ってんだお前?」

 「化け物、だと……!」

 「あぁん? 化け物以外に正しい言い方があるか? 魔法を使えて、死んでも復活して、主人に尽くすことしか存在意義が無い、人の形をした何か。まあ、だけはいいからイロイロと楽しませてもらってるけどなぁ!」

 

 龍彦はまた笑うと、近くにいるメイドを強引に自分に引き寄せた。そして、左手をその子の背中に回し、後ろから乳房を鷲掴みにする。

 メイドは一瞬、眉をピクリと動かすが、何一つ抵抗することは無かった。それをいいことに、龍彦は乳房を好きなようにこねくり回しながら俺に言う。


 「お前もそうなんだろ? 正義漢ぶってるけど、もうそこのメイドで十分、楽しんだ後なんだろ? そりゃそーだよなぁ。主になっただけでなんでも言うことを聞いてくれるんだから、男だったらそりゃあ遊びまくるよな。所詮、こいつらはオレたちがいないと何も出来ない、オレたちに使い捨てられるしか価値が無い玩具おもちゃなんだよ。そんな連中にイチイチ同情なんかしてんじゃねーよボケが!」

 「テメェ……!」

 「おん? なにその反応。もしかしてお前、まだ自分のメイドに手を出してねーの? あはは! たまにいるんだよな、そーいう紳士ぶってるやつ! まあ……それならいいさ。お前をぶっ殺した後、オレ様がそのメイドをたっぷり可愛がってやるよ。ああ、いや? むしろ生かして捕らえて、お前が見ている前でそのメイドを犯した方が面白いかな? どっちがいいよおい! お前に決めさせてやるよ!」

 

 と、最低最悪の選択肢を提示して、龍彦は再び不細工な笑い声を地下空間に響かせ始める。

 

 「……リヴィア。俺は、決めたぞ」

 「え?」

 

 皮膚が裂けんばかりに手を固く握り締め、その不快なメロディに耐えていた俺は、後ろに近づいてきたリヴィアに言った。

 

 「いきなりこの館に飛ばされて、当主を目指してくれって言われて……正直いって今もわけ分かんねーよ。その上、メイド同士の殺し合いを見せられて、さらにこの館に掛けられた呪いを知って……はっきり言って、後悔しかなかったよ。俺が前にどんな生活を送ってたか知らねーけど……こんな場所だと知ってたら、絶対に来ることを選ばなかった。俺のいないところで勝手にやってくれ……そう思ったよ」

 「ご主人様……」

 「でもな」

 

 ギリ、と奥歯を噛み締めて、俺は龍彦を、ついでにその後ろで我関せずといったカンジに傍観している2人も纏めて睨みつける。

 

 「今はあのクソ野郎の好きにさせてたまるか、って気持ちでいっぱいだ。それだけじゃない。お前と出会って……この館にいるメイドたちの運命を知って、今さら投げ出せるかよ。全てを忘れて生きていくことなんてできるか!」

 

 胸の内でこごっていた思いの丈をリヴィアに全部ぶちまけ、そして俺は、3人を指差して叫んだ。

 

 「上等だ! やってやるよクソ野郎共が! 俺がこの館の真の当主になってやる! そして、逆に俺がテメェらをここから叩き出してやる!! もうこれ以上、テメェらの好き勝手にはさせないからな! 覚悟しておけ!!」

 

 龍彦の笑い声を打ち消す、弱者からの宣戦布告。

 

 この行為がどれほど身の程知らずかなんて承知してる。不利な状況をさらに悪化させるだけだということも。


 だけど、黙っていられなかった。逆らいたかった。抗いたかった。たとえ敵わないと分かっていても、立ち向かってみたかった。彼女たちを追い詰め、苦しめる理不尽な現実、そのものに。

 

 心の中に焦燥と危機感が広がっていく。でもその奥には確かに、鳥肌が立つほどの歓びと爽快感が打ち震えていた。

 

 ああ、俺はきっと、この瞬間を待ち望んでいたんだ。


 不遇な毎日に諦めることなく。降り掛かってくる不条理を「うるせぇよ!」と一蹴できる、その時を。


 俺はずっと待ち望んでいたのだと、なんとなく分かる。

 

 「……はっ、雑魚が。自分が置かれた状況をまだ理解してねーようだな? 見ろよ、ここにいるメイドの数を! お前に勝ち目なんてねーんだよ。そもそも今からここで死ぬんだからな! やれ、キャロル! そのゴミを今すぐ叩き潰せ!」

 「…………」


 命令を受けたキャロルは龍彦を睨み付け、けれど何も言い返すことなく鉄球を回し始める。


 「そこまでにしておけ」

 

 キャロルが攻撃の予備動作に入った、まさにその瞬間。


 低く、小さくともよくとおる男の声が、高まりかけていた闘争の雰囲気を駆逐した。


 三頭連合、最後の1人。これまで一言も発さずに俺たちのやり取りを見守っていた、浅黒い肌と白い鬚を蓄えた四十〜五十代くらいの大男によるものである。


 「ああ? なんだよロドリオ。口出しすんなよ、いま良いところなんだからよ。おい、キャロル! 手ェ止めんな! さっさとそこのゴミを――」

 「だから、止めろと言っている」

 「……っ、」


 二度目の忠言は、明らかな敵意に満ち満ちていた。逆らえば、例え同志であろうと迷うことなくその背中を撃つ……嘘でもハッタリでもないことは、白い眉の下で勇まる老年の瞳が物語っている。


 その威厳は、完全に調子付いていた龍彦を黙らせるほどで……そうして場を制した壮年の男、ロドリオは、圧を抑えた落ち着きのある口調で続けた。


 「新参者の戯言ざれごとに踊らされるな。今は小物に構っている時ではない。我々の目標を見失うな」


 そして、地下空間の一角を指し示すロドリオ。


 その方向に顔を向けると、岩肌に設置された数ある大きな燭台の一つに立つヘラデリカさんを見つけた。ずっと姿が見えないと思ったらあんな所にいたのか。


 「ヘラデリカ……! 目の前に現れたと思ったらすぐに消えて……こんな所に隠れてやがったのか!」

 「そうだ。どこを探しても見つけられず、かと思えばつい先ほど、新たな主人候補が参入したことを伝えるために私たちの前に現れた、神出鬼没の筆頭メイド。あの時は取り逃がしてしまったが、今度こそ確保する。お前も集中しろ」

 「だ、だけどよ! あいつ、オレたちにケンカ売ってきたんだぞ?! このオレにも舐めた口を叩きやがって……思い知らせてやらねえと気が済まねえよ!」

 「知ったことか。お前のプライドなど、我らの大義の前では無価値に等しい。今は全ての力をヘラデリカに注ぐ時だ。お前の下らない自己満足のためにメイドの魔力を浪費させるな」

 「……くそっ」


 いきり立つ龍彦を、ロドリオは容赦ない説法で容易く論破した。龍彦との関係性、そして重厚な貫禄かんろくと振る舞いを見るに、どうやらあの男が連合のリーダー的存在であるようだ。


 「でも、いいの? あいつを放っておいて。龍彦と違って、別に青臭いガキの言葉に踊らされるつもりはないけど、主人候補の数を減らすのもあたしたちの目的の一つでしょ?」

 

 龍彦が大人しくなると、今度は退屈そうに髪をいじっていた未久実みくみがロドリオに問いかける。

 

 その問いかけに答える前に、ロドリオは俺に視線を向けて、

 

 「……構わん。従者の命を切り捨てることもできない軟弱者。我々が手を下さぬともどの道、この館に長くはいられないだろう。関わるだけ時間の無駄だ。さあ、総員戦闘態勢だ! ヘラデリカを捕獲せよ!」

 

 すぐにヘラデリカさんに瞳を映し、彼女に腕を差し出しながら号令を発する。そうすればメイドたちは一斉に3人の周りに展開し、それぞれの獲物を構えつつ魔力を高め始めた。

 

 「あらあら、バレてしまいましたね。それではタイガ様、リヴィア。これにて失礼いたします。今後のご健闘をお祈りしていますわ」

 

 一方、大量の敵意を受けても動じることなく、俺たちに一礼したヘラデリカさんはおもむろに右手を頭上に翳した。その途端、彼女を取り巻く空気が歪み、次の瞬間には手品のように銀髪メイドは忽然こつぜんと姿を消したのである。

 

 「ちっ! 消えたぞ!」

 「追え! まだすぐ近くにいるはずだ! 探し出して生け捕りにしろ! 絶対に逃がすな!」

 

 すぐさまロドリオが指示を出すと、戦闘態勢を解いたメイドたちは高く跳躍して階段の上に戻り、上階へ続く通路を駆け出していった。その後に、ロドリオと龍彦が踵を返して続いていく。


 「ちょっと龍彦。あそこにいるの一応、アンタのメイドでしょ? 連れていかなくていいの?」

 「あァ? ヘラデリカを捕まえることに集中しろ、ってロドリオが言っただろうが! 別にいらねーよ。新人にやられるような雑魚メイドなんて! いつ契約したのかも覚えてねーし、どーせクソ能力なんだろ! 性欲処理にも役に立たねーだろうしな!」

 「あー、まあ、アンタ好みじゃねーな。見た目ガキっぽいし地味目だし……ってことでよかったね、新人くん。新しいメイド、ゲットじゃん。そのチョーシでかんばれ〜」

 「そのツラ、覚えたからな。今度、会った時は絶対にぶち殺してやる! その時までせーぜーオレ様のお古で楽しんでな!」

 

 未久実は茶化すような笑みを浮かべて俺に手を振り、龍彦は捨て台詞を吐いて、ロドリオの背中に続いていった。

 それから大量の忙しない足音は速やかに遠ざかっていき、地下空間は再び神秘的な静けさを取り戻す。


 「……どうやら本当に立ち去ったようですね」


 間もなく、入口を見つめるリヴィアが戦闘の構えを解きながらポツリと漏らした。


 「ああ……啖呵たんかを切っておいてアレだけど、ヘラデリカさんのおかげで助かった。あの人がいなかったら多分、あのままやられてたよ」

 「ええ。……まあ、そうなるようにあらかじめ予防線を張っておいたのは私なんですけど」


 と、俺の感想に張り合うように、少し得意げに胸を張ってリヴィアは言う。予防線を張っておいた? どういう意味だ?


 「分かりませんか? ここ、アナスタシスは開放区域です。なので別にヘラデリカに頼まなくても、本来は私だけで案内できるのです」

 「ああ、そうだな。じゃあ、あの人にわざわざ案内を頼んだのは、こうなることを予想した上でか?」

 「はい。彼女が三頭連合に所属するメイドであることは見当がついていましたから。遅かれ早かれこの場所にやってくることは分かっていました。その前に時間の復元を説明しつつ、復活したメイドたちをいただく腹積もりでしたが……帰り道に運悪く遭遇してしまった場合に備えて、ヘラデリカを同行させておいたのです。こんなに早く来てしまったのは完全に想定外でしたけど」

 

 振り返ってゼルを眺めつつ、リヴィアは話を締める。激戦を終えたあのわずかな一時でそこまで考えていたのか。


 リヴィアの賢さに感心し、それと同時に俺はある確信を得る。

 

 「そうか……ということはやっぱり、ヘラデリカさんはロイヤルナインの1人なんだな」

 

 考えてみれば当たり前の話だが。

 この戦争の見届け人、と自称していたからなんとなく除外していたけど、あの人もメイドで、しかも本館の筆頭メイドである。言わば当主の右腕。そんな彼女が含まれてないわけがない。

 

 「そのとおり。101号室を担当するヘラデリカはレオンハルト様の元秘書にして、現在は全ての主人候補の動向を監視しつつこの戦いの行く末を見守る主人戦争の生き証人なのです。しかし、彼女もこの館に勤める立派なメイド。彼女ならば元当主の部屋の場所を知っているでしょうし、メイド長を従えることができれば、誰もが当主として認めることでしょう」

 「だからあいつらは慌ててヘラデリカさんを追っていったのか……そのことを理解しているから、いざという時の囮……と言うのはアレだけど。ヘラデリカさんを同行させたわけだな」

 「ええ、彼女の立場を利用したのです。しかし、そのことは本人も重々、承知していたはずです」

 「そうなのか? 利用されることが分かった上で、えて案内役を引く受けた、と?」

 「空間に介入し、他のメイドが支配する領域にも自由に行き来できる彼女の力なら、さっさとこの場から離脱できたはずですから。あのような場所に留まり、彼らに見つかるような失態など、本来のヘラデリカはしません」

 「なるほどな……おかげで助かったけど、いいのか? 俺たちに肩入れするような真似して。あの人は公平な立場じゃなかったのか?」

 「公平ではあるけど、平等ではありませんから。見届け人としてどの陣営にも属するつもりはないけれど、特定の候補には期待を寄せる……まあ、彼女にも理想とする主人像があるのでしょう。そもそも、その立場も自称に過ぎませんからね。元秘書であることからレオンハルト様の代理人として振る舞っているだけで、彼女もメイドの1人ですから」

 

 淡々と俺に答えたリヴィアは、「それよりも」と再度、ゼルに振り返る。


 「こんな所でいつまでも長話している暇はありません。場所が場所であるだけに、ここら近辺では主人候補の姿をよく見かけます」

 「さっさと移動しないと、また敵と遭遇する恐れがある、ってことか……」

 「ええ。連戦を終えたばかりで、さすがに私も魔力を消費しています。戦えないことはないですが、できるなら会敵は控えたい。なので、手早く事を済ませましょう」

 

 と、俺に顔を戻し、目で訴えかけてくるリヴィア。済ませる、とはつまり、傍でずっと俺たちの会話を眺めている褐色肌のメイド――ゼルの処遇についてだろう。そして、その選択と行動を彼女は俺に委ねているのだ。


 その眼差しから逃げることは許されない。だって、俺はついさっき彼女に宣言したのだから。

 

 俺の意志を。

 この戦争を制し、館の当主になってあのクソ野郎共をここから叩き出す、といういばらの目標を。

 

 だから、今さら怖気づいてはいけない。リヴィアの想いを。そして、前の主人から見放された少女の命を背負うことを。


 

 地下空間に光が満ちる。

 石板にぶちまけられたアーミィとエブリウスの死肉から立ち上る、光の粒子の舞。



 俺はリヴィアに頷くと、その幻想的な光景を背にしてゼルに歩み寄る。


 リヴィアより少し背が高い、けれど、俺よりもずっと小さい彼女は、相変わらず黒一緒の半眼で俺を見上げた。


 俺は少しだけ膝を折り、彼女と同じ目線になってから、たどたどしく話し始める。

 

 「えっと、初めまして……でいいのかな? 俺の名前は九賀谷くがたに大雅たいがだ。キミの名前はゼル……で間違いないか?」

 「うん……444号室のゼル……」

 「そうか。あの……復活したばかりで、何がなんだかよく分かってないと思う。知らない連中が言い争いして、キミのことを物みたいに扱って……俺がこれからすることも、キミからしたらヤツらと同じことなのかもしれない。だけど、それでもよかったら……俺の、メイドになってくれないか?」

 「……うん、いいよ」

 「ほ、ホントか? ぶっちゃけ、これから大変なことになると思う。俺に仕えることはかなりの……リスクになると思うけど、それでもいいのか?」

 「うん……。戦うことは、どの主人になっても同じだと思うし……それに、あなたなら……信頼してもいい……と思うから。だから、これ……」

 

 独特の喋り方で勧誘に応じてくれたゼルは、おもむろに右手を俺の前に差し出した。しかし、大きく開かれた手のひらの上には何も無い。

 

 が、その直後、手のひらから光の結晶が生まれ、それは赤銅しゃくどう色に輝く鍵へと形容を変えた。

 

 「これは……?」

 「その子が担当する部屋の鍵です。メイドは主と認めた者に自分の鍵を提示し、主人候補はそれを受け取ることで主従契約が成立します」

 「そうか……分かった」

 

 リヴィアの説明を受けた俺は、ゼルに頷くと、その鍵を手に取った。すると、握り締めた瞬間、鍵は赤い光の粒に弾けて、さらに俺の右側のズボンのポケットへと向かっていく。どうしてそこに?

 

 慌ててポケットの中を探ると、出てきたのは赤みを帯びるリヴィアの金細工の鍵だった。

 

 「新たに主従契約を結んだメイドの鍵は、最初の専属メイドの鍵と合体します。そうしてメイドたちと契約を果たしていけば、いずれそれは全ての部屋に通じる鍵――すなわち『当主の鍵マスターキー』となるのです」

 「そういうことか。まあ……何はともあれ、契約は無事に済んだってことだな」


 力んでいた肩を落としながら、俺は軽く息を吐く。契約とか言うからもっと物々しい儀式や手続きをするのかと思ってたけど、案外あっさりだったな。いや、面倒くさいよりもいいけど。

 

 そんなことを考えながら、無事に契約を終えた達成感にふけっていた時である。ゼルが一歩を踏み出し、俺に接近してきた。そうして至近距離から見上げてくる眼差しが、どこか物欲しそうに見えるのは気のせいだろうか?

 

 「それじゃあ、改めて……これからよろしくな、ゼル」

 「うん……」


 その瞳に誘われて、俺はなんとなく彼女の頭を撫でてみる。

 

 依然として後ろを舞う光の粒子のせいだろうか。


 くすぐったそうに細める目の中に、小さな輝きが走ったような気がした。





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