第6話 メイドは光となりて



 リヴィアを後ろから抱き締めた俺は、そのまま彼女と共に床に倒れ込んだ。

 

 「がっ?!」

 

 直後、何かが俺たちの上を通り過ぎ、短い悲鳴が聞こえる。顔を上げると、膝を床に付けて首を手で押さえるアーミィの前に、新たなメイドが登場していた。

 

 動きやすさを重視したような半袖とミニスカートとメイド服から伸びるのは、褐色肌の細い手足。そして、肌に映えるグレーに近いサイドテールの銀髪。両手に握られているのは、リヴィアのナイフよりも小さい、いわゆる忍者が使うクナイのような細長い刃物であり、左手のそれがアーミィの首に深く突き刺さっていた。

 

 間も無く、褐色肌のメイドが俺たちの方に振り返る。それと同時に左手のクナイをアーミィから引き抜いた。

 

 「があっ、か……っ」

 

 その動作に誘われるように、アーミィは首と口から大量の血を撒き散らしながらうつ伏せに倒れ込む。血だまりが瞬く間に絨毯に広がり……アーミィの肉体はその海の中で完全に機能を停止した。

 

 「残念……2人まとめてヤろうとしたのに……邪魔が入った……」

 

 だが、自分が起こした後ろの惨劇に目もくれず、虚ろな瞳に俺たちを映す褐色肌のメイドは囁くような声で悔しさを噛み締める。

 

 「新手か……! ご主人様! 下がってください!」

 

 そこに無機質な殺意を見た瞬間、リヴィアは俺の懐から脱出し、素早く彼女に対峙した。


 「影の中に侵入できる能力……いや、それよりも! いつの間に私の影の中に?! ここに来るまではもちろん、戦いの最中でも常に周囲は警戒していた。敵の接近をここまで許すようなヘマを私が……!」

 「……別に、あなたの隙をついたとか……そんなんじゃないよ。人通りが多い所で待ってろ……って指示されただけ。このホールは……メイドがよく通るから……主人候補なら……来るかなって……」

 「待ち伏せか……どうりで。私たちがメイドを求めてエントランスホールに来ることを見込んで、何かの物陰に潜んでいた。そして、彼女たちとの戦いの最中に私の影に侵入した、というわけですね……迂闊うかつでした」

 

 反省するような言葉を漏らしたリヴィアは、「だが!」とナイフを構えた。

 

 「奇襲を仕掛けると言うことは、白兵戦が不得手だと吐露したのも同義! あなたの能力からしても、1対1での戦いは不利だと見ました。そして、こうしてあなたを捕捉した以上、もう取り逃がすつもりはありません。覚悟を!」

 「…………」

 

 一方、褐色肌のメイドもクナイを持ち直し、臨戦態勢に入る。

 

 それから少しの間を置いて、両者、同時に走り出した!

 

 

 ――ギィン!!!

 

 

 刃物と刃物がぶつかり合う激しい金属音が鳴り響き、シャンデリアの下で二つの影が交差する。

 

 「なっ……!」

 

 その結果、信じられない、と言わんばかりに目を見開くことになったのはリヴィアの方だった。


 だが、彼女の体に傷は無く、

 

 「かぁっ、はっ……」

 

 むしろ、血を吐きながら前のめりに傾き始めたのは褐色肌のメイドの方。見れば、心臓の辺りにナイフが突き立てられており、膝から床に崩れ落ちた彼女はそれ以後、ピクリともしなくなった。

 

 一瞬の結末。なんともあっけない幕引き。

 

 「だ、大丈夫か? リヴィア」

 「はい。怪我はありませんが……」

 

 不謹慎ながら拍子抜けの感を抱きながら、ひとまずリヴィアに声を掛ける。彼女は不可解な表情で頷き、地に伏せる褐色肌のメイドに顔を向けた。俺もつられてその亡骸なきがらに視線を流す。

 

 「無事ならよかった……その、なんだ? ずいぶんとあっさり……と言えばいいのか……」

 「ええ……ご主人様のお気持ちは分かります。私もてっきり、彼女は影の中に逃げ込んで仕切り直しを計るとばかり考え……その前に勝負を決めるつもりで突っ込みました。まさか……能力を使わず、私に応戦してくるとは……」

 「それだけタイマンに自信があった、ということか?」

 「いえ……意図的に使わなかった、というより、使えなかった、と言った方が正しいかもしれません。実際、彼女の体から魔力はほとんど感じられませんでした。恐らく、ここに潜んでいる間に使い切っていたのでしょう。故に、奇襲作戦で2人同時に仕留めようと試みた」

 「そういうことか……で、それが失敗して、後は真正面から挑むしかなかった。つまり彼女の敗因は、魔力運用の失敗……ということか」

 「……いいえ。ヘラデリカが全主人候補にアナウンスし、それからすぐこの部屋での潜伏を始めたとして。それでも、私たちがやってくるのに30分も掛かっていません。2人との戦闘時間を加味したとしても、その間に全ての魔力を消費するとはさすがに考えられない……いや、するはずがない。もしかしたら彼女は、魔力を制限された状態だったのではないでしょうか?」

 「魔力を制限? え? でも、あいつには主人がいるはずだろ? 指示された、ってさっき言ってたはずだ」

 「ええ。メイドが主人の傍から離れる時は大抵、何かの命令か、もしくは事情があるため……彼女もそうだったはずです。そして、戦闘の可能性も考えられるのに、魔力解放をしていなかったということは、恐らく――」

 


 「ウソだあああああああああああ!!!」

 

 

 淡々としたリヴィアの叙述が核心に至る、その直前。いきなりエントランスホールに悲痛に満ちた絶叫が響き渡り、彼女の声を掻き消した。

 

 絶叫の主は、階段の踊り場で頭を搔き毟り、気が狂ったかのように体をよじらせている細身の男。

 

 「アーミィ! エブリウス! なにやってんだよお!! たった1人のメイドにやられやがってぇ……! っていうかなんなんだよその女はァ!! いきなり現れて勝負をメチャクチャにしてえ!! 無効だこんなのっ! ボクは絶対に認めない! 無効だ無効だ! うわあああああああぁぁぁっっっ!!」

 

 八つ当たりのような金切り声をまくし立て、最終的に涙目になった男は、情けない負け惜しみを叫びながら階段を駆け上がっていく。現実を直視できなくて、この場から逃げ出すつもりなのか。


 

 「お待ちください」



 その時である。

 

 凛とした女性の声がどこからか聞こえたかと思うと、虚空に歪みが生じた。間も無く、そこに生じたマーブル模様の穴からヘラデリカさんが登場し、男の前に降り立った。

 

 「へ、ヘラデリカ……!」

 「どちらへ行かれるおつもりですか? ソウタロウ様」

 「ひうっ……」


 母性溢れる優しい笑みを湛えているのに、それとは裏腹のいかなる反抗を許さない威圧感をまとい、ヘラデリカさんは細身の男を射竦いすくめている。その眼差しにソウタロウと呼ばれた男は見るからに怯えだして……なんだこの空気? 一体、これから何が始まるんだ?

 

 「ただいまの勝負を持ちまして、ソウタロウ様は全てのメイドを失いました。よって主人候補の資格無しと見做みなし、元の世界にお帰りいただきます。他の主人候補を蹴落とし、そのメイドを手に入れたあなたが知らないはずがありませんよね?」

 「え? メイドを失ったら元の世界に帰されるのか? というか、戻れるのかここから?」

 「ええ、まあ、一応」

 

 俺が訊ねると、リヴィアは歯切れ悪く答える。なんか白々しい反応だけど、とにかく、元の世界に帰れる手段があるのは確かなのか。これまでの話から、いやが応でも主人戦争に参加しないといけないと思っていたけど、これは嬉しい情報だ。

 

 「なんでそのことを教えてくれなかったんだ?」

 「……この館の当主になられるご主人様には不必要な情報ですから。それに、いまヘラデリカが言ったように、主人候補の資格を失うということは、従えるメイドを全員、失うということです。私は絶対に、何があろうとタイガ様の許から離れることはありませんので」

 

 真剣な目で俺を見上げ、断言するリヴィア。重い。

 

 「いや……まあ、うん。キミの気持ちはともかく、そういうことは一通り教えておいてもらわないと……」

 「それともなんですか? 私を解雇するおつもりですか? 私はタイガ様のメイドに相応しくないとでも言いたいのですか? 私以外に誰がご主人様の欲望全開ドスケベ命令に忠実に従うと言うのですか?!」

 「するか! そんな命令!」

 

 と、俺とリヴィアがそんな馬鹿げた言い争いを続けている一方――

 

 「い、今の勝負は無効だ! だって、途中で変な邪魔が入ったんだから! アレがなかったらきっとボクのメイドはあいつに勝ってたはずなんだ! だから無効だ!」

 

 階段の手前まで追い詰められたソウタロウは、捏造にも程がある言い分でヘラデリカさんに反論した。

 

 が、ヘラデリカさんは静かに首を横に振って、

 

 「申し訳ありませんが、私の目から見て先ほどの戦いは、たとえ邪魔が入らなかったとしても同じ結果になったと思います。仮にソウタロウ様の仰ることが正しいとしても、現実にメイドがいない以上、検討の余地はありません」

 「だ、だったら新しいメイドをボクにくれよ! この館にはまだ主人がいないメイドがたくさんいるんだろ?! この際、使い物にならない雑魚メイドでいいから! もう一度、ボクにチャンスをくれえ!」

 「……残念ながら、その要求は受け入れられません」

 

 ソウタロウの頼みをすげなく拒否し、ヘラデリカは右手を前に翳す。すると、ソウタロウを囲むように淡い緑色の球体スフィアが出現した。その透明な膜のようなカーブを描く壁は、彼が内側から叩いてもビクともしない。あれがヘラデリカさんの能力なのか?

 

 そして、必死な形相ぎょうそうで泣き始めるソウタロウにしとやかな笑みを見せつけ、ヘラデリカさんは言う。

 

 「他の世界と隔絶しているこの館の中は、時間が固定化されています。その魔法に介入し、ソウタロウ様が転移された直後の時間軸に戻しますので、何事もなく元の生活に戻ることができるでしょう。どうかご安心ください」

 「ま、待って! 待ってくれよぉ! イヤだ! もうあの生活に戻るのはイヤなんだぁ! 仲が良い友達も、話しかけてくれる女の子もいないひとりぼっちの生活は! ここなら可愛い女の子たちがたくさんいる! ボクの言うことをなんでも聞いてくれる女の子たちが! ボクはここがいい! ここにいさせてくれええええ!!」

 「……最後に。メイドを自分の欲求を満たすための道具だと考えているようなやからに当家の主人は務まりません。この運命は、なるべくしてなった、ということ……それではお疲れさまでした。元の世界でのご健闘をお祈り申し上げます」

 「や、やめ――」


 ソウタロウの懇願は最後まで続かなかった。ヘラデリカさんが右手を握り締めると、緑の球体は高速に回転を始める。やがて全体が光に包まれ、強烈な閃光を伴って球体は弾けた。咄嗟に顔を覆って目を守り、少しして開いた視界にはどこにも、ソウタロウの姿は見当たらなかった。


 「消えた……本当に元の世界に帰ったのか。送り返すのはヘラデリカさんがするんだな」

 「ええ。主人戦争の見届け人であり、空間を司る能力を持つ彼女の役割です」


 へぇ。ヘラデリカさんの能力は空間に関係しているのか。

 

 「そうか……それにしても、はあぁ~~~……! ようやく一段落ついたみたいだな……あぁ、目まぐるしい時間だった……」

 

 長い溜息を吐き出した俺は、体を投げ出すように床に座り込む。リヴィアの部屋を出てから、ソウタロウとそのメイドたちの登場。特殊能力を扱うメイドたちの戦い。さらに褐色肌のメイドの乱入に、ソウタロウの消失……一時間にも満たない間に、本当にたくさんの衝撃的な出来事があった。

 

 魔法という人知を超えた力があって、当主の座を巡って戦争中で……決して軽く見ていたわけじゃないけれど。でも、メイドたちの戦いがこんなに激しく、そして残酷なものだなんて想像していなかった。人間が殺される現場を生で、しかも3回も見ることになるなんて……思い返すだけで、今さらながら恐怖で指先が震えてくる。

 

 リヴィアはああ言ってたけど、本当に俺はこの戦争に参加しなければならないのだろうか? ほとんど同世代の女の子の死体ばかりが増えていくこんな血みどろの戦いを続けて心が、精神が最後までつのだろうか?

 

 胸の内に広がる不安と恐怖に駆られて、俺はゆっくりと首を回していく。出来ることなら見たくない、しかし、戦争に参加するのなら絶対に直面することになる人の死をもう一度、この目で確かめるために。その時に抱いた心の声に従うために。

 

 「え?」

 

 そうして振り返った俺が目にしたものは、舞い上がる無数の光の粒に包まれた幻想的なエントランスホールの光景だった。その発生源はアーミィやエブリウス、そして褐色肌のメイドの亡骸であり、手足やスカートの裾からジワジワと光の粒になって消えていっているのだ。

 

 それだけじゃない。これまでの戦闘によって傷付き、破壊されたホールの床や壁、置物の壺、さらに血で汚れた絨毯に至るまで、全ての物が自動的に修復されていっている。いや、本来の形に復元されている、と言った方が正しいのか?

 

 「な、なんだこれ……何が起こってるんだ……?」

 「時間が戻っているのです」

 

 唖然とその光景を眺めながら呟くと、横から返答がやってくる。階段を下りてくるヘラデリカさんからのものだ。

 

 「時間が戻っている……?」

 「そうです。リヴィアからすでに説明があったと思いますが、この館はレオンハルト様の魔法により時空が歪んでいるのです。そのため外の世界から隔絶した館内の時間は固定化されることになり、館内の全ての物体はたとえ破壊されたとしても、一定時間経つと元の形状を取り戻します。それは物だけでなく、亡くなったメイドたちもまた……」

 

 意味深に言葉を留めて、ヘラデリカさんもホール中央に目を向ける。それとほぼ同時に、アーミィとエブリウスの亡骸が完全に消滅した。

 

 「ちょうどいい……ヘラデリカもいることですし、今後のためにも、そしてご主人様の不安を解消するためにも、私たちメイドの最大の特性をお教えすることにしましょう」

 

 すると、俺たちと同じく2人の消滅を見届けたリヴィアが、不意にそう申し出てくる。

 

 「最大の特性? ああ、さっきアーミィが言っていたことか? そういえば後で話す、って言ってたもんな……でも、俺の不安を解消するって……?」

 「……ご主人様が先ほど私たちの戦いを止めようとした理由。そして現在、抱いているであろう懸念を払拭する、メイドの性質……いえ、『呪い』と言うべきでしょうか……ヘラデリカ。『アナスタシス』への案内、お願いできますか?」

 「ええ、構いませんよ。さぁ、タイガ様。お立ちになれますか?」

 「あ、ああ……」

 

 ヘラデリカさんから差し出された手を頼りに立ち上がる。それから「こちらへ」とホール奥の通路に向かう彼女に従って、すでに半分が消えかけている褐色肌のメイドの亡骸を背に、俺とリヴィアはエントランスホールを後にした。





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