第2話 専属メイド
「……はあ?」
状況が呑み込めず、すっとんきょうな声が自然と口から漏れた。
眩い光のせいで気を失ったところまではぼんやりと覚えてる。そして目を覚ますと、俺は全く知らない場所にいた。
洋風の家具が一式、備わっているホテルのような広い部屋。その奥に位置する大きなベッドの中に俺はいた。どうしてこんな場所で寝ていたのか……そもそも、ここはどこなのか? 何も分からない。
そして、俺のことを「ご主人様」と呼ぶ、この少女は誰なんだ?
紫がかった黒髪のボブカットというヘアスタイルに、甘さを残しつつも凛と細めた
「……どうされました? 私の顔をジッと見て。まだ意識が優れませんか? それとも……」
クールな半眼で俺を見下ろしていたメイド服の少女は、いきなり自分の体を抱き締め、その大きな胸を左右の腕で軽く持ち上げながら笑む。
「……私の美貌に見惚れてしまいましたか?」
「は? あ、いや……」
物静かで大人しい雰囲気を漂わせる少女の口から出た、予想外過ぎる色気たっぷりのセリフとポーズ。そのギャップに戸惑い、俺はベッドの中で
「あら。やっとお目覚めになったようですね」
その時である。扉が開く音がしたかと思うと、少女の後ろから別の女性の声がやってきた。誰かが部屋に入ってきたようだ。
上体を起こして声がした方を
しかし、開けた胸部に膝までのスカートというかなり露出の多いデザインの少女とは違い、現れた女性はいわゆるクラシカルタイプに近いメイド服を着用していて、背筋の伸ばして
ドアを静かに閉めた女性は、足音を立てない清楚な歩き方でベッドまで近づいてくると、俺に対して深く頭を下げた。
「おはようございます。ご気分はいかがですか?」
「え。あ、はい。なんとも……あ、あの。ここは、どこですか?」
疑問に思いながら女性に答え、矢継ぎ早に質問を放った。
「ここは絶壁の孤島『アルカディア』に建つ『レオンハルトアジール』という館ですわ。人は『レオンハルト邸』、あるいは短く『アジール』とも呼びます」
「アジール……? そ、それで、どうして俺はここに?」
「おや……その様子だと、本当に何も知らないようですね。……
「これまでの過去の……? ううっ!」
女性に問われ、俺は自分の過去を辿ってみようと試みた。しかし、その途端、鋭い痛みに襲われて堪らず頭を抱える。
なんだ? 脳みそを直接、締め付けているようなこの酷い頭痛は? ただ記憶を遡ろうとしているだけなのに……吐き気を催す激痛と
「そこまでです、ご主人様」
全身から汗が噴き出て、いよいよ意識が遠のいていく……その寸前、凛々しい声がして、額に何かが触れた。
果たして、それは少女の手だった。ベッドに片足だけ乗り出した彼女は、俺の体に被さるように寄り添い、左手を額に当て、さらに右手で背中を擦ってくれていた。ひんやりした手のひらが火照った頭の熱を奪い、さらに優しい
「あ、ありがとう……おかげで具合が良くなったよ」
「大丈夫ですか? お望みであれば、ギュッと抱き締めて差し上げましょうか?」
「い、いや。大丈夫だから、ホントに」
両手を広げて、少女は俺に迫ってくる。ひとたび頷けば、すぐにでもその豊満な胸の谷間に俺の頭を招き入れようとするかの如く。さっきからやけに積極的というか、初対面だというのに不気味なほどに尽くそうとするな、この子。
「……どうやら記憶障害を起こしているようですね。恐らく、異世界を転移したことでの後遺症でしょう」
そうして近づいてくる少女を制していると、女性が聞き捨てならない言葉を口にした。
「異世界……?」
「はい。その点を含めて、あなたにこの館のしきたりをご説明いたします。その前にまず自己紹介をしましょう」
軽く手を合わせて言った女性は、まずスカートの端を摘まんで軽く膝を曲げて、
「改めまして、お初にお目にかかります。私は本邸宅の筆頭メイド、ヘラデリカと申します。そしてこの子はリヴィア。あなた専属のメイドですわ」
お辞儀しながら名乗った後、今度は少女を手で示して、そう続けた。
「はあ? 俺専属の……メイド?」
「はい。325号室を担当します、リヴィアと申します。本日より誠心誠意お仕え致しますので、どうか末永くよろしくお願いします。ご主人様」
俺が顔を向けると、ベッドから降りた少女――リヴィアは、ヘラデリカさんと同じような一連の動作でお辞儀をした。
「ちょ、待て待て。待ってください! どういうことですか? なんで俺にメイドさんなんかが……?」
「この館に招かれた者には必ず1人のメイドがお付きになります。それがこの館のしきたりですから。そして、なぜ彼女であるのかは、あなたがお持ちになっているそれが証明しています」
「え?」
ヘラデリカさんは俺の方に手を向けながら言う。俺が持っている? 不思議に思いながら彼女の視線を辿って顔を下げると、目に入ってきたのは掛布団の上に置かれた自分の右手。
その中には、小さな宝石が埋め込まれた金細工の鍵があった。
「あっ……これは! あの時、爺さんから貰った……!」
それを見た瞬間、突発的な頭痛によって閉ざされた記憶の一部が脳内に蘇る。行き倒れの老人、与えたおにぎりとお茶、お礼として譲られた鍵。そして、光に包まれる部屋……どれも断片的な光景だが、確かにその鍵には見覚えがある。
「ふむ……どうやら記憶の一部を取り戻したようですね。そしてその老人とは恐らく、レオンハルト様のことでしょう」
「レオンハルト……? それってこの館の……」
「ええ。この館を設計・建設した張本人であり、私たちの元
「……だから、彼女が俺のメイドになった、ってことなのか……?」
ヘラデリカさんの意図を汲んで、リヴィアに顔を向けながら話を継ぐと、彼女は満足そうに頷いた。
「そんな……つまり、この鍵のせいで俺はこの館に連れてこられた、ってことなのか……? いやでもっ、そんなこと有り得るかよ! そんな……ま、魔法みたいなことが!」
「ええ、その通り。魔法ですよ」
「はァ?」
「ちょうどいい……リヴィア。証明も兼ねて、この方にあなたの力を見せて差し上げなさい」
「
リヴィアは一礼すると、徐に両手をエプロンの裏側にそれぞれ突っ込んだ。間も無く、そこから取り出したのは大きい両刃のナイフ。そんなもので何をする気だ?
若干、怯えながら見守っていると、リヴィアは突然、その二本を真上に放り投げた。それらはベッドの
「あれっ?」
だが、俺の想像に反して、二本のナイフはリヴィアの頭上でピタリと制止した。いや、それどころか彼女を中心にしてビュンビュンと飛び回り始めたのである。
「これが私の魔法です」と、あっけに取られている俺に、リヴィアは言った。
「魔力を与えた物質を自在に動かす。これが私の能力、『
「いかがです? 魔法は存在すると、これで信じていただけたでしょうか?」
「あ、ああ……」
ぎこちなくヘラデリカさんに頷く。完全に理解するにはまだ気持ちが追い付いてこないけど、でも、こんな超常現象を見せつけられたら認めざるを得ない。知らないうちにこの部屋にいることも含めて、魔法の存在を受け入れないと説明が付かないんだから。
「……じゃあ、本当に俺は鍵のせいでここに……? でも、どうして? なんで爺さんは俺にそんな鍵を渡したんだ?」
「……レオンハルト様とあなたの間にどういった経緯があり、彼があなたに何を見出したのか、残念ながら私には分かりません。しかし、ここにいる以上、あなたはそれを望まれたのだと思います」
「俺が……望んだ?」
「ええ。先ほども申し上げた通り、その鍵はただの媒体。扉を開くのはあくまであなた自身です。きっと、以前のあなたは願ったのでしょう。ここではないどこかに行きたい、と」
「ここではない……どこか?」
なぜか妙にその言葉がストンと胸に落ちてくる。根拠も無い、記憶も無い。でも、きっとその通りだ、と心の底から納得できる、無意識な確信。
それを自覚すると、何やら物悲しさが湧き上がってきて、目頭が熱くなってくる。
「……っ。ご主人様、失礼します」
「え? あっ……」
気付いたら目から涙が溢れていて。
すかさずポケットからハンカチを取り出し、リヴィアが俺の顔を拭い始める。けれど、涙は止まらない。むしろ、優しさに触れる度、込み上げてくるものの熱と量は増す一方だった。
「……どうされました? また何か思い出しましたか?」
「いや、違う。違うんです……思い出したのは何も。でも、なんだろう……無性に悲しいんです。忘れちゃいけない、というか……大切な何かを失ってしまったような気がして……」
「……無理もありません。たとえどれほど以前の境遇に不満を抱いていたとしても、急に見知らぬ場所に放り出されたら不安になって当たり前。残していった人や故郷への寂しさもあるでしょう。しかし、何も心配することはありません。そんなあなたを支え、どこまでも付き従ってくれるメイドがここにいるんですから」
泣きじゃくる俺に慰めの言葉をかけたヘラデリカさんは、リヴィアの背中に手を添えた。その動作に導かれ、俺は彼女に目を向ける。
ヘラデリカさんはさらに言葉を続ける。
「私には、なぜレオンハルト様があなたをお選びになったのかは分かりません。しかし、あなたに何かの希望を見たのは間違いない。この子が最初のメイドに選ばれたのも、きっと偶然ではないでしょう」
「俺に、希望を? それは……?」
「あなたにこの館の主になってほしい。そのために、真の主を決める競争に参加してほしい、ということです」
「真の主を決める……競争?」
「はい」と頷くヘラデリカさん。
「この館の前当主、レオンハルト様はその立場を放棄し、異世界へと向かわれました。そのためこの館には現在、主人がおらず、仕える者がいないメイドたちが
「俺にこの館の当主になれってことですか? そんなこと急に言われても……」
「戸惑う気持ちは分かります。しかし、ここに来た以上、いやが応にも戦いに巻き込まれることになるでしょう。生き残るためには、メイドと共に戦い抜くしかないのです」
困惑する俺にぴしゃりと言ってのけたヘラデリカさんは深く頭を下げ、それから
「え? あの、どこに?」
「もう必要な情報は全て伝え終わりました。私はメイドたちの長であり、この『主人戦争』の公平なる見届け人。1人の主人候補にいつまでも時間を掛けてはいけないのです。この館のことや主人戦争についての詳しい説明、その他もろもろの疑問は、あなたの専属メイドから聞いてください」
歩きながら俺の問いかけに答えたヘラデリカさんはドアを開け、そこで動きを止めて、頭だけで俺に振り返った。
「もう一つだけ。本来なら
最後に、穏やかな言葉といたずらっ子のような笑みを残して、彼女は部屋を出ていった。
正直、何が何やら意味不明だ。説明は受けたけど、分からないこと、受け入れられないことばかりで半ば放心状態だ。途方に暮れる、とはまさにこの事だろう。
だけど……。
「…………」
俺はリヴィアに視線を戻す。すでに涙が止まっていることもあり、彼女は俺から離れてベッドの横に姿勢良く立っていた。長いまつげの下にある瞳に俺だけを宿して。
〝この子が最初のメイドに選ばれたのも、きっと偶然ではないでしょう〟――先ほどのヘラデリカさんの言葉が不意に頭の中に蘇る。彼女
その推論に確たる理由は無い。だけど、俺を見下ろす一途な眼差しが。俺に対する過剰なほどの甲斐甲斐しさが。そして、俺の想いを受け止め、共感してくれているような表情が。出会ってほんの数分だけの経験が、妄想に近い推論を裏付けていた。
もしかしたら過去の俺は願ったのかもしれない。俺のことを見てくれる人を。俺の存在を認めてくれる人を。俺の気持ちを受け入れてくれる人を。
そんな人との出会いを、俺はずっと求めたのかもしれない。
「ご主人様。一つ、よろしいでしょうか?」
そうしてリヴィアを見つめていると、彼女が出し抜けに話しかけてきた。なんだろう? 俺が頷くと、彼女は続けて言う。
「そろそろ私にあなた様のお名前を教えていただけないでしょうか?」
「え? ああ、そうか。そういえばまだ自己紹介していなかったな。……あれ?」
そういえば俺……自分の名前を覚えてるんだろうな? えっと、俺の名前は……そう、
不安になって自問自答し、心の中で自分の名前を確認した後、俺は彼女に顔を上げて、
「俺の名前ははず……いや、
今の名前じゃなく、亡くなった(はずの)母親の姓を咄嗟に名乗った。どうしてそうしたのか、自分でも分からない。ただ、なんとなくそうしたいと思ったんだ。
「タイガ様……ですね。我が主のお名前、深く心に刻み込みました」
そして、胸に手を当て、噛み締めるように言ったリヴィアは、先ほどのヘラデリカさんと同じようにスカートの端を摘まんで軽く膝を曲げる、いわゆるカーテシーで俺に頭を下げた。
「改めまして、本日よりあなた様に仕える、325号室担当のリヴィアです。ご主人様の忠実なる従者として館内の安全、そして権利を命を懸けて守り抜き、達成すべき大志に尽力してまいります。これからよろしくお願いします」
「あ、ああ。まあ、なんだ。とりあえず、よろしく」
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