助けた老人から受け取った鍵は、メイドに支配された閉鎖洋館のものでした〜ご主人様になりますか?それとも死にますか?〜

@uruu

呪いの洋館

第1話 老人からの贈り物



 「……なにやってんだ? 爺さん」


 いつもと変わらぬ一日になるはずだった。


 義理の母から押し付けられた家事を片付け、風呂上がりのアイスを要求する義理の弟からの指示に従い、俺の存在など無かったかのように振る舞う実の父親の横を通り過ぎて、夜の世界に旅立つ。


 最寄りのコンビニで目的のアイス、ついでに朝食用のパンと、それとは別に俺用の朝飯を購入して、再び外へ。

 

 12月を過ぎ、本格的な冬を迎えた夜の空気は染み渡るほどに冷たい。早く帰ってお風呂で温まりたいが、今は親父が入っているだろうし、その間に他の雑用を押し付けられる羽目になるはずだ。

 

 少しでも時間を稼ぐために、えて遠回りの道を歩く。そんな俺の悪あがきのような行いが災いしたのか、あるいは幸いしたのか。


 高層マンションの影に落ちる住宅街の一角。公園前の路地のど真ん中で突っ伏す、浮浪者らしき老人を見つけた。

 

 「酔っぱらってんのか……? こんな所で寝てたら風邪ひく……いや、死んじまうぞ?」

 

 長く、ボサボサの白い髪に、ボロボロのロングコート。なんともそれらしい有様だが、さすがに見過ごすことはできない。そう思って声を掛けてみるけれど、老人は返答するどころか、指一本すら動かす素振りを見せなかった。


 「……おいおいおい。これ、マジで死んで……け、警察? 救急車? いや、面倒事に巻き込まれるのはゴメンだ。ただでさえ肩身が狭いってのに、これで警察沙汰なんかになったらいよいよ家から追い出されることに……」


 …………よし! 俺は何も見なかった! さっさと家に帰って義理母の雑用を引き受けることにしよう!


 そう心に決めて頷くと、俺は足早に歩き出して浮浪者の横を通過していった。

 

 5メートル。家に向かってずんずん前進していく。


 10メートル。突然の木枯こがらしに身を震わせながら、足を動かし続ける。

 

 15メートル。T字路が見えてきた。あそこを左折すれば家までもうすぐだ。

 

 20メートル……そして、突き当りの街灯の下で足を止めて、俺は、ゆっくり振り返る。

 

 

 吹きすさぶ木枯らしに煽られて、それでも微動びどうだにしない浮浪者を、高層マンションから覗く満月だけが見下ろしていた。

 


 「…………っ! ああ、もおっ!」

 

 頭をガリガリと搔きむしりながら吠えた俺は、きびすを返して浮浪者の許へ駆けていく。ビニール袋をアスファルトに放り捨て、両手で爺さんの体を激しく揺すった。


 「爺さん! おい、爺さん! 生きてんのか?! 大丈夫か、おい!」

 「…………ん、うぅう……」

 

 明確な返事は無かったけど、かろうじて苦しそうな息遣いは聞こえてきた。よかった。どうやらまだ死んでないみたいだ。

 

 「と、とりあえずこのまま寝てたらダメだ。早くどこかに……爺さん、立てるか? 俺が肩を貸すから、しっかり自分の足で立ってくれ。行くぞ?」

 

 爺さんの右腕を肩に回し、背負うようにして俺は立ち上がる。この時、爺さんの顔を拝見することになるのだが、日本人離れした高い鼻と堀の深い目元であることから、どうやらこの人は外国人であるようだ。どうして異国の地で野垂れ死に寸前みたいなことになっているのか。

 コートの中は骨と皮だけらしく、やたらと軽い。そのことに内心、恐怖しながらも俺は、半ば引き摺るような形で爺さんを目の前の公園へ連れていった。


 住宅街の中に作られた、ブランコと象さんをモチーフにした滑り台があるだけの、存在理由がまるで見出せない小さな公園。その中にあるベンチに爺さんを座らせる。歩いている間に意識が戻ったみたいで、爺さんは虫の息をしながら俺に日本語で感謝を伝えてきた。よし、意思疎通はできるみたいだ。

 

 「いや、それはいいんだけど……どうしてあんな所で倒れてたんだ?」

 「うむ……それは……」

 

 言いづらそうに目を伏せた老人いわく、ここ数日は水しか飲んでないらしく、空腹のあまりに気を失ったという。なんとも哀れな話だ。あまりに可哀想だから自分用の朝飯であるおにぎりを差し出すと、爺さんはその二つを俺の手から奪い取り、貪ると言う表現が似合うくらいの勢いで食べ始めた。

 

 「ちょ、がっつき過ぎだって! そんなに慌てて食ったら……」

 「あぐっ、んんっ……ぐっ?! むぅ~!」

 「あーもー言わんこっちゃない! ちょっと待ってろ」

 

 俺は近くにある自動販売機で温かいお茶を購入し、キャップを外して爺さんに渡した。爺さんはペットボトルの半分くらいの量を一気に飲み干し、胸を撫でながら大きく息を漏らす。それから少し抑えたペースでおにぎりとお茶を完食し、満足そうに背もたれに背中を預けた。

 

 「はぁ、はぁ……ありがとう。感謝するよ、少年。キミのおかげでどうにか生き永らえそうだ……私のような得体の知れない人間、誰もが見て見ぬふりをして当たり前だというのに……」

 「……別に、感謝される覚えはねーよ。ただ、あのまま見捨てていったら夢見が悪い……って思っただけだ」

 「ふふ……そうか。でも、キミが来てくれなかったら私はあのまま野垂れ死にしていたかもしれない。本当に助かったよ。しかし……今さらだけど、先ほどの食事はいただいてよかったのかい? こんな夜遅くだが……今から晩御飯だったのかな?」

 「あ、いや……一応、明日の朝食だから。問題ないよ」

 「朝食? しかも、こんな時間に……失礼だが、親は……?」

 「あー……いるにはいるけど、どっちも俺なんかに興味無いからなぁ……ああ、いや。忘れてくれ今のは」

 

 知り合ったばかりの人間に何を言ってんだ俺は。同情でもしてほしいのか、外国の浮浪者相手に。

 

 気まずくなってつい顔を背けてしまう。いや、ここに留まる理由は無い。この人も無事みたいだし、とっとと家に帰ろう。

 

 「……そうか。キミのような人間なら、相応しいかもしれないな」

 

 そうしてベンチから離れようとした時だった。意味深な呟きが耳に触れて、つい動きを止める。なんだ? 今の発言はどういう意味だ?

 老人に顔を戻すと、彼はコートの中に手を突っ込んで何かを探っていた。見れば、コートの裏側には大量の鍵が飾られていて、爺さんはその中の一本の抜き取り、俺に差し出してくる。

 

 「キミにこれを授けよう」

 「これは……?」

 

 言われるまま手に取って、よく観察してみた。小さな宝石が嵌め込まれている、金細工の意匠いしょうを凝らした、鍵と言うにはあまりに豪華な芸術品。

 

 「なんだこれ……鍵、なのか? というか、なんで鍵をそんなにたくさん持ってるんだ? まさか、何かの犯罪に関わってるんじゃないだろうな?」

 「いやいや、違うよ。私を助けてくれたキミへの感謝の印だ。だから、どうか受け取ってほしい」

 「はぁ……いやでも、困るよ。こんな高そうなもの……そもそも、鍵なんか貰ってどうしろって言うんだ? 何の鍵なんだよこれは?」

 「鍵は鍵さ。今と、ここではないどこかを繋ぐための媒介ばいかい。扉など、そのさかいに立つへだたりに過ぎない」

 

 などと、意味不明な文言を達者に語り、老人は俺の肩に手を置いた。

 

 「いいかい。その鍵は、私が持つ中でも特別なものだ。もし、キミが今の境遇を受け入れられない……別の人生を生きたい。そう願った時、その鍵はキミを導いてくれるだろう。その時まで肌身離さず持っていなさい」

 「俺が、今の境遇から……? それってどういう……」

 「さて、キミには悪いが、私はそろそろ行かないと……まだ争いは続いている。早く次の候補を見つけなければ……それでは少年。キミの健闘と幸運を祈る。彼女たちのこと、どうかよろしく頼んだよ」

 「はあ? さっきから何を……あ、おいっ。爺さん!」

 

 俺の呼びかけにいっさい応えず、鈍い動作で立ち上がった爺さんは、覚束ない足取りで夜の街路へと消えていった。

 

 「……なんなんだよ、いったい……」

 

 残された鍵を見つめ、俺はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。

 





 「遅いぞ大雅たいが! アイスを買ってくるまでにいつまで掛かってるんだお前は!」

 

 公園から出た後、そのまま家に直帰した俺を迎えたのは、義理の弟、羽角はずみ猪太ししたかの怒鳴り声だった。

 

 「悪かったよ。ほら、ご所望のアイスだ」

 「ふんっ!」

 

 ビニール袋からアイスを取り出し、レジで貰ったスプーンと一緒に差し出すと、猪太は俺の手から乱暴にそれを掠め取り、その場で蓋を開けて食べ始めた。はしたないことこの上ない。

 

 「あむっ……大体、オレは風呂上りにはアイスだって、はぐっ……知ってるだろうが。なんで用意しておかないんだよ。使えねーな」

 

 んな、メチャクチャな。いつも食べてるヤツが用意するべきだろ。というかせめてリビングか自分の部屋で食べろよ。そんなんだからぶくぶく太るんだろうが。

 

 「あら、やっと帰ってきたの大雅? ずいぶん遅かったじゃない」

 

 その時、廊下の奥のドアが開き、狐のような釣り目をした若作りの女性、義母の羽角優美ゆみがリビングから現れた。そして、玄関まで歩いてくる。

 

 「明日の朝のパンはちゃんと買ってきたんでしょうね?」

 「はい。ここに」

 「あっそ。それじゃ、いつもの場所に直しておいて。あと、もうお風呂の水、抜いちゃったからね」

 「え? だって俺、まだ……」

 「しょうがないじゃない。アンタ、いつまで経っても帰ってこないんだもん。お湯をそのままにしておくのもタダじゃないのよ? 分かってるの?」

 「……はい。すみません」

 

 立場上、反論できない俺は謝ることしかできない。そんな俺を見て、猪太はニタニタと気味悪くわらっていた。

 

 「それよりもタカちゃん、アイスはちゃんとお部屋で食べないとダメよ? ほら、今からタカちゃんが観てるドラマが始まるから、ママと一緒に行きましょう?」

 「分かったよ、ママ」

 

 そうして俺を黙らせた優美さんは、打って変わった優しい笑顔で猪太を誘いながらリビングへと引き返していく。

 

 ドアを開け、先に猪太を中に入らせた彼女は、そこで俺に振り返った。

 

 「ほら、明日も早いんだからさっさと寝なさい。アンタはただの居候いそうろうなんだから。養ってもらってる身として、ちゃんと家のことを手伝うの。分かったわね?」


 そう言いつけて、優美さんはドアの向こうへ進んでいく。

 その際、リビングのソファに座っている父さんと目が合った。だが、実の息子である俺に一言も掛けることなくすぐに顔を逸らし、閉まっていくドアに消えた。

 

 「……手伝う、か。全部やらせるの間違いだろ。自分は専業主婦のくせに……」

 

 だけど、それもいつもの事なら、もはや失望することはない。溜息混じりに愚痴を吐いた俺は、早々に階段を上がって自分の部屋に向かった。


 勉強机とクローゼットくらいしか家具のない、簡素な部屋。電気もつけずに入室し、押入れから出した敷布団と毛布を床に敷いて、ジャケットを脱ぎ捨てて中に潜り込む。


 「結局、風呂も……明日の朝飯も無くなったな……」

 

 後頭部を枕に置き、首元まで毛布を掛けて、思わず零れた吐息に嘆きを乗せた。

 

 下から、猪太と優美の笑い声が微かに聞こえる。それが俺に対する嘲りのように聞こえるのは、ただの被害妄想なのか。どうしても不快感が拭えなくて、俺は毛布をさらに頭まで引っ張りながら寝返りを打った。

 

 その時、固い何かが太ももを突いた。

 

 「あ、そういえば……」

 

 ふと、それの存在を思い出し、布団の中で体勢を変えながらズボンのポケットに手を入れる。そして毛布から顔を出し、次いで、探り当てたそれも外に出して、目の前に掲げる。

 

 老人から貰った金細工の鍵。暗闇の中でもその絢爛けんらんぶりは健在だった。


 「……ここではないどこか、か」

 

 それをギュッと握り締めて、拳を胸の上に置く。

 

 「もし、本当にこれにその力があるのなら……行ってみたいな。その場所に。裕福じゃなくてもいい。特別じゃなくてもいい。俺のことをちゃんと見てくれて、認めてくれて……受け入れてくれる人たちに……会ってみたい」

 

 戯言ざれごとだと分かっていながら、それでも頭の中に描く想いを呟いた――その時だった。



 手の中の鍵が急に震え出したかと思うと、強烈な光を放って室内を黄金色に染めた!


 

 「な、なんだこりゃあっ?!」

 

 突然の事態にパニくりながら、俺は慌てて鍵を両手で握り締める。しかし、振動は治まらないし、光も止まらない。それどころか光は固く閉ざしたまぶたを貫通して俺の視界と頭を金色に塗り潰していく。

 

 「なに、が……おこ、て……!」

 

 やがて全てを包み込む金色によって俺の意識は静かに、心地よく溶けていき――




 

 「お目覚めですか? ご主人様」



 


 気付いたら、1人のメイドが俺の顔を覗き込んでいた。





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